「心霊現象の科学」をめぐってー総まとめ その1/7 (Total 8 File)
全体はWord File で480ページほど。Memoryでは3MB前後。
写真1枚でも5MBほどしたりで、この程度なら簡単に全部をブログに載せられると思って実行しましたが、Fileが大きすぎるのか、無理と分かり、それでは3部にでもわけてとTryしましたが、全部だめ、結局、7File に分けてなんとか全部収まりそうと思っていましたが、最後でつまづき、追加 File として処理して、つまり 8 File として、やっと、今まで書いた「心霊現象の科学」関係のエッセイをより容易く閲覧していただけるように処理できました。
当初、ブログをさかのぼって読むのは大変だから、Word File を興味のある方々にお届けしようと思いましたが、知らない人からのE-mail はBlock され、迷惑メール またはJunk Mail と処理されていたので、Openするのも怖く、この方法は無理だと悟りました。ブログの中でE-mailにアクセスする方法もうまくいかず、あきらめかけていましたが、昨日、このWord File 全体を ブログに載せればと気が付き、Tryして、上に述べた結果となりました。
ともかく、8 File に分断されたとはいえ、まとまった形でアクセスできるので、読みやすいと思います。できれば最初から読んでいただければと思いますが、興味のある所を目次で探して、それぞれ読んでいただければ結構です。Word File では目次にページ数をくわえましたが、ブログではページ数は消えてしまいました。最初から読んでいただくと、この4年間で私の心霊現象に関する結論までの読書による進展がたどれるかもと思います。判断保留の段階から、結論ー死んでなくなるのは肉体だけで、意識も記憶も性格も感情もすべて保存されるというか、より高次のエネルギーレベルに移行するという認識に達したということ。
この後も、たくさん立派な本を読みつづけており、まだまだ書き続けるつもりです。
死、あの世 に関する知識の増大は、今の世で生きる上で大きな力となり、世の中をPositiveに生きる助けとなるので、老若男女、だれもが興味をもって勉強しなければならない領域だと思います。私自身の探求の跡が、ご覧くださっている皆様のご理解の一助になればありかたいことです。
Marxistマルキスト、無神論者 (大学生のころ) から Spiritualist (現在) への移行はどうして行われたかという意味でも興味深い読書遍歴(心霊現象の科学 関係の)かもと思います。
村田茂太郎 2016年5月10日
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全体はWord File で480ページほど。Memoryでは3MB前後。
写真1枚でも5MBほどしたりで、この程度なら簡単に全部をブログに載せられると思って実行しましたが、Fileが大きすぎるのか、無理と分かり、それでは3部にでもわけてとTryしましたが、全部だめ、結局、7File に分けてなんとか全部収まりそうと思っていましたが、最後でつまづき、追加 File として処理して、つまり 8 File として、やっと、今まで書いた「心霊現象の科学」関係のエッセイをより容易く閲覧していただけるように処理できました。
当初、ブログをさかのぼって読むのは大変だから、Word File を興味のある方々にお届けしようと思いましたが、知らない人からのE-mail はBlock され、迷惑メール またはJunk Mail と処理されていたので、Openするのも怖く、この方法は無理だと悟りました。ブログの中でE-mailにアクセスする方法もうまくいかず、あきらめかけていましたが、昨日、このWord File 全体を ブログに載せればと気が付き、Tryして、上に述べた結果となりました。
ともかく、8 File に分断されたとはいえ、まとまった形でアクセスできるので、読みやすいと思います。できれば最初から読んでいただければと思いますが、興味のある所を目次で探して、それぞれ読んでいただければ結構です。Word File では目次にページ数をくわえましたが、ブログではページ数は消えてしまいました。最初から読んでいただくと、この4年間で私の心霊現象に関する結論までの読書による進展がたどれるかもと思います。判断保留の段階から、結論ー死んでなくなるのは肉体だけで、意識も記憶も性格も感情もすべて保存されるというか、より高次のエネルギーレベルに移行するという認識に達したということ。
この後も、たくさん立派な本を読みつづけており、まだまだ書き続けるつもりです。
死、あの世 に関する知識の増大は、今の世で生きる上で大きな力となり、世の中をPositiveに生きる助けとなるので、老若男女、だれもが興味をもって勉強しなければならない領域だと思います。私自身の探求の跡が、ご覧くださっている皆様のご理解の一助になればありかたいことです。
Marxistマルキスト、無神論者 (大学生のころ) から Spiritualist (現在) への移行はどうして行われたかという意味でも興味深い読書遍歴(心霊現象の科学 関係の)かもと思います。
村田茂太郎 2016年5月10日
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――「心霊現象の科学」をめぐって――
あの世Afterlife、転生Reincarnation、憑依Possession、前世Past-life memory、その他 Paranormal, Supernatural, Psychic
Science(Parapsychology)心霊現象の科学 に関する書物をめぐる感想文集
村田茂太郎
「心霊現象の科学」をめぐって -余談 ブログから 表紙と目次
このブログを利用して、ブログ作成当時から 「心霊現象の科学」をめぐって をひとつの大きな中心テーマとして、私の勉強過程を書き続ける形で2014年12月まで展開してきました。(今は中断しています。)
ブログを直接読んでくださっているかたがたには、それでいいのですが、あるとき、日本の若い人たちの中にはコンピューターもInternetもやらない人たちも居ると知って、このブログの中のエッセイを廉価本で出版したいと考えていました。
しかし、いつの間にか、本にすれば400ページを越える量になり、私の体力もなくなってきて、本にするために書き直し、推敲、校正をする気力もなくなり、最近、本らしく、表紙と目次を作成し、Printerをつかって、そのままPrintして、コンピューターをしない何人かのアメリカ在住の友人にプレゼントしようと決心し、Ink
CartridgeやCopy
Paper、Binder,
Protective Sheet Cover などを沢山買い集め、自宅のHP Laser Jet Printer をつかって、プリントしはじめました。
まさに400枚を越える量で、各一部プリントBinderの作成に実費40ドル以上かかり、本にするよりも金がかかるみたいですが、もう本にする気もなくなったので、せめて私が到達したAfterlife解釈の実態を友人たちに知ってもらいたいとおもっている現在の心境です。これはBinder方式なので、まだこれから書き続けるつもりなので、いくつか集まれば、それぞれの人にお渡ししていきたいと考えています。
Computer, Internet をするひとには、全部、はじめから読むことも可能なはずなので、目次は、そのとき調査に役立つと思い、ここに余談として発表することにしました。
不思議な出来事 に記述した本当に不思議な現象は、その後、日本訪問時、わたくしが病院に見舞った人が亡くなったばかりだったとあとでわかりました。この「心霊現象の科学」を書きながら確信に高めていった私の結論は、こうして証明されたように思いました。死んで無であれば、何も起こらない、Afterlifeがあるから不思議な現象はおきる、それはまさに その1ーで示した小林秀雄が講演で確認したとおりであったと思います。
2014年12月以降、エッセイ執筆はストップしていますが、膨大な量の読書はすすめており、逆に、書く暇が無いほどすばらしい本に出遭っているのが現状で、その一部はわたしが一度どこかで記したように(Ralph
S. Harlow) Shigeの名前で、Amazon の Book Review に英文で発表しています。「Pets
tell the Truth」とか「Kinship
with All Life」などという動物全般を、人間を含めて自然の一部と捉える、愛情に満ちた生命把握が感動的で、偉大な本と確認して、最高の賛辞をささげました。
これで終わりではなく、紹介したい素晴らしい本が沢山あるので、これからも私の感想を書き続けたいと思います。これまで読み続けてくださっているかたがたには、厚く御礼申し上げます。
村田茂太郎 2015年8月12日
---以下、本にならない本の表紙と目次 ---
――「心霊現象の科学」をめぐって――
あの世Afterlife、転生Reincarnation、憑依Possession、前世Past-life memory、その他 Paranormal, Supernatural, Psychic Science(Parapsychology)心霊現象の科学 に関する書物をめぐる感想文集
村田茂太郎
「心霊現象の科学」をめぐって 雑文集 -from my blog 目次
序文―「心霊現象の科学への私の歩み」(拙著からの転載)
本文
1
カール・ベッカー、小林秀雄、ベルグソン
2
小林秀雄 「感想 」から 魂
3
サイキック Eileen Garrett Spirits
4
サイキック Blue Harary “Out of
Body Experience” 離魂体験
5
Dutch Psychic M.B.
Dykshoorn 予知について
6
Dutch Psychic Gerard
Croiset 予知 Chair Test
7
Thomas Mann 「魔の山」こっくりさん、Eileen
Garrett 自伝“Many Voices”
8
Psychic Rosemary Brown “Unfinished
Symphonies”
9
Rosemary Brown フランツ・リスト と 異次元
10
D. Scott Rogo Parapsychologist
11
目次について RogoのHaunted Universe, UFO, Poltergeist、Philip体験
12
D. Scott Rogo の“The
Haunted Universe”について その1Spindrift, Haunting
13
その2Cosmic Interface, Rogo’s Stance, Arthur Machen “Angel of
Mons”
14
生き霊 など “Thoughts
are Things” Hereward Carrington
15
Hereward Carrington をめぐって, with Eileen Garrett
16
Nandor Fodor その1 ユング “The Incredible Psychic Life of Dr.
Carl G. Jung”
17
その2 コナン・ドイル Fairies, “Dwellers on the Border”
18
Haunted Universe その3 UFO
19
犬猫の場合 Nandor Fodor, on Cat 猫の例
20
Nandor Fodor, その2 on Dog 犬の例
21
Nandor Fodor “Survival”、Allen
Spraggett-Interview
22
オーラについての感想 その1
23
その2 Walter Kilner、Kirlian Photography,
Dr. Thelma Moss
24
その3 “Handbook of Psychic Discoveries”-Sheila.
Ostrander & Lynn Schroeder
25
その4 Edgar Cayce on ESP, Auras
26
科学と迷信の間 序 Deja-vu etc…
27
予知とテレパシー Aberfan Disaster、 J.C. Barker William E. Cox
28
シンクロニシティ、Incredible Coincidence …
29
―――
30
立花隆 「臨死体験」上下 を読む
31
サイキック Irene Hughes について
32
「臨死体験」とは?Dr. Carl Becker、立花隆
33
Sandra Gibson “Beyond
the Body”を読む
34
Arthur Guirdham 「カタ-リ教徒と転生」The
Cathars &Reincarnation
35
Mediumshipをめぐって Maurice
Brabanell“This is Spiritualism”を読む
36
つづき 第15章 Spirit Signature から
37
つづき 新約聖書と12使徒をめぐる考察
38
つづき 第2章 Our lives after Death
39
つづき 第3章 Voices from Beyond
40
つづき 第13章 Dead Doctor Diagnoses霊界からの医療診断
41
つづき 第11章 Gifts from Beyond 霊界からの贈り物 Apports
42
つづき その2 Apportsに必要なムード その他
43
つづき その3 コナン・ドイルから家族へのメッセージ
44
Mediumship死後の世界の存在証明 私ムラタのMedium体験からー電話での
45
Maurice Barbanell つづき 第10章 Permanent
proof of Survival
46
つづき 第19章 The Implications意味合い。そして結論 第20章
47
Power of Prayer 祈りの効力? Rogo,
Spraggett
48
「The Healing Mind」Dr.
Irving Oyle イメージ化の効果
49
Psychic Defense について Susy
Smithをめぐって
50
The How of Healing By Alan
Vaughan
51
「Lifetimes」Frederick
Lentz Ph.D.を読むーReincarnationの研究
52
つづき Dr. Lentz “Beyond
Birth & Death”からの紹介
53
S. Ralph Harlow, Ph.D. 「A Life
after Death」を読む その1William James
54
つづき その2 Dr. Harlowの妹Anna “We must
have clear cut evidence”
55
つづき その3 Margery Crandon その1
56
Margery Crandon その2兄Walter Finger
Prints, Independent Voice etc.…
57
Margery Crandon その3兄Walter Cross
Correspondence
58
つづき その4 Patience Worth
59
つづき その5 Experience of Dying “死”をめぐって その1
60
つづき Experience of Dying その2 Out of
Body
61
つづき その6 On Apport ETC… テレポーテーション
62
つづき その7 Arthur Ford Medium
63
つづき その8 On Special Healing
64
「Death Encounters」死との邂逅、臨死体験Charles
Fiore &Alan Landsburgを読む
65
「On the Fringe of Paranormal」Bonnie
Golightlyを読んで
66
George Ritchie 「Return
from Tomorrow」を読む、臨死体験
67
Dr. Edith Fiore 「Unquiet
Dead」成仏できない仏たち を読むEarth bound spirits
68
Claire Sylvia 「A Change
of Heart」を読む、心臓―肺移植後の体験と分析
69
矢作直樹やはぎなおき東大教授、医者の本5冊「魂と肉体のゆくえ」などを読む
70
「Return From Heaven」Carol
Bowman天国からの生まれ変わり を読む その1
71
「Across Time and Death」Jenny
Cockellを読む Reincarnationの実例?
72
「Ghost Hunters」Deborah
Blum を読む William Jamesをめぐる考察
73
Carol Bowman 「Children’s
Past Lives」を読む 子供の転生の記憶
74
「Your Soul’s Plan」Robert
Schwartzを読む 自分で計画して生まれてくる?
75
「Many Lives, Many Masters」Brian L.
Weiss、M.D.を読む Reincarnation
76
Carol Bowman 「Return
from Heaven」を読む その2 転生の記憶
77
「Hello from Heaven」(霊界からのメッセージ)B. &
J. Guggenheimを読む
78
Elizabeth Clare Prophet「Reincarnation-Missing
Link in Christianity」を読む
79
「After the Light」Kimberly
Clark Sharpを読む Near Death Experienceをめぐって
80
「Visits from Heaven」天界からの訪問 Josie
Vargaを読む アンソロジー
81
Suzane Northrop 「Everything
happens for a reason」を読む
82
Suzane Northrop「Séance」を読む
83
「Afterlife Encounters」 Dianne
Arcangelを読む その1E.K. Ross, George Anderson
84
つづき その2Gary Schwartz-Afterlife Experiments
85
「Heaven talks to Children」Christine
Duminiakを読む 幼児のサイキック体験
86
Melvin Morse, M.D. 「Closer to
the Light」を読む 子供の臨死体験
87
Suzanne Giesemann 「The
Priest and the Medium」を読む Anne Gehman
88
ある Medium との1時間 (ムラタ)Comaでもわかる?
89
「Paranormal」Raymond
Moody, M.D., Ph.D. を読む -自分の自殺未遂?
90
「Appointments with Heaven」Dr.
Reggie Andersonを読むー医者のサイキック・ライフ
91
「To Heaven and Back」 Mary C.
Neal, M.D. を読む 臨死体験Kayak遭難
92
「90Minutes in Heaven」Don Piperを読む 臨死体験とその後Illizarov
Device
93
Dolores Cannon その1 「A Soul remember
Hiroshima」を読む その1
94
つづき その2
95
―――
96
Bob Olson 「Answers
about the Afterlife」を読む 一問一答式展開 その1
97
Cheryl Booth 「Johnny
Angel is my brother」を読む Mediumの自伝
98
Bob Olson つづき その2
余談 お葬式またはメモリアル・サービスに参加して
余談 臨死体験 談をいくつか読んで
逸話 2014年3月28日
最近の感想 2013年11月
不思議な出来事 2014年2月22日
私のブログ 2周年記念日の感想2014-2-22
訣別 わかれ 2012年March
余談 Ghostly
Light Photo 2枚をめぐって
余談 “結論”? 2015年10月3日、4日
余談の余談 2015年10月7日
雑談 癌をめぐって 2015年10月16日
雑談 Surveyをめぐって 2015年10月17日
その99 Agnes Julia Thomas Ph.D.「Pets tell the Truth」を読む
その100 Dannion Brinkley“Saved by the Light”を読む
その101「The Secret Life of
the Unborn Child」 を読む Thomas
Verny, M.D.
その102「Where Angels Walk」を読む Joan Wester
Anderson
その103「The Children of Now」 Meg Blackburn Losey, 、MSC.D., Ph.D.を読む
その104「Glimpses of Heaven」&“More” を読む Trudy Harris
雑談 人生の意味は・目的は何か、Parapsychologyの現段階?
その105「My Son and the Afterlife」Elisa Medhus, MDを読む
その106 Josie Varga“Visits to heaven”を読む
その107「Freeing Captives」Louise Ireland-Frey,
MDを読むーその1/2
その108「Freeing Captives」Louise Ireland-Frey,
MDを読むーその2/2
その109 ”Thirty years among
the Dead” Dr.
Carl Wickland(1924年)を読むーその1
その110 ”Thirty years among
the Dead” Dr.
Carl Wickland(1924年)を読むーその2
その111 ”Thirty years among
the Dead” Dr.
Carl Wickland(1924年)を読むーその3
その112 ”Thirty years among
the Dead” Dr.
Carl Wickland(1924年)を読むーその4
その113 ”Thirty years among
the Dead” Dr.
Carl Wickland(1924年)を読むーその5
ブログ1001回目特別エッセイ
ブログ「心霊現象の科学をめぐって」-序論「心霊現象の科学への私の歩み」私の本「寺子屋的教育志向の中から」ドラフト転載
ブログ1000回目は、1000回目を記念して、内容のある文章をということで、私の書いた本から「自殺論」を転載した。
ブログ1001回目というのも意味のある数字(アラビアン・ナイト 千一夜物語!)なので、同じく、私の本から「心霊現象の科学への私の歩み」という文章を転載することにした。
もともと、もし今、私がこのブログで展開しているような形のさまざまな内容の展開が自分のブログで可能であると2011年の時点で知っていれば、本を出版する必要も無かったわけであった。 私はただ広く読まれ、なんらかの参考になればよいということで出版に踏み切ったわけで、それは私がオリジナルの文章を書いて、私が担当するクラスの生徒たちに紹介していたときに、積極的に反応してくれた生徒諸君とその親たちの反応の記憶が私を支えてくれたからであった。
今、こうしてブログの場を利用して、Publicに私のアイデア・意見・感想その他を紹介できることは本当に有難いことであり、私はこういう機会がもてたことを感謝している。
したがって、私の本から一部を転載して、ブログの読者に提供できることは私の喜びである。いずれそのうちにこの本のすべてをブログにコピーすることになるのではないかという気がするが、それもOKである。ほかに紹介したい、私の本の中の文章として、ユングの自伝を紹介した文章、「癌と人生」という題のDr.
Lawrence LeShanの本を紹介した文章、Edgar
Allan PoeのMaelstromの渦に関する私の考察 その他がある。
今年、私が本を贈呈した知人のひとりは、社長・会長を務め、1年に外国旅行(日本、ドイツ、アジア諸国など)を何十回と実行して多忙なはずであるが、時間を割いて私の本を徹底して読み、何かを学んだと感想を伝えてきた。彼の感想を読みながら、彼が私の本をすみずみまで徹底して読み終え、理解してくれた数少ない読書人のひとりであることを知った。いわば、当初の私の意図を、丁度オリジナルの文章に生徒たちが積極的に反応してくれたように、実現してくれたひとりだと心からうれしく思った。
ブログ に載せるこの文章は、私の本「寺子屋的教育志向の中から」に載せたエッセイ(1985年10月10日執筆)の製本にする前のドラフト縦書きを横書きにコピーしたものである。本の内容とすこし異なるかもしれない。注釈などまだ付記されていない段階。
今、この文章を読むと、すでに29年前に書いた文章であって、自殺論と違って、この領域の研究は進展しているため、わたしの、たとえば、その文章に例示した“Philip
Experience”に対する感想もすこし異なる。この実験は1年以上に渡ってカナダで行われ、いわば、霊界からの干渉ナシに、人間の持つサイキック能力が異常な反応をおこすという証明ととられたはずであるが、今の私の理解ではEarth
Bound Spirit成仏できない仏たちその他がウジャウジャわれわれの周りに存在するということであれば、それらがPhilip
Experienceで異常反応を起こした理由だと解釈できるわけで、単純に霊界の存在ナシに異常反応が起きたとはいえないというのが私の最近の感想である。
__________ __________ __________ __________
私の本のドラフトからの転載。今、悪名高い、他人の本からの無断転載ではない。私、本人が自分の意思でコピーしたものである。私の初期のブログでの心霊現象の科学に関するいくつかの本の内容紹介は英語原文を引用・翻訳するような形で展開し、それらは著者や出版社の許可も得ていないが、ちゃんとそれぞれの本の引用であることはしめしたつもりである。それでも、やはり許可なしは気になるので、最近は内容概説だけにとどめ、原文の引用は行わないようにしている。もし、本にでもする場合には、それぞれの版権保持者に許可は得なければならないと思うが、営利ではないブログでの、いい意味での紹介にあたるだけなので、許してもらえるだろうと勝手に考えている。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
「(心霊現象の科学)への私の歩み」
日本のある女優が二十七歳で亡くなったというニュースが新聞の週刊誌広告のところに出ていた。(1985年)。私の全然知らない女優で、なんとも感じなかったが、二十七歳という若さ、そして白血病という病名を見て、心に感じるものがあった。
ロサンジェルスに住むようになって三年目に、私は一度、休暇をとって大阪へ帰省した。三週間の日本滞在の間に、東京や京都の友人と会うことが、父母と会うことと同じ程、重要であり、楽しみであった。既に、京都大学を卒業して岡山の生家に引っ込んでいるというクラス・メートが、一時、病気で入院していたという話を聞いていたが、もう一人の友人の連絡のおかげで、大阪まで会いに来てくれるということを聞き、私は喜んだ。そして、結局、天王寺の植物園で会い、温室に入って、久しぶりの会合を味わった。岡山からの友人は、大学時代に私から借りていたフランス語の教科書を律儀にも、手ずから返してくれた。私達は阿倍野の旭屋書店を覗き、少しうろついて、ゲームをしたりして別れた。それは十一月も終わりに近い頃であった。
六月になって、私の帰省を連絡してくれた同じ友人から手紙が届き、驚いた。そこには、岡山の友人が四月に病死したという知らせが記されていた。その友人も、全く知らないで過ごし、たまたま、元気にやっているかどうかと彼のところへ電話して、ご両親から彼の死をきかされることになったのであった。私は、その友人が亡くなったという日に何か私の身の周りで起きていなかったかを調べようと思い、簡単につけていたメモ・ダイアリーをのぞいてみた。すると、その日、家の電話が不通と記してあった。私はそのときの事を思い起こそうとした。そして、そうだ、あの時、どうしたことか、電話が完全に沈黙してしまい、私はどうしても連絡しなければならないところがあったため、市外通話用に小銭を沢山用意して、近くのガス・ステーションの公衆電話へいったのであった。翌朝、電話会社に連絡するつもりでいたところ、朝になってみると、まるで何事も無かったかのように、電話は通じたのである。私達はおかしいなと思い、ともかく、もう、電話会社に連絡しなくてもよいということで、そのままになった。ただ、その出来事だけは、メモとして残った。彼は、確か、まだ、二十七、八歳、病名は白血病ということであった。
このときも、その時になって、一体、自分は何をしていたのだろう、と深く反省した。会ってから、四ヵ月後に病気で亡くなるという、その進攻性から見て、私ともう一人の友人は、当然、死の予感ともいうべきものを持ってしかるべきだと思い、そんなことに、まるで鈍感であった私自身を大いに恥じた。そして、私は二度とそんなことが起きないように、私は人間への洞察力を鍛えねばならないと痛感した。
それから、しばらく経って、私はコリン・ウイルソンの“Strange Power”(不思議な能力)という本を読み、私もまじめに探求してみようと思うに至った。丁度、ピラミッド・パワーに関する本があらわれだし、共産圏での、超能力研究の本がベストセラーになって、膨大な文献が出はじめた頃であった。私は、タイミングよく、一ヶ月に十冊くらいの読書力で、英語のパラサイコロジー(超能力の科学)関係の文献を読破していった。そして、この迷信と恐怖と疑惑に満ちた領域の研究が、欧米においては、ほとんど、百年の歴史をもって、まじめに探求されてきた事を知り、また、その内容がまさに膨大であり、限りない面白さに満ちているのを知った。一方、科学的に探求することのむつかしさも、大いに感じさせられた。
こうして、膨大な文献を渉猟する中で、たとえば、岡山の友人が亡くなった日に電話が不通となった出来事、これは全く無関係な出来事であるかも知れないが、報告された歴史の中では、こういう出来事がよく起こる事を知った。中には、死んだ人から電話がかかってくるというようなケースがあり、そういう事例を集めて考察を加えた本もあった。この領域の研究は、実験でやれないケースが多く、丁度、不確定性原理が観測者の影響を無視できないのと似ていて、厳密な科学性を保ちにくく、中には、ドクター・ヘンゼルの如く、統計的分析の不十分さから、現象としてのテレパシー等の超能力現象を否定してしまう人も出る始末である。
私が高校生の頃、テレビでアメリカから輸入された“トワイライト・ゾーン”(未知の世界)と“世にも不思議な物語”が連続放映されていて、私達は大のファンであったが、私は“世にも不思議な・・・”の方は、少し恐かったので、時には、掌で目を隠しながら、覗き見るようにして眺めたりした。“トワイライト・ゾーン”はすばらしく独創的な空想力で、ファンタジーに富んだシリーズを展開していて、見ごたえがあった。その中に、戦場で、ある男が同僚の顔が異常に見えて、そのあと必ず、その同僚が死ぬという体験をし、最後には鏡に映った自分の顔の異常さに気がつくというストーリーのものがあった。アーサー・フォードというMedium霊媒能力者の自伝を読んでいて、彼が全く同じような体験をして、自分の持つ能力を発見していくのを知り、それぞれのストーリーが何らかの事実をもとにしてつくられていたことがわかった。“トワイライト・ゾーン”の場合は、想像力にあふれた作品が多かったが、“世にも不思議な物語”の方は、その種の沢山の文献を読んだ後では、確かにありうる話しであったのだと悟った。テレパシーや透視や予知が、主なテーマであったように思う。
サンフランシスコ大地震の予知夢を体験して、気違いと思われる男のストーリーもあったが、今では、私は当たり前のことのように思うほどである。私たちのアメリカの友人の話では、1971年のサン・フェルナンド大地震の時には、そこの飼い犬が地震前に、庭をグルグルまわって、異常な興奮をしめしていたという。一番、鈍感なのは、人間であって、オーストラリアの原住民の間では、テレパシーといった超能力は、実は超能力でもなく、誰もが持っている普通の能力であり、もっていない鈍感な人間のほうが、彼らには信じられないほど異常なのである。人間は文明化とともに、そうした能力を喪失していったのであり、現代においても、個人的には、そうした超能力をより強烈に持っている人が居ても、不思議でも何でもないのである。もともと、人間は自然の一部であったのであり、大自然の生命体と共有するものを持っていて当然である。
“世にも不思議な物語”の中で、今も覚えている(1985年現在、約二十五年経っているにもかかわらず)ストーリーにこういうのがあった。ある女性が病院に入院していて、毎晩、奇妙な体験をしていた。真夜中に靴音がして、それが決まって自分のいる病室の前で、とまるのである。気持ち悪がって、ひとに話してみても、誰もまじめに受け止めてくれない。決心をした彼女は、その夜、いつもの音が始まると、恐れながらも、あとをつけていくことにした。女が歩いていたのだが、エレベーターに乗って、その女の行き着くところまで行って、彼女はぎょっとした。その女は、向き直り、ニヤリとしたが、そこは、ナント、死体置き場であったのだ。その部屋の番号を目に留めながら、彼女はぎゃっと叫んで、病室に逃げ帰った。そのうち症状がよくなって、退院することになり、飛行機で去ることになった彼女は、最後の一人として、出発しようとしている飛行機に追いついて、タラップを上り、機内に入ろうとしたとき、そのドアーのところにいたスチュワーデスが、死体置き場に居た女と全く同じであり、よく見ると、飛行機のナンバーが、死体置き場の部屋のナンバーと同じであった。今度こそ、キャーッと叫んでタラップを降りると同時に、その女はドアーを閉めた。そして、飛行機が離陸すると殆ど同時に、爆発して空中分解してしまい、その女性は、予知夢的な体験のおかげで命拾いをしたのであった。このストーリーは劇的に構成されているが、この種の体験をする人は決してめずらしくないらしい。
現存在分析学者メダルト・ボスは、“夢―その現存在分析”の中で、予知夢をとりあげている。彼は、その中で、それが予知夢であることは、何人も証人が居て、疑う余地がないという。第一次大戦勃発の直接的原因になったと思われるオーストリア皇太子夫妻のセルビアでの暗殺に関する夢で、皇太子の友人であり、大司教であるラニィという人の体験である。夢の中で、皇太子からの暗殺通知の手紙を受け取ったラニィは、驚いて、時間を確かめ、その場面を図にまで描き表した。召使たちにも自分の見た恐ろしい夢の話をし、絵も見せて、彼はそれが真実である事を疑わないで、皇太子夫妻の冥福をみんなで祈った。はたして、それから12時間経った同じ時刻に、オーストリア皇太子はセルビアで暗殺された。それから、少したって発表された新聞の報道写真は、大司教がスケッチしておいた光景と全くおなじであったという。この、歴史的ともいえる予知夢は“サマリアでの約束”を思い出させるほど、人間の運命の決定性を示しているが、ほとんど予知夢と同じ体験をしたが、重要なところが少し違っていたというケースも多く発表されている。
そうこうして、私は、様々な本をよみすすめていった。そのうちに、“Talks With The Dead”(死者と語る)という本を読んだ私は、自分でも実験してみたく思った。この本は、戦後発見された現象を扱ったもので、ヨーロッパではコンスタンチン・ラウディーブという科学者が“Breakthrough”(突破)という本を書いて、一躍、非常に有名になったが、アメリカでも、孤立して、その種の研究は積まれていた。発見というのは、ある人が、誕生祝のパーティをテープ・レコーダーに吹き込み、それを流していると、突然、彼の亡き母の声で、本来、沈黙のあるべき箇所で”Happy Birthday・・・“(・・・誕生日、おめでとう。)といっているのを聞き取ったことから、はじまり、それを発表したのを読んだ科学者が、ファラデー・ケージをこしらえて、いろいろと実験を繰り返し、ともかく、まっさらのテープにも、何かが記録されるという事を確かめたわけであった。そのうちに、”こちらはゲーテ“とか”ベートーヴェン スピーキング“と言った調子の会話が記録され、まじめにとるべきかどうか、冷静な判断力が要請されるに至った。
私は、ともかく、テープ・レコーダーと新しいテープとがあれば、やってみることが出来るので、ある晩の十二時に、すべての部屋をしめきり、テレビもラジオも消し、女房も犬もネコも寝静まったのを確かめてから、テープをセットし、ボリュームを最大にして、沈黙の状態で約十分、流してみた。十分経って、テープを切り、巻き戻してみて、私はジーっと耳を傾けた。三分ほど経ったところで、男のだみ声で何か名前らしきものを言っているように思ったとき、私は正直言って、気味悪くなってきて、女房の部屋に駆け込んで、たたき起こそうかと思ったほどであったが、かろうじて、それをとどめた。十分ほどの長さの、ほとんど何も入っていないテープに二箇所ほど、その種の異常が記録されていた。私は、この種も何冊か読んだが、彼ら著者たちが信じているようには、単純には信じられない。何かが起きているのは確かなのだが。
この心霊現象の領域は、様々な可能性があり、様々な解釈が成立しうるので、私達は、よほど慎重に立ち向かわなければ非科学的といわれても仕方がないことになる。“Ghost Investigator”(幽霊探求家)とかと、自分で名のっているハンス・ホルツァーなどは、本を読んでいても、いろいろな可能性をチェックすることもなく、ほかにもおかしい点がいっぱいあるのに、ある一つの現象から、いきなり、死後の世界を認め、それを前提にした解釈を行っているので、私は、随分、ハッピーなひとだなあと思ってしまう。こういう人が多くいる間は、ヘンゼルのような否定的な人が出るのも、当然だという気もしてくる。現象を、まず、認める態度は重要であるが、その解釈に対しては、様々な角度からなされねばならない。
ドクター・イアン・スチーブンソン の“転生らしき二十のケース”という、今では、古典的といえる本を読むと、彼は単純にReincarnation転生があるとは信じていないが、それらの現象をうまく説明するものとして、たとえば、転生とPossession(魂ののりうつりー憑き)とが、考えられると書いている。この領域の研究は、ほとんど、最終的な断定を拒絶しており、私達はProbability(蓋然性―そういうことは、起こりうるらしい)という程度の確信しか、持てないのかもしれない。
1975―76年であったか、日本の東北の小学六年生が断崖から飛び込み自殺をしたというニュースを新聞で読んだ。当時、日本の小、中学生の間では、怪奇現象に対する関心が高まり、お墓で写真を撮ったら、幽霊が写っていたというような話しが盛んに行われていたらしく、その小学生は、まさに、命をかけた実験を行ったのであった。私は既に、ロサンジェルスに居たので、日本のこの種の領域に関する文献の出版状況は知らないが、ヘンに科学的という態度になじんでしまった日本人一般は、科学という名のもとに、はじめから幽霊現象を否定してしまい、ある種の現象を認め、冷静に観察・実験・追及するという、科学者として取るべき基本的態度を喪失していたようだ。
特に、学問のメッカといえる、旧帝国大学はそれが強く、日本人で唯一、この種の領域の研究史で、1920年代に名前をのせている東京帝国大学心理学教室の福来教授も、退官させられて、高野山大学へうつらされたという事実がある。そういう、日本的風潮に純粋に抵抗した児童の反応が、実験的自殺行となってあらわれたのが、その児童の死であった。新聞によると、教師たちもはじめから、まじめに取り上げず、バカな事をしていないで、もっとまじめに勉強しろという態度であったらしい。好奇心こそ、何よりも学問のはじめであり、科学の基本であってみれば、そういう熱心な児童に対しては、それ相応の真摯な対応がなされねばならない。その失敗が、その無駄な死を生んだ。
死後の世界があるのかどうかは、死者にしかわからないといえるかもしれない。ただ、人間が様々な能力を保持しているということ(テレパシーや透視、予知力)は、もう、ほとんど、誰も疑えないところまで来ているといえる。そうして、たいがいのことは、そうした能力によって、説明できるのである。
カナダのその種の研究グループが“Philip Experience”(フィリップ体験?)と呼ばれる実験をやり、その結果が本になっている。クロムウエルの時代の架空の人物フィリップと彼をめぐる恋愛譚を創作し、その架空の人物を幽霊のように呼び出そうというもので、結果的には、反応があり、テーブルも持ち上がり、YesかNoかの質問に対しても、積極的な反応があるようになったという。これは、何を意味しているのか。集まった人々は特別に超能力のある人々ではなかった。しかし、彼らの精神のエネルギーが集中されると、物理的な効果となって、現象したのである。架空の人物の設定は、幽霊の想定を排除するためであったに違いないが、別な解釈によれば、無意識のエネルギーの働きという見方のほかに、いわば地上に密着して、昇天できない亡霊が反応しているという見方もあり、ただ、現象の存在を認めるところまでしかいっていないといえる。
しかし、この七~八人が集まったときに、何らかの物理的反応が生まれるということは、十九世紀にもわかっていたらしく、今では、Table Levitation(テーブルを持ち上げる)実験は、パーティ・ゲームにも取り上げられているほどである。UCLA(カリフォルニア大学ロサンジェルス校)のドクター テルマ・モスも、その著、“Probability
of the Impossible”(不可能の蓋然性)の中で、とりあげて、UCLAでの実験結果を報告し、イギリスの コリン・ウイルソンも”Poltergeist”(ポルターガイスト)その他で、彼の実験結果を報告している。私たち、素人にはインチキというよりも、ほとんど不可能に思われる現象が、簡単に起こりうることは、私たちの持つ潜在的エネルギーや能力の強さを示している。四~五人が指一本を使って、いすに座った大人を、椅子まるごと空中に持ち上げるという実験は、見たことのない人には、トリックか不可能としか思えないに違いない。
一方、子供の玩具屋で手に入る、“ウイジャー・ボード”(Ouija Board)のようなものが、考えようによっては、とても危険な道具になることは、過去に起きた例が示してあまりある。私たちの無意識のエネルギーが演じるのか、それとも、ある人々が単純に信じているように、死者の魂がウイジャー・ボードの周りに集まってきて、生じるのか、説明はいろいろとありうるが、何らかのメッセージ的反応があるのは、昔から知られていて、日本ではコックリさんとかいわれ、欧米ではTable Tippingとかと呼ばれ、最近では“Ouija Board”が一般化している。トーマス・マンが“魔の山” に用いて、作品の画竜点睛としたことは、既に、“魔の山 を再読して”で、書いておいた。この遊びから、有名な“ペイシャンス・ワース”現象が生まれ、1913~1919年に世間を騒がせた。
Mrs. Curran(ミセス・カラン) が友達と遊んでいると、突然、メッセージがあらわれて、“Many
moons ago I lived. Again I come. Patience Worth my name.”(月がめぐったむかしむかし、私は生きていた。ふたたび、わたしはやってきた。ペイシャンス・ワースがわたしだ。)と、つづったので、二人の女性が驚いたのも無理は無かった。恐怖映画 “Exorcist”エクソシストのPossession(魂が憑かれる)も、このウイジャー・ボード・ゲームからスタートする。素人で、この遊びにふける人の多くが陥る危険は、大概、批判的精神を喪失してしまい、自分は何か絶対的真理の源泉とコンタクトしていると信じてしまい、何でもメッセージの言う事を信じてしまうところから来る。ある人は、そのため夫を殺したり、殺人を犯したり、家財を散失したりする結果を生んだ。身から出たさびといえばそれまでであるが、批判的な態度を維持することは困難なのであり、冷静に対処できる余裕と科学的精神を持たない人は、かかわるべきゲームではないといえる。或いは、はじめから、遊びであるとわりきって、かまえることが必要である。
“うらない”もまた、この領域の重要なテーマである。星占い、トランプ占い、手相術といろいろな占い術があり、ギリシャの神話もまた占いである。映画“外人部隊”では、ジプシー(?)の女が行うトランプ占いが重要な要素となっていたが、これも、インチキとかデタラメと言えないもののひとつである。易とかタロットとか、みな、宇宙に何らかの摂理が働いていて、たまたまピックアップしたものは、実はたまたまではなくて、ピックアップされるべきものとしてあったということになるらしく、タロット・カードから引き抜く一枚一枚のカードの構成の中に、自分の過去から未来へとつながる全貌が現れてくるという。このタロット・カードは、トランプ・カードの起源といわれ、中世を象徴するカードから構成されており、ユング派の精神分析学者の中には、この象徴的なカードとシンクロ二スティクな カードの選択との関連から、その人間の精神の深奥を探知する材料として使えると考える人も居るほどで、単に偶然の遊びとはみなせないものがある。
私は、このタロット占いのほうも、ある人を介して、スペイン女性を紹介してもらい、テープ・レコーダーをかかえて、その家を訪問し、2時間ほどタロット占いをやってもらった。私は出来るだけ自分の情報を与えないようにしたため、相手は何をうらなっているのかもわからず、結果的にはどちらともいえないことになってしまったが、私としては、その方法や、読解術を理解しえただけで満足であった。
占星術に関しては、私は、そのうち、“星への想い”(学としての占星術は成立可能か)という論文を書きたいと思っていたが、今ではその気もなくなった。ともかく、占星術に関しては、ここでは触れない。ただ、私を納得させるに足る科学的・学問的な探求書は、ほんのわずかしかないことは事実として、指摘しておきたい。巷に氾濫している占星術の本は、その学的根拠を解明していない点で、単なる、空想の産物といえるものである。それにもかかわらず、それぞれの星のところを読むと、あたっているような気がするのはどうしてか。
私の、この、心霊現象の学問探求への歩みは、もともと探求心旺盛であった私に、友人の病死とそれを四ヶ月前に感知できなかった反省が加わって、加速度的に没入していくという形でなされた。今では、私は、ほとんどすべての心霊現象に興味を持ち、それらを、科学的学問的に探求していきたいと思っている。それらが、みな、手遅れに終わった亡き友人たちへの供養となるに違いないと思っている。もし、死後の世界があり、何らかの形でコミュニケーションが可能なものならば、私はその方法を探さねばならない。自殺した彼女や、病死した彼のように、最後の言葉を交わすこともなく、去った人々に対しは、いつまでも怨念と自責が残る。たとえ、科学的証明は不可能でも、もし、私自身が、あるすぐれたMedium(霊媒)と接触して、その人から、彼(彼女)が当然、知るはずもない情報や感情を伝達されれば、きっと私は、真実を感知できるに違いないと思う。
英国に予知情報収集局を作ったドクター・ベーカーは自分でも占い師たちの予知力を調べるために、何人かのジプシーや手相見を訪問し、“Scared To Death”(死へ至る恐れ)の最後のところに、その印象記を書きとどめている。彼はこの本を書いて、すぐ、そのあと、まだ四十代の若さで亡くなった。すぐれたホンモノの占い師は、彼のそうした短命を予知していたに違いない。しかし、ホンモノの占い師は、そのようなときでも、その人間へ与える精神的、心理的影響を考慮して、わかっていても、断定的なことは言わない。それに対して、巷間にあふれるインチキな占い師は、ひどい・ショッキングな予想を断定的に行うため、信じやすい人間は、その妄想に捉えられてしまうことになる。
私もまた、いろいろな情報を自分自身で集めたいと思う。タロット占い師を訪れたのも、その一つであった。水を探し当てるDowsingの実験もやってみた。“Ouija Board”の方も、一度だけ、女房ともう一人を入れてやってみた。メッセージらしきものがあらわれるところまではいかなかったが、異常なエネルギーが指先に感じられ、ひとりでに指示器が動き出すところまでは確認した。
私の誕生日に関しては、母のおかげで、時間までわかっているので、あるAstrology(占星術)の情報局に送って、二十ドル支払って、占星術的データを送ってもらった。分析や予知はデタラメかもしれないが、私が生まれたときの各惑星の位置は正確にわかるわけである。そして、面白い結果を得た。それで、私は姉のデータも送ってみた。しかし、資料がきてみると、それを分析するにも、よく知っていたはずの姉について、殆ど正確な判断が下せないことが分かった。結局、私は自分しか知らないということを知った。
ユングも学位論文には“ある霊媒の生理的・心理的研究”を行い、占星術に関しても、統計的データをあつめ、中国の易にもかなり凝った。彼もすべてのことに、興味と関心を示し、その死に至るまで、冷静に観察し、分析し続けた。
この現実世界には、まだ発展途上にある科学では説明のつかないことが沢山あり、私達はただひたすらに、そうした現象の学問的解明をめざして、日夜、努力するしかない。日常的世界に起きる事象の一つ一つが、見方によっては、その解明への手がかりを与えてくれているかも知れず、ただ、私たちが大きな視野と客観的・批判的精神と科学的探求心と柔軟な態度でもって、その解明に対して尽力するとき、徐々に、この世界の全貌があらわになるに違いない。(完)
村田茂太郎 1985年10月10日 執筆
心霊現象の科学をめぐってーその1
去年(2011年)、日系人の知人の家でHair Cut をしてもらったあと、美容師がわたしに質問されました。
このロサンジェルスの日系のお寺で、人が死んだらどうなりますかと訊ねたら、なにもありません、無ですという答えが返ってきたが、どう思われますか、という質問。
わたしはその答えを聞いて、なるほど、学生時代の私なら確かにそう答えただろう、しかし、普通人がそう答えるのならともかく、お寺の人がそうはっきり断定していいものかしらと思いました。というのは、わたしはリトル東京のお寺で京都大学のエライ先生(アメリカ人)が日本語と英語を上手につかって仏教について講演されたのをきいていたからです。
開口一番、仏教では”あの世”は存在する、あの世の存在を信じなかったら、仏教は成立しないといわれました。そういえば、私は子供の頃、父が仏壇で、お経をとなえるのをきいていましたが、仏説阿弥陀経の中で、仏陀が弟子に向かって極楽のすばらしい様子を描写している場面をなんども聞いた記憶があります。あの世の存在を認めなければ仏教は成立しないというのは、その通りだと思いました。
そして、京大の博士は、自分が手がけた臨死体験について話されました。ある日本の若者が交通事故でほとんど死にそうな目にあった。医者も誰もがあきらめていたが、49日目に若者は蘇生した。そして、本人はその間の体験を話し、一度も会ったことの無い人と出会ったとかというので、ふるい家系の先祖の写真を探してきて見せたら、あっ、この人だと指さし、確かめたら、本人はもちろん知るはずも無い祖先のひとであったということで、”あんたはまだこちらに来られない、さっさと帰れ”といわれたとか。まさに有名な臨死体験に当たる話で、世界中にそうした実話がちらばっています。本もたくさん出ています。臨死体験はどう解釈するかによって、この世も違って見えることになります。
さて、わたしは何度か生徒に読んで聞かせたりしたのですが、小林秀雄があるとき、若者を相手に講演をしました。”信じることと知ることと”とかという題名です。その最初の部分を取り上げて、高校生に感想を書いてもらいました。
ユーリー・ゲラーのスプーン曲げの実演などが話題をまいていたころの話で、小林秀雄は、自分は学生の頃からそうした不思議な現象に興味を持っていた、別におどろくにあたらないことだといった調子で説いてから、現代のインテリとか知識人とかという人たちは堕落しているとかなり激烈な批判を行います。なぜ堕落しているのか、それは世の中に起こる不思議なことを不思議なことだと認める素直な心を失っているからだというわけです。そして、哲学者ベルグソンの話に入ります。ベルグソンが、ある講演会で、精神感応・テレパシーの体験について、ある女性が話すのを聞いた。あるとき夫が戦場で死ぬ夢を見たが、あとでわかったことは、まさに自分が夢で見た同じ情況の中で、同じ時間に死んだという話で、これをどう解釈すればよいのかと、当時の有名な医者・学者にたずねたところ、夢では当たる夢もあり、当たらない夢も在る、どうしてたまたま当たった夢だけを気にするのかというトンチンカンな返答をした。それを横できいていたベルグソンと一緒に居た連れの若い女性が、あのドクターは間違っていると思うと言ったのに対し、人間は有名になればなるほど、自分の価値観とか世界観とかにこだわって、自分の考えにあわないものは、はじめから排除する傾向が在るという形で、ベルグソンの哲学を展開する。そのあと、小林秀雄は、なぜこのようなインテリ・知識人の反応があらわれるようになったかを彼なりに分析して、それは近代科学の過大評価に起因すると考えるわけです。要するに、近代科学は異常なほど、すばらしい発展を遂げたが、それは高々400年ほどのあいだのことである。なぜ近代科学は発展できたのか。それは科学の対象を’計量できるものに限定するということを行ったからである。だから、確かに科学は発展し、すばらしい業績をうんでいるが、それは計量できるものに限定したからだという科学の限界を諸君は忘れないで欲しいといいます。つまり、夫が死ぬというテレパシー的な夢を見るというようなことは、一生に一回起きるか起きないかというようなことで、科学的に何度も再生実験するというようなことは不可能である。したがって、そういう領域を科学は避けて通ったということを知っていなければ、科学万能、ゲラーなんてインチキだ、というインテリの態度がうまれるというわけです。これを読むと、小林秀雄は世の中に今の科学では解明できないような不思議な現象は起きると考えていたことがわかります。
さて、私の解釈は? わたしは、色々不思議な現象はおきるように思います。科学者はもっと謙虚に科学的な態度をもって、現象に対応すべきでしょう。昔、えらい科学者が、幽霊現象をみせてもらっても、自分は信じないといったそうですが、頭から信じないでは科学者のとる態度とはいえません。科学者は世の中に起きる不思議な現象を不思議だと認めて、ではどうなっているのか、何がおきているのかという科学的な解明に乗り出さなければなりません。幸い、欧米では19世紀末からまじめに研究するグループが出来、そのあと、大学でも真剣に研究・調査が始まり、いろいろな研究が発表されています。ここ、UCLAでもいろいろ実験・研究がなされてきました。
あの世は存在するのか。パスカルの賭けの理論からすれば、在るかもしれないと信じていたほうが、もし本当に在ったとき戸惑わなくて済むかもしれません。霊媒の話では、自殺者は自分が死んだことも知らなくて、灰色の世界をむなしくうろついているといいますから。まあ、今のところ、私は判断保留の状態です。
ただ、離魂体験 Out of Body Experience は面白い科学的研究可能の領域で、丁度、臨死体験者が病院の自分のベッドに横たわった身体を天井近くから見下ろしていたという話と関係してくるかも知れず、次回は魂というのがあるのかというお話に移ります。
村田茂太郎
2012年2月24日
霊現象の科学をめぐってーその2
前回(2月24日)、仏教のいう”あの世”、そして臨死体験、小林秀雄の”不思議を不思議と認める素直なこころ”などについて述べ、最後に”魂”について次回、展開すると予告しました。
今日は、たましい について、今の段階のわたしの感想を述べる事になりますが、その前に、導入部として、ふたつのケースをご紹介しておきたいと思います。
ひとつは、わたしの文章ではいつもでてくる小林秀雄のケースです。小林秀雄が亡くなった時、雑誌”新潮”に5年にわたって、56回連載された”感想”という評論が未完で終わっていたのを、遺言で全集には載せないと表明され、それが実行されていました。ところが、すでに雑誌には5年にわたって公表されていたものなので、製本にされなくても、この”感想”について論及する学者・批評家は出現するわけで、平成17年、新潮社は遺族ともよく相談した末、あらたな小林秀雄全集に別巻1,2として出版する事にきまりました。
わたしも手に入れたいと思っていたので、本屋で見つけたときにすぐにとびついて購入しました。この”感想”はベルグソン論といわれていて、小林秀雄が愛読したフランスの哲学者ベルグソンをめぐる”感想・評論”なのです。
その第一回目の文章が、ここで述べるケースにあたります。この最初の文章については文芸評論家の秋山駿が次のように述べています。これは同じ全集別巻3からの引用です。
「今度の全集には、別巻としてだがベルグソン論”感想”が収録されたので、私はたいへん嬉しかった。冒頭の第一章は、非凡な文章であって、私はこれに匹敵するものを、他のあらゆる文芸批評の中に見出さない。」
わたしがこの小林秀雄の第一章の文章を要約しながら紹介してもよいのですが、せっかく、秋山駿がエッセンスをDigestしながら展開しているので、そのまま引用させてもらいます。
「母親が死んだ数日後、外へ出ると、眼の前に、蛍が、”おっかさん”が飛んでいた。曲がり角で、蛍が見えなくなると、近所のいつも見慣れている犬が、烈しく吠えかかり、踝に咬みつく。すこし歩いていくと、男の子が二人、火の玉が飛んだ、と言って傍らを駆け抜ける。二ヵ月後、水道橋駅のプラットフォームから墜落したが、奇跡的に助かり、”母親が助けてくれた事がはっきりした。” その”経験”を持ち扱いかねたまま、治療で五十日ほど温泉宿へ行き、学生時代から愛読してきたベルグソンを読むと、一種の楽想のようなものが、経験の反響の中で鳴った。やがて、ソクラテスのダイモンという不思議な内的経験がこの楽想と共鳴し、ベルグソンの遺書を読んで、この二者が、一致するところへ至る。
”諸君、驚くべき事が起った。私のダイモンは沈黙して了った。”
短い文章の中で、蛍を見るという日常の具体的行動が、そのまま生の不思議な深刻さを奏でながら、一直線にソクラテスのダイモンへと到る。見事なものだ。
そこから、”感想”は始まる。」
秋山駿の文章はもう少し続きますが、それは省略させていただきます。
ここで、小林秀雄が蛍を見て、お母さんの魂がとんでいると感じたこと、そして、いつも慣れ親しんで、かみついたことの無い犬が、くるぶしに咬みついた事、最後にふたりの男の子が火の玉が飛んだと言って駆け抜けたこと。これが、私が小林秀雄のケースという例です。
長くなるので、ここでいったん切って、次の文章で続けます。
村田茂太郎
2012年2月25日
心霊現象の科学をめぐってーその3
前回(その2)で小林秀雄の”蛍 ー おっかさん”、”火の玉”、”犬がかみつく”という体験談を”感想”についての秋山駿の文章を引用しながら、紹介しました。
さて、ここでは、Medium, Psychic として世界的に有名であった イギリス人Eileen J. Garrett (アイリーン・ギャレット)の自叙伝”Adventures in the Supernormal"(1949)からケースをとりあげまず。
Eileen Garrettは自分のPsychic Power 超能力 に批判的精神で以って接し、自分のその超能力の不思議さを自分でも解明したいと思い、努力したので、いろいろな科学者の研究にもつきあいました。わたしが拙著のなかの”癌と人生”で紹介したLawrence LeShan 博士も、このEileen GarrettのHealing Powerについて研究したくらいです。
さて、彼女は子供の頃から、当然 Psychicであったわけで、幼い頃から、他の人には見えないらしいが彼女にはリアルにみえる3人の子供と遊び、いろいろと教えてもらった。また彼女は今で言う”オーラ”が植物・動物・人間をつつんでいるのを見分けることが出来、健康な状態か病気かすぐにわかった。ほかのひとは自分で何かを発見しようという気持ちは無いらしいが、自分はすぐに直感的にみわけることができた。
It soon became obvious that I saw things differently, and knew things instinctively. I saw people, not merely as physical bodies, but as if each were set within a nebulous egg-shaped covering of his own. This surround, as I called it for want of a better name, consisted of transparent changing colors, or could become dense and heavy in character-for these covering changed according to the variation in people's mood. I had always seen such surrounds encircling every plant, animal, and person, and therefore paid less attention to the actual body contained within. わたしは物事を普通の人と違った風にみるということ、そして物事を直感的に理解するということがすぐに明らかになった。わたしは人々を単に肉体的にとらえただけでなく、まるで卵の形をした雲のようなものがその内部の肉体を覆っているものとしてとらえた。それを私はSurround蔽いと表現したのはほかに適当な言葉が見つからなかったからだ。それはその人のムードに応じて、透明で色を替え、濃くなったり重くなったりした。わたしはいつもすべての植物・動物・人間がその蔽いSurroundでカバーされているのをみたので、その内部の肉体の方にはあまり注意しなかったほどだ。
そういう彼女がある情況で、叔母に不当に非難され、罰されたため、怒りでどうにもならなくなって、叔母Auntがかわいがっていたアヒルducklingsの子供すべてを池で水につけて殺してしまった。
In this condition I gazed at the little bodies lying on the grass, half hoping that somehow they might still be alive. The little dead bodies were quiet, but a strange movement was occurring all about them. A gray, smoke-like substance rose up from each small form. This nebulous, fluid stuff wove and curled as it rose in winding spiral curves, and I saw it take new shape as it moved out and away from the quiet forms. As I watched the spectacle, fear gave way to amazement. I became almost joyful, for I thought the ducklings were coming alive again, and I waited in tense expectancy. みんな殺してしまったので、神の怒りを買って、どんな罰が自分に下るかとおそろしい、緊張した気持ちで(In this condition),草の上に横たわった小さなアヒルたちの身体をみつめていた。半ば、まだ生きているかもしれないと望みながら。小さな死んだ身体は静かであったが、すべてのアヒルの死体にふしぎな現象がおきていた。灰色の煙のようなものがそれぞれの小さな体から立ち上がった。この雲のような液体のような物体は渦を巻くようにしてたちあがり、おりたたむような、カールするような状態を示した。そして、私はそれが死んだ肉体から離れてあたらしい形を取るのを見た。それを見ているとわたしの中に恐怖ではなくて驚きの感情が現れた。わたしはほとんどうれしかったほどだ、というのはまたアヒルたちは生き返ってくるのだと思ったから。わたしは緊張して待っていた。
ここで、わたしが示したいと思ったのは、オーラなどを見分ける超能力をもったEileen Garrettが、怒りに駆られて殺してしまったアヒルの子供たちの死体から、何ものかがでてきたというところ、これを魂とか、夜であれば火の玉といっていいかもしれないと思います。
また、休んで次に続きます。わたしはまるで新聞連載小説を書いているみたいに思えますが、考えながら、そして資料を展開しながら書いているので、ご容赦ください。
村田茂太郎
心霊現象の科学をめぐってーその4
前回は、超能力者Eileen Garrettの子供の頃の体験を、彼女の半自叙伝から紹介しました。
死んだすべてのアヒルから、何かが抜け出していくのを彼女は目撃したわけです。
そこで、先にあげた小林秀雄の体験といい、アイリーン・ギャレットの体験といい、本人にとっては真実であり、不思議なことだが、不思議なことが起きるのがこの世の中だという認識があります。
もし、そんなことはありえない、それはたまたま火の粉が飛んだのだとか、犬の機嫌が悪かったのだとか、言ってしまえば、それで終わりで、そこからは科学的探究も何もおこりません。
一体何がおきたのか、人が死ぬとき、あるいは動物が死ぬとき、やはり魂か何かがあって、抜け出していくのだろうか、それは何らかの実験で証明できないのだろうかと考えて、はじめて次の段階が現れます。
世の中には確かにインチキや不正も多いものです。しかし、昔、William James が言ったように、たとえ100人中99人がインチキであっても、ひとりでもホンモノの超能力者がいれば、科学者はまじめに研究しなければならないという態度を維持することは重要です。
ということで、わたしはふたりの話は、まず、ほんものと信じます。どう解釈するかは、また別の問題です。まず事実を認めるところから、つぎの展開が可能です。
そこで、この離魂 Out of Body Experience については、さまざまな研究がなされています。わたしがかわいい実験と思ったものに、超能力者とその愛猫をつかった実験があります。ブルー・ハラリーというひとは、寝ている間に魂がどこかへ抜け出して、いろいろなものをみてきたというので有名だったので、では実験してみようと、科学者たちは、本人は隔離して探査装置をつけ、愛猫の方も隔離して檻に入れておく。そしてどちらも、別の科学者たちが観察する。あるとき、猫がまるで敬愛する主人が檻を訪れたように、ごろごろ、にゃあにゃあと騒ぎ立て、しばらくするとおとなしくなりました。
一方、ハラリー本人のほうは起こしてみると、いつなんどき、自分は猫に会いに行ったといい、調べてみると、確かに、彼が訪問したという時間に猫が異常反応をおこしていたということがわかりました。さらに、蛇をつかって同じようにすると、誰も居ない部屋で突然蛇がおそいかかるような緊張した態度を示しました。それが、やはりハラリーが蛇の部屋を訪れたという時間とぴったりだったという実験結果。
これは、何を意味しているのでしょうか。動物は人間と比べると、はるかに自然に近く、人間から見れば超能力と思われる能力を保持しており、肉体が現前しなくても、なにか魂かプラズマかわけのわからないものが近寄ってきたのを感じ、猫の場合は主人を感じ、蛇の場合は異物を感じ取ったということだと思います。そして、この猫が感じ、本人も自覚があったなにものかが、通常、たましい とかとよばれ、英語ではSpiritとかと呼ばれるものではないか、つまり、人間や動物には死んでしまう肉体のほかに、魂と呼ぶなにかが付随しているのではないか、といえると思います。
臨死体験者の多くが、ベッドで横たわっている自分の身体を、他人を見るような気持ちで見ていたという報告は、まさにOut of Body 離魂 状態に居た、つまり肉体とは別な何かが存在するということかもしれません。
このOut of Body Experience 離魂 があると認められれば、かなりの問題が解決し、同時に発生します。肉体を離れた魂が在るとすれば、PossessionとかReincarnation転生とかも可能性として存在する事になります。
次回はこのReincarnationやPossessionをめぐる研究についてお話します。
何だか、おかしなことに、わたしは昔々によく見た映画の”予告編”を宣伝しているような気になります。
村田茂太郎
2012年2月25日
心霊現象の科学をめぐってーその5
その4 で、次回はReincarnationやPossessionについて述べると書きましたが、これはそんな単純な問題ではなさそうです。わたしはIan Stevenson や Arthur Guirdham を紹介しながら話を進めるつもりで居ましたが、紹介するだけならともかく、自分の意見を述べるのはとても私には無理だとわかりました。
それで、今日はわたしが読んですごいと思った本について、つまりPsychicについて述べます。本の題名は"My Passport says Clairvoyant" by M.B. Dykshoorn.
この人もEileen Garrettに似ています。Eileen Garrettは統計的研究家Duke UniversityのJ.B. Rhineの研究にVolunteerとして応じました、そしてNegativeな反応、つまりたいした結果は示しませんでした。もちろん、わたしはRhineの研究法でNegativeであったから、にせものだなどと思いません。わたしはRhineの方法そのものに懐疑的なほうです。Garrettはなまのサイキックなので、まさに最初にあげた(その2,その3)ベルグソンの話の中、小林秀雄の話の中にあったように、不思議な現象がこの世の中で実際に起きるというそういうケースにサイキックとして反応するわけで、○、×、□、△などのカードを当てる実験にうまく反応するとは思えません。わたくしなら、カードを用意する場合は、まだもう少しEmotionalな反応を起こすようなカードを用意したいと思います。つまり、かわいいカード、怖いカード、哀しいカードその他、何らかの生理的・感情的反応が起きるようなカードを用意して、実験を進めます。いずれにしろ、わたしはRhineを高くは評価しないのですが、彼の役割は統計的に確率よりも高いわりで人間にサイキック能力が在るということを示して、この種の研究の必要性とアカデミックな研究が可能という道を開いたことと思われます。いずれにしろ、本物のサイキックはこのカードをあてる実験に参加しても、普通以上の成果は挙げなかったようで、当然と思います。
このM.B. Dykshoornもサイキックとして有名になって、Rhineの実験に協力しますが、やはり、Negativeであったようで、あまりよい印象をかれはもたなかったようで、わたしにはその彼の感じたFrustrationがよくわかります。
それでは、彼の何がすごいのか。わたしは”予知”の研究に大事なサイキックとして、このDykshoorn とGerard Croiset をえらびます。ただし、この本や”Croiset The Clairvoyant"に書かれてあることが真実であるとしたらという断りつきですが。自分で実験も見聞もできないわたしは、本を読んでそれが事実であるとしたらという保留をいつもつけねば、何もいえません。UCLAの助教授であったThelma Moss が Probability of the Impossible という本の中で、予知に関する、自分を訪れた学生の話を書いていますが、(”予知とテレパシー”参照)、もしそれが、本当でなかったら、話もすすめられません。ドクターといわれるひとでも、いろいろ問題を起こすのはよくあることですが、一応、世間的にも信頼されているドクターがいい加減なことを書いているようであったら、ますます世間は混乱するばかりです。したがって、Croisetの有名なChair TestもこのDykshoornの自伝の中の話もホンモノとして話を進める事にします。
まだ5歳にならない子供の頃、彼Dykshoorn(オランダ人)は雪が降っている街の中の自分の家に居て、窓から街路を見ています。雪がしきりに降っているので、向かいの家でさえ、よく見えないほどです。そのとき、彼はある男が納屋に入って行き、長いロープをとりだし、納屋の梁にひもをかけて男が首をつるのを目撃します。
It was winter and the snow was falling heavily. I could barely make out the houses facing ours. There was nothing to watch but the snow falling.
Yet as I watched, I saw a man enter a barn. Inside the barn I saw him take a length of rope and hang himself from a beam.
But it did not happen, and I had not seen it at all. I had seen the snow falling on the street, and nothing else. You could not see fifty yards through that snow. Furthermore, our house was in town. There were no barns to be seen from our window, even on a clear day.
I could not understand it. I knew the incident had occurred because I had seen it and a child believes what he sees. I had seen a man hang himself. But now the snow was falling again and there were no people on the street and I was frightened.
I ran and told my father what I had seen, but his reaction was to become angry. I was imagining things, he said, and my imagination must have struck him as being diabolic. A daydreaming five-year-old ought to have been conjuring up more pleasant images. I was punished....and the punishment only added to my confusion.
But worst shock came later-for both my father and myself. No one had hanged himself that day in our district, and no one had done so in the recent past. It was two weeks later that it happened. At a farm several miles from our home, a man hanged himself in his barn. From a beam. Exactly as I had described it to my father. And it was the same man I had seen in my "daydream".
Who can explain it?
引用がながくなりましたが、5歳にならない子供の頃のできごとを思い出しながら、リアルに語っている内容はおそろしいもので、父親でなくともそんな話は信じたくないでしょう。5歳の本人、驚いて父親に訴え、子供の夢らしくない恐ろしい話なので罰せられます。すでに、それに似たことがなんどもおきていたわけです。しかし、今回は本人にとっても父親にとっても、もっとおそろしいことでした。わかったのは、当日には誰も自殺者はいず、最近、自殺した人も居なかったのですが、二週間たったとき、5歳の子供が見たと同じ死に方で、一人の男が何マイルかはなれた自分の納屋で死んだのです。
このオランダ人M.B. Dykshoornはいろいろなサイキックの才能を示した人で、自分でも驚いています。It still astonishes even me. といっています。彼は自分のサイキックの能力が、あるひとつの領域だけでなく、いわゆる五感のすべてに普通人以上のサイキックであったといいます。
My difference from other people is that I possess each of the five "normal" sense to a psychic degree. I am clairvoyant, but I am also clairaudient and my gift enables me to see, hear, feel, taste, and even smell things removed from me in both space and time.
ともかく、彼にはほかのサイキックの能力のほかに”予知する”能力がきわだっていたのです。
この本はとても面白い本でした。わたしが買ったのは1978年、今から30年以上前のことですから、今でも手にはいるのか、わかりませんが、Croisetの有名なChair Testとならんで、予知の研究に欠かせないと思います。他の話もありますが、次はCroisetのChair Testを述べます。これは間違いなく、次回に実行します。
村田茂太郎
2012年2月28日
心霊現象の科学をめぐってーその6
”予知”のつづき
きのうはM.B. Dykshoornの予知の能力の例をあげました。まだ5歳にならない子供のときに、どこかで2週間後に男が首吊り自殺をするという忌まわしい予言でした。本人も父親もそれが事実になってびっくりしたわけです。オランダ人でGerard Croiset も大変なサイキックで、Professor Tenhaeff が彼の能力を検証するために長い間つきそっていたので、資料がたくさん残されているようです。
今、わたしの、古本屋で買ったペーパーバックの Croiset The Clairvoyant という本をみると、わたしがどこかの日本語の新聞記事をカットした端切れがはさんであって、何年のことかわかりませんが、その中で、Croisetが日本に招かれたときに、千葉県の行方不明の少女が、家の近くのダム付近にいると予言、そしてその後すぐに予言した場所で水死体がみつかったといいます。それまでは述べ750人の警官と警察犬を動員して捜査していたのだがという報告記事がありました。Croisetは自分が子供のときに水死しかかった経験があるためか、超能力のうちでも、特に水死体の発見がうまく、何百人もの死体を発見したといいます。私の本は1977年2月に読了とメモしてありますから、その前後のことでしょう。
これは、予言とはいいながら、すでに死んでいたわけで、予知ではなく、テレパシーとか透視とか、そういった能力を働かせたのでしょう。
ここで述べる”予知”は、Croisetのもっとも異常な、驚くべき超能力の発現で、この現実世界が見た目に見えるほどSimpleではないということを証言しているように思われます。では、最も有名な”Chair Test”とは何か。
Chair Test
簡単にいえば、あるときの、ある会場のある席に誰が座るかを予言するもので、時間的には1時間後から26日後までのあいだの座席に座る人を推定するもの。これは、共謀すれば簡単に実行できそうなので、そのコントロールは厳密・厳格に行われ、Croiset本人があらかじめ知ることは絶対にないように準備して実行されました。
この本の205ページ目、第11章はChair Testと題されています。
Croisetの予言の際の人物像はきわめて具体的で、なんとなくといったぼやけた言い回しではなかったそうです。
The Utrecht sensitive's impressions are never vague or general but precise and detailed about the future seat-occupant's stature, facial appearance, hair, hands, body marks, manner of dress, as well as personal incidents from this designated individual's life.
Croiset's tape-recorded predictions are placed in a sealed envelope or locked in a safe and not opened until they are brought to the meeting. They are checked point by point, after the audience has been seated, through carefully controlled questioning of the person sitting in the selected seat. Croiset's statements have proved so accurate that they cannot be explained away by chance or coincidence.
時にはCroisetは全然、Impressionがえられないこともあり、そのときには、実際、その席はあいていたということでした。また、イメージがぼやけてしまうときがあり、そのときは結果から見れば、ひとりでなく、何人もがその席に座ったりしたということでした。
では、ひとつ具体的にCroisetはどのような予言を行ったのか、Chair Test のサンプル例からみてみましょう。
まず簡単なケースから。Case 3- The Empty Seat
On October 15, 1952, professor Tenhaeff was preparing a chair test to be held four days later in Rotterdam. The Professor picked chair Number 18.
"I see nothing." mumbled Croiset.
"Are you sure?"
"Absolutely."
This perplexed his parapsychological Boswell. Until then, Croiset had achieved near-perfect results.
Dr. Tenhaeff tried another number-Chair 3. Croiset smiled, saying quickly, "There will sit a woman. She has scars on her face. I see these scars have something to do with an automobile accident in Italy."
On the night of the meeting, it snowed in Rotterdam. Of the thirty person invited to attend, one couldn't come. The empty chair? Number 18-where Croiset said "I see nothing."
But in Chair 3 sat a woman with a visible scar upon her face. "Why, yes," she admitted. "I was in an automobile accident in Italy two months ago. But tell me, how did you know?"
After the experiment, Tenhaeff corroborated Croiset's image with testimony from the woman's husband, a neurologist.
逐語訳はやめますが、このケースは、Professorが18番の席のイメージはと訊ねたら、Nothingと答えたので、奇妙に感じ、では3番はと訊くと、顔に傷のある女性で、その傷は多分、イタリアで自動車事故にあったものだろうとこたえた。当日になると、雪が降っていて、ひとりだけ参加できなかった、空の席は18番だった。3番には女性が座り、顔の傷も事故もみなCroisetがいったとおりで、その言葉はあとで夫の証言で証明された。
Case 1-last-Minute Ticket
1950年3月6日の午後、アムステルダムのジャーナリストがオランダでCroisetの特技が有名になってきているので、ひとつその証明を記事にしようとCroisetに電話した。
”あと二日したらユトレヒトの心霊学会でChair Test をするから、そのときの座席ナンバーを適当に言ってくれ” ”Raw 7, third chair from the right,"(7列目の右から3つ目の席)。
”All right," "Please make a note of these impressions that I am now giving you. I see on this chair will sit a lady with gray hair. She has a slim figure and is a lean type. She likes to help people, but calls everything she does <Christian social work>."
When these facts were checked under Dr. Tenhaeff's supervision on the evening of March 8, this particular chair was found to be occupied by a Protestant Sister of Mercy, Sister L.B., who, indeed, did Christian social work. Croiset's description of her was a direct hit. It couldn't possibly have fitted anyone else present. それではメモしてくれ。灰色の髪をした夫人が座るだろう。彼女はスリムな身体をしていて、細長いタイプだ。彼女は助けるのが好きだが、彼女はそれをクリスチャンの奉仕だとしている。この事実をDr. Tenhaeff 監督のもと3月8日にチェックしたところ、このいすにはプロテスタントのSister L.B.が座り、その姿かたちはCroisetのいったとおりだった。出席者の中で彼女以外にCroisetの記述とあう人は居なかった。
Sister L.B. acknowledged the paragnost's description of her as being accurate. She said that she had almost stayed at home, and her choice of the seat was unpremeditated.
It was purely accidental that she received an admission ticket as late as 5:40 PM on March 8. Croiset gave his information to journalist when participants of the test had not yet received their invitations. Moreover, the person who gave sister L.B. her ticket did not know any of the facts furnished by the paragnost. L.B.はCroisetの言ったことはすべて正しいと認めた。彼女はほとんど家に居るつもりだった、それで座席はまえもって決めてあったわけではなかった。彼女が入場券を受け取ったのはほとんど偶然で、3月8日の5時40分だった。CroisetがJournalistに彼の印象をかたったとき (3月6日)は、まだ誰も入場券を受け取っていなかった。そしてSister L.B. にTicketを与えた女性はCroisetの事に関しては何も知らなかった。
つ まり、このケースは、3月8日に座る女性がTicketをもらうほとんど2日前に、彼女が座ることを知っていたわけである。しかも、偶然にTicketをもらった女性が座ることを。
これらが、有名なCroisetの Chair Test といわれるもので、Dr. Tenhaeffは何百ものケースStudyをFileしているという。
これは、完全に予知であり、テレパシーとか透視などとちがって、おそろしいくらいです。これはEinsteinの4th Dimensionとか Parallel Universeとか、いろいろな考えもしなかったことを考慮にいれないと説明がつきません。一番簡単なのは神の決定論とか宿命論とかで、すべては前から決まっているというもので、危険で救いの無い論理です。
難しい問題です。 村田茂太郎 2012年2月29日
心霊現象の科学をめぐってーその7
Eileen Garrett と Thomas Mann
わたくしは拙著「寺子屋的教育志向の中から」の第3章 科学とパラサイコロジーをめぐる考察 のなかの ”厳密な科学との相克ーパラサイコロジー(心霊現象の科学)への私の歩み"という文章の中で、わたしがこの領域に関心を持った理由などを述べました。そのとき、いろいろの例を挙げながら、この領域がとても興味深くまた探究が困難なことなども述べました。そして、カナダのグループがPhilip Experiment をやったという話を少し紹介しました。しかし、頁数の関係で詳細を述べることは出来ませんでした。
今日、この本が簡単に手にはいるのかどうか調べてみましたが、どうも難しいようです。ちなみに、わたしが持っている三冊の本のValue を調べてみましたが、再販とかはされていず、したがって、
Conjuring up Philip が$45 から$97
Rosemary Brown のUnfinished Symphonies という珍しい本が $50
Reincarnation で紹介しようと思っていたArthur Guirdham の The Cathars and Reincarnation という本はなんと100ドルとか1000ドルしているようです。
それで、私が考えたのは、今では,よほどの専門家でなければ、これらの本は手に入れるのがむつかしいはずだし、日本の図書館にあるとは思えない、しかし、大事で、すばらしい或いは面白い本なので、私がこのブログで簡単に内容紹介していけばいいのではということです。
今までに例を挙げたM.B. Dykshoorn にしても、Croiset the Clairvoyant にしても、非常に面白い本です。実は、わたしが拙著の中の ”トーマス・マンの魔の山を再読して” という文章の中で、”コックリさん” の叙述について言及し、トーマス・マンがこのサイキックの領域にまじめに関心を抱いていたことがわかったと書きましたが、それは、このCroisetの本の中でThomas Mann について触れてあったからです。 (それと、以下に述べるEileen Garrettの自伝 Many Voices のなかで、わりと詳しく、Dr. の名前まで述べてありました。)以下はCroisetの本からの引用。P.264.
Thomas Mann was among the famous authors and scholars who came to believe not only in ESP but in psychokinesis which Rhine and Pratt define as "The direct influence exerted on a physical system by a subject without any known intermediate physical energy or instrumentation." After Mann observed an Austrian subject, Rudi Schneider, with a group of investigators, he wrote an essay, "An Experience in the Occult", describing the bewildering things he observed: "It was not possible---but it happened...May I be struck by lightning if I am lying..." To prevent any trickery the author of The Magic Mountain held the psychic's wrists and another witness his knees; other witnesses had checked the room beforehand. Yet all were astounded to see a typewriter typing invisibly, a hand rustling the draperies, and a ringing bell dancing in the air. ここでは、トーマス・マンがサイキック検証の実験にも直接立会い、被験者の腕を握って、ごまかしがないようにしていた’と述べられています。その印象をエッセイにも発表したようです。
(その3)でとりあげたEileen GarrettのAdventure in the Supernormal は彼女の半自叙伝というか1949年に出版されたものですが、1968年に「Many Voices - The Autobiography of a Medium」という題名で自伝が出版され、そのなかにもう少し詳しい情報がトーマス・マンに関して書いてあり、私が大きくマークしているので、Croisetとここから私はMannの心霊現象への関心を確認したのだと思います。驚いた事に、Eileen GarrettはThomas Mann を直接知っていて尊敬していたようです。彼女はMann兄弟だけでなく、Mannの息子までよく知っていて、彼女の提案でKraus Mann はAndre Gideを書いたと記してあります。
以下、引用します。P.143-144.少し長くなりますが、大事な情報だと思います。(今日は、この引用でおわりにし、次回は先にあげた本のどれかを簡単に紹介するつもりです。)
Among those with whom I had interesting ESP experiments were the Mann family - Heinrich and Thomas, both of whom I visited in California. I must confess that if I had any preference, it was for Heinrich Mann. He seemed to have more maturity, if one may use such a word in connection with such a distinguished family. Heinrich seemed more reasonable and in many ways free of some of the emotional difficulties of his brother; in a sense, he was more maturely dedicated to vision and political freedom. I immediately responded to the very human qualities of Heinrich.
During my publishing days, I produced Heinrich's Superman and Small Town Tyrant. The old Tomorrow magazines of September 1943, published Thomas Mann's "Two Fine Gentlemen", excerpted from Joseph, the Provider, and part of his biblical tetralogy. My original interest in Thomas, however, arose from the fact that he had worked with Dr. F. von Schrenck-Notzing when the latter was examining the claims of Wilt Schneider and his younger brother Rudi, with whom I had worked for two years in London under the auspices of the late Harry Price during experiments in psychical phenomena.
I gathered from the Mann children that they all accepted the validity of psychic phenomena. They had known of their father's interest in the subject and had followed it in their early years, though I do not think they pursued it after they left Germany. Like most great writers, Thomas Mann had been strongly impressed by psychic literature and work, although relatively little is known about his intense interest in this field. It may have been that he had enough bitter enemies to deal with without making public his deep interest in psychic phenomena. He could hardly fail to be impressed by the psyche because of his great interest in the work of mystical groups in Germany, all of whom he knew. Our common interest opened up to me an aspect of his character which I found warm and agreeable. Perhaps it got him away from the political aspects of life which still, in California, hurt him intensely and were in a sense responsible for the withholding of a planned autobiography that I am sure he would have finished under happier circumstances. このあと、Thomasの息子のKlausについて述べられています。
長い引用となりましたが、要するに、Eileen Garrettは兄であるHeinrich Mann と Thomas Mannと両方の知り合いで、彼女自身はHeinrichのほうがMatureだと思ったといっており、多分、彼女の判断はするどい。彼女はアメリカに滞在していたMann兄弟の文章を出版したりして個人的に知りあっていたが、Thomasのほうとはドイツの有名なParapsychologist Dr. Von Schrenck Notzingとの関係でもよく知っていました。そして、Croisetにも述べられていた、Rudi Schneider がEileen Garrettとも面識があったわけです。
彼女はトーマス・マンのPsychic Scienceへの興味から、子供たちもみな関心が強かったようだといっており、それはドイツを去るまではつづいていたようです。トーマス・マンは本でもよく勉強しており、直接そうしたドイツのサイキック・グループとも面識があったようです。彼がおおっぴらに彼の関心を公表しなかったのは、それでなくとも、敵に囲まれていた情況で、さらに敵を増やす可能性が在ることをする気にならなかったからだろうと彼女は考えます。共通の話題があったので、Mannも彼女には心を開き、彼女はトーマス・マンの個性は暖かく、彼女と同調できたと感じたようです。そういう心境なので、彼の自伝も完成が遅れているのだろう、そうでなかったら、とっくの昔に完成していたはずだと彼女は思ったそうです。
というわけで、ここでは、トーマス・マンのPsychic Scienceへの関心がホンモノであったことが述べられています。「魔の山」の叙述も本格的であったわけでした。
村田茂太郎
2012年3月1日
心霊現象の科学をめぐってーその8
Unfinished Symphonies by Rosemary Brown 1971 William Morrow and Company, Inc.
今日はイギリスのPsychic Composer ローズマリー・ブラウンについて紹介します。
彼女もEileen Garrettと同じように、2歳くらいの幼児のころから、まわりの人には見えない死んだ人たちが見えて会話をしていたようです。彼女の特異な点は、7歳のときにピアニスト・作曲家のFranz Lisztがあらわれて、When you grow up I will come back and give you music.成長したらまた来る、そして音楽をあげる、といって消えたそうです。
成長してから、彼女の家にやってくるのは、LisztをOrganizer, Leaderとして、Chopin, Schubert, Beethoven, Bach, Brahms, Schumann, Debussy, Grieg, Berlioz, Rachmaninov And Monteverdi. Albert Schweitzerは一度あらわれ、Mozartは三度あらわれたとか。
彼女は、なくなった人が自分の前に現れるのを見慣れていたので、リストが彼女の部屋にはじめて現れても驚かなかったようです。幽霊のようなかたちではなく、まるで普通の人間が旧い時代の服装のまま現れたようです。
彼女の本を読んでいると、音楽家たちの霊と交信をやっているようで、わたしは、また私の本の話になりますが、”パラサイコロジーへの私の歩み”の中で、”Talks with the Dead"の話をし、最後に”This is Goethe." とか ”Beethoven speaking."などという冗談じみたはなしを書いておきましたが、このRosemary Brownという女性がLisztやその他の偉大な作曲家とCommunicateするというのを知って、あながち、ばかげた話ではなく、もしかしてまじめな話であったのかもしれないと思いました。
Rosemary Brown はこの本を読むかぎり、謙虚でまじめな女性で、自分にリストの霊が人間の形をして訪れたのに関して、なぜ自分が、Why me? という疑問を いつも持っていました。ある日それは説明されました。ここのところを読むと、霊の存在だけでなく、いつのまにかReincarnation とつながってくるように思えます。
The answer to "Why you?" is more involved, but Liszt has explained it to me. I asked him the same question-"Why me?" and he said: "Because you volunteered. Long before you were born." どうして私がと訊くと、あなたが生まれる前に自分からえらんだからだ。
I was startled at first, but thinking about what he said, I decided that if one can accept there is a life after death, why should there not be a life before birth? わたしは彼の説明を聞いて、はじめは驚いたが、考えてみると、もし死んでからLifeがあるのなら、生まれる前にLifeがあってもおかしくないと思った。
Liszt said: "You agreed to be the link between us and the world when you were in another aspect of your life." あなたは別の生命体であったときに、われわれとの関係のリンクになると同意したのだ。
.......
I asked Liszt why, if they planned for me to be the link and to do this work, they didn't let me be born into a family when I might have had a better musical training.
もし、そういうことなら、どうしてもっとまともな音楽教育を受けられるような家庭にうまれなかったのか。(彼女の家庭は貧しくて、まともな音楽教育は受けられず、ピアノもほんの少しだけ。)
"You have sufficient training for our purposes," he said. "Had you been given a really full musical education it would have been no help to us at all. In the first place a full musical education would have made it much harder for you to prove that you could not be writing our music yourself. Secondly, a musical background would have caused you to acquire too many ideas and theories of your own. These would have been an impediment to us."
あなたは、われわれの目的から見れば、それで充分の素養が出来ている。もし音楽家としての充分な教育をうけていたら、自分たちにとってあなたはヘルプにならなかっただろう。まともな音楽教育を受けていたら、われわれがあなたをとおして作曲をしているのだと証明することがむつかしいだろう。また音楽の教養を積んでいるとあなた自身のいろんなアイデアとか理論とかが身について、われわれのヘルプにはならないわけだ。
He also pointed out that a highly trained musician would probably be too preoccupied with a musical career to be willing to devote time to work with discarnate musicians. また充分音楽教育を受けた人間はあの世の別世界からの人間の音楽を云々するよりも、自分の音楽のことで精一杯だろう。
........
"I know there are people who have suffered far more than me," I said to him, "but I do think I've had more than my fair share. Was that necessary?" わたしより苦労した人が居るのは知っているが、自分も充分すぎるほど苦しんだ。これが必要なことだったの?
He looked at me with those very bright blue eyes of his and said: "Before you were born, and when you agreed to be our link, you also had to agree to a certain amount of suffering in order to be sensitized. Suffering, such as you have had, helps your type of powers to function. People who had easy, placid lives are not sufficiently sensitized for communication with us to take place easily."あなたが生まれる前に、あなたはわれわれとのリンクになると合意した。そのとき同時に、感受性を高めるためにある程度の苦労はがまんすると同意したのだ。あなたが体験した苦労があなたの能力の向上に役立っているのだ。ラクで落ち着いた生活送っている人間はわれわれと交信できるほどには感受性が高まっていないのだ。
Perhaps, I didn't look convinced, because he went on to say, quite gently: “Your life hasn't been easy. You suffer emotionally because it was intended that you should. It was also intended that you would learn to control your feelings of sorrow and rise above all that happens to you. And it is the ability and the willpower to do this which gives you that steadfastness that we need to work through you." あなたの人生はラクでなかった。あなたは感情的にも苦しんだが、それはそのように決められていたからだ。あなたは悲しみの感情を克服し、すべての苦労を乗り越えるように目論まれていたのだ。あなたが獲得したこの能力、意志力が、われわれがあなたをとおしてやろうとしていることに確固としたものを保証するのだ。
........
"How," he said, "can you learn courage without facing danger? How can you learn to be cheerful without cause for sorrow? How can you learn compassion for others without suffering yourself? These are qualities of character which cannot be developed unless there is a challenge to face." もし、危険に直面しないでどうして勇気をまなべるのか?悲しみを知らないでどうして楽しさを学べるのか?自分が苦しまないでどうして他人に同情が湧くのか?これらの形質はそれに直面するという挑戦なしには身につかないものなのだ。
という具合にリストはブラウンに説明します。彼女は生活面でも経済的にもあらゆる苦労を体験し、しかも逞しく生ぬいてきた女性です。父親が早く死に、母はまずしく、自分は結婚して子供を二人生んだけれども、母が死んだその年に、まだ若い夫が死んでしまい、ほんとにどん底生活を送りながら、成長してきたわけです。リストはそれが、彼女が自分たち別の世界に移動した人間と交信するパイプになるのに必要な体験であったというわけです。
そこで、夫がまだ生きているときに、彼女の前にあらわれた夫の先妻(若くして病死した)との会話で、おどろく情報がもたらされます。先妻の横に立っているのは17歳のあなたの息子ですといわれ、自分たち夫婦には子供は居ない、ひとりできるはずであったが流産したというと、その流産した子が別世界で受け入れられて、17歳に成長しているというわけ。そして、名前はと先妻がはじめから男の子が生まれたらと決めていた名前がブラウンからいわれて、納得いくわけです。
このことは、生まれなくても既にBabyとして存在しているということで、堕胎は殺人といえるかもしれません。
日本語訳は適当に意訳しました。
上の記述は、なぜリストたちが彼女を媒体に択んだかの説明で、では、なぜ、リストたちがそのようなことをしようとしたのかの説明は、Sir Donald Tovey という1940年に亡くなったイギリスの音楽家・作曲家が彼女の前にあらわれて、彼女に2時間かけて説明します。
ということで、次回に続きます。
村田茂太郎
2012年3月2日
心霊現象の科学をめぐってーその9
Rosemary Brown-Unfinished Symphonies つづき
昨日は、Great ComposerとCommunicateしていたというイギリスのRosemary Brownというサイキックの女性のUnfinished Symphonies を途中まで紹介しました。
昨日・今日とかけて、36年ぶりにこの本を再読しました。
これは、ものすごく面白い有益な本で、もし、日本語訳が出版されていて、まだお読みでない方がおられたら、ぜひご一読ください。すばらしい本です。英語ではもう古本でしか手に入らないようです。
リストなどの偉大な作曲家とのまじわりというだけでも面白く興味深いものですが、そのほかに彼女のサイキックな場面が語られていて、家族や伴侶をなくした人にはとても心休まる記述があります。
この回想録の中ではリストがいろいろと彼女に直接説明しています。
まず、なぜリストかということは、彼女の印象では、Extrovert外向的な性格ということが、このCommunicationでは大事で、偉大な音楽家のなかでは、Lisztが一番外向的であったようです。
昨日、列挙した順番で彼女の前にあらわれたそうですが、たいがいはリストがつきそって紹介してから、作曲家の方で納得すれば、そのうちにリストなしでもあらわれるようになったといいます。
Liszt, Chopin, Schubert、Beethoven, Bach、Brahms、SchumannそしてClara、Debussy、Grieg, Berlioz, Rachmaninovなどですが、なにも有名人ばかりでなく無名の市民も彼女の前に現れたようです。当然のことながら、彼女のサイキックはおばあさんからの遺伝で、母親もサイキックであり、彼女Rosemaryの娘も、リストの姿などみえるほどサイキックであったわけで、その点、彼女が有名になるにつれて、テレビ局やその他の人々の前でリストにあったりしたようですが、他の人にはやはり見えなかったということです。
彼女の特異性は、いわゆるTrans-Mediumとちがって、自己催眠状態にならなくて、まるでホンモノが彼女の前に居るような感じで、Lisztやその他の人物があらわれたといっています。
子供のとき、ある晩、男が寝室にいるので、不法侵入だとこわくなりかけたが、ふっと消えていって、亡霊だったとわかったことが2-3度あったそうで、非常にVividにリアルにみえるほど、彼女のサイキックは強かったということでしょう。
EinsteinまでがLisztと一緒にあらわれて、何かを説明しようとしたとか。リストによると、この異次元では先にうまれたとか、生まれた時代が違うとかということは問題にならず、また、場所も問題でなく、大事なのは人間関係で、それによって、スグに関係がうまれるとかで、そのことは在るMediaの男性が彼女のところに取材に来ていて、こういう人間を呼び出してくれと彼女に頼み、リストに伝えると、しばらくいなくなって、今度は女性を連れてきたので、彼女が、女性がみえない男に、こういう人だと説明すると、それが実は彼のお母さんだったとかで、彼はよろこんだと書いてあります。信じるか信じないか は、好みの問題ですが、Life after Death、 Life before Birth を信じられれば、あとはいかにしてという問題なので、この男はあきらかに、彼女が本当のサイキックであり、自分の母親がこの世界ではなく、別な世界で生きていると納得したことでしょう。
この本はまるでFairly TalesかScience Fictionを読んでいるような面もありますが、彼女の語りは穏やかで、納得させる力を持っています。
なんと彼女も オランダ人Croiset の記録係的なParapsychologistであったオランダのDr. Tenhaeffに直接あって、そのサイキックぶりを検査してもらって、おすみつきをもらっています。また、逆に、わたしが拙著のなかの「私の歩み」のなかで名前だけ挙げたScepticなイギリスの学者Dr. Hansel ともあっています。
わたしはリストの説明などを読んでいて、これはパラレル・ユニバースとかアインシュタインの4次元とか、Michael Talbot のHolographic Universe など、いろいろな説明理論が必要とされると思いました。
この中で、Reincarnationの説明もでてきますが、リストによると、同じ人間がそっくり生まれ変わるのがReincarnationで、そうではなくて、全体の一部が自分でえらんで生まれるというような説明で、いわゆる転生はおこらないとか。
彼女にとってはSo-calledいわゆるDead死者がVery Aliveで、Life after death はべつの世界に移るだけということがわかったようです。
たとえば、彼女のお母さんが先に亡くなり、同じ年にまだ若い夫も病気でなくすのですが、彼女の母の死の知らせよりも先に、彼女は病気の体ではなく若返った健康な母親が彼女を訪問したのを見て、母が亡くなり、いまはかえって幸せそうなようすであるのを嬉しく思います。
夫がなくなったときも、醜い、病気で亡くなった姿ではなく、健康なときの姿を見て、かえってよかったと思います。
The reason for the whole strange phenomenon which puzzles so many people is to try to help us know for sure that there is another life and a purpose behind everything so that things are not as helpless as they sometimes seem.不思議な現象が起こっている理由は死後に別の世界があるということを知ってもらうためであり、また、したがって、すべての物事は目的があって動いているから一見して感じるほどどうにもならない情況ではないということ。
Liszt feels that the first step is to make people just begin to think about an after-life. His theory is that while people refused to believe there is anything to come after we have finished with this world, everything will continue to seem meaningless, which may discourage us from putting our best efforts into our life here on earth. まず第一歩は死後の世界について人々が考えるようにすること。リストの理論によると、人々はこの世が終わったら何も無いと思うと、すべてが意味の無いように見え、この地上の生命体として最善のベストを尽くす努力をしなくなる。
It would, of course, be quite impossible for me to have any doubts of the reality of after-life. The so-called "dead" seeming very alive except that one cannot touch them or embrace them, have been part of my life for as far back as I can remember. And it isn't only in my own home that they appear. Some of them accompany me, especially if I am going anywhere that is involved in any way with their music. It is probable that they like to keep an eye on things. わたし、Rosemaryにとっては、サイキックでいろいろ経験しているから、死後の世界があるという現実性を疑うことなどとてもできないことである。いわゆる死者はまさに生きているようであり、ただ触れたり抱きついたり出来ないというだけで、私にとっては人生をおぼえているかぎり、あたり前のことであった。そして彼らがわたしに近寄ってくるのは、なにも自分の家の中だけの話ではなく、あるものは私に付き添って一緒にどこかへいったりする、特に彼らの音楽が関係しているときは。どうも彼らは何がおきているかに興味が在るようだ。
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I have been able to ask Liszt all sorts of questions about his world and he always tries to answer so that I can understand. For example, I wanted to know how he and the others actually travelled. He explained by using a modern, science fiction word-teleportation. He said that he can travel about our world, not so much by thinking of the place where he wants to be, but more by thinking of the person he wants to visit. わたしはリストに、ほとんどなんでも訊ねることができた。そして彼は私がわかるように回答しようとした。たとえば、彼やほかのひとが、一体どのようにしてトラベルするのかと。彼は現代のSFのテレポーテーションということばをつかって説明してくれた。彼はトラベルするのにどこか訪れたい場所を考えてではなく、訪問したい人を考えてトラベルが可能となる。
He and the others who visit me think of me, and in that way get on to my wave length. By doing this they can "teleport" themselves to wherever I am. It doesn't matter if I am in an aeroplane, in my own home, or an unlikely eventuality, down in a submarine. It is the person, not the place that they use as a focal point. 彼やほかのひとが私を訪問するときには私のことを考えて、つまり私の波長に合わせるとそれが出来る。それによって、私がどこに居ようと、彼らはテレポート可能となる。わたしが飛行機のなかにいるとか、潜水艦の中にいるとか、その場所は関係なくて、その人物が焦点である。
I have also asked him the question which seems to many people the eternal mystery. Is there a God?
わたしは誰もが知りたいミステリー、神は存在するのか、と訊いてみた。
"There is, indeed," he said, "but not a God as those on earth think of Him. God is spirit. A life-force which permeates everything and is everywhere. Yet it is spirit which is aware, so that if people do pray together, the prayers register." やあ、実際、神は居る、ただし、地上の人が考えるようなGodではない。Godとはスピリットなのだ。それは浸透する生命力Life Forceであり、それはどこにでも居るわけだ。それでいて、それはスピリットなので、どこに居てもわかっているので、人々が共に祈れば祈りは受け止められるのだ。
Prayer, it seems, works in a similar way to the "teleportation" which spirits use for earthly contact. If we think of what is good, we should be able to get on to that wave length.祈りはテレポーテーションと同じように機能するようだ。何か良いことを考えるだけで、その波長にあわせられるようだ。
He explained that this Spirit is personal and yet impersonal at the same time, and is therefore something beyond our imagination to grasp because it does care for every life and does work towards good. スピリットは個人的であり、またそうでもない、われわれの理解を超えたものだ、すべての生命を見守り、よいほうに向けて働きかけるのだ。
For example, he explained how in everyday matters our bodies, when ill or injured, will always try to right themselves-to heal themselves. This is done by the Life Force which is working all the time to try to adjust, balance and compensate. たとえば、われわれ日常世界で、病気になったり怪我したりするが、自分で治そうとする力がある。これはいつも調整し、バランスを取り、つぐなおうとしているLife Force生命力というものが働いているのである。
"We could," Liszt says, "heal ourselves of most illness if we would give this Force a chance," but he added regretfully that we have not learned how to harness it for our own good. われわれは、大概の病気はこのForce生命力に機会を与えさえすれば、自然と直す力を持っている、しかし、残念な事にわれわれはいかにしてその力を自分たちのために利用するかというわざを身につけなかっただけだ、とリストは言った。
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He said rather sadly, that while we are on this earth many live believing this is the only life, without realizing that we can go on unfolding spiritually after this life here is ended. われわれがこの地上に居る間、だれもがこれが唯一の人生だと思っているのは哀しいことだ。この地上の生命が終わってからも、さらなる魂の新しい展開が在ることを知らないで。
I remarked that because of the usual Christian beliefs there are people who believe that one has to be "saved" here on earth. 通常のキリスト教の信仰で、人々はこの地上で”救われ”なければならないと信じている人が多いと、私は彼に言った。
"That is not true," he said. "Life on your earth is rather like a nursery school. When people die and it appears that they have lived wasted lives, they still have the chance to go on and to catch up. それは本当ではない。この地上での生命というものは、いってみれば、幼年期のようなものだ。人が死に、彼らがこの地上で無駄に人生を送ったようだとわかったとき、彼らにはさらに前進して追いつくチャンスが与えられている。
"Our purpose, working with you, is an attempt to make people realize this, and therefore give hope. Your lives on earth could become happier if people knew that it is only a preliminary to the wonderful life after death." われわれがあなたと、今の仕事をしているわけは、人々にこの事を理解させるためであり、それゆえ、希望を与えることである。もし、この地上の生命が死後の世界のすばらしい世界への序盤で在ると知れば、人々はもっとHappyになるだろう。
Hell, Liszt says, is a self-made thing. 地獄とは自分がこしらえたものだ。
"If people have lived lives that have been deliberately destructive, when they arrive here on our plane, they have to face what they have done. もし、破壊的な人生を送った人が居たら、このわれわれの世界にきたら、彼らは自分がした事に直面する事になる。
"Their conscience can no longer be stifled because there is nothing between them and their conscience as there is on earth." かれらの良心は、地上にあったときとくらべて、彼らと良心との間に何も無いので、もはや抑圧されることがない、
He explained how on earth people can refuse to listen to conscience, but in the other world, it is impossible to shut out these thoughts and of course this can be a sort of hell. 地上では良心に耳を傾けないことが起こりうるが、別の世界では、それは不可能なのだ、だから、これはある意味では地獄だといえる。
People do then eventually become very regretful and wish they had behaved differently. But providing this feeling acts as a spur for them to try to overcome their past failings, make good and compensate the people to whom they have caused harm-then regrets can bring eventual happiness. それで、人々は徐々に非常に後悔し始め、もっと違った風にふるまえばよかったのにと思うようになる。しかし、これが昔の失敗をのりこえて、被害を与えた人々に償いをしなければと思うようになったら、そのときにはいずれ後悔が幸福をもたらす事になる。
One of the most marvelous things that Liszt has told me is that when we die and we leave life for our new home, we are always met on the other side so that we will not be alone and afraid. Usually some of our own dear relatives and close friends are there waiting to greet us and to show us around until we have settled down and understand where we are and feel at home. リストが私に語ったことですばらしいと思ったことは、われわれが死ぬと別の世界で誰かが待っているので、決して一人ぼっちで、こわいことはない。通常、すぐ直接の親戚の人か親しい友人などが待っていて迎えてくれる、そして落ち着いて、我が家についたという気分になるまでまわりを案内してくれたりする。
I think this is wonderful. After all, many of us are afraid of going into what we think of as "the great unknown", but once we know and can believe that every single one of us is met by familiar and loving faces, that fear can fade. それはすばらしいことだ。結局、われわれの多くは、”大いなる未知の世界”へ入っていく事に不安を感じるものだから。もし、誰もが親しい、愛する人たちに出会えるということであれば、恐れも解消するだろうから。
Those on the other side often seem to have foreknowledge of accidents, and can organize accordingly so that people are still met no matter how precipitously they leave this world for the other. あちらの世界に居る人々は、事故の場合でもあらかじめ知っているようだ。そして、それにしたがって、動けるようで、突然事故で死ぬような事になっても、必ず、誰かが迎えに出ている。
This would seem to give the impression that our lives are predetermined, and that the fatalists are right. こういう風に説明してくると、われわれの人生はあらかじめ決定されているような、そして運命論者・決定論者は正しいという印象を受けるかもしれない。
Yet Liszt says this is not correct. しかし、リストはそうではないという。
He says that we volunteer for our life on this earth, and that before we are born we are given a sort of plan of what our life is likely to be. But it can never be quite determined how we will react to various situations or whether we will follow our appointed course, and therefore our actions can change our lives. われわれはこの地上での人生をいきることを自分から望んだのであって、われわれが生まれる前にどのような人生を送るかというプランをあらかじめ知らされているのである。しかし、われわれがさまざまな状況下で、どのように反応するか、あるいは、われわれが予定されたコースをたどるかどうかも決定されていない。それゆえ、われわれの行動がわれわれの人生をかえていくのだ。
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引用が長くなりました。きのうは、Sir Donald Tovey の言葉を説明するとか、書きましたが、Rosemaryのいう”リスト”そのひとの言葉を引いて、ここに要点を解説しましたので、これで終わりにします。Reincarnationなどもう少し、説明がありますが、まあ、表現の違いです。
ともかく、一読の価値は在る、おもしろい、有益な本です。これを読んで、心休まる人も居るでしょう。
最後に、この作曲家たちの作品をレコードその他で販売出版し、そのAuthenticityは専門家が聴いても、これはChopinだとか、Debussyだとか、Lisztだというそうですから、そして彼女だけでなく、ほかのMediumも彼女にBeethovenが話しかけていますとかとアドバイスするほど、ひとりの思い過ごしでないので、Psychic現象としては本当に面白く、興味在る現象です。
ともかく、ご一読をおすすめします。
村田茂太郎
2012年3月3日、桃の節句。
心霊現象の科学をめぐってーその10
D. Scott Rogo について
前回は3月3日、Rosemary Brown の Unfinished Symphonies をめぐってお話しました。わたしにとって、この本は心の休まるいい本でした。
先日、お友達のお葬式にゆきましたが、このRosemaryの話が心に残っていて、なんとなく、安らかな気持ちになりました。
この間、わたしはいろいろな本を読んでいます。Reincarnationについては Dr. Arthur Guirdhamの 「The Cathars And Reincarnation」、と D. Scott Rogo の「The Search for Yesterday]、そのほかに D. Scott Rogo の昔読んだ「「The Haunted Universe」、 Sherlock Holmsで有名なSir Arhtur Conan Doyle の「The Edge of the Unknown]、そして Edgar Cayce。
わたしはEdgar Cayce関係の本をしらべてみたら、なんと30冊近く持っていました。読み終わったのはほんの少しだけですが。
今日は、上にのべた本の著者について、つまり D. Scott Rogo について、少し書きます。
今も、昔読んだ”The Haunted Universe”を読んでいて、なかなかよく調べて、かなり批判的分析的に書けているよい本だと思い、また、Reincarnationに関する”The Search for Yesterday”もすばらしい本で、感心しながら、考える手ごろな材料として取り組んでいて、先ほど、このひとは、今どうしているのだろう、現時点の研究結果を知ろうとすれば、彼の本を読むのがベストだろうと思って、Wikipediaをのぞいてみました。
そして1950-1990 となっているのを見て、びっくりして、40歳で亡くなったの(?)と疑問に思いました。ものすごく沢山の本を書き、どれも立派なもので、わたしがParapsychologistとして信用する代表的な著者だったのです。
そして、NorthridgeのApartmentで Break-in で殺されたと知って、またおどろきました。このNorthridgeにいたのなら、わたしはサイキックではないけれど、話を聞きたかったなあと残念に思いました。
D. Scott Rogo も”世の中に不思議な現象は起こる”ということを認めて、それをどう解釈するか、あらゆる角度から解明しようとしているひとでした。世の中には不思議なことが起こる、それをまず認めたうえで、では、どうして、なぜという問題をたててゆかないと、そんなことありえないばかりでは、科学的探究以前のPrimitiveな精神状態に居ることになります。
D. Scott Rogo はあらゆる世の中の不思議な現象に興味を持っていたようで、The Haunted Universe はTeleportation やMiracleといわれる現象、彫像、写真、絵画が血や涙をながしたとか、壁に人の影が現れたとか、UFOとかいろいろな現象を解明しようとしています。今この本の出版日をみて、27歳の時にすでにこの種の本を書いていたことを知り、これもまた一つの驚きです。
PoltergeistやOut of Body Experience その他、さまざまな現象を自分でも探究し、本でもよく調べ、うのみにしないで、じっくり考察していて、どれもなるほどとうなずかされます。
40歳にして、家宅侵入犯人に殺されたとは痛ましい話です。
彼は特に自分ではサイキックとは思っていませんが、Out of Body Experienceの技術を身につけ〔15歳で!)、すでに紹介したブルー・ハラリーやIngo Swann などの超能力者と直接あって、研究し、「Leaving the body]という ”How to” ものの本まで書いています。Out of Body が可能なら、あきらかにPhysical Body とは別なSoul,Spirit、魂とかと呼ぶ何かが肉体とは別に存在し、Eileen GarrettがDuckの子が死ぬときにSpiritが抜け出すのを見たように、人間の場合も、小林秀雄が感じたように、何かが抜け出して、別の次元で生きている可能性が強くなります。
ということで、これからの私の展開は D. Scott Rogo を主な手がかりとして、昔読んだPsychic Scienceの本を読み返しながら、魂、死、あの世、転生、Possession その他の問題について考えてゆきたいと思います。
「Leaving the Body」 という Out Of Body ガイドの本は、私は、1984年に購入して、途中まで読んでいます。丁度、あさひ学園に熱中して取り組んで、体が休まる暇が無いほど忙しいときでしたので、読み終わらなかったのでしょう。今度はちゃんと読んでみます。これで、自分で実験できれば、自分でSoulの、肉体とは別な存在を確認できるわけですから。
村田茂太郎
2012年3月24日
心霊現象の科学をめぐってーその11&目次
心霊現象の科学をめぐって という題でいろいろ私の読後感などを紹介しています。
ここで、この題名では、何がどこで話題になっているか、いちいち覗いてみないとわからないので、今までの分の目次を作っておきます。〔私自身のためにも)。
その1-京大カール・ベッカー教授の”臨死体験”研究や”仏教とあの世”の関係、そして小林秀雄の”信じることと知ること”という講演の中のベルグソンの精神感応の夢の話とそれをめぐる批判、そして小林秀雄の”世の中に不思議なことがおこる”という確認となぜ近代科学がこの”不思議”現象をとりあつかえなかったかということに関する小林秀雄の考察・批判
その2-魂 というものについて小林秀雄の”感想”のなかの母親の死をめぐる実感について。魂らしきものが存在すという予感。
その3-サイキック Eileen Garrett の幼児からの体験。有名なDuckの子の遺体からSpiritが立ち上るのを見た話。魂が肉体から遊離するのがサイキックEileenには見えたという話。
その4-サイキック Blue Harary のOut of Body Experience 離魂体験、猫、蛇とブルー・ハラリーのSpiritにたいする反応について。猫や蛇はブルーの何かを感じ取った。その何かとは何か。魂か。
その5-Dutchサイキック M.B. Dykshoorn の予知について。全領域にサイキック。
その6-Dutchサイキック Gerard Croiset の有名なChair Test 予知 について。
その7- トーマス・マン ”魔の山” のコックリさんの場面とサイキックとの関係、とくにCroisetの本と Eileen Garrett の自伝 “Many Voices” のなかのトーマス・マン Familyに関するEileenの所見。
その8-サイキック Rosemary Brown の ”Unfinished Symphonies" の紹介、半分。どうして、リストのコンタクトに彼女が択ばれたのか。RosemaryのHusbandの若くして亡くなった先妻が彼女の前に現れて、子供をつれていて、Husbandの子供だといい、Husbandは自分の子供は流産したから、子供は居ないといったら、その流産した子供がうまく異次元で成長できていま、17歳だとかという、恐ろしいお話の紹介、また、母親のなくなった知らせが届くよりも先に、彼女の前にわかわかしい健康そうな亡霊が現れて、嬉しそうな表情をしめしたので、母親が苦痛から解放されて、なくなってよかったと感じた話。なんとなく、嬉しくなるような話。
その9-Rosemary Brown の本のまとめ。リストの説く、異次元について。とくにこの地上の世界はまだ幼児期に等しいという話。どうして、リストがあらわれて彼女に作曲を指導したのか。つまりり、死んですべてがおわりではないということを、知ってもらい、世の中の人にも知ってもらい、死んだら別の次元に移るだけで、あたらしい世界が待っているから、絶望しないで、この世では精一杯に生きることが次の次元でさらによりよく展開できるという話。死んだら肉親・関係者がつぎの次元を紹介するために待ってくれているという話。お迎え。
その10-D. Scott Rogo というParapsychologistの本をわたしは好きでよく読みましたが、今、現在、彼はどうしているのだろうと、Wikipediaでしらべてみたら、なんと1990年夏、かれはロサンジェルス、Northridgeのアパートで家宅侵入犯人に殺されていたことがわかり、ショックを受けたこと。Rogoは自身、Out of Body Experience を実行できたひとで、その種の本も書いており、Out of Body が可能ということは霊魂Spiritが肉体と別に存在し、霊魂不滅説、Human Spirit のSurvival の証明みたいなものではないかということで、もう少し、Out of Body Experience について勉強しますという話。
その11-今、わたしはRogoと名前のついた3-4冊の本ととりくんでいます。彼の書いたものはどれも読む価値があります。Out Of Body Experience については、How to もの”Leaving the Body" があり、これは今までの研究Historyを整理して、彼の分析的判断力と自分の体験を分析して、有効なHow to ものとなっており、わたしもおりを見て実行してみたいと思っています。〔トライアル)。
”Mind Beyond the Body"はRogoの責任編集で、彼自身、はじめからおわりまで、概論やまとめを書いていて、Very Good です。これを読み直していて、Out of Body Experience があったから、すぐに霊魂不滅とかといった結論にもっていくことはできないということがわかりました。なかなかむつかしいものです。このExperienceにも、よく調べると3-4種の異なるExperienceがあり、なにも魂が抜け出したからと、すぐにはゆえないということがわかりました。
亡霊のような形で現れるケース、火の玉のようなガス状・球状、その他の形状で現れる場合、光のようなものが投射する形だけの場合、意識だけが抜け出したような場合などといろいろなケースがあり、まじめに取り組むと、おもしろそうですが、また、単純に判断できず、むつかしくもあります。
もう一冊。Haunted Universe。 これは、ものすごく面白く、重要だと私は思います。27歳の時に既に本になっています。これは、いわゆる科学者・心理学者・心霊現象の科学者たちが扱うのを恐れている領域に踏み込んだもので、彼の探求心、分析力は立派です。
たとえば、宗教の世界になりますが、キリストの彫像や絵や写真が涙を流したり、血を流したり、壁に顔が浮かび出てきたり、いろいろなケースがあります。有名なFatimaで空中に肖像が浮かんだり、火の玉のようなあかるさが輝いたりとかそういった不思議な現象。これはすでに19世紀以前から報告されていて、20世紀初頭からは、かなりくわしく研究もされていたようです。
ここでのRogoの解釈は、いわば中心になった人物はサイキックでCatalyst'触媒のような働きをしたと考えています。そして、いろいろな不思議な現象がおきたのは事実だが、それを起こしたのは、神さんでもなければキリストさんでもなく、熱狂的な信者の集団のエネルギーがあらわれたものであるという解釈を示しています。
あるいは有名なUFOの研究に関しても、彼は立派な解釈を行います。あれはサイキックな現象だというわけで、まずサイキックな人がUFO現象を目撃する前に、UFO現象が起こることを知ります。そして、一度、そういう経験をした人は何度もします。普通の人は一生経験しないのに、どうしたことか同じ人ばかりUFOを目撃する、それはまさにサイキック現象だからというわけです。これは、UFO物体目撃についての話で、彼はユングの有名なFlying Saucers についても、エラーはあるが、彼がやはりサイキックな現象と解釈している点を認めています。
では、なぜ集団のエネルギーがそういった形体をとり、形状をとるのかという事に関しては、彼自身のPoltergeist研究、Parapsychologistたちによるポルターガイストの研究が根拠となっていると思います。
PoltergeistはNoisy Ghostとかといわれ、誰もいない部屋で物体が飛び回ったり、石や皿が飛んだり、壊れた音がしたりとか、むかしなら単純にGhostがあばれていると判断するような現象がおこり、その開明は現代になって、その家の若者の自身気がつかない不満や精神的Frustrationなどが、蓄積されてそういった現象となってあらわれ、こういう現象があらわれたら、その家の若者に注目しろという結論までしられています。そして、ポイントは本にも自覚しない精神のエネルギーがブツ的な力を以って現象として現れてくるということで、Rogoやその他の研究者の考えでは、人間の精神のエネルギーはいまだにはかりしれないほど巨大なものをもっており、それがひとりの思春期の少年少女でも、ものすご巨大な力をもってあらわれる、それがまじめな宗教的信者たちが集まってなにかを期待するようになれば、それは、まちがいなく巨大な現象を生むという'解釈です。わたしもこの解釈は気に入っています。
さて、それでは、こういう精神のエネルギーのようなものが生きている人間の体からあらわれ、こういう不思議な現象の説明にGhostを持ち出す必要は無いということがどうしていえるのか。ここで、威力を発揮するのが、わたしの考えではPhilip Experiment フィリップ体験またはフィリップ現象といわれる実験です。
Conjuring up Philip by Iris M. Owen with Margaret Sparrow Harper & Row 1976、Pocket book edition 1977
この本の要約が、The Philip Phenomenon という タイトルで 4ページで上手にまとめられています。"The World Almanac-Book of the Strange” Signet Book 1977.
簡単に要約します。私の要約で、昔読んだ本を思い出しながら短く紹介します。
カナダの普通の庶民が8人ほど毎週集まって、Parapsychologist Dr. A.R.G. Owen指導のもとに行った実験で、19世紀によくおこなわれたSpiritualistのMeetingみたいなものですが、ポイントは何か反応があったときに、すぐ感じるGhost、Spiritが反応しているのだという誤解を防ぐために、イギリスのCromwellの時代に生きたPhilipという架空の男性の悲劇を小説で描き、そのストーリーを主題にして、みなで話し合おうというもので、1年間はまじめにPhilipについて検討しあったけれども、反応が無かった、そこで、方針を変えて、19世紀のSpiritualistのように、ゆかいに雑談をして過ごそうということになりました。そうするうちに反応が出始め、Yes, Noの質問にも反応するようになり、最後にはテーブルまで勝手にもちあがったという話で、それをすべて記録にとってあるので、科学的な実験だということになりました。
ここで、わかったと思われることは、Ghostでなく、人間がなんにんか集まれば、ものすごいエネルギーの表示がでてくるということで、まるでGhostが反応しているみたいに、質問に対してまじめに答えるという結果が出てきました。ここでPhilipという架空の人物を作った意味があらわれます。そうでなければ、またまたあの世から霊が反応していると思ったことでしょう。
Poltergeistの研究、そしてこのPhilip Experiment の実験などからわかったことは、人間は自覚しなくても、今の科学ではとらえられない巨大な精神のエネルギーというものをもっていて、それがひとりでも、大変な騒動を巻き起こせる、厖大な人数になれば考えられないような現象が起こっても不思議ではないという結論に達したということだと思います。
その11-要約。Rogoという偉大な研究家。Out of Body Experience は4種ほどの対応があり、簡単に霊魂の存在証明にはつながらない。しかし、何かが在るのはたしか。もすこし勉強〔私の)が必要。Haunted Universe という本は面白い。科学者が避けて通る領域にまともに切り込んでいます。その解釈も彼なりに一貫しています。人間の持つ精神のエネルギーとでもいうべきものは、隠れたものすごい力を持っていて、それが発揮されると、場合によってはPoltergeist騒ぎがうまれ、また熱狂的な信者による宗教的なMiracle現象にあらわれると考えます。
その解釈の根拠はPoltergeistの研究と、私個人の感想ではカナダでの有名な実験”Philip Experiment"が証明すると思います。Philip実験 の簡単な紹介。
今日はこれで、終わります。
村田茂太郎 2012年3月29日
心霊現象の科学をめぐってーその12 The Haunted Universe
前回、D. Scott Rogo という Parapsychologist を紹介いたしました。
彼が40歳という若さで、1990年に亡くなったのは本当に残念です。
そのRogoが1977年に出版したPaper Book が”The Haunted Universe” で、Signet Book、The New American Library, Inc. からでています。
A Psychic Look at Miracles, UFOs and Mysteries of Nature
という副題がついています。私は1977年に読了したとメモしてありますから、Usedでなく新刊を購入してスグに読み終わったようです。6月出版となっているのに、わたしは6月24日に読了と書いていますから、よほど興味があったのでしょう。
その後、この領域の研究書からすこし遠ざかっていましたが、今また新たな興味を引き起こされています。私も年をとり、クラス・メートや友人・知人が亡くなっていくのを他人事でなく感じ始めたせいかもしれません。
まず、このRogo というひとは、ドクター(Ph.D.)ではないのですが、18歳ですでにUCLAのParapsychologyの実験コースを指導するほど、その方面の研究では有名であったということで、15歳には自分で工夫して”Out of Body Experience"を成功させています。自分では他の有名なサイキックなどとくらべても、特にサイキックではないということで、誰でもトライできる Out of Body Experience の入門書 How To もの”Leaving The Body" という本を1983年にPrentice-Hall社から出版しています。
Parapsychologyの全領域に関心を持ち、ほとんど偏見の無い科学者の態度で、あらゆる問題に興味をもち、よく勉強して、すばらしい本を沢山発表しています。40歳でなくなるまでに20冊以上の本を出版。わたしが東京帝国大学心理学教室の福来博士の名前を知ったのも、彼のParapsychologyの100年という本からです。また Reincarnationに関しても、立派な批判的研究書 ”The Search for Yesterday"(A Critical Examination of the Evidence for Reincarnation)という本を1985年にPrentice-Hall社から出版しています。ともかく、彼の本は、どれも、まじめな研究書で、批判的で、刺激的です。そして、広範な文献的調査を行っているので、Parapsychologyの現段階を知るのに最適の人で、わたしが彼の死を知って、驚いて、残念に思ったわけです。
この”Out of Body Experience"に関しては、彼は特に専門家的な強みがあって、すばらしい本 ”Mind Beyond The Body" (The Mystery of ESP Projection) という本を編集し、単元毎に自分でIntroductionを書き、また自分でも論文を書いています。あらゆる角度から研究・考察する科学者の態度を身につけたひとがまとめた、当時の段階(1978年)での最高の本であったと思います。
Out of Body Experience は離魂とか、Soul, Life after Death その他とも関係してきますので、また別に書きます。ここでは、 The Haunted Universe に関して述べます。
このHaunted Universe を書くに当たって、友人やParapsychologistは書くなと注意をしてくれたとAcknowledgementに書いてあります。誰もが恐れる領域、科学者としてはなかなかまわりの反応が怖くてはいってゆけない領域にはいっていったわけで、私は彼の大胆さをも評価します。
彼の目はよく行き届いていて、この本の最後に近いところで、第6章 Cosmic Invaders の最後で、Jan Bryant Bartell の Spindrift を紹介しています。ここまで彼の目が届いているというところが、特にわたしの彼を気に入っているところで、まともで、まじめだと思うわけです。
この Spindrift (波しぶき) という本は何気なく書かれた自伝のような作品ですが、恐ろしい本です。世にホラーとかいろいろ怖い小説がありますが、たいがいは大げさなFictionで、こういうなんでもない本こそおそろしいと私はこれを読んだときにそう思いましたが、今、Rogoがこの本をEvilに関する文章の中で言及しているのを知って、彼のセンスの正しさを確認した思いです。
これは Haunting の話です。あるいは Possession?
この Spindrift は 若い夫婦が、New York の有名なGreenwich Village の一画に移り住んでからの奇妙な体験を記録したもので、この女性はこの本の草稿を出版社にわたし、自分もこのGreenwichから抜け出して、やっと解放されたと思ったときに、わずか40歳前後で急死しています。40歳前で心不全?で急死!わたしは、この本を読んだ後、結局、彼女はEvilから助からなかったのだと思いました。この本の中には、有名な実話としてGhost Hunter までPsychic(Medium)をつれて登場し、はい、Exorcistで、Evil は払いのけましたと言ったと書いてあり、そのGhost Hunterの本の中にまで、ちゃんと成功例としてあげられているのです。しかし、事実は、移り住んだ女性についてきて、ショック死させたということでした。
Spindrift一冊分をもう一度読み直して、ここに説明するのも大変なので、The Haunted Universe のなかの1ページたらずの簡潔な紹介を引用させてもらいます。
Spindrift は Haunted Universe と同じ出版社から1974年に出版されています。
Spindrift Spray from a Psychic Sea by Jan Bryant Bartell Young actress-poet.
Author's note があって、この中に記述されたParanormal の断片は Hans Holzer’s ”Ghosts I’ve met”(1965)のなかの”The Townhouse Ghost"に書かれているとあります。詳細はこの彼女の本が示すわけです。
This is the story of Jan Bartell's discovery of a diabolical possession she first could not believe, then could not deny. It is the story of her fight against it, and her eventual flight from it.
Jan Bartell's flight was in vain. One month after finishing this extraordinary true story, the author was found dead, and the pattern of horror was complete.
これは、Jan Bartell という女性の悪魔的なPossessionを発見する話です。彼女は、最初はそんなものを信じなかったけれど、否定できないとわかります。彼女のそれに対する格闘、そして最終的にはそれから逃げ出す話です。彼女の逃避は手遅れでした。この異常な、しかし真実の話を書き終わって一ヵ月後に彼女が自分の家の部屋で死んでいるのを発見されました。恐怖のパターンが完了したわけです。(これは10 Little Indian を意味しているようです。 ムラタ)。
Spindrift the most unusual and frightening book of our time 現代のもっとも異常で、おそろしい本、”波しぶき” Spindrift
上にあげた文章はこの本のBack cover の説明の一部です。
以下は Rogo の Haunted Universe からの引用です。
Mrs. Bartell wasn't much of a believer in the supernatural until she moved into a big brownstone townhouse on 10th street in New York City's colorful Greenwich Village. At first, nothing unusual happened in the house, but gradually Mrs. Bartell became aware of an alien presence there. Ghostly shadow flitted across the room, animals acted oddly in the house, weird noises invaded her privacy, and finally Mrs. Bartell found herself engulfed by a vile force. Parapsychologist could not explain it, and mediums didn't seem able to exorcise it.
Eventually Mrs. Bartell moved next door... but the evil pervaded the neighboring building as well. Ultimately people who lived near the accursed apartment began to die. There were nothing unusual about the deaths-cancer, accidents, and so forth-but they struck down, one after another, the people who lived near or often visited the 10th Street townhouse. Mrs. Bartell finally realized that a psychic curse afflicted the building and she fled from Greenwich Village, hoping to rid herself of the haunting and every foul thing associated with it. But she, too, died just after finishing her book. Was she the house's final victim? Did the evil that infested the house cling to her even after she fled? Mrs. Bartell's book, Spindrift, was her own obituary.
There is no doubt in my mind that these cases all but prove that evil can become a concrete psychic force in the world.
〔意訳します。)
ミセス・バーテルはNew York の10番街Greenwich Villageに移り住むまでは、超自然現象を信じる人ではありませんでした。最初は特に目立ったことは起きませんでした。(とRogoは書いていますが、最初の日から彼女にとっては異常が発生していました。ムラタ)。そして、だんだん、何かAlien異常なものがここに居ると気がつきます。幽霊の影のようなものが部屋を横切ったり、動物たちが異常反応を示したり、変な音がPrivacyに侵入したり、そして最後に彼女自身がその汚い力に呑み込まれたのをみつけました。超心理学者も説明できず、魔よけ払いの霊媒たち(Mediums)も悪魔祓いをできませんでした。
やがて、彼女はそのアパートを去って、となりに引っ越しました。しかし、そこへもまた、悪魔的な魔力が浸透してゆきます。そして、その呪われた建物の近くに棲んでいた人々が死に始めます。別に特に異常な死に方ではないのですが、癌とか事故とか、つぎつぎと死んでゆきます。(10人ほどが住んでいたうちの9人までが死んでいきます。ムラタ) ミセス・バーテルはついに、サイキックな呪いがこの建物に取り付いているとわかって、Greenwich Village から逃げ出します。そこを抜け出すことで、すべての災厄からのがれられると期待して。しかし、彼女もこの本を完成してすぐに死んでしまいました。彼女はこの呪われたビルの最後の犠牲者であったのでしょうか。建物にとりついていた悪魔的なものが、彼女が逃げ出した後も追いかけて取り付いたのだろうか。ミセス・バーテルの本、”Spindrift"(波しぶき)が彼女自身の死亡告知です。
Rogoの意見。Evil(悪魔的なもの)が具体的な力となってこの世に現れることがあることをこの出来事は証明しています。
今回は、Haunted Universe の最後近くで紹介されていた Spindrift の紹介だけで、次回、Haunted Universe の紹介を行うつもりです。
村田茂太郎 2012年4月8日
心霊現象の科学をめぐってーその13 The Haunted Universe その2
前回は Parapsychologist D. Scott Rogo の衝撃的なThe Haunted Universe の紹介の途中で、本の最後にちかいところで、Rogo が、Evil なPsych の実在の証明に近いものとして、言及していた Jan Bartell の こわい、本当にあった話 Spindrift (波しぶき)を紹介しました。
今日は、本題である、 The Haunted Universe にはいります。Amazon。Com でRogoの本を調べてみましたが、本当に沢山出版されています。そして、どれも読者の評価が五段階の四以上でした。そして、わたしが持っている Leaving the Body とか Search for Yesterday など、みな40ドル50ドル80ドル以上とかとなっていました。わたしは、私の知らない、しかし面白そうな、安い Used Books をさがして、何冊か購入したいと思いました。それほど、彼のPsychicに関する本は面白いし、価値があります。
すべて、まじめな探究の本です。
従って、この Haunted Universe も、今では得がたい本かもしれませんので、すこし、詳細に紹介したいと思いました。
第一章が一番重要で、著者Rogo の、この世界におきる異常な不思議な現象に対する態度、姿勢、考えを表明しています。ほとんど引用とその意訳で終わる事になると思います。従って、この本の紹介はこれでおわらず、あと2回ほどは必要と思われます。
1.Cosmic Interface
宇宙的なものとの接触というような意味でしょうか、今はパソコンの時代でInterfaceは日常的につかわれていますが、これが書かれた1970年代はまだパソコンがでていなかった頃の使い方とおもわれます。
彼Rogoは、自分は保守的な人間で(政治的ではなく、Reserved fellow という言葉をつかっています)、理論はテストされないと有効を証明されないと思うし、誰かの主張がワイルドであればあるほど、信憑性に問題があり、たいがいはFalseだと思うといっています。
しかし、それにもかかわらず、自分の今までの、この世界の探究の中で、納得のいかない不思議な現象に出会い、またその不思議を信じられるデータにも出遭って、ますます戸惑うばかりであるといいます。
しかし、今では ESP や Mind over Matter (精神的なものが物質的なものに影響を与える)ということは、科学の世界で認められるようになっています。それでは、その向こうには何があるのでしょうか。現代のParapsychologistはExtra Sensory Perception と Psychokinesis だけに興味を持っているようで、それ以上の不思議な領域にまでなかなか入っていかないようです。これは、わたくしRogoの意見では非常に狭い、限定された領域を扱っているだけだと思います。
This is a very limited outlook, for there are mysteries far beyond the "psychic" which we have not even begun to examine: the perpetually elusive UFO and the wild psychic manifestations recorded during their activity; supernatural but well-evidenced aerial lights and apparitions which have appeared during religious revivals; new dimensions of space contacted by those experiencing out-of-the-body travel; and "weeping" pictures and statues which have been recorded for centuries and which have baffled scientists and theologians alike. Whole new universes open up through the dimensions of psychic and preternatural phenomena.
Are these phenomena paranormal or delusional? I think these weird manifestations are very real and have an intimate bearing on the nature of ESP and PK in general.
このParapsychologyが扱っている領域が現在このESPとPKだけであるということは、研究が非常にわずかなことに限られているということで、世の中にはこれだけで解き明かされないMysteries がいっぱいあるわけで、その探求はほっておいてもいいのだろうかというのが著者の疑問で、この本を書かねばならなかったということです。
とらえがたいUFO現象、そしてそのUFO現象に付随する奇妙なサイキックな現象、超自然だけれども資料が確かに語る宗教的復活期の空に浮かぶ様々なLights灯りやApparitions亡霊の姿、Out-of-the-body Experiences 離魂体験者、が体験する異次元空間、何世紀にもわたって報告され、科学者や神学者には解明できない涙を流す肖像画や彫像。このサイキックの、超自然的な現象を視野に入れると、全く新しい宇宙がひらけるといえます。
これらの現象は超自然的事実なのか、妄想なのか?わたしRogoは、このWeird気色悪い現象があらわれるのは、本当であり、一般的にESPやPKの性質に共通する特質を持っていると考えます。
Then why hasn't the public been told of them? Well, for one thing, there has been no organized attempt to study these phenomena scientifically. ESP and psychokinesis, which can be studied in the laboratory, the evidence for the existence of UFOs, miracles, weeping pictures, and teleportation still rests only on disjointed observations.
それではどうして一般大衆にそうしたことが知らされなかったのか?ひとつには、こうした現象を科学的に研究しようとする組織的な活動がなされたことはないということ、そしてESPやPKは研究室で研究できるが、UFOの存在証明、奇跡や、涙を流す絵、Teleportation などの証明は、離れ離れの観察者に依存しているということです。
少数のひとがこれらのミステリーのなかのあるものについて書いたことがあるだけです。その代表は Ivan Sandersonであり、彼の以前にはFortean現象で有名なCharles Fort、そしてJon Keel などがいるだけです。ただ、記者と物書きとかいうひとは、科学者から見れば一番信用度が低いわけで、相手にされない場合が多いわけです。
これらの領域に対する関心が低いもうひとつの理由は、科学者のあいだに敷衍する沈黙と無視の態度で、一昔前まではESPやPKも同じように扱われてきましたが、これだけはもう市民権を得たといえます。
しかし、たとえば”Fatimaの奇跡”とか"UFO"、”泣くマドンナ”、"空に現れる不思議なLights"とかについてひとことでもしゃべると、もう科学者としてまじめに相手にされなくなります。
わたくしRogoはもう何年も前からESPやPKの世界以上の超現象に興味を持ってきました。
あるサイキックが、研究室で超能力を見せるのもみてきましたし、ポルターガイストが暴れまくる現象を目にする機会もありました。身体から抜け出した魂Spiritを私たちには見えなくても動物たちが感じて反応を示すのもみてきました。しかし、わたしは、これらは、まだほんの端緒にすぎないと考えます。この不思議に満ちた世界はわれわれが何時解明するのかと待っているようなものです。いまや、わたしはそうした奇妙なミステリーのいくつかをみなさんに報告してみたいと思います。
すでに述べましたが、私自身、超自然現象に何度も接触する機会がありました。わたしはベッドがひとりで動き出すHaunted Houseに住んでいたこともあります。離魂体験のできるひとが、私の部屋をたずねてきて、(あとでわかったことですが)、わたしは赤い火の玉のようなものが目の前で踊るのを目撃し、それはそのひとが私を訪問していたのだとあとでわかりました。
これらの体験がわたしにますます興味を抱かせました。たとえば、ポルターガイストPoltergeistのケースです。 或る家族が突然、ものが勝手に空中を飛び交い、窓ガラスが壊され、食器その他がなくなったり、またあらわれたりするという恐怖の体験をします。しかし、私たちはこれらの激動はふつう、その家の激しい、憤り、腹立ちを持った若者が無意識のうちに Mind-over-Matterの作用によって、作り出しているということはわかっています。どうやら、Mind精神は実際的に物を動かす力をもっているように思われます。それだけでなく、その場から消してしまったり、また出現させたりする能力をももっているように思われます。そこで、私はいろいろと考えてしまいます。Mindsは、このポルターガイスト以外にどのようなものを、この不思議な世の中に生み出しているのだろうか。もしかして、私たちのUnconscious Minds 無意識の精神が、私たちが自覚しないうちに、私たちの身の回りに起きるこれらの異常な騒擾を生み出しているのではないでしょうか。
もし、Minds がポルターガイスト現象その他の物理的でサイキックな異常事態を引き起こせるものならば、もっと違ったことも出来るのかもしれません。私たちの住んでいるこの世界を悩ませる幾多の不思議な現象が、このMind and Body のPowerによって引き起こされているということがわかることになるかもしれません。わたしたちはUFOにかぎらず、BigfootやSnowmenなど、飽きることなく追求してきました。それにもかかわらず、彼らはどこへともなく消えてしまいます。今日、処女マリアの亡霊はカトリックにもプロテスタントにも同じように、聖書にかかれた時代に信じられていたように、あらわれます。
私たちのこの地球という惑星は私たちの知性をうわまわる知性によって支配され踊らされているのでしょうか、それとも私たちのMindがサイキック・シャレ-ドを大規模に演じているだけなのでしょうか。自分の精神の能力で無意識のうちにこの地球をHaunting不思議が出没するような世界にしてしまっているのでしょうか。
このサイキック・マインドの演出の最適の例が1914年9月29日、ホラー小説の大家である Arthur Machen の小説によって偶然、演じられました。”The Angel of Mons". 全くのFiction で ,Machenが、第一次大戦のフランスの戦場 Mons で St. George と His Phantom Bowmen が英国の軍隊をまもったというふうに書き上げ、完全に空想小説でした。最近の戦争を話にもりこんだものでした。ところが、それからしばらくたって、Phantom Bowmen がヨーロッパのあらゆる戦場にあらわれたという報告があったのです。Machenはおどろいて、これは完全に自分のつくった架空の小説であると主張しました。
わたくし Rogo は兵士たちすべてがPhantom Bowmen の妄想をみたとは思いません。私の解釈は彼ら兵士が自分たちで実際に創造したのだと思います。兵士たちの願望とMachenのアイデアが実際的な形をとってあらわれたのだと思います。従って、わたしRogoの解釈は、兵士が見たというBowmenは確かに兵士たちが見たわけであり、妄想とは思いません。ただ、それがAngelicなヘルプが現れたとは思わず、彼ら兵士たちのサイキーが作り出したものであろうと考えます。
私たちのサイキック・エネルギーがこの宇宙を奇妙な不思議な現象でいっぱいにしているのだという可能性と証拠を展開しようというのが、この本の主な目的です。
わたくし、Rogo はUFOやMonsters が現実的に見えたというのは疑いません。つまり、妄想だと否定するわけではありません。しかし、それらはPsychic Realities サイキックな現象であると私は考えます。これらの、いわば怪物はわれらの地球を舞台にして、神出鬼没Hauntingしていますが、それはわれわれのMinds精神によって、偽装し(Machen の Bowmenの場合)、いっぱい創出していっているわけです。UFOが一つ出現すると、それによって、さらにサイキックがUFO現象を増やしていくわけで、すべてサイキックが創出したといえます。UFOにかぎらず、すべての不思議な現象はこのMind over matter の創出によると解釈する事によって、納得の行くかたちとなります。
従って、この後の展開を確実なものにするために、わたしRogoのStance立場・姿勢を闡明にしておきます。
Question
one: Do I believe all of the extraordinary events I'm reporting? The answer,
basically, is yes.ここにレポートするすべての異常事態をわたしが信じているのかと聞かれれば、Yes。わたしはPoltergeistからHaunting、その他のサイキックな出来事をいっぱい目撃してきました。そして、人間のMindの隠れた力が、これだけの異常事態を引き起こせるものなら、これ以上のことがありうるのは当然と考えます。
Question two:
Do I believe that the speculations I will be promoting are likely to turn out
to be true? This is a trickier question. The book should be read like one of
Marshall McLuhan's. As you know, McLuhan works from the premise that he is
offering suggestions, possibilities, or just different ways of looking at
things, and not necessarily his personal opinions. That is what I plan to do. I
often have the theories, which may be right or wrong, but I have no way of
knowing the outcome. However, I would like to express them so that others can
consider them as well. わたしがここで展開する私の理論が正しいものと信じますかと聞かれたら、これがトリッキーな質問で、私としてはマーシャル・マクルーハンがかつて、自分は提案や可能性や別の見方もあるということを示しているだけで、私の個人的な意見だとは限らないというスタンスで仕事をしたのと同じように、わたしも同じようにするつもりです。わたしは自分の理論を持っており、それは正しいか間違っているかわからないが、わたしにはどういう結果になるかわからないことです。ただ、わたしの考えは提示したいと思っています。そうすれば、他の人も考える一助となるでしょう。
この本はEntertainment読者を楽しませるために書かれた本ではありません。また、現在、市場にでまわっているサイキックの本のように、金儲けのために書いたのでもありません。わたしは、既成の科学が無視してきた、あるいは心霊現象の科学でさえ無視してきた沢山の異常な不思議な現象は実際にあり、起こり、それを今ようやく理解する手がかりがつかめかかっているわけで、その確信のもとにこの本を書く決心をしました。
いってみれば、厖大なAnomalous Experiences 異常な体験、Psychic UFOs、Religious Miracles などを批判的に検証しようというのが本書の意図するところです。そして、充分科学的に批判的に行うつもりです。Not Credulously.信仰とは無縁です。
以下、目次をあげておきます。
2 The Mystery of Teleportation
3 Mysteries and Miracles
4 UFOs: Space Vehicles or Psychic Entities?
5 Pascagoula Revisited: The Psychic Story
6 The Cosmic Invaders
7 A Psychic Look at Fortean
Bibliography
The Haunted Universe その2 おわり。 つづく。
村田茂太郎 2012年4月11日
心霊現象の科学をめぐってーその14 生き霊など
Rogo はちょっと中休みさせてもらって、少し関係ある別な話をさせていただきます。
”源氏物語”でもっとも有名な話のひとつが、夕顔を死なせる原因ともなった六条御息所の”生き霊”が夕顔にとりつく話です。六条御息所自身は自覚しないうちに、 生き霊になって嫉妬心から夕顔を殺してしまうわけです。
わたしは、まあ、小説だし、昔のことだから、と思っていましたが、現代の超心理学の Out-of-Body-Experience などから、本当に ”生き霊” のかたちで、しかも本人が知らないうちに、そういう現象が起きるということを知り、昔の迷信とか因習とかを馬鹿にしてはいけないとつくづく思いました。
最近、10年ほどの間に水を凍らせて、結晶をある種の顕微鏡で調べると、よい水は立派な、雪の結晶のようなかたちをしているが、汚染した水そのほか、問題のある水は凍らせて顕微鏡で見ても結晶の形がまともでないとかという話を聞きました。ちいさな写真入の本を二冊ほど読んで、それが本当の話なら、自然な水と、汚染した水を区別するひとつの目安だと思いました。
その本の中に、或るダムの水に藻か何かが異常繁殖してよごれているところで、あるお寺のお坊さんがお祈りをしたところ、きれいになった、それが水の結晶写真でわかったと書いてありました。
それを読んで、わたしは紫式部日記の冒頭で中宮彰子の安産を祈る読経の声がきこえるという話を思い出しました。病気など致命的な場合は祈っても無理であったに違いないのですが、場合によっては、祈る事によってある種の効果があったのかもしれないな、と思ったのです。
現代のサイキックの中にはHealing Power をもったものが、本当に居て、あるていどの効果はあるようです。
たとえば、Hereward Carrington というロンドンの心霊科学の研究協会のメンバーで、生涯をその種の現象の解明に努力したドクターは、
”Your psychic powers and How to develop them” という本を1920年に出版しています。
わたしが持っているのは1975年出版のものですが。
その中で、こういう話を書いています。
あるサイキックな女性が、死んだ生物のからだを指で毎日20分ほどさわっていました。それを2-3週間続けたら、各種の死んだ動物が腐敗していかないで、つまりバイキンがみな死んでしまって、自然に風化していき、ミイラのようになったが、くさらなかったという話で、これは何人もの各種の科学者が事実だと証言していると書いてあります。それができたのは、Carringtonによると、人間のもっているHuman Fluid がサイキックの手から別の生物に移動していって、死んだ生物に取り付いた黴菌は死んでしまい、病気の人は元気になる、つまり人間にはそういう能力があるということを言って、How to develop というわけですが、これは事実だと思います。だから、何も医者でないと病気が治せないというのではなく、昔も今もサイキックな人が居たわけで、Healerがなおすというようなことも、ありえたであろうと思われます。
そこで、この本の中に、Rogoの話とも関係してくる話がでてきます。
とても面白い、驚くべき話です。
Thought
Forms: How They Are Built-Up という小見出しがついています。 P222.
ある透視の能力を持っている人が或る人の友人の家をそのサイキックの能力で訪問して(Out-of-Body のようですが、この場合はClairvoyant透視的におとずれて)、彼女が見つけた人がどういうひとか、具体的に示しなさいという課題を与えられ、そのサイキックはあるひとのイメージを具体的に(髪、目、姿かたち、その他、)示したところ、その家にはそのようなひとは住んでいない、残念でした、はずれ、といわれました。その間違いを証明するために、サイキックとつれだって、その友人の家を訪問したところ、たしかに、その友人というのは彼女の描いた人物とは全然違ったわけでしたが、実はサイキックが描いた人物像は、今、彼が創作している中心人物のイメージにぴったりだということがわかったということでした。ということは、何を意味するのか。その作家のThoughts考えが具体的なイメージでリアルに創造しているので、そのFictionの人物が客体的な物質のような存在として、サイキックが把握できるようなかたちで、存在していたということ、つまり、”Thoughts are things"ということ。つまり、人間が考えたものが、リアルに形を持ち、他の人間が客観的存在として把握できるほどだということです。
これは、まさに前回のRogo の話に通じるわけで、実例を挙げた Arthur Machen の Bowmen にもあてはまるわけです。
この Thoughts が Things だという命題は今の科学者にはすぐには信じられないはなしにちがいありません。科学は或る領域では、非常に進歩しましたが、こうした、Rogoが言う Haunted Universe と思えるような、今の科学で言う超自然的現象を扱うには、まだ科学は幼児期にあるということかもしれません。
このThoughts = Things ということの証明のようなケースが、有名な Fairiesの写真の話で、写真の技術的なトリックではなくて、Fairies妖精が少女と一緒にうつっている写真に関して、シャーロック・ホームズの創作者コナン・ドイルがしらべて、”Coming of the Fairies"という本まで書き、これはトリックではない、本当にこの少女の周りに妖精が飛び交ったのを写真に撮ったものだというわけで、世間を驚かせ、最近では映画にまでなりました。少女と写真は本当なのですが、Rogo風にいうと、Fairiesは少女の想像力で生み出し、それがあたかも実在するかのように、この現実世界に客体的にあらわれた、つまりRogoのいうサイキックな現象であったわけで、今では、そのように解釈されています。名探偵ホームズの生みの親も、いっぱいくわされたといったところですが、あの時点では無理であったかもしれません。その少女のサイキック能力を詳しく調査して、ほかのものもイメージで実在へとうみだせるかどうか、などを調べれば、もうすこし調査が必要というところまでいったかもしれません。
もうひとつ、重要な事実があります。
Edgar
Cayce (エドガー・ケイシー)の話のひとつですが、わたしは、これはすごいと思いました。
夢の話です。ケイシーはあるひとが夢見て、忘れてしまった夢にアクセスでき、その夢の意味を解明したという話です。夢など、ほとんどのひとは、忘れてしまうわけですが、1953年のREM期発見以来、人間は誰も一晩に数回夢を見ている、夢を見ないというひとは、忘れて覚えていないだけで、そういうひとは、サイキックではない、夢を大概覚えている人は(たとえば鎌倉仏教で有名な明恵上人ー夢日記をつけた)非常なサイキックである可能性が強いとかといいます。
そして、ケイシーはあるひとの、すべての夢にアクセスして、その夢の意味を解明できたといいます。
これは、何を意味しているのでしょうか。よくいわれるように、人間が行うすべては、まるで、記録装置が稼動しているみたいに、すべてAkashic Recordに記録されているということのように思われます。そして、ケイシーが夢にアクセスできるということは、夢も客体として実在しているもので、はかなく消えてしまうものではないのです。消えてしまうのはそのひとの記憶で、Recordとしては残っていて、能力のある人はそれにアクセスできるということです。ThoughtsがThings物として実在できるパワーをもっているように、Dream夢も客観的に、つまりその人の中にだけ存在するのではなく、他の、サイキックな能力を持った人が接することが可能な実体として存在するということです。
まさにMind Over Matterが演出する今の科学では解けない超自然な世界が実在するということを示しているのかもしれません。William James がインチキが何人いようと、ひとりでもある能力を示す人が居たら、それを真剣に探究しなければならないといった、そのひとりにあたるひとが、実は何人もいるわけですが、Edgar Cayce もそのホンモノのひとりだと思います。
最後に、この Hereward
Carrington は1930年ごろまでは、Evidence
for survival is remarkably strong yet as to the existence of spirit world he feels
after 35 years of investigation, unprepared to give final verdict.ということ、つまり彼の35年にわたる研究結果からみても、Life after Death に関する証拠は沢山あるように思うが、最後の確認宣言はまだできないといっていました。ところが、ここでもまた登場する Eileen Garrett という理想的な研究対象があらわれて(1933年)、1935年、彼はOur experiments seem to have shown the existence of
mental entities independent of the control of the medium, and segregate and
apart from the conscious or subconscious mind of medium. つまり、完全にMediumから独立したEntitiesが存在するということがわかった、ということで、肉体を離れたSpiritの存在を確認した、つまりLife After Death は事実だと確信するに至ったということのようです。これは私ムラタの意見ではありません。Carrington というResearcherの最後に到達した意見です。
今日は、脱線したように見せながら、ものすごく重要なお話をしました。みな、Rogoの考える ”Haunted Universe” につながります。
生き霊現象はありうるということ。
或るサイキックはHuman Fluidを手から対象物に移動させてHealingをおこさせるという話。
高僧の祈りは実際的なパワーを発揮するかもしれないこと。
作家がイメージを描いたものが、実在して、超能力者はそれにアクセスできたということ。
つまり、Thought思考、想像、すべてが、実在的なかたちをとりうること、物でありうるということ。
夢でさえ、実在的な物で、やはり超能力者がアクセスできるかたちで、実在しているということ。
映画”Star Trek
IV” Voyage Home で、300年後には絶滅していたHumpback Whaleを救助するためサンフランシスコに現れたCrewメンバーが、地球が20世紀の終わりでまだPrimitiveな科学段階であることを知り、300年ほどたたないと、彼らStart Trekのレベルにならないことが、風刺されていましたが、本当にそうだと思います。まだまだ科学は発展するでしょう。
村田茂太郎 2012年4月12日
心霊現象の科学をめぐってーその15 Hereward Carrington
前 回、Carringtonに言及しました。
Rogoの “The Haunted Universe” を読んでいても、よくCarrington がでてきます。
彼は1933年、最高のMediumサイキックといえるEileen Garrettにであって、テストし、35年間、Psychic Investigatorとして研究してきて、Life After Death の可能性は高いけれども、断言はできないといっていたのが、Garrettにめぐりあえて、YES 、Life After Death と断言したわけでした。つまり Mediumと独立にMental Entitiesが存在するということで、確信を持ったわけでした。
では、なぜ Garrett まで待たねばならなかったのか、ということで、今日のテーマに入ります。
1908年、ナポリのEusapia Palladino という人がサイキックで有名だということで、彼と仲間が研究し、ホンモノのサイキックだと確信して、1909年にはアメリカに招待して披露したわけですが、そのとき、Palladinoがインチキをやってばれてしまい、いっぺんに信憑性がくずれてしまいます。Carrington自身はPalladinoのやってみせたことは、みなParanormalで普通には出来ないことであると最後まで信じていました。
なぜ、Palladinoがインチキをしたか、それは、ホンモノであったからで、Magicianではなかったからです。ホンモノのサイキックは、まわりの人の反応に左右されます。つまり、あいつは偽者だ、インチキ・トリックを暴いてやるぞという姿勢の、いわゆる科学者ばかりあつまっているところでは、エネルギーがNegativeに働いて、ホンモノのサイキックとしてもっている本来の力量を発揮できなくなるわけです。
まわりが、期待にみちた、肯定的な人ばかりであると、そういうまわりのエネルギーを利用できるわけで、期待されている効果がすぐに発現したようです。これは、ユーリー・ゲラーも書いていますが、Negativeな姿勢を持った人が多いと、あるPerformanceをするのに必要なエネルギーが集まらず、失敗する事になるとか。いわば、失敗はインチキの証明、偽者の証明ではなく、ホンモノである証明のようなものです。自分ではコントロールがきかないところにホンモノの発現があるといえるわけです。
19世紀にはMediumを中心にしたSéanceが盛んにひらかれ、ホンモノも偽者もいっぱいでました。そこでWilliam James がひとりでもホンモノがいれば、まじめに研究しなければと発言したわけです。Jamesの場合はMrs. Piper というホンモノとであいました。
Eileen Garrett は無学無教養のPalladinoとちがい、自分で自分の能力に疑問を持ち、どういうことかと、解明したい探求心旺盛のひとでした。従って、Parapsychology研究に協力し、J.B. Rhine の意味の無いような研究にも付き合いました。やはり、たいしたことはなかったと自分でも感じたようですが、RhineはいやPositiveであったといったとか。ともかく、Garrettという女性は独立心と探求心の旺盛な女性で、自分で出版会社をひらいて、アメリカ在住のThomas MannとHeinrich Mannの短編を出版するなどをやり、一方ではサイキック研究の雑誌 ”Tomorrow"を1941年に出版するなど、公私にわたって、大活躍をした、非常なインテリ女性です。1951年にはParapsychology Foundation まで作って研究をヘルプしようとしています。別に、ドクターでも大学卒でもないけれど、精神はしっかりしています。そしてビジネス・ウーマンでした。
そういうGarrettにあって、Carringtonもインチキの心配などなしに自分の気がすむような研究が出来、彼なりの結論を引き出せたのでしょう。
ただ、インチキをしたPalladinoがダメであったのかというと、そうとは思いません。彼女もホンモノで、いろいろPsychokineticなことができるMediumだったようです。ポイントは、Mediumは、まわりの人間からエネルギーを吸収し、利用することによって、いろいろな現象を引き出せるわけで、自分ひとりではほとんど何もできないのです。そこで、協力的なひとがあつまれば、すぐにすばらしい反応が現れたりするのに対し、Negativeな意図を持った人ばかりでは、何も出来ないでおわることになります。
Carrington が Human Fluid ということを言うのは、本当のMediumがSéanceをもったときに、まわりからエネルギーを吸収しながら、エクトプラズマとかいわれる、何かの流体がMediumから流れ出して、亡霊の姿を形作ったりすることから、何度もMediumshipを研究する中で、人間にはPhysicalな自分のほかに、Human-fluidといえるダブルがあって、それがOut-of-body Experienceをやったり、生き霊になったり、いろいろなことをすると考えたようです。このHuman-Fluidが人から人へ流れるという考えは、Healerの場合は、まさに単純にそういうことかとわかるわけです。そして、たとえばユーリー・ゲラーがスプーンをなでるだけで、曲がっていくのを説明できると思います。では、テレビで演じれば、見ている人が、同じことをやれたというのは、これは、まさにRogoの人間の精神の隠れた能力がゲラーのPowerで自己発現しているということでしょうか。 ともかく、こういうことが、実際に起こるということを了解して研究しようとするのが筋道で、インチキだと騒いでいたのではいつまでたっても、科学的研究といえないでしょう。
この本の大部分はMediumshipを自己訓練するための本といえるほど、いろいろMediumに関する注意や特徴、さまざまな現象について書いています。
かれは従って、Human Aura も信じて疑っていません。Human AuraもHuman-fluidの一つの発現だというわけです。この本の中に、Auraの分析を書いているほどです。例のDr. Kilner 1911年についてもPositiveに言及し、彼のAuraを見分ける器具をつかって、自分で研究したのか、人間には三種のAuraが身体を蔽っているといっています。これは、Edgar Cayceもいっていることで、そうなのでしょう。
ここで、例のRogoがHaunted Universeの第一章で自分はKirlian PhotographyがHuman Auraを見せるとは信じないと書いていますから、わたしとは意見が異なります。Kirlian Photographyはいまどのような段階にあるのか知りませんが、わたしがDr. Thelma Mossを読んだかぎりでは、木の葉でもカットすれば、まだ、影のようなものがうつっていましたから、なにかを写しているのは確かです。
Carringtonの本のP.240にPhantasms Created by Thought という小見出しがあります。すでに Thoughts はThings だという意見を展開しましたが、ここでは、そのThoughtsがApparition、この場合は生き霊を生み出すという話で、Experimental Apparitions というところでは、An individual succeeds in creating a phantasmal figure at a distance, by an effort of will or thought. あるひとは、意志の力であるいは考えただけで、幻のような姿を遠くにうみだすことができる、と書いてあります。
さらに, Apparitions may be induced experimentally by willing very strongly, just as you are falling asleep that you will appear to a certain person at a certain time, and, if this is properly managed, it will be successful in a large number of cases.実験的に、眠理に陥る前にあるひとの前にある時間にApparition幻のようにして現れると意志すれば、本当にそういうことが可能のこともある。-これはサイキック Eileen Garrettがやった有名な実験で、サイキックは実際それが可能でしたが、この本はEileen Garrettに出会う10年以上前に書かれているので、CarringtonはほかのMediumでそれをたしかめたのでしょう。
つまり、源氏物語”夕顔”で、六条御息所の生き霊が夕顔または源氏のまえにあらわれたという話は科学的に可能な話なのです。そして、Rosemary Brownにリストの亡霊が語ったところでは、彼らは地名で訪れるのでなく、その人間のことを考えるだけで、Teleportationでその人のところにいるというわけですから、六条御息所が夕顔や源氏の秘密の家を知っている必要は無く、夕顔を直接知らなくても、源氏を思うだけで、源氏と一緒に居る夕顔の前に現れることが出来たわけです。
今日は、これで終わります。
村田茂太郎 2012年4月17日
心霊現象の科学をめぐってーその16 Nandor Fodor その1ユング
今回はハンガリー人のNandor
Fodor というひとの本について。
わたしがParapsychologyに関心を持ったきっかけについては、拙著の中の”心霊現象の科学への私の歩み”という文章で展開しました。1975年のことです。それからの数年間はこの領域の本を買い集め、読みふけるということで過ごしたように思います。この種の本のカートン・ボックスが15箱ほどあって、その中から、今探している本を見つけ出すのは力と時間の要る大変な作業です。
D. Scott
Rogo の The Haunted Universe にも引用のあった、Nandor Fodor の「Between Two Worlds」 という本がみつかりました。
この中に、”The
Incredible Psychic Life of Dr. Carl G. Jung” という項目があります。これを読んで、わたしが知らないでいた事実をみつけ、D. Scott Rogo の影響もあって、なぞが一つ解けたような気分になりました。
私は拙著のなかの”ユングの自伝”に関する文章で、ユングの魅力を紹介したつもりです。そして、ストーというBritishの学者がユング再評価をしながら、肝心のサイキックの面をNegativeに見ている事に対して、わたしは否定的な評価を与え、わたしならユングの活動の70%がこのサイキックに関連しているというようなことをつけくわえておきました。さらに、最近、亡くなった吉本隆明が「書物の解体学」という本のなかで、ユングをとりあげ批判している、その批判の仕方があたっていないということについても触れておきました。
今、このNandor
Fodor という人の1964年に出版されたこの本を読んで、わたしの感想は正しかったとわかりました。このハンガリー人はPoltergeistに関する本を書いたので、フロイトとも直接あってはなしたようです。
吉本隆明の場合もストーと同様、ユングのサイキックの面を否定することで批判したつもりになっています。丁度、この第一回目でベルグソンや小林秀雄をとりあげて、”世の中に起きる不思議”にどう対応するかという話を展開しましたが、吉本もいわゆる科学万能主義にちかく、サイキックなどインチキ、ペテンという考え、態度であることは彼の文章の展開を見ればあきらかです。従って、まさにベルグソンのなかにでてきた夢で精神感応を体験した女性に対して、有名なドクターがそれは”偶然の一致”ということで片付けてしまい、自分でそういう不思議なことが起きるという可能性に疑問を持ち、解決しようと方向に進まないわけです。従って、サイキックな現象を信じるユングそのものの展開に彼は疑問を持つわけです。
しかし、ユングはサイキックな現象が起きるということを信じる以前に、自分がサイキックであったわけです。科学的証明以前にサイキックはOut-of-body-Experienceが可能だとか、Ghost体験だとか、Psychokinesisとか、Telepathyとかが本当に起きることはわかっているわけです。他の人に信用してもらおうと思うと、実験のできない現象では苦労するわけですが、ほかのひとがどう思おうと、サイキックは自分の正しさはわかっているはずです。
このNandor
Fodor を読んで、わたしが今、知ったこと、それはユングの家系はみなサイキックであったということ、お母さんもそうであったし、祖父母はGhost Seer として有名だったといいます。そして、ユングのドクター論文はMediumに関する研究であったということは、わかっていましたが、なんとそのMediumはユングのイトコである16歳の女性、そのMediumにControlとしてあの世からのメッセージを伝播したひとが、ユングの祖父であったということがわかりました。しかも、ユングはその16歳のイトコに恋心を抱いていたとか。そして、このイトコは26歳で無くなり、ユングにとって、生涯に及ぶ影響を与えたとFodorはいいます。
ユングとフロイトの関係はふたりの偉大な心理学者の決裂にいたりますが、その過程で重要な事件がおきます。吉本も”解体学”で例示しているところですが、Rogo風に説明すれば、サイキックであったユングが緊張したフロイトとの対立の中で、サイキック現象が本当に起ることをみせようとして、会話の途中で爆発音がしたそのあと、ユングがさらに確信をもってもう一度爆発音がするでしょうといい、そして実際、おきるわけです。吉本はここをフロイトがユングの熱狂に巻き込まれた幻聴と解釈していますが、Parapsychologyをまともに勉強した人は、これがいわゆるPoltergeist現象だとすぐにわかります。サイキック現象を否定する吉本ははじめから、まちがった論拠によっているわけです。
ユングが若い頃にBread
Knife が音をあげて4つに割れた、そのナイフを生涯机の引き出しにいれていたとう話は有名です。写真を撮って、Parapsychologistの有名なJ.B. Rhineに送って分析してもらったことも知られています。今、わたしはこのFodorを読んで、なんだ、とわかりました。サイキック カール・ユングはTelekinesis Poltergeist現象を起こせる人だったので、自覚しないで、ユングの対フロイトとの緊張の中で、サイキック・エネルギーがKnifeの破裂を生み、フロイトとの対談中に爆発音を生んだのです。
Nandor Fodor 1895-1964
面白い事に、Fodorがサイキック現象に興味を抱いたのは、わたしが既に紹介してきたHereward Carringtonのサイキックに関する本に接してだったといいます。そして、Arthur Conan Doyle にも直接あって話をし、本格的なParapsychologistの道を歩みながら、同時に精神分析のほうもマスターし、ジャーナリストとしても活躍したという三足のわらじを履いた人だったようです。
次回、Nandor
Fodor その2 で コナン・ドイルとFairiesについて、Fodorの解釈を入れながら展開します。
村田茂太郎 2012年4月21日
心霊現象の科学をめぐってーその17 Nandor Fodor その2 コナン・ドイル Fairies
ここに三冊の本があります。
Arthur Conan Doyle The Coming of the Fairies 1922
A.C. Doyle The Edge of The Unknown 1930
Nandor Fodor Between Two Worlds 1964
Fodorはハンガリー人のParapsychologist、Psychoanalyst で、またJournalistでもあったひと。
フロイトとも面会し、ドイルとも面会しています。フロイトはN. FodorのPoltergeistの本に興味を示し、そこから、つまり、なぜフロイトがポルターガイスト研究に興味を持ったのかというところから、Fodorはユングの存在に気がついたようです。フロイトの伝記が出て、ユングのことが触れられ、そのあと、ユングの有名な自伝(回想録)がでて、フロイトの関心の真相がわかったようです。Nandorの引用ではユング自伝の英訳タイトルはMemories, Adventures, Reflections となっていて、現在、私の持っている Memories, Dreams, Reflections と、少し違いますが、1963年出版といいますから、多分同じ本でしょう。ユングについては、前回記しました。
そういう経歴の人が、その1964年の本”Between Two World"の中で、”Fairies should be seen but not heard of" という題名で5ページほどの考察を書いています。ドイルの妖精写真論議をめぐる感想といえるでしょう。
この題名からして、FodorはDoyleが”早まった”と解釈しているように思われます。Fairies妖精というのは、ただ自分で見たというだけでよく、人から聞いたり、人に話したりしてはいけないという言い伝えがあり、コナン・ドイルがその言い伝えにもう少し注意を払っていたら、あとで物議をかもす事になった妖精騒動に巻き込まれずにすんだであろうにという意見だと思います。
ドイルのFairiesの本、昨日(4月24日)、読み終わりました。いやいや難しいものですね。ドイルほどの人、当時で考えられる問題点についてはみな検討しているようです。すでにThought がThings だという Hereward Carrington の 考えを記した Psychic への入門書が1920年には出版されていたのです。ドイルも知っていたはずです。そして、ドイルはSpiritualismの研究かでもあったのです。
1917年の夏、Cottingleyという英国の田舎で、Elsie Wright という16歳の女性と、そのイトコであるFrances Griffith 10歳のふたりが、Fairiesに出会い、それを父親から借りたカメラで撮ったらFairiesがうつっていたということから、このFairies騒動がはじまります。(Fodorはどうしたことか、二人の年齢を入れ違えて書いています。誤植なのか。大事な年齢なので、こんなエラーが見過ごされたのが不思議です。)
これを調べた、当時、シャーロック・ホームズではなくて、サイキック現象のInvestigatorとして活躍していたコナン・ドイルが関係者と会って調べて、1920年に雑誌にいち早く発表し、1922年に有名な上記”The Coming of The Fairies"を出版します。
ドイルはこの写真がHoax つまり、でっち上げ、インチキ工作の結果ではないいうことを証明しようと努力し、さらに、Fairiesをみたというひとの証言をあげて、そして歴史的な証言も引用して、Fairiesは何時の時代にも居た、そして見える人には見えた、つまりサイキックClairvoyantの能力を身につけた人や、Sensitiveな子供の時代にいっぱい見えたようだと資料をあげて納得させようとするわけです。
この写真が合計5枚できあがり、随分苦労するわけですが、まあ、これで、世間を説得できるだろうと思ったようです。
わたしがD. Scott Rogo などを読んで、今では写真のFairiesは確かに写真に写ったのだが、Fairies自体は想像力の産物だとする解釈がただしいように思います。すでにその当時、そういう説もあったようです。ドイル自身、思春期を過ぎたら、繊細な能力が失われて、もうFairiesを見ることも、写真に撮ることも不可能になったとわかっており、最初の現象にしても、ひとりだけではダメで、Elsieと Francesの二人が居て、はじめてFairiesが現れるのに必要なエネルギーがととのうようで、結局16歳ですでに思春期に入っていたElsieは急速に能力を喪失していって、最初の5枚の写真だけが残されたわけです。
写真が成功したのはすべて暑い夏の日中で、ドイルはその点、注意深く、記録しています。写真は当時のカメラ技師の専門家何人かにみてもらい、いろいろ考え付く疑問点をClearしていこうとしています。
わたしはこのドイルの本を読むまでは、単純にRogoのいうとおり、あるいはHereward CarringtonのいうThoughtが現象としてあらわれたものと解釈していましたが、ドイル自身、いろいろ考えており、Thought、Imaginationが具現したものという考えも検討しています。
この二人の若者が見て撮ったというFairiesは、やはりサイキックであった二人が(特に年上のElsieが)自分の子供のころから本で見慣れた妖精をイメージ化して、自然とThought Formが具体化したものだと思われます。写真はインチキな操作はナイといわれながら、わたしが見てもいろいろ疑問点がうまれてきます。ドイルもそれに気がついてClearしようとし、批判者も気がついて、批判したわけで、これは泥沼論争になったのではと思われます。
Fairiesはバレーダンサーが妖精の衣装を身につけて、本から抜け出してきたようなイメージ。少女小説に現れる美人のダンサーのような、人間の形、というよりも、きれいな若い女性のような格好をしており、まさに若者の想像の世界で生きているような姿かたち、そして、Gnomeやその他も、いわゆる昔からの言い伝えのとおりの形をしてあらわれているわけです。これはドイルにいわせれば、Shakespeareや他の人たちも実際にFairiesを見ていたから、そういう伝説のような御伽噺のようなものが生まれたのだろうというわけで、これは鶏が先か卵が先かというような論争になりそうです。
FairiesがElsieが16歳前後の若いときにだけ現れて、見ることが出来、Pubertal age を過ぎて、it was said that she lost the power that may have helped the fairies to "materialize" in her presence.妖精を現象させる能力を喪失した。
Fairies がMaterialize ということをすでに当時言っていたわけで、Rogoのいう、あるいはHereward Carringtonの Thoughtから具体的な、Visibleなかたちで、サイキックに生み出した、あるいは自覚しないで生まれでたというのが正解かもしれません。
わたしはこの二人の思春期すれすれの子供が体験したものは、まさにサイキックな現象であったと思います。さて、ドイルはいろいろな情報をひとからもらい、沢山例証をあげています。みな、サイキックな人の話です。
Nandor Fodor は I can subscribe to fairy visions both from my analytic and my parapsychological experiences.と書いています。このSubscribeという動詞の意味ですが、この場合は例をあげるというような意味だと思います。Fairy Visionsといっているところが大事だと思います。つまり、この彼のエッセイの本題のようなもので、Vision見たという人は沢山居るという話です。見たというひとが居ることは信じるということでしょうか。
彼は二十世紀前半に活躍した有名なMedium、サイキック Gladys Osborne Leonard という女性のコントロールにあたるFedaという人物のことばを引用しています。
Yes, they do exist. They are the nature spirits and there are many classes of fairies. Clairvoyance is needed to see them. They belong to another vibration. They don't have quite the same soul as we do. Bu they have spirits. All forms of life are used again. Nature spirits don't die like us. Some are created out of earth or fire or friction. They are all activity and movement. p208.そう、妖精はいるのです。彼らは丁度自然の精霊のようなものです。Fairiesにもいろいろな階層があり、透視力があってはじめてみることが可能です。彼らは人間とは違うVibrationにぞくするからです。彼らは人間と同じようなSoulはもっていないけれど、精霊なのです。自然の精霊というのは人間のように死なないので、すべての生命が再利用されます。或る精霊は土からつくられ、あるいは火から、そして摩擦からと様々な形で生み出されます。それらは活動そのもの、運動そのものです。
なぜ、コナン・ドイルがFairiesの本を書いたのか。彼は序文で objective existence of subhuman form of life といっています。有名な第一章の書き出し(p13-14)で、彼の意図・動機を説明しています。
The series of incidents set forth in this little volume represent either the most elaborate and ingenious hoax every played (ever played の誤りでしょう、ドイルのエラーとは思えないので、誤植でしょう、校正が頼りないようです。) upon the public, or else they constitute an event in human history which may in the future appear to have been epoch-making in its character. It is hard for the mind to grasp what the ultimate results may be if we have actually proved the existence upon the surface of this planet of a population which may be as numerous as the human race, which pursues its own strange life in its own strange way, and which is only separated from ourselves by some difference of vibrations.
この本が生み出されるに至った一連の出来事は、公衆を欺瞞するかつてなかったほどの最も手の込んだHoaxイカサマがおこなわれたのか、あるいは、その性格からして将来人類史において画期的な意味を持つ出来事を構成しているということのどちらかを表明しています。もしこれがほんとうで、この地球という惑星の表面に人類と同じほどの多くの別の存在が居ることの証明になれば、その最後的結果がどのようなものになるのか、考えも出来ないほどです。つまり、奇妙な生命をもって、奇妙な生き方をしている、しかもただVibrationが異なるだけで、人類と隔たっているというこの存在を実際に(この写真で)証明することが出来たとしたら。
We see objects within the limits which make up our color spectrum, with infinite vibrations, unused by us, on either side of them. If we could conceive a race of beings which were constructed in material which threw our shorter or longer vibrations, they would be invisible unless we could tune ourselves up or tone them down. It is exactly that power of tuning up and adapting itself to other vibrations which constitutes a clairvoyant, and there is nothing scientifically impossible, so far as I can see, in some people seeing that which is invisible to others.ここでドイルは、われわれ人類がものを見るということは、或る波長の圏内においてであって、丁度、赤外線や紫外線その他のVibrationにあるものは、目に見えないように、もしある種の存在がそのような人類の目に直接見えるものでなくとも、そうした違った波長にあわせることができる存在、つまりClairvoyant透視能力を持ったものであれば、見えるわけで、Clairvoyantとはそういう調節能力を保持している人で、だからサイキックにだけ見えて、普通の人に見えないわけで、普通の人に見えないから存在しないとはいえないということを言いたいようです。
ここで、Nandor Fodor を引用します。(p208)。
Conan Doyle thought that the fairies represent separate line of evolution and noted that children often claim to see them; which was factually established by Dr. Evans-Wentz in "Fairy Faith in Celtic Countries", in 1912, 10 years before Conan Doyle's book, by a record of 102 first-hand cases in which living individuals claimed to have seen these legendary creatures.コナン・ドイルは妖精は人類とは異なった進化を辿ったことを示していると考えました。そして子供たちが、よく、妖精を見たと主張していることをあげています。1912年に、のちに(1927年)Tibetan Book of the Dead をヨーロッパに紹介したので有名なDr. Evans-Wentzが”ケルト人の妖精感”とかというケース・スタディを発表し、そうしたデーターもドイルの考えを強化したようです。
Fodor自身も、Subscribeという言い方で、自分も直接に妖精を見たと主張する人から話を聞いたというわけです。Fodorの場合は、そういう話があるという事実を記述するだけで、彼は、”I believe existence of Fairies.” といっていない事に注意しなければなりません。
Fairies Belief (妖精信仰)はComplex Matter(簡単には説明できない) と Andrew Lang というひとが言っているそうですが、それは太古からのEarth-dwellers(この地上に棲み付いたものたち)のメモリーがのこっている、つまりユングの言う集合無意識?も考慮に入れなければならないということかもしれません。
結局、Fairy信仰があり、実際にFairiesを見たというEyewitnessが沢山おり、歴史的証言もあって、コナン・ドイルは、このCottingleyの少女たちによる5枚のFairies写真が、それらの伝説をカメラという最新兵器を使って科学的に証明できたと考え、これはふつうの人間のVibrationでは見えない領域に存在している生物に違いないと信じて、まず雑誌Strandに発表し、2年後、The Coming of the Fairies の出版となったわけでした。
従って、ドイルはこれらの写真が捏造したものでないことを証明しようと努力したわけです。
また、Thought-Formに関しては、二人の女性がプロのArtistの段階でなく、スケッチも幼稚なもので、写真にみえる本格的な衣装や姿などは、まだ描ける情況ではなかったというわけです。
ドイルはThoughtが生み出したという考えも考慮にいれて、p41で次のように書いています。
being by nature of a somewhat skeptical turn, I felt that something closer was needed before I could feel personal conviction and assure myself that these were not thought-forms conjured up by the imagination or expectation of the seers. もともと自分は疑い深いほうなので、これらが、この二人の子供の想像力と期待からうみだされたThought-Formsでないということを自分で確信を持てる何かが必要で、・・・ と書いています。
1930年に出版された”The Edge of the Unknown" by Sir Arthur Conan Doyle のなかの”Dwellers On the Border"というエッセイは次の文章で始まっています。
I propose in this essay to discuss the evidence for the existence of elemental forms of life, invisible to the normal eye, which inhabit the same planet as ourselves. It seems to me that our knowledge of the ether vibrations which govern wireless are a great help to us in this connection, and that we can readily understand now that what would have been incomprehensible, because there was no existing analogy, a few years ago.
わたしはこのエッセイで生命の基本形とでもいえる存在、それは普通の人の目ではみることができないが、私たちと同じこのPlanetに生息している存在があるということの証明を展開するつもりです。Wirelessを可能にしているエーテル振動という新しい知識(これはマルコニーによる無線電信の開発のことを言っているのでしょう。)が、このことの説明に役に立ちます。数年前には類推の資料が無くて、説明も難しく、理解不可能であったものが、いまではWirelessの時代になって類推することが可能になって、たとえをあげて説明することもできるわけです。
という具合に、ドイルは、Fairiesは現実存在で、ただ、Vibrationが異なる次元にいるので、Clairvoyantの能力を持った人にしか見えないのだと信じていたようです。
ほかのサイキックの証言をいっぱい読むと、そんなものかなと思ってしまいます。まあ、無理もないという気もします。
しかし、UFOでさえ、サイキックな現象であり、FatimaのMiracleその他も、みなサイキックな現象であって、人間の精神のもつエネルギーは底知れぬ巨大な力を保持しており、それが大量に集積されると、ふつうには予期できない出来事が起こるという D. Scott Rogo の解釈が重要な意味を持ってきます。
なお、わたしの友達、デボラーさんが、このドイルと妖精のはなしが映画になっていると教えてくださいました。Steve Szilagyiというひとが、Photographing Fairies というNovel を書き (1992年)、1997年に映画化されました。Ben Kingsley そして Maggie Smithの息子Toby Stephens が出演しています。
この項、おわり。 英語の訳は意訳、概略その他、適当にしました。直訳ではありません。
この文章は随分しんどいエッセイとなりました。
村田茂太郎 2012年4月25-26日
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