「心霊現象の科学」をめぐってー総まとめ その6/7
「心霊現象の科学」をめぐってーその84 Dianne
Arcangel その2
その83 で「Afterlife
Encounters」の興味深い話を紹介した。まだ読み終わっていない(三分の二 読了)時点での感想・紹介であった。
やっと、残りの部分を読み終わった。
なんと、この残りの部分は、有名なアリゾナ大学、TucsonでのDr. Gary Schwartzの「Afterlife
Experiments」に、彼女が5人のSittersの一人として参加した、その報告であった。
John
Edwardの“Crossing
Over”では、彼がMediumの一人として参加して、どのようであったのかという感想が手短に語られていたが、このDianne
Arcangelの本では、彼女がSitterのひとりとして、Medium相手にどういう反応をしたか、その詳細が語られているわけで、かなり専門的というか、Mediumがどのように反応したかに興味を持つ人には、すばらしい内容だが、一般読者にはすこし細かすぎるとうつるかもしれない内容であった。
すでに紹介したSuzane
Northropもこの実験に参加したMediumのひとりであった。
Dianne
Archangelは結局二人のMediumとつきあったことになり、それぞれの情報に関して、Hit したか、はずれかを客観的に評価し、総合評価をきめるわけで、二回目の検査は電話での応答をRecordして担当検査官に送り出すというかたちで行われた。
Mediumが電話ではなしているだけで、相手の周りに集まった霊Spiritを感じ取り、Face to Faceでの対応と同じように、霊とのCommunicationを行うことができるということは、もう明らかな事実であり、私も2012年12月に一度、電話でMediumとの交信を1時間行って理解したことであった。大事なことは、事前にMediumとの電話交信を実行するよと宣言(誰に?自分の部屋でちゃんと張り紙をして目盛っておけばベターと、あるMediumの本では言っている)しておくことで、そうすると約束の電話の時間にちゃんと何かを伝えたい霊Spiritは私の周りに集まってきて、Mediumが電話してくるとすぐにMediumがCatchしてくれるように反応するようであった。その反応振りも、なかなか頭を使ったもので、本を振りかざしたり、外国旅行の絵葉書をふってみせたり、黒帯をみせたりと、結局、限られた時間でチャンスもかぎられているわけで、すぐにIDがわかる(私に)ような、ユニークな様子を見せるわけである。Mediumには、名前はなかなか難しいそうで(英語の名前でも)ふつうはイメージで霊が示すのを解釈しながら展開するわけで、誤解もあり、当たり外れもあるわけである。
というわけで、Dianne
ArcangelはそれぞれのMediumのあたりの確率を100%評価で、事前の予想は5%と思ったが、最終的には75%は正確であったというレポートを提出したのであった。
いちいちのMediumの発言を読んでいると、Mediumの作業も骨の折れる大変な労働だなあと感じざるを得なかった。
Suzane
NorthropのSéanceを読んでも、いかに本物のMediumであっても、霊との交信は、ある意味では謎解きのようなもので、どんなに精神的・肉体的に骨の折れる仕事かと感じたが、このDianneの報告書を読んでいても、まあ大変なものだと感じざるを得なかった。
彼女はMedium経由で得られた情報の大部分はサイキックとしてSitterからTelepathy,
Clairvoyanceその他でつかめる情報であったと思うわけであるが、それでもやはり、あまりにも個人的な情報をCatchしているのには驚かされ、結局、科学的とかという形では、納得はいかなくても、個人的に納得すればよいのではないかということになる。
私はすでにAmazon Kindleで、このDr. Schwartzの「Afterlife
Experiments」を購入してあるので、そろそろ読み始めないといけないと思い始めた次第である。
この本の第一章にDianneがはじめて小学校の1年生として教室に出席したときに印象的な事件(?)が起きたことが記されている。担任の教師が自己紹介をして、そのあと子供たちに自発的に発言してもらうことにしたら、Jimmyという子供が手をあげて発言し始めた。僕のおじいさんが亡くなった、それから僕の部屋にやってきてバケツのそばに・・・何ですって、おじいさんが亡くなったのでしょう、ハイ、でも、僕のそばにやってきて・・・僕はかれのGhostについて語っているの・・・馬鹿なことは言わないで・・・でも本当なのだ・・・お座りなさい! 彼は萎縮してしまって、もう何にも反応しようとしなかった。わたし(Dianne)はLunch timeに彼のそばに座って、とうとう、そのあとのことを聞きだすことができた。おじいさんはおもちゃの入ったバケツのそばで僕を見て笑い、手を振ったので、ぼくも同じようにしたら、消えてなくなったという話であった。子供の学校第一日目の結果は如何と家族がDianneの話に耳を傾けた。彼女がJimmyと教師の話をするとSisterはWeird気持ち悪い、あなたもWeirdと非難するようであったが、父はSisterのほうをにらんで、わらってすませた。そのあと、父はBedtime
Storyのかわりに、奇妙な実話を彼女にきかせた。1933年のシカゴ世界博覧会での出来事であった。父と母、そして父のSisterとその夫の4人が一週間かかっても見終わらないような最新の発明品や見世物を見学していたときに、驚嘆するようなことが起きた。Fortune-tellers占い師たちも道路わきに店を広げていた。そして、みんなで、あんたが先にとかといって歩いていたときに、ヘイ、あんた、ここへ来なさい、大事なメッセージが届いたよと叫んだFortune-tellerが居た。占い師の女はUncle Harryをじっと見て、あんたにメッセージだよと言った。Uncle
Harryはそれを無視して、ずんずん先に歩いていった。そうすると、占い師は、あんたの奥さんが、Harry,
Harryと呼んでいるので、ほかのひとはどうして占い師がHarryの名前を知っているのか不思議に思い、Harryが直接占い師を知っているからなのかと思ったが、そうではなかった。Harryは全部無視して先へ行ってしまった。占い師は、あなたの奥さんと赤ちゃんがここにいるといって、どういう格好をしているかを示し、Harry, It’s me, Ernestine。 Harry, I am sorry. と言っているということであった。そこで、Harryはもどってきて、一言も言わないで占い師の前に座った。
彼は以前、カナダで、まだ若いときに結婚したことがあり、子供も生まれたが、どうしたことか若い妻は子供と一緒に自殺してしまったのであった。シカゴの世界博覧会の会場にでてきた本物のサイキック、インチキではなかった占い師の前を通ったこの4人連れに話しかけるために、Harryの亡き妻はチャンスとばかり、占い師に訴えかけたわけであった。
すでに7歳ほどでDianne
Arcangelは父親とJimmyをとおして、Afterlifeの存在を知らされたのであった。
この本はいろいろ面白いケースが紹介されている。先に述べたように、アリゾナ大学でのAfterlifeの実験に直接参加した人間として、それがどのようなものであったのかについて、報告しているわけであり、この本は、すごくまじめな、レベルの高い本であるといえる。
ISBN1-57174-436-3 Hampton
Roads Publishing Company, Inc. 2005
彼女の名前はナント呼ぶのか?
ダイアン・アークエンジェル? Or アーカンジェル?
村田茂太郎 2014年3月30日
「心霊現象の科学」をめぐってーその85「Heaven talks to
Children」
Christine Duminiak を読む
子供たちの中には、繊細で鋭敏、亡くなった近親者の霊などをするどくキャッチすることがあるのは、よく知られている。Carol
BowmanのReincarnation前世の記憶を持った子供たちに関する研究も、自分の、まだ幼い子供が過去のLifeの記憶を生きていることに気がついたことから始まった。そして、それは年をとるにつれて、記憶から消えていくようであった。
この本は、子供たちのAfterlife
Encountersを収集したもので、著者は子供の年齢で3つに分類し、1-4歳、5-9歳、10-17歳とわけて、それぞれの子供たちの天界からのコンタクトの話を紹介している。
まあ、このAfterlife
Encountersにあたる、子供たちが亡くなった近親者や亡くなった犬などを直接察知したとう話は、Josie
Vargaその他の本でもいっぱい紹介されているから、私に特に珍しいものではなかったが、その100例ほどのケース紹介の後に、60ページほどつかって、宗教と関係するSpirits問題、Demon等による危険を避けるための方法、そして、Near
Death ExperienceなどによるHeaven天界の状況報告 などをコンサイスに見事に、うまく纏め上げているので、私は感心した。そのまま、直訳したいくらいであったが、まあ、許可も得ていないので、簡単な紹介にとどめる。
この本はAmazon.comで私は$5.77+Taxで手に入れることができた。新刊であり、リスト・プライスは$14.95である。著者はSensitiveな子供たちを持つ親に、直接読んでもらいたいために、特別に安くセールスしているようだ。
そして、たしかに、この本は役に立ち、子供の親、特に霊界にコンタクトできる能力を見せた子供たちの親には必読書だと思う。そしてまた、教会キリスト教では、霊界とのSpiritとの交信などは禁止しているケースが多いので、そういう能力を発揮した子供は公にできず、何か悪いことをしているようなNegativeな態度をうむ危険があるので、親たちはその点をよくわきまえて、子供たちのこの貴重な才能・天分をこわしてしまわないように、自分でよく勉強して子供に接することが必要であるといえる。そういう意味でも、この本は大事な意味を持っている。教師たちには必読書といえるであろう。
Dianne
Archangelが7歳(多分)の子供のときの最初のクラスで、Jimmyという子供が手をあげて発言した、“亡くなったおじいさんが自分を訪れて手を振った”という話を教師が終わりまで聞かないで、その子供を黙らせたために、Jimmyは萎縮してしまったという話を、この前のブログ(その84)で紹介したが、何も知らない教師だと、そういうこともやりかねないので、教師たるもの、やはり一生懸命、何に対しても、興味を持って、しっかり勉強すべきだと思う。私は拙著「寺子屋的教育志向の中から」の“心霊現象の科学への私の歩み”と題するエッセイで、1970年代に日本で起きた子供の実験的自殺について言及したが、そのケースも、当時、はやっていたお墓で写真を撮れば霊が写るとかいう子供たちの探究心が最悪の事態になってあらわれた例で、そのとき、教師たちはそんな馬鹿なことはするなと問題にしなかったのであった。(当時の新聞記事によると)。教師は、子供が真剣に探求したりしていれば、自分もある程度勉強・探求すべきであると私は思う。小学校・中学校の教師は、“教科”だけでなく、“人間指導”も大事な課題のはずである。この本も、そういう教師たちの、無知による教育上の失敗をふせぐためにも、有益な書物であると私は思う。
なぜなら、Demonとか言い出すと、あまりにも教会宗教的になるが、Soulがあり、霊魂不滅で、成仏できないSoulが地上をさまよっているのが事実とすれば、霊界からのコンタクトとはいえ、実は昇天できないEarthbound地上をさまよう霊Spiritたちが、Sensitiveな人間にとりつき、間違ったメッセージをおくるということもありえ、昔、Table
Tippingなどがはやったとき、邪悪なSpiritたちがめちゃめちゃなメッセージを送り、それを“無批判”に信じた人間は家庭や家を破壊しただけでなく、殺人まで犯したケースが現実に発生したわけで、天界からのメッセージが必ずしもGod天国からのよいメッセージとは限らず、悪辣なものもありうるわけで、要注意ということをわきまえていなければならない。
そして、Sensitiveな子供たちに、そういう邪悪なSpiritからの介入を防ぐためにも、“White
Light”やGodsその他のProtectionが必要となり、そういった点まで配慮してあるのがこの著者の気配りで、彼女自身はChristianであるが、別にほかの宗教でもいいから、そうしたDemon的なSpiritsがとりつかないようにという注意が払われている。
肉体が死んでも、意識や記憶がのこっているということが確かなら、悪いことをした人間は意識もそのままであり、急に善人になるわけではないので、Ouija
Boardやコックリさん、Table
Tippingその他で霊界からの返事を待っていると知れば、悪い霊はあくどいことをしかねないわけである。そういう意味でも、著者の気配りは立派なものだと思う。
私はすでにベルグソンとの関係で、ゴーギャンの名画のタイトル「われわれはどこから来たのか、なんであるのか、どこへゆくのか」がベルグソンの哲学の展開と関係があるといい、それに沿いながらベルグソン哲学を展開した岩波新書の「ベルグソン」(篠原資明著 しのはらもとあき)に言及した。この「Heaven
talks to Children」の著者Christine
Duminiakは“The
Circle of Life”というかたちで、このゴーギャンの謎を展開している。(なにも、ゴーギャンを口に出して言っていないが)。
われわれは天界においてSpiritとしてつくられた、そして地上で学ぶために人間として生み出された、地上のレッスンがおわると、肉体は滅んで、Spiritが元の天界にもどっていく。つまり、Heaven,
Earth, Death, AfterlifeというCircleを繰り返しながらSoulが成長していくというのであり、EarthでのLifeが非常に大事なのは、天界ではPerfectで、地上で学べるような試練がなにもなく、したがって、地上の存在でこそ、Spiritが成長していく貴重な機会であるというわけである。
Everything
happens for a reason. そう、立派なよい人がひどい目にあったり、無垢な子供が病気で死んだり、殺されたり、それらは、ひどい話であるが、みな、天界で、自分でわかって選んで生まれてきたものだという。生まれたばかりで亡くなる赤ん坊は、そのために親や兄弟姉妹、関係者全部に大変な悲しみ、苦悩を強いるわけであるが、それが地上の人間それぞれの魂の成長に強烈に働くのは事実である。地上でのさまざまな困難はSoulの成長にかけがえのないChanceを与えることになる。従って、困難を経ることによって、Soulは成長し、自分だけでなく同胞、人類への愛を学ぶことになる。われわれがこの地上で学ばなければならないのはLove愛するということ であり、特にUnconditional
Love無条件に愛するということ を学ぶことがその後のSoul魂の成長発展におおきな影響を与えることになる。そして“許し”も。
この中の話をひとつ紹介しよう。Maryの父親は53歳の若さで亡くなった。当時、Maryはまだ結婚していず、もちろん二人の子供も生まれていなかった。彼女の兄の子供が5歳のときに亡くなったので、お墓の墓碑銘はこの5歳の子供が、PoppyはKind man, good man,
funny man というような文言を書いたという。さて、Maryがクルマの後ろの座席に子供二人を乗せてドライブしていた。3歳になる娘のNicoleに、Seat Beltをはずしては駄目よとかといっていたらしい。“心配しないで、Murray” とNicoleが言ったので、Maryは驚いた。“誰がそういうふうに言ったか知っているの?”“もちろんよ、Poppy!”Maryは本当におどろいた。“どうして知っているの?おまえは一度も会ったことがないのに”。これに対して、自信たっぷりに、“会ったわよ。わたしはいつも彼と話していたのよ。”“Nicole! Poppyは天国にいたのよ、あなたが生まれるずっと前に”。“知っているわよ、お母さん、わたしが天国で、生まれるのをまっている間、話し合っていたのよ”。わたしMaryはそれをきいて、言葉もでてこなかった。ワアー, わたしの父は、わたしMaryが娘に会う前に、すでに天界で娘に会っていたのだ!これをきいて、母であるMaryは、とても慰められた。
こういう実話を、コレクターとして、何件もみていると、たしかに、まず天界でSoul/Spiritがおり、企画して、親を選んで子供として生まれてきて、地上での必要な教育をおえて、肉体はほろび、Spiritとして、天界にもどっていくというサイクルが出来上がるのは確かである。これにReincarnationをくわえると、輪廻のサイクルが完成するわけだ。
もうひとつ紹介しよう。Tylerという子供が生まれて5ヶ月で亡くなった。3歳になるTrevorはそのことを知らされていなかった(ドクター訪問と告げてあった)が、空を見上げて、Tylerは、あの雲のうえにいて、こちらを見守っているよと言った。葬式の手配を済ませてから、夜、Trevorと散歩に出て、Tylerに話しかけたかったら、空の星や月や雲をみると、弟が見えて話しかけられるよと言ったところ、Trevorは驚いたことに、“Tylerはそんなところにはいないよ、僕たちのそばの地上に座っているよ、そしてお父さんとお母さんに、月曜日(葬式の日)に泣かないでねと頼んでいるよ”。月曜日には何があるのとTrevorが訊ねたので、埋葬などの計画を話したところ、彼はすこし泣いてから、横を見てにっこりし、うなずいて、笑ったので、どうして笑っているのと訊くと、“TylerはBoxの中にいないよ、それは彼のBodyだけだよ。”わたしはそれを聞いてびっくりしてしまった、まだ3歳で死や肉体やスピリットなどについて一度も話したことがなかったのだ。
ほかにも、いろいろ興味深い話が記されている。
ということで、この本も、なかなか個性を持った、いい本であるとわかった。
ここに紹介しておく次第である。
村田茂太郎 2014年4月1日
「心霊現象の科学」をめぐってーその86 Melvin
Morse, M.D. 「Closer
to the Light」を読む
この本「Closer
to the Light」(Learning
from the Near-Death Experiences of Children)は有名で、臨死体験・NDE(Near Death Experience)探求の基本文献のひとつとして知られている。230ページほどの小さな本であるが、そこに盛られた内容は豊富で、これは人類の必読書のひとつだと私は思う。Goodとか Very goodでは不充分で、Great!という表現が適切な本である。
1975年にRaymond
Moody ,M.D. ,
Ph.D.が「Life
after Life」という本を出版して以来、On
Death & Dyingで有名なElizabeth
Kubler-Rossとの二人で、Near
Death臨死体験の斬新なデーターを提供して、Afterlifeの研究の重要さを全世界に知らしめたわけであるが、それから10年ほど経っても、まだまだ臨死体験をまじめに受け止める医者・心理学者・精神療法家、脳生理学者はすくなく、そういう研究が出てきても批判的に反応するだけで、一般的には状況はすぐにはよくなっていかなかった。
このDr.
Morseの本を読むと、彼もこの本の出版に至るまでにずいぶん苦労をしたようである。19世紀末に偉大な心理学者・哲学者William
Jamesたちがアメリカに、イギリスから学んで、心霊現象を探求する組織をつくったときも、テレパシーのような現象でさえ、まじめに研究できる段階ではなかった。まじめに研究に取り組むには非常な勇気が必要であった。このMelvin
Morseの本を読むと、1980年代でも、同じように、臨死体験をまじめにとりあげようとすると、援助資金もうちきられるというような状態であったことがわかる。
Dr.
MorseはDr.
Moodyの本に刺激を受けて、では自分がその研究をつづけようと覚悟を決め、同じような意欲を持った同僚の協力のもとに、まじめな研究を実行した。
それを始めるにあたって、丁度、Past
life TherapyでReincarnationの研究に深入りすることになったBrian
Weiss, M.D.のきっかけが、Catherineと呼ばれた女性が彼のOfficeをおとずれてRegression Hypnosisを受けた結果からはじまったように(すでに、このブログで紹介ずみ)、Melvin
Morse, M.D.の場合もKatieという7歳の女の子との出遭いが彼のその後の人生を完全に変えてしまうことになった。
Dr.
MorseはIdahoの小さな町でInternをしていて、もうすぐSeattleに移る事になっていた。その小さな町で彼はSwimming
Poolプールでうつぶせになって浮かんでいた女の子を蘇生させることになった。すでに何時間経ったのか、器具によってかろうじて息をしているだけで、生き返る確率は10%もなかった。血液の酸素濃度を測定するために血管にカテーテルをつかうという作業が必要になったとき、彼女の親たちは、その手術台の身近でPrayerお祈りをみんなでささげてもよいかと彼に訊ねた。Dr.
Morseは、どうせ助からないのだから、まあ、好きなようにさせてよいだろうと判断し、OKをだした。医者たちが緊張して手術しているときに、親たちは平静なおももちで、お祈りを続けていた。ところが3日後にKatieは完全に回復した。それは不可能なことが起きたのであった。事後の検査にやってきたとき、ドクターはKatieと話すことができた。彼は、何が起きてプールでうつぶせになって浮かんでいたのかを覚えているかどうか確かめたかったが、何を覚えているのと訊いた時にかえってきた返事が「天界にいるFatherに会った時のこと?」{わたしはJesusとHeavenly Fatherに会ったの}。それを聞いた自分の反応があまりにもショックであったのを取り違えたのか、彼女はこのときはもうそれ以上は話さなかった。次回に会って彼女が話してくれたことを聞いたことが、彼Dr.
Morseのその後の人生を根本的にかえてしまうことになった。まさに、Brian
Weiss M.D.の場合と酷似している。そして、それは彼がまさに科学の心を持ち、虚心に探求しようという姿勢を崩さなかったからであって、援助資金打ち切りとか、まわりの非難・冷笑にも、どんな逆境にもめげず、徐々に探求を深めていったのであった。
彼女はおぼれたことについては何も記憶がなかった。暗黒の中にいて、体が重く、動けなかった。するとトンネルがひらいて、そこからElizabethがやってきた。エリザベスは背が高く、Niceで、あかるい金色の髪の毛をしていた。彼女の案内でトンネルをあがると、そこには亡くなったおじいさんが居た。ほかにも何人かいた。彼女の新しい友達になったのはAndyとMarkで、ふたりはSouls waiting to
be born次に生まれる順番が来るのを待っているのだった。そして、この二人が彼女を案内した。
ある時点で彼女は自分の家を覗き見させてもらった。兄弟姉妹が遊んでいる姿、母がキチンで料理を作っているところ、居間を見ると、父がCouch(ソファー)で静かに前方をみつめているのを見て、彼女は病院に居る彼女を心配しているのだなと判断した。後ほど、彼女が家族のものにこの家を垣間見た話をすると誰もがびっくりした。母が何を料理していたかまで知っていたのだから。
最後にElizabeth(どうやら、このエリザベスは彼女KatieのGuardian Angel守護霊であるようだ)が彼女をJesusとHeavenly Fatherにつれていってくれた。Heavenly
Fatherは彼女に家に帰りたいかとたずねたので、彼女は泣き出してしまった。彼女は彼と一緒にここにいたいといった。するとJesusがお母さんをもう一度見たいかとたずねたので、Yesと応えたら、彼女は目が覚めた。
これを話すのに1時間ほどかかった。彼女はShyな控えめな女性であったが、言っていることに対しては確固とした力がこもっていて、自分Dr.
Morseはその話をそのとおりに信じた。彼女は何かがあったのは確かだが、何が起きたのかわからなかった。そして自分Dr.
Morseもまったくわからなかった。そして、まずICUの看護婦にあって、彼女が最初に発した言葉が、MarkとAndyはどこにいるの?だった、と教えてもらえた。つぎに、ドクターはKatieが天国とか守護霊とかトンネルとかといった信仰にどっぷりつかっていたのかどうかを母親に確かめた。母親自身はモルモン教徒で、Afterlife死後の世界を信じているけれど、家の中の誰もそういうことには無関心で、いちども家庭の話題になったこともない。念のためモルモン教徒で医者の同僚にたしかめたら、Spirit
GuideとかGuardian AngelとかTunnelとかはモルモン教ではタッチしないということであった。彼女の体験はMemoryからきたものではないことを確認してから、Dr.
Morseは医学の文献を調べ始めた。そして、NDE, Raymond Moody, M.D.に出遭うことになった。
このNDEに関しては、Drugや酸欠や麻酔やいろいろほかの理由で説明できると考える人がたくさん居た。しかし、本当にいったん死んだ人、そして奇跡的に生き返った人だけがユニークな体験をしてきたということがわかった。それはDrugその他では実現できない超常現象の体験であった。
Dr.
Morseは、数ヶ月経ってKatieのIdahoから去って、予定通りSeattleの病院に赴任した。そして、そこで臨死体験を研究する体制をととのえた。すでにその道で有名になっていたDr.
Bruce GreysonやNear-deathの研究ですでに有名になっていたKim
Clark(Kimberly
Clark このブログですでに紹介済み)(彼女がSeattle, Harborview HospitalでのNurseであったときに、Mariaという患者の対外離脱体験の証拠品といえる靴を見つけたがそれは、このKimberly
Clarkが病院の5階の窓のそとからPick-upしたということで、世界的有名になっていた)などが、このリサーチ・グループに加わった。
NDEを体験するには本当にNear Deathを体験しないといけないのかどうかを調べるため、コントロール・グループ121人の子供たちをえらんだ。彼らはCriticallyにIllだがNear Deathの状態ではない。重態だが死ぬ確率は5%以下の子供たちであった。研究グループに該当する子供たちは12人がえらばれた。それは過去10年間の資料を基にInterviewもおこなったものであった。注意深く調査を行った結果、判明したことはNear
Death Experienceをもつためには、本当にNear
Deathの体験が必要ということで、121人の重態の子供たちの誰も、いわゆるNear
Death Experienceは体験しなかった。
そして、臨死体験者はそれぞれがユニークでしかも共通性のある体験をしたのであった。
1986年にDr.
Morseは彼の研究結果を医学雑誌に発表した。反応はあったが、否定も強く、まさにPublish
& Perishの体験となった。Dr.
MorseのStanceは人々は、ほとんど病院で亡くなるのだから、Dyingのプロセスも病院で調べるべきだというものであったが、大方の意見はDeathに触れるのはタブーという感じで、だれも積極的に取り組もうとしなかった。
臨死体験者に共通するものは、大人であれ子供であれ(Dr.
Morseは子供の臨死体験研究で有名になったのであるが)、だれも大いなる光(Light)を体験することであった。太陽よりも明るく、しかも目を傷めない光、それに接するだけで愛情に包まれ、やさしく、あたたかく、大切に保護されたような、安心できるもの。これはどのDrugも麻酔も酸欠も生み出さないものであった。Light! たいていのものは脳のある部分のはたらきで説明が可能なのは確かであるが、脳では説明が不可能なもの、それがLIGHTであった。だれもが、NDEのFinal段階でLIGHTにであうのであるが、それは単なる光ではなく愛情に包まれた何ものかで、あるひとはその光の中から神の声を聞き、そしてまさに人間が変わったようになるのであった。
ひとつ印象的な話を紹介しておこう。7歳で自殺を図って、ほとんど成功しかけたが、生き返った女性の話で、彼女は不幸な家庭に育ち、信頼できるひともいず、たまりかねて自殺を実行したのであった。険しい丘の上からセメントでできたベンチに頭からぶつかって死のうと決心し、Sledに乗って、実行したのであった。うまくベンチに当たった途端、彼女は対外離脱の状態にあった。子供たちが彼女の体を囲み、調べたりしていたが、誰も彼女をヘルプしようとしなかった。彼女にはそれは驚きではなかった。そういう同情や愛情を期待できる町に住んでいるわけでないことを彼女はすでによく知っていた。彼女はどんどん上にのぼっていき、ビルの屋根をこえた。まだ上がってゆき、突然、傘のようなものに包まれた。そして彼女は輝かしい光の中に居た。その中から声が聞こえた。「おまえは間違いをした。おまえの命はおまえがあずかっているのではない。帰りなさい。」わたしは逆らった。「誰も私を気にしていない」。その応えはわたしに驚きであった。「そのとおり、このPlanetで誰もお前のことを気にしていない。おまえの両親も含めて。だから自分で自分の世話をしなければならないのだ。」
彼女はひどいけがをしていた。首の骨はおれ、いたるところめちゃめちゃに怪我をしていた。できれば、もう一度、坂を下って、今度は本当に死のうと思った。そう思った途端、彼女はまた傘につつまれ、対外離脱の状態にあった。暖かい愛のバブルにつつまれて、雪と氷がとけて、まわりは緑で、彼女はリンゴをもいで食べることができた。それは楽しく、喜ばしいことであった。冬と夏。彼女はVisionが見せてくれた意味を理解することができた。今の彼女の人生は厳しい冬といえるものだが、そのあとには明るく楽しい夏が来るのだとわかり、肉体に戻る決心をした。そのあとも大変であった。何ヶ月もComaの状態であった。対外離脱から肉体に戻ることがどんなに苦しいことであったことか。そして、彼女はChild
Abuseの犠牲者におわらないで、自己を主張するたくましい人間に成長してゆき、恵まれなかった家庭のかわりに、家庭愛を築くことに心がけ、結婚して三人の子供に恵まれた。自分を傷つけると、すべてのものが傷つく When
you hurt yourself, everything is hurt.
臨死体験でいきかえった人間はみなうまれかわったようになる。人生には意味があり、目的があり自分の任務がある。それを果たさねばならない。しかし、いつかはもとのこの大いなる愛に包まれた光の下にかえるのだ、という認識が、この地上での人生におおいなる励ましの力となる。
脳には右の耳のうえに位置するRight
Temporal LobeにSylvian
Fissureという部分があり、そこを刺激するとOut-of-Bodyを体験するという。Wilder
Penfieldが40年以上前に研究した書物の中にみつかった。NDEが起こる脳の領域はみつかったが、それが起きたときになにが起こっているのかはまだ何もわからない。臨死体験でなくて対外離脱体験をしたという人間を調査したが、だれも本当に対外離脱して自分の目で見たものを確認できなかった。一方、本当の臨死体験者は全員、本当の対外離脱を体験して、そとから目撃していることがわかった。
いっぱい紹介したい話がかかれているが、この辺で終わりにしよう。
これは、この本の紹介・私の感想ということで、このブログでの無断の一部内容紹介も許されるだろう。もし、正式にこの私のブログから本を作成する必要に迫られたら、出版社または著者に連絡して許可をもらわねばならないと思う。
例示された話は場合によっては涙が出てくるほどであった。どうも、世の中には小さい子供のころから、ひどい病気でくるしみ、そして死んでいく人がたくさん居るようだ。ほかのAfterlifeの話を読んでいても、若い人で事故死、殺人事件に出会う、病死、その他、苦しんで亡くなった人がたくさん居るようだ。そういう哀れな人たちも、死んでたのしい世界によみがえり、それを知った家族のものは心から慰められるようである。Death
& Dyingは今では病院でおこなわれ、あるときは誰も気がつかないで一人さびしく死ぬことになるようだ。著者Dr.
Melvin Morseはそういう病院のありかたにも疑問を投げかけ、またNDE研究のいろいろなアイデアも披露して、この本は小さいとはいえ、膨大な情報を秘めたといえる、すばらしい本であった。誰もが読んで、DeathとDyingに関心を持ち、今後の自分の人生、家族の人生を考えていく基本資料としてもらいたいとおもう内容であった。
Indeed、 Very Good!
Ballantine Books ISBN: 978-0-8041-0832-4 Paperback USA$7.99
「Closer to the Light」Melvin Morse, M.D. With
Paul Perry
Foreword by Raymond A. Moody、M.D.
村田茂太郎 2014年4月3日
「心霊現象の科学」をめぐってーその87Suzanne
Giesemann “The Priest and the Medium” を読む
これはVery
good! であった。それぞれ違った人生を歩いてきた二人の人間の伝記をSuzanne
Giesemann(スザンヌ・ギーゼマン)が書いたわけで、立派な内容を持った、すばらしい本であった。
この二人、一人はMedium、一人はもとJesuitのPriestでHarvard UniversityでEnglish LiteratureでPh.D.をとり、Georgetown
Universityで永らくProfessorをしていた人間である。
著者はそれぞれの人生を交互に描きながら、このSoul mateといえる出会いが、それぞれ50歳を超えて実現した過程を興味深く紹介している。最終的に結婚したときは、お互い60歳を超えていた。
Mediumの名前は Beatrice Anne
Gehman、ベアトリス・アン・ゲーマン。通常、Anne
Gehmanと呼び習わしていた。これなら聞いたことがあると思ったら、またもやアリゾナ大学Gary
Schwartz、Ph.D.の有名なAfterlife
ExperimentsにMediumとして招かれた一人であった。Anne
Gehmanも本物のMedium/Psychicである。
私はすでに、このAfterlife
Experimentsに招かれた5人のうち、George
Andersonについては「We
don’t die」という伝記的な本を誰かが書いたのを読んでいた。そのあと、John
Edwardの本を2冊読み、先日、Suzane
Northropの「Everything
happens for a reason」という本と「Séance」という本を読んだばかりで、そしてMediumとしてではなく、Sitterの一人として参加したDianne ArcangelのAfterlife Encountersも読みおわり、このブログですでに紹介した。
この本は直接にはアリゾナ大学での実験について触れていない。二人のそれぞれ違った人格がいかにしてSoul
Mateのように結びつくに至るかを追跡したものであり、それぞれの人物の人生がどのようなものであったか、を興味深く描き出したもので、伝記ものとしてもすぐれた本であり、著者の表現力に感心した。
著者はFormer
Navy CommanderそしてAn
Aid to the Chairman of the Joint Chiefs of Staff on 9/11であったとか。Coast GuardのLicenseをもったCaptainで46FeetのSloopで夫と大西洋や地中海を航海したベテラン・セーラーであり、その方面の著書も出版している由。
Anne
Gehmanの両親はMennonite(メンノナイト)というオランダ・ドイツ系プロテスタントの一種で、Simple,
Plainness簡素な生活をモットーに暮らしていた。大学のコースを終了しても終了のDegreeをもらう必要を認めず、Patentになるものをつくっても、別になにもしないで充分という家柄であった。
Anne
Gehmanは幼い時からサイキックの天分を示していた。5歳のときGrandfatherおじいさん が枕元に現れた。彼女はおじいさんが亡くなったことを知った。お母さんは夢だといって問題にしなかったが、朝になって、知らせが届いた。それではじめて両親は、彼女がSpiritと話ができるということを知った。
近所におばあさんがいて、彼女に対していつもにっこり挨拶を交わしていた。Anneが7歳のある日、そのおばあさんが、自分の居る家が火事になるとAnneに告げた。両親はそんなNegativeな考えを抱くのはよくないよと注意した。ある日、その家の前を通ったので、この家よ、燃えるのは、といったが、そんなことを言ってはいけないと注意しただけであった。彼女Anneも炎が家を包むのをVisionでとらえていたのだった。そして、しばらくして、本当にその家が燃えた。親切な彼女の両親は、焼け出された家の老夫婦ふたりを自分の家に仮住まいとして引き取った。そのとき、母親が、娘がおばあさんと話して家が燃えるとわかっていたらしいが、自分たちは彼女のImaginationだと思っていたというと、Imaginationじゃないよ、Emmaが言ったのだよと娘がいったので、ミセスのほうはおどろいて、自分たち夫婦二人だけですんでいるので、おかしいと思ってどんな感じの人だったとたずねると、Anneが描いた人物は、実はそのミセスのお母さんだとわかったが、お母さんはずっと昔に亡くなっていたのだった。
両親はAnneがサイキックな天分をもっているのだとわかり、それをGodからのSpecial Gifts だととらえて、彼女を異常な人間とは考えなかった。逆に貴重な天分を持った子供だと大切にした。そしてバイブルの1Corinthiansから引用して、いわゆるサイキックな能力を神々がみとめたものとして扱った。
この両親の反応を読むと、わたしは同じく有名なMedium George Andersonの場合と対比してしまう。Andersonの場合は両親が理解力に欠け、自分の子供を異常児だととらえ、精神分析医に相談したり、神経科や異常児を収容する保護施設にいれようとしたりということで、めちゃめちゃの扱いを受け、もう少しで精神病棟で一生隔離とかという状態になりそうにまでなった。George Andersonは現代のアメリカのMediumのなかでも、一番の大物といえる存在になったが、それまでが大変だったということである。彼の能力の一端はDianne
ArcangelのAfterlife
Encountersの紹介時に、既にすこし紹介した。本物のサイキック・Mediumである。彼がDianneから読み取った情報はすべて正しかったし、それだけでなく、Dianneの娘の結婚予定や妊娠・出産の苦労まで正確に予告することができた人物である。
Anne Gehmanの両親は、子供をたくさん(女の子だけでも6人、そして男の子たち)抱えて、小さな家に住んでいたが、それでも火事で燃えた近所の老夫妻をたすけたり、いろいろ目に見えて親切を実践する人であった。あるとき、彼らの家の畑からPotatoを盗んでいる二人組みをみつけた父親は、家にかえって息子たちをよびよせ、袋を持って畑にゆき、ふたりの人間にもってかえるように、一緒にPotatoを収穫しただけでなく、その晩はDinnerに招いて、家族みんなと一緒にささやかな食事をもった。感激したひとりは、そのあとすぐにChurchへ参加したりした。泥棒を罰しないだけでなく、余分に持って帰るように用意し、食事まで一緒にした・・・私はこれを読んでいて、昔、読み、また映画で見た有名なVictor
HugoのLes
Miserable レ・ミゼラブル “ああ無情” の中の一番大事な登場人物、Jean
Val jeanでなくて牧師のBishop
Murielを直ちに思い浮かべたほどである。ミュリエル司教!Bishop Murielは小説の最初の場目で出てくるだけだが、彼との出会いがJean
Val jeanをジャン・バルジャンにしたわけで、彼が居なければ小説が成り立たなかった、つまり小説構成のためには一番大事な人物のひとりであった。
ともかく、このAnneの両親の話を読んでいて、こころがさわやかになるようであった。
寛大な心を持った親に育てられ、サイキックな天分をGodのGifts贈り物 ととらえる親の元で育ったおかげで、Anne Gehmanは、はやくから霊界と話をできる人として、自覚しないでMedium霊媒 の仕事を無料奉仕ではじめていた。近所の人がうわさをきいて相談に来るのであった。
この“Priest & Medium” はこのBeatrice Anne
Gehmanの育ちを追跡する一方、最終的にAnneと結婚することになるGeorgetown
Universityの文学部教授Wayne
Adam Knoll Ph.D.の生い立ちも追跡する。Wayne KnollはJesuitsカトリック系の家庭に育った。幼い時から宗教的雰囲気に慣れ親しみ、Jesuitsの一員になることを最大の栄誉と考えていた。彼は成績優秀、しかし家が豊かではなかったので苦労しながら、希望のコースをすすみ、JesuitのPriestになることに将来を託した。ここにひとつ問題があった。JesuitのPriestとして最後まで貫徹するためには、独身を通さないといけないという戒律があった。Celibacyが基本で、そのため、Priestを希望する優秀な学生は多いのだが、最終的にはCelibacyのLifeを無理と考えて、途中でやめていく学生が多かった。彼の大学の指導教官であったPriestもJesuitの正式のPriestであることをやめて、愛する女性を見つけて、普通人の生活(?)にはいっていった。Wayne
Knollも結局、40代を過ぎてCelibacyの生活をあきらめ、ひとりで生活をはじめた。それまではJesuitsのメンバーとして、エリート集団の一員として、個人的生活などしたことがなかったので、はじめは大変だったが、なんとか大学教授をつづけながら、はたしてSoul
Mateに出会えるチャンスがあるのかしらといぶかりながら独身で60歳近くまで来てしまった。
Anne
Gehmanのほうは、一度、彼女を一方的にさらうようにして求婚、結婚と運んだ男が居て、二人の間に女の子が一人生まれたが、夫のほうはFinancial
AdviserとかInvestment
Bankerとかそういった関係の仕事をしていて、Anneは稼いだお金もすべて彼に任せていたため、おかしいと気づいたときには家まで抵当に入って破産状態であった。彼女はこのままではやっていけないと離婚を申請し、そのあとは一人で娘を育て上げ、一方、Spiritualistとして活躍をし、Mediumとしても既に有名になっていたので、あちこち講演してまわっていた。自分の家にもSittingの部屋を作り、Mediumとして世の中の役に立つようにこころがけていた。
そして、Wayne
Knoll Professorの持ち家の間借り人である女性が、縁となって、交際がはじまり、たちまち意気投合し、ふたりだけの心をこめた付き合いがはじまった。どちらも既に60歳を超えていた。
ひとりはSpiritualist、ひとりは厳格なカトリック神父の経験者。このふたりが宗教的にうまくやっていけるのかしらと思う人も出てくることを考慮したのか、最後に20ページほど著者が宗教関係について二人に質問した問答のやりとりというか、夫婦の反応が載っている。お互いに違いを認めながら、妥協はしないで、相互に寛大に、今の関係を維持し続けようという話である。
Professorは今のJesuits、Catholicのありかたでは、独身を覚悟してこのPriesthoodの道に入らなければならないので、希望者はどんどん減るばかりであり、いずれ、マネジメントも気がついて、結婚してもPriestをつづけられたり、女性でもPriestになれるようになるだろうと希望的観測をしている。独身の神父が一般の人々の身の上相談がうまくできるとは思わないというのが、結婚をして満足を見出しているWayne
Knoll Ph.D.の率直な感想である。
Spiritualistの信条は、死後の人間の存続ということであり、死者と生者との交信が可能だと確信しており、すでに科学的に証明されていると判断しているわけである。
最後にひとつだけAnne
Gehmanの体験談を述べておこう。この話は、どうやら亡くなったSitterの母親が霊界から手配したようで、まさに死んでも意識も性格もかわらないという証明のような話である。Brotherをさがしているという女性がまず急にアポを求めてきた。どこも開いていなかったが、突然、キャンセルがあり、その女性を受け入れた。そのあと、Sisterをさがしているという男性が、これは何ヶ月も前からアポを取っていて、わざわざNew
YorkからAnneとのアポのために飛んできたのであった。当日、女性は別の女性を連れてきて、彼女も相談にのってやってくれと頼んだ。彼女のすぐあとは男性がくるから、それがすむまで待っていてくれということになった。その女性Carolynの話では、子供の時にBrotherと別れてしまったということであった。Carolynがおわって外で待つということで、男Johnと入れ替わった。CarolynがSitterのときに彼女の母親のSpiritがあらわれ、赤いVictorian
HouseのVisionがあらわれていたが、Sitterが次の男性にかわれば、ふつうはまったく違うTune-inになるはずなのに、このCarolynのMotherとVictorian Houseのイメージが焼きついて離れない。これはおかしい、これでは、男性になにを言い出せばよいのかもわからないとためらっていたら、なくなったはずのBrother-in-lawがあらわれて、ともかく交信がはじまった。男性は何年もあっていないSisterを探すだけのためにNew Yorkからとんできたので、これが終わればもうフロリダとは関係ないとかといいだした。Anneは彼はまたフロリダにくるだろうと予想したときの彼の反応であった。そのとき、Anneは身の毛がよだつような印象を持った、そうだ、同じVictorian House, おなじMother、一方はBrotherをさがし、一方はSisterをさがしている、まさに、今、二人がこのAnneの家で再会することになったのだ。そして、すぐにAnneはSittingをやめ、庭に出ましょうといった。そうして、BrotherとSisterはMediumの家で落ち合ったのだった。これが成立するためには、男JohnのまえのアポがCancelになって、女性Carolynが換わって入る必要があり、それだけでは、彼女のSittingがおわって帰ってしまえば、もう見つけることは不可能だったかもしれない。その女性Carolynに友人の女性をとびこみでSitしてもらう必要があった。Anneは、CarolynとJohnの亡き母が、Johnの前のアポをCancelさせてCarolynをかわりに入れ、それだけでは、だめでCarolynが友人を連れてとびこみで、男の後にみてもらうというように手配した。男が終わった後でも、まだ女性Carolynが庭に居ることが必要であり、そういうところまで、亡きCarolynのMotherがやりとげて、二人の再会を完璧に仕上げたということであった。
Anne
Gehmanはそのサイキックの天分を生かして、頼まれば何でもヘルプしたので、警察もこまったことがあればAnneに相談し、Anneは石油探しまで手伝ったりした。
いろいろ面白い話が載っている。
一方、JesuitのWayneに関しては、Jesuitの生活ぶりがわかるような記述で、興味深い。わたしもいろいろ学ぶことがあった。
ということで、簡単な紹介を終わる。とても面白く、上手に二人の成長振りが描き出されていて、たいしたものだと思った。これは約1年前にアマゾンから購入したものであったが、タイトルでPriestがはいっていたため、読むのを遠慮していたが、やっと読む気になって、すぐに読了した。本当にすばらしい本であった。
ISBN 978-1-4019-2309-9 Hay
House, Inc.
Suzanne Giesemann 「The Priest and the
Medium」2009、約300ページ。
村田茂太郎 2014年4月8日
「心霊現象の科学」をめぐってーその88 あるMediumとの1時間
最近、わたしは友人・知人の何人かが物故したという知らせに接した。そのひとりの葬式に参加する前に、Mediumに接して、なにか情報をつかめるかしらと、まえから訪問したいと思っていたサイキックのStoreを直接訪問し、アポは無いけれどOn the
spotでMediumに会えるかとたずねたところ、OKとのことであったので、まず30分を買い取り、のちほどそれを1時間に変更した。30分ではなにもつかめないとわかったからであった。受付の話では、このMediumはあの世のSpirit霊たちと交信できるという話であった。それならば、ということで始まった。
このMediumはCrystal Pendulumをつかい、Stoneをつかった。やっているのを見ているだけでも興味深いものであった。わたしのラフな肖像を紙に左手で描き、その上にPendulumをあてて、頭がどうの、首がどうの、心臓がどうのと、いわば診断みたいなことをしていった。Pendulumが前後に動いたり、くるくると高速で回転したりするのをみながら、彼女はここがどうだと意見を言うのであった。
また、最初の30分は女性のSpiritばかりに接しているようなので、男性は出てこないのかと訊ねたら、Stoneをにぎるようにと言われ、わたしは自分で持ってきたStoneを探し出して、すこし握り、彼女に手渡した。彼女はいわばPsychometryでStoneにしみこんだ私のVibrationエネルギーから何かをCatchしようとしたようであった。わたしが男性の故人を考えていれば、それをベースに私の周りに集まった男性の霊をCatchしようということであったのだろう。
Mediumから得た情報はシンボル的なイメージで、わたしにはなかなか内容がつかめなかった。彼女がいろいろ感じ取ったものをいってくれるのだが、わたしにはよくわからない。衣装についてもぜんぜんわからない。本当にSpiritに接しているのかどうかもわからない。そのうち、イニシアルらしきAlphabetをふたつならべたので、そんなイニシアルの人間は知らないといったら、First
Nameを紙に書いてくれといい、書くと、なんと、彼女の言ったアルファベット二つがFirst
Nameのはじめとおわりに現れていた。そこで、Mediumは元気付き、Gardeningがすきだったらしいとか、私が日本訪問中に病院を訪問したことをとてもありがたく思っているとか、私をMy Good Friendといっているとか伝えてくれたので、私は彼のことだなと納得がゆき、Yes He was great person.
We were good friends. と私の感想をつたえたりした。
ある日付に意味があるようだとか、この数字に意味があるようだと、いろいろ伝えてくれるのだが、私が感じたことは、それぞれの人間の個人的生活に関しては、私は何も知らないということを確認したようなものであった。よほど公私両面にわたって親しく付き合っていない限り、なかなか見当がつかないということであった。
1年半ほど前の、はじめてのMediumとの電話でのやり取りの場合は、Mediumが得た印象で、本を振りかざして、これは何とかだといっているといわれれば、すぐに彼だなとわかり、外国旅行絵葉書をふっているといえば、すぐに見当がついたわけであった。今回も、このふたつのアルファベットではじめて、ああ彼のことだなとわかり、どうしているのかとMediumにきくと、Comaの状態のときと違って、若々しく元気になって、AfterlifeをHappyにすごしているという話で、まず、ほっとし、Comaのときに私が訪問したことを、その場でみなわかっていて、喜んでいたとか、感謝していたということで、あらためて、Comaの人には、ちゃんと意識があるように対応すること、ちゃんと話しかけることの重要性を確認したのであった。
彼のことに関しては、逝去の知らせの後、すぐにMediumにあいたいと思って、なかなか機会が無かったわけなので、やっとその希望がかなったというところであった。
最近、なくなった人のSpiritはまだReadyではなかったのか、あらわれなかったようだ。
いっぱいコンタクトしたいSpiritが居るのだが、Mediumの仕事はなかなか骨の折れる仕事であり、こちらが希望した霊が近づいてくるとは限らないので、今日は三人ほどのSpiritらしきものに接しただけで満足ということで、Sessionを終了した。
ある女性のSpiritに関しては、もしそれが本当なら、私を悩ませていたひとつの謎が解けたようなのであったが、それを確認することなど不可能なので、そういう可能性もあったなあと、ひとりでそのころのことを思い浮かべる始末である。しかし、今は彼女もやすらいでいるということで、本当にほっとした次第である。なにしろ、ある種の本では自殺した人はなかなか成仏できなくて、Earthboundで地上をさまよう場合が多いと書かれていることがあったから。
ある男性のSpiritはBabyを抱いているとか(わたしには何のことか誰のことかまったく見当がつかなかった)、ある女性のSpiritは頭が痛い(Brain Cancer?)とか、おなかが痛い(どこかの癌?)とか、いってくれるのだが、Cancerで亡くなったとわかっていても、どこのCancerだったのか知らなかったりして、はっきり誰と同定することもできず、日常的に親しくしていれば、また事後、電話で確認もできるのだが、そうでない場合は、正否の判断もつかめないわけであった。
わたしがともかく知りたかったことは、自殺したケース、Coma、Alzheimerなどで亡くなった人たちが、すでにいろいろなMediumの本で述べられているように、成仏して、元の健康な身体になり、天界から家族たちを見守っているかどうかということであったが、どうやら、そのとおりらしく、アルファベットの主は“My
wife”に“Love”のメッセージを送りたいといったようであった。ほかにGood-tidingsとかというような意味のことをいっているが、日本語でどういうのかわからないとMediumがいうので、わたしはまあ、吉報があるというようなことだろうと解釈した。
わたしはCalifornia Palm Springsに居るMediumが書いた自伝を読み、このMediumに接して、2-3時間のSessionを持ちたいと願っていたが、Palm
Springs までのドライブも大変だし、いろいろ面倒で、なかなか決心がつかなかったところ、InternetでこのSan Fernando Valley周辺でも、いっぱいサイキックのStoreがあり、それぞれMedium・Psychicを保持していて、セミナーやSéanceその他興味深そうな会合をもっているようなので、2箇所のStoreを訪問したわけであった。
最初に訪れたサイキックのStoreでは、1時間のMediumとのSessionをもったつもりであったが、あまり情報がえられないということで、30分で終わりにして、今度はPetsに関して別なサイキックのひとを紹介してもらい、わたしが心配している我が家の猫Eurekaの写真を見せて、診断してもらった。このサイキックは特別なTarotカードをつかい、あらわれたカードはすべてPositiveなものばかりで、今のところ猫の健康に異常はない、すぐに死ぬようなことはないということであった。彼女は私にHealing
Powerがあるから、抱いてやりWhite
Lightのイメージをうかべれば、きっとCatをProtectできるだろうとまで言った。
このつい最近の2AlphabetのMediumも、私に関して、わたしがサイキックであり、Healing
Powerをもっているといい、それを伸ばすようにMeditateすることをすすめてくれた。
ほとんど、病院やドクターを訪問しない私は、自分にそれなりのHealing
Powerがあるのはわかっているので、Yes, I know. といって確認しておいた。
すでにこのブログで何度も展開したMaurice
Barbanellは「Spiritualism」という本を書いた時点で、なんと3000回もSéanceに出席したと記していたが、わたしもこれからすこしまじめにMediumとSessionを持ちたいと思っている。
村田茂太郎 2014年4月18日
「心霊現象の科学」をめぐってーその89 「Paranormal」Raymond Moody, M.D.を読む
Raymond
Moodyといえば、言うまでもなくElizabeth
Kubla-Rossとならんで臨死体験に関する研究を発表して、世界中に、DeathとAfterlifeに関する関心を沸き起こした有名なドクター(Ph.D., M.D.保持)である。
それは1975年のことであった。「Life
after Life」と題されたDr. Moodyの“臨死体験”に関する研究の成果が発表され、“臨死体験Near-Death-Experience”という言葉が世界中に知れ渡った。
この本は世界的なベスト・セラーとなって、世の中にDeath死への関心を高めた著者がどのような経過で彼の関心がうまれたか、どのように展開していったか、自分の人生を振り返ってみた“自叙伝Autobiography”である。
PhilosophyのPh.D.とMedical Doctorの二つの学位をもつドクターで、大学教授、世界的なベストセラーを発表し、外から見ればすべてに恵まれているように見える彼の生活が、実はそれほど単純、ハッピーなものでなかったことを知って驚かされる。
最初のところで、彼は1990年ごろに自殺を決行したことに触れ、そういう人間が書いた本を読みたくなければ、読まないでくれと記している。
自殺の理由は、人生・生活への絶望からであったが、その大きなものはTyroid
Deficiency 甲状腺ホルモンの欠陥による身体異状が強度の精神的Depress状態を生み、意識の抑圧状態の中で、人生が絶望的になるという、いわば肉体上の苦悩が精神にまで影響をあたえたことが最大の理由のひとつであったが、ほかにベストセラーによる金の流入のコントロールをあやまって、人にまかせきりにしたため、だまされて、財政的に破局がもたらされたと記されていて、そういう物質的・精神的苦悩のなか、さらに、丁度、イラクのクウエート侵略がはじまろうとして、湾岸戦争への緊張が高まりつつある時点で、かれの新しい著書への関心よりも、政治的・軍事的関心が世間的また出版社的にも高まっていて、新著は売れそうになかったという状況であった。そして、そのTyroid甲状腺ホルモン異状という病名がわかるまでに、いろいろな医者・病院を経巡って、何十年もたってやっとある医者が簡単に見つけたという話で、そのあとは、それを意識しながら、それでも苦労して生きてきたということが記されている。
では、どうして死ななかったのか、自殺未遂に終わった理由は、彼が人生最後の段階での会話を共著者となっている、何年も一緒に製本に携わってきた出版社の友人に電話をかけて“やった!睡眠薬を飲んだ!”といって最後の会話を楽しんでいた。この共著者がたまたま電話にでたということが自殺未遂になったわけであろう。
大学の自分の研究室で鍵をかけて睡眠薬自殺を実行したわけであるが、まだその共著者・友人と電話で会話中にドアーがノックされ、合鍵を使って警察とEmergency
Serviceの一隊が侵入してきて、ドクターを縛り上げ、警察の一人が電話を交代して、どの睡眠薬をどれだけ呑んだのか、などを相手に報告して、救急病院に運ばれた。
この話は、最初に語られているが、自伝として年代をたどるなかで、1990年ごろの状況報告のなかで、もう一度語られている。この電話で会話中にEmergency部隊が研究室に侵入してきたという話で、どうなったのかの説明が不足しているので、私は自分で想像してみるのだが、この友人がMoody睡眠薬摂取の話を耳にして、電話でDr.
Moodyと会話を続けながら、ただちに彼の出版社の同僚または部下に、紙にメモを書いてEmergency部隊の出動を要請する指示を与えたのであろう。どこに居るかも告げていなかったのだが、もしかして、彼がみつかった大学研究室だけでなく、ほかにも心当たりのあるところへ緊急部隊を送ったのかもしれない。ともかく、この友人との人生最後の会話が彼の命を救った。
この自殺未遂の体験は、ひとつ確実に彼自身にとってためになるものであった。というのは、彼はまだ学生中から臨死体験の情報をさまざまな人から集めてきたのだが、自分で臨死体験をもったわけではなかった。この睡眠薬自殺未遂の朦朧とした意識不明の状態のなかで、彼はかれが何度も聞き取ったかたちの完全な臨死体験ほどではないけれど、それに近い体験を持つことができたのであった。
Dr.
Moodyは「Life
After Life」をあらわしたが、そのいわば患者たちの臨死体験報告がそのままAfterlifeの存在証明につながるとは思っていなかった。彼は哲学者として、そして科学者として、あくまでも科学的に自分に納得がいくところまで探求するつもりであったので、いつも彼の意見をたずねられたときに Proven
the survival of bodily death肉体がほろびてもあの世で命があるという証明 がなされたとは思わない、自分には Proves
the appearance that we survive after death つまり肉体が滅びても何かが生きつづけるように見えるということが証明されただけだと応えていたのであった。
彼はこの道Death探求で既に有名なDr. Elizabeth
Kubla-Rossとも直接会って話し合ったことがある。彼女は、彼女のDeath
bedの観察や、自身がサイキックであることからくる体験から、Near
death experienceはまさに“あの世”があり、人間は肉体がほろびても、魂は生き続けるという証明であるという信念を持つに至っていたが、彼自身はあくまでも探求者としてとどまっていた。
この自殺未遂のおかげで、ほかのひとが報告する話の内容を自分でも確認でき、ほかの体験(Past-life
Regression)なども手伝って、やはり人は死なないという結論に達したようである。
Elizabeth
Kubla-Rossは、人が死(病死)に直面したときにとる態度の変化をDeathbedで観察し、自分で考察して5つの段階をえらびだした。
Denial 拒否、Anger怒り、Bargaining取引、Depression意気消沈、Acceptance受領
の5段階を経るというわけである。そして、この最後のAcceptanceの段階を迎えるころに、どうやらAfterlifeのほうからお迎えがやってきて、Afterlifeの片鱗を垣間見ることができるようになり、ほとんどすべての人が、心安らかに次の次元に移行していくようである。
Dr.
Moodyは、臨死体験を体験したものだけが、おごそかな輝きを体験するだけでなく、死ぬ間際の患者と一緒に居るすべてのひとが、時に、この、この世のものと思われない荘厳な瞬間を体験するらしいと、自分も含めて経験したことから、Shared-Death
Experience 人が死ぬ間際の超自然的Paranormalな体験を、そのまわりにいる家族のものも体験するようだということに気がつき、その方面の研究に入っていったようである。
臨死体験の特徴を始めて整理してLife
After Lifeに現した後、世界的に有名になったわけであるが、誰もが、必ずDr.
Moodyの見解に賛成するというわけでなく、Talk
showのホストがいじわるをしたり、Fundamentalistといわれる原理主義者、狂信的なクリスチャンの信者が妨害をしたりということがおきたようである。
臨死体験の研究によると、人間誰でも、この臨死体験の特徴といわれた体外離脱体験、トンネル体験、荘厳な光との出合い、愛と慈悲と寛容にみたされたAfterlifeの発見、地球上のどの絶景よりもすばらしく、心和む景観などに接するようであり、また既に亡くなった家族や親戚友人などに再会し、それは人種・宗教に関係ないようであるということが、Fundamentalistには気に入らず、自分たち熱心な信者だけが救われるはずで、Dr.
Moodyのような発言はサタンの惑わしに違いないというわけである。アメリカのある州のある町には、このような狂信的な集団が強力な力を持ち、Darwinの進化論でさえ、教室で教えてはならないというところがあるほどで、恐ろしいことだと思う。宗教・信条に関係なく、平和を愛する民衆は、誰にも寛容で、平和共存を願うことを、私などは切に希望するが、この世界には違った考えを持つ人々の集団があるようである。ナチズムやスターリニズムは一時的なものではなく、ふつうの人間の中に簡単に醸成されるものであることを語っている。おそろしく、また、悲しい事実である。
講演のあと、Reincarnationについてどう思うかと訊ねられたDr.
Moodyは最初は否定的ともいえる反応をしていたが、あるとき知人で催眠術を治療に使って効果を挙げている心理学者にPast-life-regressionをしてもらったところ、なんと9Lives 9回別な人生を生きたような印象をもった。それも、Primitiveな、言語も何も持たない大昔の人間の間に生きていた記憶から、ローマ帝国時代に闘技場でライオンLionのえさにされて食べられる話など、かなりリアルに感じ取ったようである。
そして、彼の探究心は、1900年に出版されたNorthcote
Thomasの本“Crystal
Gazing”をある機縁で読むことになり、そこからScryingの世界に入ることになった。Oracles予言といえばギリシャが有名である。もっとも有名なオラクルは、プラトンPlatoが書いた「ソクラテスの弁明」に記された、デルフォイ神殿で発せられたという「ソクラテス以上の賢者は居ない」である。ギリシャ哲学を勉強し、Ph.D.を哲学でとったDr. Moodyはしたがって、Oraclesというものに深い関心があり、このCrystal
Gazingなども真剣に探求することになった。Psychomanteus(サイコ・マンテウス)が古代ギリシャ人のあるひとびとがOracles予言につかった方式であり、彼らは特別のCave洞窟を用意したようであるが、(彼は再婚の旅行先をギリシャにえらび、このPsychomanteus を自分で体験したようである。)Dr.
Moodyは自分のあたらしい家を改良して「Theater
of the Mind」という特別の部屋を作って、その探求を始めた。まず自分で取り組んである程度納得のいく結果を得てから、大学の自分のクラスの学生をVolunteerでつのって、実験し、なんらかの成果が上がるのを確かめて、被験者をふやしていった。宣伝はしていないのに、うわさは伝わって、海外からこの実験参加希望者があふれるほどになった。この彼の装置はひとり一日かかり、数多くこなせないので大変であるが、これからわかったことは、実験的にGhost的な人物を呼び出すことができ、場合によっては実験措置を操作して、科学的な研究も可能であろうというものであった。
彼は後ほど、この方法や鏡を使った方法などさまざまな方法を研究して「Reunions」(Visionary Encounters
with Departed Loved Ones)という本をあらわした。それは、別に特にサイキックでなくても、そしてMediumsのヘルプをあおがなくても、故人に会うことは可能だということを証明したものであるという。わたしはまだ自分で実験していないので確認はできないが、この本には被験者として参加したひとびとの事後報告なども載せられている。この自叙伝にも驚くような話が載せられている。
Dr.
MoodyのFatherは軍人でもアリ、Medical Doctorであった。父は頑固な無神論者で科学主義者であったので、なんにでも興味を抱き、自分でトライしてみようとした息子はずいぶん苦労したようである。
この「Theater
of the Mind」を自分の家に設けて、故人のGhostを呼び出す実験をしているときいた父親は、丁度息子の顔色も悪く、病気であるのは確かなので、救急車を呼んで病院に運び込んだ。なんと、それは普通の病院のEmergency入院ではなく、息子が、頭がおかしくなったらしいということで精神病院に入れてしまったのであった。あれやこれやの騒動のあと無事退院したわけであったが、彼はそういう父親を許せなかったようだ。父親が死の床についても、特に自分から見舞うということはしなくてSisterなどにまかせていた。Sisterなどの報告では、のちほど、死ぬ間際にお迎えが来たのを感じ、あの世があり、息子の言っていたことが正しかったと悟ったようであった。そして、今度は自分の番で、自分の妻が亡くなるときに、自分がお迎えにいったらしい。
最後にShared-Death
ExperienceがAfterlifeの証明につよい証拠を提供すると感じて、その探求に入っていく決意をしたようである。臨死体験はドラッグその他が招いたものだという説が絶えないが、この死の床の患者を見舞った近親者などが体験するShared-Death
ExperienceはドラッグをとっていないVisitorsが体験するということで、より客観的証拠といえるだろうというわけである。
この本は、私にとっては、ものすごく面白く、楽しく読めるものであった。やはり彼は哲学者であり科学者であると思う。
最後に、すでにこのブログでとりあげた(心霊現象の科学―その66)George
Ritchie、M.D.が、この彼が勉強していたUniversity
of Virginiaの医学部の教授をしていて、そのDr.
RitchieをたずねたMoodyにとって、その出会いは、彼Moodyが臨死体験に興味を持ち、深く探求していく原動力ともなるものであった。George
Ritchieの本「Return
from Tomorrow」の出版は、Moodyの「Life After Life」よりもあとのことであるが、Moodyは直接、その臨死体験の話を本人からきくことができたわけであった。これもやはり偶然というよりも「Everything
happens for a reason」ということであったろう。
「Paranormal」(My life in Pursuit
of the Afterlife)By Raymond Moody, M.D. & Paul Perry 2012年 P.247
ISBN: 978-0-08-204643-7
村田茂太郎 2014年4月25日
「心霊現象の科学」をめぐってーその90「Appointments
with Heaven」Dr.
Reggie Andersonを読む
読むと書いたが、実はまだ読み終わっていない。しかし、とてもすばらしい回想録なので、読み終わるのを待たないで書き始める次第である。(その後、読了。4月17日。)
本当にすばらしい本である。読んでいて心がさわやかになる。
Medical
Doctorであるが、彼は子供のころからサイキックであったようだ。
あるとき(1962年6月)TV Channel 13 The Popeye Show でPonyを幸運のひとに与えるという通知があった。こどもは誰でも葉書で応募できるわけである。彼は4歳で、7歳になる姉と2歳の弟が居た。三人がそれぞれ葉書に送ることになった。Post
Officeに母親と一緒に行くと、すでにたくさんの応募者が葉書をもちこんでいたらしい。彼Reginald=Reggieは、自分が当たるのはわかっているので、姉と妹に無駄なことはよせとアドバイスをした。しかし、もちろん、三人の子供が平等に応募したわけであった。
抽選の日になって、母親は、みんなをテレビの周りに呼び集めた。そのころのTVはChannelによってアンテナの向きをかえなければならないようなものもあったようで、父親のヘルプで、苦労してチャンネルがうつるようになると、丁度、Winnerを報告するところであった。そして、Winnerは?Alabama、PlantersvilleのReginald Anderson ということであった。彼Reggieが当たったのだ。彼にはすでに、そうなるのはわかっていた。Godから知らせがあったからというのである。母親は、彼Reggieはほかの子供よりも宗教心があるといっていた。ともかく、彼には夢でGodがPonyをあてると告げたという。そして、本当に、カメラ班とPonyがやってきた。Ponyをもらった彼は村でも評判になり、みんながPonyを見にやってきた。彼はもちろん、世話や手入れをみなしたが、村の子供たちを交替でPonyに乗せて、喜びも共有したのであった。
その彼が、Godへの信仰を失うような事件が1973年5月にGeorgiaでおきた。
8歳から14歳まで、彼は、夏はWatermelonスイカを運び出し、GeorgiaのAtlanta State Farmers
Marketで売りに出す仕事の手伝いをし、12歳ですでに販売をまかされるほどになっていた。その彼がおじのスイカのセールスを手伝っていたとなりのセクションで、母方の従兄弟たちが同じようにスイカを運び込んで売っていた。彼は彼らよりも10年とか19年、年下であったが、この従兄弟たちは立派な頼りになる人たちで、彼をヘルプしたり、一緒に遊んだり、一緒に運動比べをやったり、アイスクリームをごちそうしてくれたり、さらにはある種のモラル指導までやってくれた。 彼は、このFarmers
Marketでこの従兄弟たちと過ごせることで、それまでの人生で最高の幸せを感じていた。
1973年5月のある日、高校にいた彼を、同じ学校の教頭のような位置に居た父親が授業中の教室から息子を呼び出した。Bad
Newsだというのである。彼が、スイカ売りのFarmers
Marketで、あんなに楽しく一緒にすごした二人のいとこが殺されたという。二人だけではなかった。Donalsonville,
Georgiaで最悪といえる凶悪犯罪が発生し、Mobile
HomeにすんでいたAlday
Family全員6人が殺されたMassacreであった。
事件の全貌がやがて明らかになり、犯人たちはつかまった。Wikipediaなどでも、このアメリカ史上有名になった凶悪犯罪の明細が載せられている。
Marylandの監獄を脱出した三人組がその仲間の15歳になる弟をPick
upしてSeminole
Countyをドライブしていて、ガソリンがなくなってきているのに気がつき、丁度、そこを通ったときに見つけたMobile
HomeにPumpがあると思って近づいた。ガソリンがなかったので、留守宅を略奪しようと決めて中に入った。折悪しくAlday
Familyの父親と息子の一人がかえってきたので、脱獄囚にすぐにつかまり、別々の部屋につれていかれて処刑スタイルで頭をうたれて殺された。そのあとに帰ってきた息子もソファーで頭を撃たれてころされた。息子の一人の妻に当たる女性がかえってきたとき、彼らは彼女を捕まえてキチンでしばりあげた。そのあと、もう二人が帰ってきたとき、すでに処刑のすんだ部屋にいれて撃ち殺した。そのあと、若い女性を二人で強姦し、いったん、服を着せてクルマにのせて森にはいり、また強姦したあと、頭と背中を撃って殺した。合計6人が銃で撃ち殺され、女性は強姦され、皆殺しにされるというジョージア州最悪のひとつといわれる凶悪犯罪であった。
しかも、彼ReggieはこのAlday Familyは、みな敬虔なChristianであることを知っていた。彼を自分たちの弟のようにかわいがってくれた、まだ若い従兄弟たちがこのようにして死んでしまったことは彼にとっては大変なショックであった。
つかまった犯人たちのうち、主犯の男は何年か経ってから死刑を実行され、脱獄したほかの二人は終身刑、そして最後の若者は何年か服役して釈放された。
これは自叙伝であるが、この親族一同が凶悪犯罪の犠牲となった事件のせいで、一時、神への信仰をなくしたReggie (Reginald) Andersonが神への信仰をとりもどし、医者としての敬虔な生活のなかで、すばらしいSpiritualな体験をしていく話である。
これを読むと、医者という職業がいかに尊い、すばらしいものであるかを納得させられる。彼は医者として働きながら、臨死体験者にであったり、自分もSpiritualな体験をしたりするわけで、まさに村・町の医者として人々に奉仕する生活を徹底するという、いわばめぐまれた人生を送るわけである。
そして彼は大学で認めた恋人と結婚したいが、彼女のほうは熱心なクリスチャンでないと駄目といい、彼の家庭を訪問して。親は熱心なクリスチャンだが彼本人は神への信仰をある時点でなくしたと知る。彼はひとりでサマーキャンプにいったとき、非常にスピリチュアルな予言的な夢を見た。それは、リアルで、かつ明らかに地上のものでない光景を展開していた。それは、まさに臨死体験者が体験するような世界を彼は垣間見たのであった。そのとき、あの凶悪な殺人事件で殺された従兄弟たちが健康そうな、幸せそうなようすで彼の夢の世界に現れ、彼もそのなかでマスター(キリスト?)らしきものから予言を聞いたのだった。彼は彼が好む当女性と結婚し、子供を4人もうけるだろう、また彼は自分の職業を医者としてえらび成功するだろうといった予想である。
このSpiritualな夢のおかげで、彼はGodへの信仰を取り戻すが、まさかGodが自分に彼女と将来一緒になると告げたともいえないし、相変わらずストーカーのように彼女に付きまとい、交際を常に申し込んでいた。そのうち、彼女のほうも、どうやら彼のGod再発見の話は本当らしいということを信じるようになり、うわべだけではないと確信するようになって結婚にふみきった。この二人の関係はまさに予言されたように、4人の子供に恵まれ、医者としてりっぱに、みなから信頼されるようになり、何人もの人を助けながら成長していった。それは充実した結婚生活となった。
そして、死ぬ間際のひととつきあい、看病しながら、かれはまさにDr.
Raymond MoodyがShared-Death-Experienceと名づけた、死ぬ人を看取る人間が臨死体験に似た体験を持つということを自分で発見し、ますます、Godの愛を感じていくのであった。
彼の親しい友人の中にSpiritualな曲を作曲し歌ってアメリカ中に名の知れた人が居た。その息子と彼の娘の一人が結婚することになるが、この音楽家は中国の孤児をAdoptしていた。自分の実の子供たちのほかに、何人か養子にしていた。あるとき、9歳ぐらいになるこの養女が、好きな兄がクルマでやってきたのを見て道に飛び出し、兄のほうはSlowにドライブしていたが、道に飛び出した養女に気がつかず、気がついたときにはすでに轢いてしまっていた。養女が事故にあったときって彼もかけつけたが手遅れであった。みなショックであった。しかし、有名人である音楽家はそれを契機に中国に孤児を世話する施設をつくることを思いつき、そのなくなった養女の名前をつけた。資金は彼の悲劇の話を聞いてDonateする人が多く、おかげで、中国本土にそういう孤児養護施設のひとつを作ることが可能になった。
またReggie自身の孫も自殺したりした。それなりにいろいろ苦労をするが、みな、そのためにGodから離れるのではなく、逆にGodの愛を強く感じて、ますますSpiritualな人生を送るのであった。
まちがいなく、すばらしい本である。自伝であり、また医者の本来の役目を認識させるような啓蒙の書でもある。Spiritualな話に満ちているが、心が豊かになるような、楽しい展開である。彼もDr. Moody同様、死はおそれるものではなく、死と親しむことが本人だけでなく、周りの人間にもよい結果をもたらすことを、この本の中で展開したさまざまな例によって、確証しているといえる。
「Appointments
with Heaven」 By
Dr. Reggie Anderson With
Jennifer Schuchmann
ISBN: 978-1-4143-8045-2 約320ページ 2013年出版 Tyndale
House Publishers, Inc.
村田茂太郎 2014年5月1日
「心霊現象の科学」をめぐってーその91 「To
Heaven and Back」By
Mary C. Neal, M.D.を読む
著者はUCLAやUSCで医学を勉強してOrthopedic
Surgeon整形外科医になった医者である。Los
AngelesのUSCの病院につとめていたが、Los
Angelesで働くのはToo
Muchと判断し、やはり医者であるHusbandの合意の下、WyomingのJackson Hallにうつり、すばらしい自然環境に囲まれた中で、子供たちの親として、医者として、ワイフとして充実した生活をしていた。
Outdoor
Sportsも大好きで、特にKayakingを夫とともにエンジョイし、すばらしいKayaking
Riverを求めて海外にまで夫と一緒に、そしてKayak仲間とともに出かけたりしていた。そして、1999年、チリの南部に位置するLos
Rios付近でKayakをしていたときにAccidentに出遭い、小さな滝を降り下っていたときに、Kayakが滝の底で岩にはさまれて、そして上からの水圧で逃げ出せなくて、滝の底にながいあいだ沈んだままであった。水死したわけであった。
仲間が彼女の姿が見えないのに気がつき、ようやく滝つぼの底にKayakと彼女の赤いヘルメットをみつけたが、滝の流れがはげしくて、アクセスすることもむつかしかった。
結局、彼女は救われ蘇生したので、ここには何かParanormalな超常現象がおきていたとしか思えない。Dr.
Nealのいうところでは、彼女は蘇生寸前まで、いわば天国にいたので、彼女の叙述は、あとで仲間の救助隊からきいた話を記しているわけである。仲間は、深く速い流れのために水底にみえているKayakをつかんで引き上げることが不可能な状況であったが、突然、流れの中ほどにドライな岩があらわれ、それを利用して、Kayakを底から引っ張り出すことが可能になった。そのあと、彼女は流れにまきこまれて見えなくなるところであったが、またもや目立つヘルメットなどで水底の彼女がみつかり、ようやく引き上げられ、蘇生作業がはじまった。どうせ生き返ってもVegetableになるにちがいないからとはじめから否定的な人間も居たが、彼らの友人が危機的な状態なのだからと、何人かはCPR(Cardiopulmonary
Resuscitation)蘇生作業にかかるかたわら、熱心にお祈りをささげた!
本来、何十分も水の底に居れば、当然、水死しているはずであるが、彼女は何度目かの蘇生作業で反応し始め、スムースにはいかなかったが、最後的には呼吸をするところまでこぎつけた。あとは救急病院に運ばなければならないが、深い山中の谷川であり、自分で動けない彼女をKayakにつんで、森の中を運びぬけねばならなかった。しかし、これも奇跡的にスムースに運び(突然、どこからとなくチリの男たちがあらわれて、無言でKayak運びを手伝った!)、最終的には病院にたどりついた。荷物を残して救援作業をおこなったメンバーの何人かは同じ道を元に戻ろうとしたが、来たときと違って、森は茂っていて、歩くのも大変であった。どうなっているのか? また、あとで、Kayak運びを手伝ってくれた男たちに礼をいおうと調べ、探したが、そのへんの村の人間に訊ねても、だれもそんな風采の男たちを見かけたことも無かった。
彼女がJackson
Hallにかえって、そのあと、また病院で働くようになったとき、以前彼女が面倒を見たことがあるが、結局亡くなった男のWidowが彼女に会いに来て、不思議なことをつげた。(彼女はそれを告げるために、何時間もドライブしてドクターを訪れたのであった。)亡き夫がDr.
Nealの守護霊の様になって、彼女をヘルプしようとしていたという話で、なんと、そのWidowは彼女がチリの森の中でKayak事故に遭ったことまで知っていた。亡き夫がDr. Nealにつきそって彼女を守りつづけたということらしい。そういえば、突然、川の中にドライな岩があらわれたこと、うっそうとした森林を比較的容易に通り抜けできたことなど、あとでそれらの不思議な話を仲間からきいた彼女には思い当たることであった。誰もがそのとき超自然の能力が働いているのを感じていたのだ。彼女のRescue作業全体がMiracleであった。この救助にかかわったメンバーの誰もが、救助作業全体がMiracleだと思ったとのことであった。
この彼女の、事故からの救済も興味深い話であるが、彼女自身は蘇生するまでは、どこにいたのか。Out-of-Bodyの状態になって、死ぬ苦しみも何も感じていなかった。
彼女のSoulが水底のKayakから抜け出して、水面にでると、15から20のグループSoulにであった。そして、彼女を歓迎した。彼らはWelcomeを行うCommitteeのメンバーのようなものであった。彼女はそのそれぞれのSoulのIDをできなかったが、まちがいなく自分の知っていたSoulに違いなかった。そして彼女は彼らが彼女を案内するために、そしてProtectするために送られたにちがいないと感じた。彼らの姿かたちは雲塊のようで、ぼんやりしていたが、彼女はすべてを感じ取ることができた。彼女は話さなかったが、たやすく理解することができた。彼らは彼女の到着をとても喜んでいるようだった。彼女は言葉で言い表せない幸せを感じていた。彼女は迎えてくれたSoulたちと移動していた。彼女は、自分はGodのもとへゆくのだと感じ幸せであった。
Soulたちと行動をともにしながら川のほとりをふりかえってみた。するとKayak友達が絶望的に悲しみ嘆いているのを見た。彼らは彼女の名前を呼び、息をしてくれと頼んでいるのだった。彼女は彼らを悲しませたくはなかった。そこでSoulたちにちょっとまってくれと頼み、自分の身体に戻り、横たわり、ひとつ呼吸をした。これで充分だろうと考えてSoulたちのところにもどり、天国への道をたどった。そして巨大な、想像を絶する、みごとなHallにやってきた。それは地上の言葉では言い表せられないようなものであった。そこからは純粋で、完璧で、まったき無条件の愛Unconditional
Loveがしみでているようであった。これが誰もがとおらなければならないGateに違いないと彼女は思った。
彼女がこのGateをくぐるのに目立った障害があった。それはKayakの仲間、友人たちが彼女を蘇生させようと、帰ってきてくれ、息をしてくれと彼女に頼んでいる姿をみるたびに、彼女は自分の身体にもどらなければならないと感じるのであった。そして、しまいには、彼らの努力や思いを理解しながら、彼らが、自分が今すばらしい世界に入ろうとしているのを知らないで、生き返らせようとしているのに対してイライラしはじめたほどであった。
とうとうHallの入り口に達し、SpiritたちはHallのなかに入っていった。そのとき、悲しみや嘆きがSpiritたちに伝わったのか、Gateを入る前に彼らはまだ彼女がHallに入る時期ではないと説明した。彼女はまだ自分の地上での仕事・役目を果たしていない、いっぱいすることが残っている、肉体に戻らなければならないと彼女に告げた。彼女はそれに対してProtestしたが、生き返らなければならないいくつかの理由をあげ、またもっと詳しい情報もそのうち知らせるだろうと告げられた。また別れることを悲しんでから、彼らは彼女を川のふちまで導いた。彼女は自分の身体にすわり、彼らをうらやましそうに見つめたあと、自分の肉体に合流した。
目を開けると、自分を見つめる顔があり、彼らの安堵と興奮のひびきを感じた。蘇生してから、無事、ワイオミングに帰り着くまでも大変であったが、ミラクルの連続で、彼女は生き返り、最終的には医者として働き続けられるまでに回復したのであった。
彼女はそれまでも、なにか苦労に面すると、Godの助けを呼び、Godはそれにこたえて彼女を助けることが多かった。したがって、科学の知識を身につけた医者であるが、子供のころからとてもSpiritualな人生を送ってきた。この事故にあい、奇跡があらわれたのを確認して、彼女のGodへの信仰は一層強まった。
彼女には4人の子供が居り、その一人、長男は20歳になる前に事故で亡くなるという悲しみを体験する。そのほか、もろもろの出来事が語られている。
愛する親族のひとりが亡くなったとき、その24時間まえまでBarrenで一度も花を咲かせたことがなかったBradford
Pear Treeが一挙に満開の花をつけたという話。
息子が車の事故で亡くなった現場に咲いていた、きれいな赤いAlpine
Roseが、それまで自分の家の周りに見たこともなかったのに、Main州でのMemorial Serviceから帰ると、このAlpine Roseが一面に咲き誇っていた。それを見て、彼女は息子のSpiritは大丈夫だよとメッセージを送っているのを感じるのだった。
ここでも、祈りの力が、彼女をあの世へのTransitionから救ったようである。彼女には夫と彼女を頼っている子供たちがおり、まだまだ医者としての仕事もあって、まだこの地上でやるべき仕事がのこされていたのである。祈りは天界に通じるということかもしれない。
「To
Heaven and Back」 Mary
C. Neal, M.D. 2011年 220ページ
ISBN: 978-0-307-73171-5
村田茂太郎 2014年5月29日
「心霊現象の科学」をめぐってーその92 「90Minutes
in Heaven」Don
Piperを読む
この本は「臨死体験」の本の中でも有名な本らしく、New
York Times Bestsellerで、6Million Copiesが 売れたと本のカバーに書かれている。別な本を読んでいて、この本の名前が出てきて、部分的に引用されているのを見た。
彼の場合は、クルマでドライブ中に、TexasのTrinity Riverの橋にかかるまえに、対向車である大型の18Wheeler Truckが道路を越えて彼のクルマにぶつかってきて、ほとんど押しつぶすかたちで彼のクルマを破壊した。相手の車はテキサスの囚人が運転していて、看守の依頼で食料をとりにゆく途中とかで、うしろから保護・看視のクルマがついてきていた。
目撃者はおり、ほかの車もトラブルに巻き込まれたが、一応、彼のクルマ以外は無事に済んだといえたが、彼の場合はクルマも彼の身体もめちゃめちゃで、かけつけた警察のメンバーも緊急隊も彼をDeadと判断した。(彼はそのとき、苦痛も感じずに、いきなり天国に到着した。)
彼はクリスチャンの牧師で、会議に参加した帰りの出来事であった。
事故にあったのがクリスチャンの同僚とも言える人間だとは知らずに、先に会場を出てドライブしたが、コーヒーを一杯と、寄り道をしていた牧師の男が事故に気がついて現場に近づいた。彼には、どこかでささやくものがあった。車の中の事故にあった人間のためにお祈りをしろとGodが何度もささやいた。PoliceもEmergency救助隊のメンバーも、この男が近づくと、もうすでに死んでいるから、祈っても役に立たない、とてもひどい現場だから見ないほうがよいだろうと何度もアドバイスをした。しかし、男はGodの声がPray祈れとささやくので、ひどい惨状の車に近づき、苦労してDeadといわれているBodyにアクセスした。
すでにこのひどい状態で大分時間が経っていて、顔も頭もあらゆるところから出血していて、脈拍もなく、EMT(Emergency Medical
Technician)はこの男はDeadと宣言していた。しかし、この男・牧師であるDickにGodは何度も祈れとささやいた。彼はこの車の中のおとこが誰か、Believer(神を信じる人か)か知らなかったが、ともかく、彼の内部で祈れとささやくものがあり、彼はこの死んだように見える男がInternal
Injuries(内部の損傷)から無事であるようにと祈り、そのうち自分でも感情的に興奮して歌を歌い始めた。彼も男の脈拍をしらべて死んでいるのを確かめた上で、祈り始め、歌いだしたのであった。
そのとき、彼はDead
manが歌いだすのを感じ、彼が生きているのを知った。あわててクルマからとび出し、“生きているぞ!”と叫んだ。しかし、Paramedicは容易に信じようとしなかった。われわれはProfessionalだ、人間が死んでいるかどうかは見ればわかる、あの男は死んでいると主張して何もしようとしなかった。そのうちに何台も救急車がかけつけてきた。しかし、死んでいるということで、去っていく車が多かった。Paramedicは死んでいると決めて、Dickの叫びを無視しようとした。Dickは自分はこの橋の上に横たわる、彼をもういちど確かめなければ、あなたは自分を轢いてMoveしなければならないだろうと叫んだので、最終的に、素人を相手にしていたのではどうしようもないという感じに、車に向かい、男の腕に触ったとき、さすがのParamedicも男が生きているのを信じないわけにゆかなかった。急遽、救助作業が開始した。
こうして彼は助け出されたが、すでに死んだと宣言されてから90分以上経っていた。病院に運ばれても、結局は助からないだろうと誰もが思っていた。ここで、また別の親友の牧師Davidがお祈りをささげただけでなく、彼の教会だけでなく、全世界の教会に対して彼のためにお祈りをささげるように働きかけた。それは不眠の祈りであり、祈っている本人もこれほど真剣に祈ったことはないと感じたほど、熱心に祈り、その効果があったのか、もう助からないと思われていた病状から抜け出したことがわかった。
肉体的Damageは大きく、彼は病院で寝たきりの生活を105日、家にもどって13ヶ月続けねばならなかった。そして、30回を越える外科手術を受けねばならなかった。しかし、Dickの最初の祈りが功を奏して、まさにミラクルとしか言いようがないが、脳も内臓もまったく損傷は無かった。だれも信じられないほどであった。
使い物にならない足を切るかどうかということで、たまたまその病院にその筋の専門家が居て、切り捨てないで、Ilizarov
Bone Growth Deviceを施すことになった。これは、大変な苦痛を24時間伴う、欠けた骨の増殖を補助する装置で、シベリアのDr.
Ilizarovが工夫したものであった。彼は羊で実験し、欠けた骨や短い骨を伸ばせるかトライしたのであった。毎日、誰かがやってきてネジをTurnしなければならず、病院では看護婦が、家にもどってからは彼のワイフがそれを手伝った。一時、彼の左足には30のHoleがあけられ、そとからも見える状態であった。これは痛みがひどい、時間のかかる、骨をのばす療法・技術であったが、確かに効果はあり、Don
PiperはHideously
Wonderful“身の毛のよだつように、すばらしい”発明と書いている。
これを施していると体験者は外部からでもわかるので、Don
Piperは自分の苦しんだ体験から、同じような苦しみを味わっている人間を見ると、声をかけ、確かに効果があるから頑張るようにといいつづけたのであった。ドクターたち自身、この装置を人間にトライするのははじめてと思えるほどで、だれも気休めの言葉も吐けず、I
don’t knowをくりかえすばかりなので、患者の中にはかえって絶望的になるひともでてきて、そこでもDon
Piperの牧師としての、そしてこの苦痛に満ちたIlizarovの体験者としての知恵を生かして、同じ仲間を元気付けることができたのであった。
Don
Piperには、こんな死んだほうがラクで、すばらしい世界が待っているということはわかっているので、なぜ、自分が死なずに生かされて。こんな苦悩を体験しなければならないのかわからず、いつもGodに文句をいいたいくらいであった。しかし、同じIlizarovを体験して苦しんでいる何人かを見て元気付けることができ、かれの残された仕事のいくつかが、そういうことであったのかと悟ったのであった。
そして彼の最大の課題が、自分のHeaven体験を公に発表するかどうかということであった。彼には、誰も彼の話を信じないで、あの男は気が狂ったと思われるだろうという不安がやどっていて、まだ誰にも話していなかった。
事故から2年経って、はじめて、親友である牧師、彼のために全世界に祈りを呼びかけて徹夜で祈ってくれた牧師Davidが今回もその橋渡しをすることになった。Donはまだ彼のワイフにも自分の天国体験を話していなかった。親友の牧師DavidがはじめてDonの天国体験談をきき、これは全世界に知らせる価値があると思ったが、DonのNegativeな気持ちを変えるのは容易でなかった。DonはこれはPersonalな体験であり、またキチガイだと思われるということで、公表する気はなかった。しかし、親友Davidは、みなに分かち合わないで、どうして自分だけHeavenを体験したと思うのかと訊ねた。Davidは何度も、ひどい体験をして天国を訪れたDonが、なぜ痛みのひどい、残酷な体験をしてまで生き返らねばならなかったのかを問い、それはPublicに天国について公表するのが彼の義務だからだと説得し、だれも彼を精神異常だと思わない証拠に、まず二人だけでいいから、その話をしてみるように、そしてもしその二人がDonがキチガイだと思うようなら、もう二度と公表しないでよいといったので、それなら、自分の知っている、秘密が守れるような友人に話してみようということになった。
そして、事実、Donの話をすこし聞いただけで、もっと知りたいと催促し、誰も妄想だと思わなかっただけでなく、David同様、これはPublicに発表しなければならない、あなたの体験はあなただけのものではない、みんなのもののはずだというのであった。そこで彼は話の輪を広げ、たまたま彼は教会の牧師であったので、まず教会で話、たちまち有名になって、ラジオやTVにも講演会にも呼ばれるようになった。そして、とうとう自分の体験を本に表すことができた。それは、予想にたがわず、何百万部が売れるベストセラーとなった。
では、彼Don
Piperは天国で何を見たのか?実は本の第二章で“My
time in Heaven”として、そして第三章で”Heavenly Music”でその音楽が語られている。
彼の場合は有名なトンネルをくぐらないで、いきなり光の下に包まれている自分を発見したのであった。声も聞かず、身体がはこばれるのも感じず、ともかく、説明不可能な大いなる光の下に居るのであった。
喜びが彼をつつんだ。よくみると大勢の人がまわりに居た。彼らは神々しいGateの前にあつまっていた。彼らは私のところに駆け寄ってきた。わたしはイエスをみなかったが、私に駆け寄ってくる人は、みなすでに亡くなった人だということはわかった。でも私には彼らの存在が自然に感じられた。誰もが私に駆け寄り、笑いかけ、叫び、神をたたえていた。誰もそうだといわなかったが、私は彼らが天界のWelcome
Committeeのメンバーなのだと感じた。
まず気がついたのは子供のころから親しんだおじいさんであった。彼はDonnieと呼びかけ、抱擁してくれた。そのほか、幼友達で、19歳のときに車の事故で亡くなった友人がむかえてくれた。彼の死は、その時点までのDonにとって最大のショックであった。おじいさんが現れたり、古い友達があらわけたり、どうなっているのだろうといぶかっていた。もちろん歓迎してくれているのはあきらかで、明るく楽しいムードがみちあふれていたが。自分の知っていた、たくさんの人がみな喜んで迎え入れてくれた。Great
grandfatherも見かけたし、歓迎してくれた。また高校時代の友達で、Lakeで溺れ死んだ旧友もあらわれた。そして、彼をJesus
Christに導いてくれた二人の教師を見つけた。誰もが彼を歓迎して抱擁し話しかけ、笑い、Godをたたえていた。この歓迎が無限に続くように感じ、しかも、ぜんぜん疲れを感じさせなかった。
誰もが彼の訪問・到着を喜び、歓迎し、興奮していた。そして彼は自分の知っている限りでは、背骨のまがった老婆という感じのGreat
grandmotherがわかわかしく、健康そうな様子で彼を歓迎してくれるのを見た。ここでは、時間も年も関係なかった。彼が最後に見た状態で、しかし健康体であらわれたのだった。そして、そこでは言葉は必要でなく、完璧な愛が満ち満ちていた。そうして、すべてが神々しい輝きで満たされていくのだった。彼が歩を進めると輝きは一層増し、しかも目を傷めることは無かった。
そうしてMusicが聞こえてきた。どこから音が流れ出しているのかわからなかったが、想像を絶するような絶妙な音楽がひびきわたり、身体の隅々まで浸透してゆくようだった。それはGodを讃える音楽であった。誰かがHallelujahとかPraiseとかGlory to Godと叫んでいるようであった。それをしたのがAngelなのか誰なのかわからなかった。たくさんの音楽が一度に鳴り響いているように感じながら、彼自身はそれぞれの曲を聞き分けることができていた。Gateの前に立ちながら、すばらしい音楽に耳を傾けていたが、どれひとつとして悲しい音楽はなかった。
彼は自分がHomeに戻ったのを感じていた。彼には不安も心配もなにもなく、完全な中に居る自分を見出していた。彼はGodを見なかった。だがGodはそこに居るとわかっていた。もし彼がGodをみかけたら、もう二度と地上に戻りたいとは思わないだろうとはわかっていた。そして彼はGateの向こう側をのぞきみしながら、天国の恩恵と喜びを感じ続けていた。
また動き出し、彼らはGateの前に居た。Gateに近づくにつれ、すべてがまばゆいばかりに輝いていた。友人・親戚、彼の前に居たすべての人がついてくるようにと誘っていた。彼は天国に居て、Gateをくぐろうとしていた。そのとき、音楽がただ流れてGodを讃えているだけでなく、彼自身がそこコーラスの一員となって歌い始めていた。
すると突然、天国のGateに着いたように、今度は天国を離れていた。
ここで最初に紹介したシーンにうつる。EMTがDeadと告げたにもかかわらず、一人の牧師Dickが同僚の事故とは知らずにGodのささやきを真剣に受け止め、EMTの意見を無視して、クルマに近寄り、Bodyにさわりながら祈りをささげ、そのうちに自分でも真剣さに興奮して歌を歌い始めていたのであった。一方、Don
Piperは天国のGateの前で、美しい歌をききながら、いつしか自分も歌を歌い始めていたのであった。それを聞きとめたことが彼Don
Piperの救済となっていくのであった。
事故から1年以上経って、彼Don
Piperはこの牧師Dickの教会で話をした。Dickが祈ってくれたから自分は今こうして生きて地上にあると彼は開口一番に述べた。
どうやら、まさにそういうことであったらしい。彼は天国のゲートの前に居て、入る寸前であった。入ればそれで本当に死に、子供や妻、友人とはそれまでであった。そこへ牧師Dickの歌う歌声が聞こえてきて、彼は我知らず歌い始めていた。そしてDon
Piperの生存が確認されることになったのである。
つい最近、Santa
BarbaraでひどいShooting事件が発生し、何人かの若者が殺された。UC Santa Barbaraの学生であったらしく、カリフォルニア大学のあちこちで蝋燭をともすVigilが集われた。祈り、灯明、線香、IncenseなどどれもSpiritualに効果があるようである。あの世でさまようSpiritたちにも、こうした祈りや灯明は迷っている魂の天国への道標となるようであり、ばかげた行事と笑うことはできない。
「90Minutes
in Heaven」(A
True Story of Death and Life) Don Piper With Cecil Murphey 206ページ 2004年 ISBN: 978-0-8007-5949-0
村田茂太郎 2014年5月29日
「心霊現象の科学」をめぐってーその93 Dolores
Cannon その1 「A
soul remembers HIROSHIMA」を読む 1/2
広島・長崎と原子爆弾については、さまざまな本でその悲惨な実態が紹介されているが、すべてそれらは生き残った証人が書きとめたもの、またはそれらを基にして小説空間を作り出したものである。もっとも有名な本のひとつは原民喜の「夏の花」であり、井伏鱒二の名作「黒い雨」である。「黒い雨」は、新型爆弾の被害者となったひとの生の談話や記録をもとに、井伏鱒二がみごとな文学作品として結晶化させたもので、これは未だに、あるいはますます、Nuclear
Disasterの可能性がこの地球上に残っている限り、地球上のすべてのひとに、核爆弾の恐ろしさを知ってもらうためにも、読み知ってもらいたいと思う名作中の名作である。
わたしは、この本が英訳されていなければ、大江健三郎を英訳したアメリカ人の友人に英訳をすすめようと思ったが、出版されて(昭和41年ごろ、1966年ごろ)50年近く経つ本で、アマゾンで英訳を調べてみると、「Black
Rain」という題名(まさに原題そのもの)で訳されているのを知り、また読者のReviewでもみな5段階評価の5の評価を得ているのを知った。どういう英訳の仕方をしているのか興味があるが、今はともかく英訳が既にあるということで満足である。
最近、わたしが再読した漫画「沈黙の艦隊」(かわぐち かいじ)32冊も、原子力潜水艦・艦長である主人公海江田四郎が核爆弾をいかにコントロールするかに苦心して到達した方法を展開しようとしたもので、息もつかせずに読ませる迫力があって、再読とはいいながら、全部読むのに2日かかった。その間、ほかの本は読まなかったのだが。1冊30分で16時間。でも、32冊で完了するまでに7年ほどかかったとか。これも核時代に生きる人間の悩みを原子力潜水艦のもつ潜在的能力を興味深く展開しながら、いかにこの地球に平和をもたらすかを考えたものであった。海中での潜水艦同士の戦闘の描写は興味津々というもので、まさに手に汗握るという内容であった。
ということで、これまでの原子爆弾被害者のはなしは、どれも皆しばらくは生きながらえた人が語ったものであったが、Dolores
Cannonのこの本は、広島原爆でほとんど1週間以内に亡くなった本人がアメリカ人としてReincarnate転生して、Regression
Hypnosisによって語りだしたものである。
これから何度かにわたってDolores
Cannonを紹介することになるので、本に紹介されている彼女の略歴を簡単に紹介しておこう。1931年セントルイス、ミズーリーに生まれ、1951年Navyの男性と結婚。1968年、このNavyの夫がアマチュア・Hypnotistとして活躍し始めた現場に居合わせて、はじめてHypnosisによるReincarnationに出会う。1979年以降、彼女は独自のRegression
Hypnosisを身につけ、それによって世界でもはじめてと思われるUFOや異星体との交信がはじまり、この領域で通常のReincarnationの展開とは異なった、驚くべき世界がくりひろげられることになる。その世界はConvoluted
Universeという題名で1冊500Page以上の本が4冊。その前段階を示すCustodianも500ページを超え、ほかにNostradamusとの交信が3冊、UFOと直接関係する本が3冊、Reincarnation関係が5-6冊という具合に展開し、今現在17冊出版されている。みな興味深く、考えさせられる本で、順番に紹介していくつもりである。まだ、5-6冊読み終わった段階だが。彼女の本のうち15冊は20ヶ国語に翻訳されているとのことだから、当然、日本でも翻訳紹介されているだろう。Bulgaria政府からはアメリカ人として、また外人としてはじめて“Orpheus
Award”という賞を受け、これはPsychic現象の研究に貢献した人にあたえられる最高の表彰であるとか。ほかにもたくさんの賞をうけているようだ。彼女は20歳で結婚したくらいで、大学も卒業していないと思われるから、当然、Ph.D.などもっていないはずであるが、彼女の書いたものは立派な内容で、論理的に展開し、探求も徹底していて、並の自称Ph.D.取得者、Professorよりも立派で、科学的で、信頼の置ける探求者となっている。ともかく、ものすごい内容である。わたしはConvoluted
Universeシリーズの序盤に当たるCustodianという556ページの本を2014年7月に読了したが、まったく驚くばかりの内容とその展開であった。おかげで、UFO関係に関して、何十冊の本を読むよりも収穫があった。わたしは1975年以来、UFO関係の本を何十冊とあつめていたが、もうほかの本を読む必要はないと思うほどの内容であった。
この「A
Soul Remembers HIROSHIMA」では、22歳で急にHiroshimaでの原爆被爆を思い出したアメリカ人女性のHypnosisでの展開となるが、すでに「我が家の犬猫 最近の様子 2014年10月16日」のブログの中で余談みたいに述べたDolores
Cannon紹介のなかに記述したWalk
in がまさにここで展開されている。
この女性は死んで生まれ、特別な手当てで蘇生したが、その辺の状況を調べようと、Katieに、彼女が生まれたときにもどりなさいと指示するつもりが、Kathryn
H.という名前の肉体に彼女のSoulが入ったときにもどりなさいと指示した。Doloresのつもりでは、死んだような状態で生まれたBabyに彼女のSoulが入り込んだときを指示したつもりであったが、この女性のSubconsciousは指示された言葉を正確にうけとめて、彼女の今のSoulがこの肉体に入り込んだときと解釈し、なんと21歳のとき、つまりこのDoloresのHypnosisを受ける6ヶ月前に、今のこの彼女の肉体に、今の彼女のSoulが入り込んだと言い出したのであった。
21歳のこの女性の肉体にやどったSoulは、あまりにもさまざまな問題を抱え込んでいて、もうどうしようもないところまできていた。まえのLivesで知り合っていたふたりのSoulは相談して、乗り換えることになったという話である。この方法は悩んだ人間が“自殺”を選ぶ方法よりははるかに好もしいということになる。あたらしく21歳の肉体に移り住んだSoulは、まえのSoulの持っていた情報をすべて保持しているので、周りの人間もSoulが入れ替わったなどとは知らず、ただ、急にはるかにPositiveな生き方になったなという変化を感じ取るだけであった。KatieのSoulによれば、これは何もめずらしいやりかたではなく、昔から実行されてきたという。つまり、Babyとして生まれ変わるのではなく、この人生に嫌気がさしたSoulが自殺しないうちに、おとなのSoulとしてSoulが交替するということであり、現状の肉体のまま、新しいSoulが“Walk in”するということであった。疲れたSoulは異次元で休み、次の機会を待つ。
この項 次回に続く。
村田茂太郎 2014年10月23日
「心霊現象の科学」をめぐってーその94 Dolores
Cannon その1 「A
soul remembers HIROSHIMA」を読む 2/3
Dolores
CannonがはじめてKathryn
Harris (Katie) (Anonymous仮名)に出遭ったのはサイキック現象に興味のあるひとがあつまったParty会場でであった。1983年。そのときKatieは22歳であった。Dolores
Cannonが本格的にRegression
HypnosisにOfficialに没入していったのは1979年であった。(自分でRegression
Hypnotistと名のる)。もちろん、彼女はそれまでに夫のHypnosisを受け継いで、すでに10年ほどHypnosisを実践した経験があった。そのあと、個人的にKatieと何度も会ってRegression
Hypnosisを行い、このKatieがまれにみるHypnosisの対象であることを発見していった。
DoloresはKatieがDeep Somnambulistic
Trance状態(深い夢遊病者的失神=催眠状態)に簡単に達することができる理想的な人間だということがわかり、その状態にすぐに入れるほうを自分でみつけだし、それを応用して、Katieから重要な情報を引き出すことができた。
そのひとつが、Katieが原爆で亡くなった男のReincarnationで、鮮明にその原爆被爆の状況をおぼえていたということ。ほかにDoloresは、彼女KatieのSoulが26にもなる転生Reincarnationを体験し、そのひとつに紀元30年前後、丁度イエスが生まれ、育ち、教育を受け、教祖として活躍し、処刑される時代を生きた男で、イエスとも関係があり、のちに1945年発見された“死海文書”(Dead
Sea Scrolls)といわれる歴史的な出来事・記録とも深い関係があることがわかった。死海文書はQumranで発見されたが、Katieがその時代を生きた男はEssenesと特に関係の深い人物であったことがわかり、そのKatieの記述を元に「Jesus and the
Essenes」という本をDoloresは仕上げることになったが、Katieはその情報提供の当事者であった。これによって原始キリスト教のうまれでたころの状況がより鮮明になったといえる。
死海文書はたまたま古文書が発見されたということではない。Essenesはキリスト・ユダヤ教の宗教法人のような共同体Essenes Libraryとして存在し、その保存意識の成果として、保存されるべくして保存され、それがたまたまCaveが見つかるように見つかったというだけであった。いわば、このKatieのRegression Hypnosisを基にして、Hiroshima と Essenesの重要な二つの書物が生まれたことになる。Dolores
CannonのEssenesに関する本は当時の状況を解明する貴重な文献となり、やがてはDoloresの本の影響を受けて、別な探求者が“The
Essenes”という本を発表していくことになる。原始キリスト教の世界が、つまりアウグスチヌスや二ケア会議の影響を受けてキリスト教がDogmatic権威主義的なCatholicに変質いく以前のイエスの姿が解明されていくことになる。(アウグスチヌスの影響と二ケア会議の影響がアルビジョワ十字軍異端派Cathars殲滅の悲劇にいたる話はすでにこのブログのどこかで記述した。)
すでに HIROSHIMA-その1 で述べたように、22歳でDoloresに会い、Regression
Hypnosisの理想的な対象であるとわかったKatieが、実はその半年前に“Walk-in”をしたNew soulであるとわかったことは、DoloresにとってもKatie本人にとっても、非常な驚きであった。そこで、New
soulであるKatieであるが、New KatieはOld Katieのうまれてからの記憶その他をすべて引き継いだことになっており、いわばImposter誰か身代わりが役を演じるということではなく、まさにKatieそのものであるが、New Katieは、Old Katieがもういろいろな状況に対応しきれず、死んでしまいたい、またはこのKatieの古い人生から撤退したと思っていたOld
Katieとは当然人格もちがってくるわけで、親たち周りの人間はある時期から見違えるような人間になったと感じることになる。
このWalk-inは突然になされるわけではなく、いわばTrialというか、事前にSoul同士で何度か相談しあい、ときどきSoulがKatieの身体にいれかわって、Soulの移行がうまくいくか確かめた上で、あるじきに完全にWalk-inが完成するようである。Katie自身はこのWalk-inの話をきいても信じられないほどであり、また自分自身、何の違いも感じていない。ただ親は見違えるような人間になったとわかったようだが、それも人間が成長した、大人になったと解釈したわけであった。
ということで、Dolores CannonがWalk-in半年後のNew Katieと出遭い、Regression
Hypnosisを実行したわけなので、Katie本体(Old Katie)の記憶は、いわば胎児の時期からの情報がNew
Katieに委譲されているとみてよいわけであると思うが、KatieがDoloresによって喚起した26の転生Reincarnationの記憶はNew KatieのSoulの転生の記憶であると判断してよいであろう。
Old
Katieの21歳までの記憶も興味深いものであるが、特に生誕時、死んで生まれたというところから、胎児はSoulがはいってはじめて人間として生きることができ、Soulなしでは死んでしまうということがわかる。そしてKatieの場合、Soulが、胎児が生まれてしばらくしてから体内に入って蘇生したということから、Stillborn死産のひとつの理由もあきらかになる。そして胎児の間に、生まれるべきSoulは、受胎2-3ヶ月で胎内に移るというよりは、何度も胎内を出たり入ったりして自由な状態を楽しんでいるらしいということ、それゆえ、Soulとして、胎内にいるときも、胎内から出て母体のまわりをうろついているときも、周りの状態や母親だけでなく父親の反応振りなど、すべて見て感じており、それが生まれてからの成長に影響を表すのはあきらかである。堕胎をしようと悩んだり計画したりしたことすべてが胎児のSoulにはわかっているわけだから。うまれてくる赤子のSoulは成熟した大人であることもあり、昔、John
Lockが考えたように白紙の状態で生まれてくれわけではなさそうだ。
21歳でKatieの身体に入り込んだSoulはOld Katieの記憶その他をすべて保持すると同時に、New
KatieのSoulつまりKatieにはいりこむSoulのすべてを保持していたわけで、いわばHiroshimaで原爆被爆して死んだ男の鮮明な記憶をそのまま引きずってOld
Katieの身体に入ったわけであった。したがって、このSoulにとっては、40年前の被爆体験ではなく、原爆で死んだSoulがはじめてOld Katie21歳の女性の身体に入り込んだということで、その記憶も消えることなく鮮やかに保たれていた。それが、TVでたまたま原爆の被爆体験者の女性の談話をきいているだけで、Emotionをともなった鮮烈な記憶体験がよみがえってきたということであった。逆に、なぜ22歳になってはじめて自分が原爆体験者の転生であると感じるようになったのか、なぜそれ以前でなかったのかということの証明にもなる。Walk-in したSoulが原爆を体験したSoulであって、Old KatieのSoulは原爆など知らないSoulであるということである。Katieは1960年にLos Angelesに生まれたアメリカ人である。父親の職業の影響でアメリカを転々として、それなりに苦労し、Texasには高校生のころしばらくすんでいた。
Katieの親はPentecostal Churchに属する熱心なChristianでReincarnationは信じないということで、KatieはDoloresに匿名を要求し、仮名KathrynあるいはKatieという名前で、すべてを処理することにした。
HiroshimaはそのKatieの回想録であり、EssenesもKatieの2000年前の回想録であるといえる。Hiroshimaの紹介のあと、Essenesを紹介するつもりである。
その3 につづく。
村田茂太郎 2014年11月6日
No 95
「心霊現象の科学」をめぐってーその96 Bob
Olson“Answers
about the Afterlife”を読む その1
2014年4月に出版された本で、240ページほど。大学では犯罪学を専攻した人らしいが、1997年に父親が肺がんで亡くなってからSpiritualな問題に関心を抱き始め、今ではLife
after Deathに関する領域の研究に入って15年。Internetその他で、自分の研究成果―Afterlifeに関して一般の人を教育することを主な仕事としているらしい。AfterlifeTV.comのHostを勤めているとか。いくつかのWeb siteでBest Psychic Mediums などを一般大衆に紹介もしているようである。
これはAfterlifeに関するいろいろな現象を上手にまとめた本で、一問一答式に、考えられる、一般の人が抱く疑問を列挙して、それに回答するかたちでAfterlifeの諸相を展開している。わたしもこれはコンサイスにまとめられたよい入門書だと判断し、まだ読了する前から、アマゾンにもう一冊オーダーした。誰にでもあげられるようにというつもりであるが、なにしろ英語の本なので、躊躇する。今年、以前の会社の同僚・先輩が急に亡くなり、慰めの言葉もなく、メモリアル・サービスの瞬間では、わたしのAfterlifeに関する知識を提供する時間もなかったので、用意したGuggenheimsの「Hello From Heaven」を差し上げるだけに終わった。この本はすでにこのブログでも紹介したように、ADC After Death
Communication を扱った本で、一般の人が何らかの形でSpiritがコンタクトしてきていると感じたケースを沢山集めて種類分けしたもので、とてもすばらしく、英語の読める人には原書で読んでもらえればと思った次第であった。日本語にも訳されているらしいが(「生きがいのメッセージ」)、抄訳で、Reviewによると大事な部分が抜けているということなので、やはり英語で読んでもらいたい本である。このほうも、さらに3冊ほど余分に買って、いつでも人にあげられるように準備はしてあるが、なにぶんにも英語なので、誰にでも、というわけに行かない。このGuggenheimの本は、一般の人が、亡き人からのコンタクトを感じたケースをあつめたもので、Mediumとかサイキックとか特別の能力を持った人でなく、普通の人でもこういう異常事態(愛する人が亡くなる)には何かを感じるということを証明したものでもある。ふるくは19世紀末のPhantasms
of Living とか Human
Personality and Survival of Bodily Deathなどという古典的名著で紹介されたりしているが、当時は科学界も保守的で、今ほど一般に親しまれる段階ではなかった。
わたしが読み出して一番気に入ったところは、最初の部分で、序文のあと、Page15にPart One-Big Pictures Answers とかで、この本を理解するのに役立つ基本情報をまとめて展開してある、その冒頭―What
is the Purpose of Life from the soul’s perspective? 魂の視点から見たLife人生の目的とは何か?と問い、人生の意味は何か、人生の目的とは何かと、誰もが問いかけるが、納得のいく回答を得られないまま人生を過ごしていくのが人間であるということを踏まえたうえで、彼Olsonは自分の回答を与えている。
彼によれば、Meaning
(or Purpose) of life is to have experiences。人生の意味とか目的とかはなにかと問われれば、それは「経験をすることだ」というのが回答だということになる。
わたしはこの答えを見て、なるほどと感心した。人間はどこから来てどこへ行くのかとか、何で生きているのか、人生の目的は何か、人生に意味はあるのか、などいろいろな疑問が、人類始まって以来人間の頭脳にわきあがってきて、幾多の賢者・哲学者・思想家、聖者が自分の考えを述べてきた。
最近のサイキック・サイエンス、心霊現象の科学の発展、展開は、どうやら生物は死んで無になるのではなく、肉体を持った存在から、違ったエネルギー次元の存在に移行するらしいという解釈が一般化してきている。DeathとかDeadとかはあいまいな表現で、Transition移行というのがそのエネルギー変化を表現するのにふさわしいといわれ始めている。
そして、無でなく、霊界に移行したときどのような経験するのかというのが既に過去にはTibetan
book of the Dead などで展開されたことであり、最近は各種のサイキック、Mediumが研究結果を発表している。(Afterlife
Interviews I & II という素晴らしい本があり、いずれこのブログで紹介するつもりである、Jeffrey
A. Marks)。
霊界Spiritsの世界、Soulの世界に移行すると、この地上の生命体との決定的な違いは肉体をもたないということである。 Spiritsの世界、霊界ではUnconditional
Loveとか慈愛に満ちたエネルギー世界が展開しているらしいが、肉体をもたないため、人間がこの地上で体験するさまざま苦悩、苦痛、悲哀、畏怖、期待、歓喜、快楽、憎悪、恐怖、などの人間的現象を体験することがほとんど不可能である。そして人間の魂はこうしたさまざまな人間的苦悩、悲哀、歓喜、恐怖などを体験する中で、人間的にめざましく成長していく。一度の人生ではすべてが味わえないので、また生まれ変わって、Reincarnation転生して、さらに学び続けるということをくりかえす。つまり、人間は苦痛であれ、歓喜であれ、悲哀であれ、すべて体験することによって成長していく。体験、経験!これが人生の目的だ というのが15年ほどAfterlifeを研究したBob Olsonの見出した結論であり、わたしもやはりそういうことかもしれないと思う。
そうすると、突然の死にであって体験する苦悩、悲哀もその自分の体験の一部であり、それによって自分のSoulが成長するということだとわかる。自殺に出遭って苦悩し、悲しむのも、いわば予定された学習過程であったということになる。自殺は自殺者よりも、あとに残されたものに苦痛を残し、そのことによって自殺したものの魂も自分の行った行為の生んだ結果に驚き、学んでゆくことになる。人生に無駄はない。すべては体験となり、魂の一部となって肉化されてゆく。これが人生だということかもしれない。
この本の中身の紹介は 次回に。村田茂太郎 2014年12月29日
「心霊現象の科学」をめぐってーその97 Cheryl
Booth「Johnny
Angel is my brother」を読む
この本を読み終わったのは、もう1年以上前のことである。読んだ印象として最後のページにVery
Goodと私は記している。副題は「A
Psychic Medium’s Journey」となっている。自伝である。
実は、私は手ごろで信頼できるMediumを一度訪れたいと考え、この本を読んだあと、彼女がCaliforniaのPalm Springs に棲んで、サイキックのセミナーをひらき、Mediumとして人々の相談にのっていることを知り、すこしお金をためて、Palm
Springsへ一泊の旅をして、2-3時間、Mediumとしてつきあってもらいたいと考えていたのであった。私の友人、知人、親戚、家族、クラス・メート、会社の同僚などで亡くなった人の数は30人を超え、その仲の何人かとは、もし可能なら連絡を持ちたいーGuggenheim流に言うとAfter Death
CommunicationをMedium経由直接もちたいと考えていたのであった。
丁度、2年ほど前、私はアメリカではMediumのメッカといわれるNew York州にあるLily Dale 市周辺(Buffaloから1時間ほど南に下ったFredoniaの、さらに南にある小さな町)で、Psychic、Mediumとして活躍している女性と1時間電話での相談をもったことがある。友人に調べてもらって、信頼できる人という基礎知識を持ってコンタクトしたわけで、1週間ほどして予定の時間になり、家の電話が鳴った。Mediumのすべてかどうかは確かでないが、わたしのブログで展開したように、ある種のMediumは電話で話しているだけで、直接会って話しているように、すべての情報をCatch伝達できるようで、彼女(Lily DaleのMedium)もそれができる人、ホンモノであった。(予定した時間にMediumと電話で話し合うと知った霊界のSpiritsは、多分、私の周りに集まってきていて、それを電話の向こうからMediumはCatchするのであろう。)しかし、なにぶんにも、私の英語はJapanese
Englishで、おまけに耳が悪く聞き取りが確かでない。彼女にわかってもらうのに、何度も言いなおさねばならず、私のほうも、彼女の言っていることがよくわからないことが多かった。そのため、1時間の相談とはいえ、実質、30分の内容であったに違いないと私は思った。したがって、電話でなく、直に会って、話し合う形であれば、もっと有効な展開ができるに違いないというのが、率直な感想で、私は従って、Palm
Springsにすんでいるというこの女性Medium Cheryl Boothに会いたいものだと思ったわけで、Palm
Springsまで2時間以上かけてドライブして1時間の相談ではもったいないので、2-3時間は会いたいものだと思っていたのであった。したがって、お金も何百ドルかが必要と思ったわけであるが、この彼女の自伝「Johnny
Angel is My Brother」と彼女のWeb
siteを調べた結果、もうすぐRetireするつもりだと書いてあったので、どうしようかと迷っている段階である。
そのうち、このLos
Angeles周辺でも沢山のサイキックがすんでおり、いろいろなWeb
SITEがあって、その気になれば一日かけてPalm
Springsまででかけなくてもいいかもしれないと思うようになった。費用も電話相談したひとよりは安いので、まあ、Trial
& errorで、何人かあたってみれば、そのうちホンモノに出会えるだろう、と考え、すでに2回トライして、3人の女性と話し合った。最後の女性はたしかにサイキックで、もう一度会いたいと思ったが、どこかへ移ったらしい。ほかのところで、今度はPast-life
Regression Hypnotistに相談してみたいと思い始めている昨今である。これも私の英語聞き取りの力と表現力が心配で、なかなか実行できないのだが、今は会いたいサイキックの名前もつかんだので、2015年中には実行し、このブログで結果を報告するつもりである。
話がCheryl
Boothの本に入らないで、Mediumを探していた話に入ってしまった。まあ、この本「Johnny
Angele is My Brother」を読んだ感想で、私も彼女が近くに居れば相談したいと思うほど私は彼女が気に入り、Mediumとして信用できるホンモノと思ったという話である。
このCheryl
Boothの本を読んで一番感動したのは、彼女の“弟思い”ということであった。この本に写真も収められているが、彼女の弟はSevere
Cerebral PalsyというHandicap(Retarded知恵遅れ) を負って生まれてきて、生涯歩くこともできず、話す言葉もほんのわずかだけであった。Cheryl
BoothはこのひどいHandicapを背負った弟を本当にかわいがり、Gifted
Childととらえて、彼女自身の成長のための師とみなすほどであった。
結局、私がほかの本も読んだあとの感想として、ある種の人々は生まれる前にHandicapped(Retardedの場合もあれば、事故・戦争などで車椅子になる場合もある)を意識し、希望して生まれてくるらしい。(これをSoulのPlanという。魂の成長のために自ら好んでそのような苦しい状態で生まれてくる。)(誰でも生まれる前に魂Soulが集まって相談し、自覚した上でうまれてくるということであるらしい。)Handicapped(Retarded知恵遅れ Down症のようなケースなど)のなかには非常な老成した賢者の魂を持ったものがいるという。Handicappedの状態でこの世に出現することによって、まわりのひとに、さまざまな教訓を引き起こすようである。Cheryl
Boothにとっては、このHandicapをもって生まれた弟は、純粋な魂を象徴するような存在であった。
すこし彼女の本から引用させてもらおう。Page59.
Many
years later, I came to believe that those who are born with such severe
challenges are very evolved beings, who not only come to work through any of their
own issues, but to set examples to others, to teach us patience and
understanding as we observe their courage
and consistent cheerfulness. 何年も経ってから、わたしはそのようなひどい挑戦的な兆候を持って生まれた人は非常にSoul魂が発達した人であると信じるようになった。彼らは自分の抱えた問題と取り組むだけでなく、ほかの人々にサンプルを示していることになる。私たちが彼らの勇気とやむことない朗らかさを観察することによって、私たちに忍耐と理解をおしえるというサンプルを示すことになる。
こなれた訳でなくて申し訳ない。(補いながらの意訳であった)。
ということで、私自身はこの彼女の本を読んでHandicapped People(特にRetarded知恵遅れの子といわれるケース)に目覚めたといえる。それまでは、Handicappedの人を見ると、こちらが苦しくなる感じで、まともに見ておれなかったが、今は、そうだ彼らは私たちを教育するために、そのような苦しみを背負って生まれてきたのだと見るようになった。世話をするほうは大変であるが、それもまたその人たちにとって貴重な教育となることはまちがいない。それはCherylがまさに感じたことであった。
この本には、弟の話以外で、サイキックな現象がいっぱい語られている。彼女が最初にSoulの接近を感じたのは有名な歌手で、若くして亡くなったKaren
Carpenterであり、またこれも有名なMarilyn
Monroe(実名であらわれたので、最初はモンローと気がつかなかったとか)であった。
私が特に面白いと思ったのは、ある動物ショウに招待されて、動物のLiving Soulにアクセスした話で、もちろん、本当のサイキックは動物のSoulにもアクセスできるのはほかのMediumも語っているとおりである。Page300には、今居るCatは実はDogがうまれかわったのだという話が記されている。猫を連れてショーに来ていた猫のOwnerが「子供のころ、学校から帰ってくると、2-3週間飼っていて、かわいがっていた犬を母親が勝手に処分してしまったのを知って、あなた(子供)が非常に悲しんだ」と猫が語っている。Owner「そうだ、そういうことがあった。しかし、なぜ猫がそんなことをあなたCherylに告げているのか。」 Cheryl「あなた(猫のOwner)には信じられないかもしれないが、犬が猫に転生Reincarnateしてうまれてきた、なぜなら、この猫が犬であったときに、あなたが非常な愛情を示し、世話してくれたから、あなたを見つけるために生まれ変わってきたと猫が語っている。」まったく信じられないような話であるが、何も知らないCheryl
Boothが猫と会話して、猫からそういう話を聞き、猫の飼い主はたしかに、その猫が言ったことが実際起きたという。
P.301-302には犬のかわいい話がしるされている。私はこれを読んでいて笑ってしまい、まさに日ごろ私が感じていたことなので、そのとおりと思ったものであった。Bearとなのるかわいいオス犬を連れてきた人が居た。その犬の飼い主の女性が自分の犬がなにか注文があるかきいてきてくれとその犬を連れてきた人に頼んだのであった。CherylはOwnerの女性がDog Foodを用意するのに、ちゃんと野菜と肉を入れてBalanceを保った食事を自分でCookしている写真のイメージを犬から受け取った。そのあと、この犬は「自分はすべての犬は自分の主人が作ってくれるような立派な食事をもらっている」と思っていた。友達の犬にあいにいったとき、一番に尋ねたのは、君はどんな食べ物をもらっているのということであった。こっちへおいで、見せてあげるよ、とその訪問先の犬が言い、自分(Dog)はキチンについていった。そこにはドライなDog
Foodだけがいっぱい入っていた。自分(Dog
Bear)は「冗談じゃない!」といってやった。自分には彼の飼い主が、自分の飼い主である女性が自分のために、みずからCookしてくれるようにはCookしていないのを知って、犬として自分はそれが当然と今まで思っていたが、飼い主である女性に、そんなにも自分に対して親切であることに感謝していると伝えてほしい、今まで自分はそのことに気がつかなかった、と言った。私にはこの話は信じられる。私も常日頃から、自分だけ野菜や肉の、栄養バランスが取れたFresh
Foodをたべて、犬たちにDry
Foodだけでは、いくら犬でも嫌気がさすだろうと、できるだけDry
Foodのほかに肉や野菜をあたえるようにしているからである。
ともかく、この本の中の動物との会話は本当におもしろく、こんなことができる人がいるのだとうれしく思った。
この本は心あたたまる内容に富んでいて、私が読後Very
Goodと書いたのももっともなことであった。もう1年以上経ち、何が書いてあったのか、ほとんど忘れてしまったが、Handicappedの人間に対する愛情と犬猫動物たちに対するUnlimited,
Unconditional Loveの話はいつまでも心に残った。
このHandicapped 弟は、まだ若くして亡くなり、そのあとIndianの子供として転生したそうで、霊界にいる母親からCherylにメッセージが届いた。そこで、彼女はテレパシーでメッセージを送った。そうすると、弟Johnnyの魂、今はIndianのベイビーが、ゆりかごの中から彼女にメッセージをおくったらしい。Babyは意識がない白紙の状態で生まれてくるのではなく、ときには老賢者の魂を持ってうまれてくることもあり、赤子の魂の中にはおとなの健全な精神が宿っていることは当然ありうるわけで、こんどはHandicapをもたないで生まれた子供として、姉にTelepathicなメッセージを送ることも考えられることである。
ということで、この本「Johnny
Angel is My Brother」は、なかなかすばらしい、一人の女性が、苦労しながら、サイキックMediumとして成長していく物語であった。
村田茂太郎 2014年12月29日、30日
「心霊現象の科学」をめぐってーその98 Bob Olson“Answers about the
Afterlife”を読む その2
Introduction序文がある。ここで彼はAfterlifeに関する議論を展開する前に必ず示しておく必要があると思うことを述べている。つまり、我々はすべてのものに対する回答をもっているわけではない。しかし、我々はSpiritsやSpirit CommunicationそしてSpirit worldに関する非常に多くの証拠Evidenceを持っており、そこから我々は充分に納得できる結論を導くことができる、という。そして、それらの結論は、たいがいはTrue真実である、しかしNot Accurate正確ではない。“True but not
accurate”真実であるが正確ではない とはどういうことか。彼がここで言う意味は、Human
Mindsが理解できる限りにおいては、これらの結論は正確ではあるが、Spiritual
Realm スピリットの世界から見た場合はまったく正確だとは言えないという。
Investigator探求者にとってScienceとは証拠を集めるひとつの手段にすぎない。それだけで何かを証明することを意図した手段ではない。Afterlifeの探求においてはScientific
Evidence科学的な証拠というのも沢山の資料の中の単にひとつの証拠に過ぎない。誰もAfterlifeの存在を証明した人は居ない。ProofはSubjective 証明というのは主観的なものである。誰もが自分で判断しなければならない。(そのとおりである。ムラタ。いわゆる科学的証明はAfterlifeに関しては不可能である。逆に、Afterlifeがない という科学的証明も不可能である。自分が納得すればそれでよい。死んでみれば、間違っていたかどうか、自分でわかるわけで、それで充分である。死んで無であれば、それはそれでよい、無でなかったときが大変である。)
Olsonは彼が死後の世界の存在Afterlifeを信じ、それに関連したさまざまな一般的疑問に対する彼自身の回答を展開する前に、彼がAfterlifeの存在を信じる根拠となったものをまず提示する。
1.
Psychic
Mediums
2.
Pat-Life
Regression
3.
Near-Death
Experiences and Out-of-Body Experiences
4.
Past-Life
Recall
5.
Deathbed
Visions
6.
Shared-Death
Experiences
7.
Dream Visitations
8.
Hauntings
9.
Non-Medium
Spirit Visions
10.
Channeling
11.
Reincarnated
People
12.
Angel
Interventions
13.
Life-Between-Lives
Regression
14.
Children’s
Spirit Contact
15.
Pre-Birth
Planning
16.
Children’s
Near-Death Experiences
17.
Photographs
of Spirits Electronic
Voice Phenomenon
18.
Spirit
Communication through Hypnosis
19.
Animal
Communication
20.
After-Death
Communications
21.
Spirit
Writing
ほとんどすべて、私がこのブログで展開・紹介してきた、または触れてきた話であると思う。
Big-
Pictureで、まずLifeのPurposeに関する自分の考え(既述 その1)を述べた後、SoulとSpirit(魂とスピリット)の関係について3ページ近くを使って自分のアイデアを説明している。
そういえば、私(ムラタ)はSoulとSpiritを似たようなものとして、特に使い分けはしないで使っていたようだ。私のイメージではSoulという本体があって、Spiritはその現前、表れという感じでつかっていたと思う。
Bob
Olsonによると、比喩を使って説明して、OceanとWavesのような関係だといっている。彼Olsonは、人間は何度も生まれ変わるというReincarnationを信じているので、SoulはOceanのようで、それぞれのWaves波がSpiritsであるというわけである。Bob OlsonのSoulが、Bobとしての人生を体験していたり、Georgeだったり、Sarahであったりというわけで、元のSoulからいわば派生したような関係と彼はとらえている。
あるいは大木のイメージがいいかもしれない。Soulという大木があり、その幹から派生するそれぞれの枝がそれぞれ違ったSpiritを持った存在であり、当然のことながら各Spiritは共通のSoulをもっているわけで、各Spiritとして個性を発揮しながら、誰が見ても同じSoulであり、IDがはっきりしているのである。
各Spiritはそれぞれの個性を持っており、しかも共通のSoulから派生した存在としてSoulに共通な個性を持っているというわけである。したがって、前世でどのような違った人生を生きていようと、彼だ、彼女だ、とすぐに見分けられる共通のIDをもっているわけである。
彼の解釈では、Soulはそれぞれ違ったLife枝として派生し、Reincarnateするが、それぞれの枝Spiritは一回限りだという考えであるようだ。彼は大木や枝のイメージではなく、Ocean と Waves大洋と波 のイメージで展開しているが。これは、Past-life
Regressionで別な人生を思い出したときに、どう解釈するかという問題である。JulieがBob, George, SarahなどのLife timeをPast-life Regressionで思い出すかもしれないが、それはそれぞれのSpiritを思い出しているのでなく、その本体であるSoulのもつ共通体験として思い起こしているという解釈である。ともかく、Soul と Spirit を使い分けしているのは、この本で、ReincarnationやPast-life Regressionが述べられているから、明確にしておきたいと思ったからであろう。
さて、それでは、God とは何か。
Bob
Olsonのよれば、Soulが沢山のSpiritから成り立っているということを理解するなら、自分のGodのViewを理解するのも簡単になる。自分はGodとはMany Soulsでできていると考える。GodとはSource Energyである。そしてSpiritはSoulのExtensionsである。God->Souls->SpiritsというPyramidがOlsonの考える霊界の構造である。したがって、それぞれのSpiritはGodのExtensionである。したがって、我々はつねにGodに結びついている。もっと正確にいえばWe
are God またはGodと一体 One with Godである。誰もGodについては考え悩んできている。Olson自身も悩んできた。Afterlifeの研究に入ってから、GodはSingle PersonではなくEmotionalな存在でもない。Afterlifeを研究すればするほど、Godとは単体ではなくCreative
Intelligence, Source Energy, Universal Energyなのだ。すべてをつなげるForceなのだということがわかった。God をCreative Intelligenceと考えると、自我を持ち、復讐や最終審判を考えるGodなどを認めなくなる。GodとはLife Forceであり、喜び、憐憫であり、万物の生命力である。(Bob
Olsonは、キリスト教的とかユダヤ教的というよりも仏教的ともいえる見解に到達したようだ。)古代ギリシャではいろいろな神がいて、自然をつかさどっていた。人類は、いつのまにか一身のOne-and-Only
God一神教 をつくりだし、それが人間のようにふるまって、人間はそれを崇拝し、それに影響されるようになった。Bob
OlsonのGodをPersonのように考えていた。今では違う。Godという言葉の変わりに、Source とか UniverseとかCreative
Intelligence、Oneness,
Ultimate Love とかという言葉を使いたい。GodをEntityからEnergyにParadigm Shiftした結果、OlsonにとってはAfterlifeをめぐるすべてが明らかになった。
ここまで書いてきて、次の (その3) で箇条書き的にリストされているAfterlifeをめぐる質問と彼の回答をサンプル的に紹介しようかなと考えたが、わたしはこの本の著者から版権も転載許可もなにももらっていないので、これ以上、この本にふれることはやめたほうがよいと思い始めた。
したがって、興味を持った読者は、この本を直接お読みになるようにお薦めする。私は別にコミッションをもらっているわけではないが、この本1冊でAfterlifeについて沢山のことを学ぶことができるいい本である。著者も言っているように、何も全部そのまま信じる必要はナイ。この本を手がかりとして、自分で深く探求するのが望ましい。そういう意味でも、これはとても好い本である。
Bob Olson –「Answers about the
Afterlife」ISBN:978-0-9656019-8-6
Building Bridge Press ISBN: 0-9656019-8-6 2014
村田茂太郎 2015年1月1日
No 99
訣別 わかれ 2012年3月16日
今日(アメリカ3月16日)はお葬式がありました。
この、お葬式は、最近の私の「心霊現象の科学」への関心がまた高まって、いくつかの昔読んだ本を再読していたおかげもあって、わたしにはさわやかなものでした。
多分、Rosemary Brownの話が心に残っているからでしょう。”Unfinished Symphonies"。
彼女(Rosemary)のお母さんが病院でなくなったとき、知らせが来る前に、病気の母の姿ではなく、わかわかしく元気になってうれしそうな母親のまぼろしが彼女を訪れて、彼女は病気で苦しんでいる母親でなく、もう違う次元に移った母親の霊にあって、かえってうれしかったという感想を書いていました。
Rosemary Brownはそのあと、彼女につきそうFrantz Lisztの霊から、この地上の生命はいわば幼児期のようなもので、まだまだ異次元の世界で生長していかねばならないとかという話をききます。
つまり、霊がお墓にとどまっているのではなく、もう別の次元に移行しているのであって、いわば偏在の存在になったということだと思います。
今日のお寺さんのお話でも、霊が永遠に、いつまでも、お墓の中に居るのではなく、どこにでも、そよ風にも、夜の星明りの中にも、というたとえがありましたが、そういうことだと思います。
昔、読んだ本を読み返していて、次のような話がありました。これは ”Edgar Cayce-Sleeping Prophet” というベストセラーを書いたJournalist Jess Stearn というひとの”A Matter of Immortality" という本の最初に出てくる話です。
有名なMedium 霊媒 Maria Moreno というサイキック(Trance Medium) がTyrone Power というActorのお墓の近くのベンチでRelaxしていたとき、突然、だれかが肩に触れたように思い、夢だと思って払いのけようとしたら、突然、声がした。
”I want you to convey a message for me."わたしからのメッセージを伝えて欲しい。
Mediumとして沢山の霊とつきあってきたMariaにとっても、Trance状態でないのに、霊がはなしかけてきたのは初めてだった。
”My name is Lydia、and you are sitting by the foot of my grave.”私の名前はリュディア、あなたは私のお墓のあしもとに座っている。”
Mediumがよlくみると地面を少しあげたところに簡素な厚板のような墓石があって、それにLydia 1931-1972 と刻んである。
"In a few minutes," she said, “three people will arrive to visit my grave. They come every day at four-thirty with flowers, and they weep until my hearts aches for them. Tell them not to come any more, that I am not dead, but alive, and that they should go with their lives, and stop grieving."
"And who are these people?" asked Maria.
"They are my mother and father and sister. They loved me, and will not let me go."
"But why should they listen to me?" said Maria. "They have not consulted to me."
"True," said the vision, “but I will give you the information that will convince them that you are speaking for me."
"I do not think so," said Maria, “They enjoy their sorrow."
"Oh, no, it is only that they have little else, and do not understand that life is everlasting. Nothing lies in that coffin but the flesh. There are no ghosts living in graveyards."
もうすぐ、三人やってくる。毎日、4時半にお花をもって。そしてわたしの心が痛むほど彼らは嘆く。もうお墓へは来なくてよいといって欲しい、わたしは死んではいない、生きているのだ、彼らは自分の生活を生きるべきで、いつまでも嘆いていてはいけない。
誰なの?
父母と妹。彼らはいつまでも私を愛して、お墓参りをするので、わたしはどこへもゆけない。
でも、どうして彼らがわたしの忠告を聞くと思うの、別に私に相談したわけでもないのだし。
そうその通り、ただ、あなたが私のために話していると彼らが信じるような情報を伝えるわ。
私はそうは思わない、かれらは自分たちの悲しみを楽しんでいるのだから。
いいえ、彼らには何もする事が無いから、そうしているだけ。生命が持続するものだとわかっていないのよ。このお墓の棺の中には死んだ肉体以外の何もないのよ。墓場には幽霊なんていないのよ。
という調子でつづいていきます。
結局、名前その他の情報をもらい、しばらくすると、3人がやってきました。Mediumが声をかけ、Lydiaの希望を伝えると、驚いて、信じるどころか逃げていく。しかし、しばらくたって、別の日、またTyrone Powerのお墓の近くにいったら、今度は一人の女性だけがお墓参りにきていた。すくなくとも、両親は訪問をやめたのであった。
“She tells me to tell you: “‘I am not dead. I live. Death is the beginning, life the unreality. Grieve for me no longer'."わたしは死んでいない、死は始まりだから、非現実的なる生の、もう、私のことを嘆かないで“ ということを伝えてくれと言っている。”
ということで、Maria Moreno はあとで、何が起こったかについて考察します。
"Nothing was in the grave. She came to me from space, because I was a medium. She wanted her family to know that she was happy now, and didn't like seeing them unhappy."
お墓には何もない。彼女の霊は宇宙から私のところにやってきた、なぜなら、わたしが霊をあつかえるMedium霊媒ということを知ったから。彼女は今、Happyで、彼女の家族がいつまでも彼女のことを嘆いてUnhappyでいるのはたまらない、ということで、Mariaをみつけて、頼んだというお話。
ともかく、Psychic Scienceを読み、今在る科学の限界、あるいは科学者の科学的態度の限界を思うと、世の中に不思議はあり(小林秀雄)、霊媒Mediumは本当に霊と交信し、死ははじまりであって、おわりではないということは本当かもしれません。パスカルの賭けで、本当かもしれないというほうに賭けた方が、無を信じるよりは、じぶんが死んだときに戸惑わなくて済むかもしれません。
ーーー
そういえば、昨日〔アメリカ3月15日)、たまたま、Yomiuri-onlineで吉本ばなな が云々と書いてあったので、開いてみると、吉本隆明が亡くなった感じなので、Wikipediaで調べると、3月16日、日本時間で、87歳で逝去と出てきました。ばなな の話では、父隆明氏が、おまえが祈ってくれたおかげで、三途の川からもどってこられた、とかといっていたということで、亡くなるすこしまえに、意識が回復したときの話でしょう。
吉本隆明氏は戦後思想界の巨人で、とくに若い全共闘の世代〔1960年代)に妄信的な影響と信者をあつめたようで、わたしはえらいと思っていましたが、どちらかというと小林秀雄のほうが私の好みにあっていたので、批判的に読んだ方です。しかし、小林秀雄とちがって、つねに時代の問題をひきうけていたので、大変だったと思います。
ーーー
今日、お別れをした人はとても明るく、生き生きとしたひとで、居るだけで、その場がはなやぐような、楽しい人でした。77歳。病気で苦しんで生きているよりも、サイキックの話が本当であれば、かえって喜ばしい状態になったのかもしれません。私がさわやかな印象をもてたというのも、そのせいでしょう。いまも、まるですぐそばにおられるような感じがするほどで、もしかして、そうなのかもしれません。思い出す、祈る、考えるということは、霊的存在にとっても大事なことかもしれません。
合掌。村田茂太郎 2012年3月16日
「心霊現象の科学」をめぐって -最近の感想 (2013年11月)
私のブログに、“その65”(2013年3月1日)を載せてから、もう8ヶ月以上経つ。この間、なにもしていなかったわけではない。アマゾン・コム経由でかなりの量のこの領域の本を購入し、最近はさらにAmazon・Kindle (AndroidでもPC)でも購入して、Totalで150冊ほど手に入れたことになる。そのうち、すでに読み終わったものでも40冊近くになる。いわば充電していたといえる。
最近購入する本の内容は Medium関係の本、 Life after Death 関係、 Reincarnation, Possession、Meditation などが主で、最近のこの領域の進展にはおどろかされる。
わたしはこの領域の科学的証明(死後の世界の存在証明)というのは、無意味でないかという結論に達し、自分がMediumその他でAfter-Life, Reincarnation、Possessionなどを確信できればそれで充分だという結論に達している。
したがって、このブログの最初(心霊現象の科学をめぐってーその1)のエッセイの最後で、わたしは霊魂不滅、魂の死後の存在に関して判断保留という感想を記したが、今でははっきりと、私は 霊魂不滅、Life
after Death、Reincarnation, Possession, Ghost 現象 その他すべて実際にあるという確信に至っている。Soulがあり、Out-of-Body体験が可能であるということは、転生、亡霊、Possession その他の可能性があることになる。
京都大学のCarl
Becker博士がロサンジェルスでの講演(2009年8月)で開口一番、「あの世の存在を認めなければ仏教は存在しない」といわれたのは、真実で、仏説阿弥陀経などで説く極楽浄土の世界は東洋的色彩があるとはいえ、臨死体験者が語るあの世の世界の瞥見、そしてMediumが語るLife after Death の世界と同じ内容であり、仏陀はもちろん超能力(Medium的)で、Life after Deathを知っていて、Death死は肉体の消滅だけで魂は不滅ということを知っていたのはまちがいない。
最近の本を読んでおどろくことは、Past-life
Regression Therapist たちは、もう死後の世界の存在は当たり前の事実であるだけでなく、Reincarnation転生もわかりきった当然のこと、したがってEarthbound
Spirit(地上をさまよう亡霊)もたくさん存在して、Ghost現象が起きたり、人に取り付いたりして、いわゆるPossession現象をおこしているのは常識のような段階にきており、心理学的に治療するというよりも、催眠療法で幼児期だけでなく、生まれる寸前、生まれる前、過去のLifeというかたちで、どんどんさかのぼり、現在の病状、異常症状の根源を過去の人生に探るという方向で効果を挙げており、トラウマの起源を認知することによって、どのような精神療法でも回復不可能であった症状・病状が完全に治癒されるというケースをたくさん発表し、科学的とかどうかとは関係なく、この死後の世界を認め、転生、憑きその他を認める形で、対応すれば、病気の回復も驚くほど効果があるという結論に達しているようである。
やはり私がはじめから予想していたように、Medium霊媒関係の領域からのアプローチがこのLife-after-Deathその他の探求に不可欠で、この領域もただメッセンジャー(死者から生者への)としての段階を超えて、生まれる前にSoulsが自分でどのように生まれるかを計画して生まれるという驚くべき次元にまで展開してきている。
Possessionに関しても、映画で有名なDemonic Possessionではなく、Earthboundとなって光を求めて昇天しなかった魂がさまざまな機会に生者にとりつき、それもひとりだけでなく、Nestの状態で、一人の人間にいくつもの魂がとりついていて、それを除去する作業がDepossessionとかSoul Releasing
Therapyとかで、それを専門にしているPh.D.、M.D.がたくさん現れてきている。
ということは、死後の世界の科学的証明などということとは関係なく、死後の世界の存在、転生などを認めないと、それぞれの人間が抱える問題が解明できない次元にきているということである。Death死ということばよりはTransition移行という言葉のほうがより真実味がアルということになる。Energyのありかたが変わるだけであるというわけである。
Therapistによると、Possessionは子供や孫が心配で、死んだ肉親が取り付いている場合もたくさんあり、特に悪くないように思える場合でも、本人の特性がPossessした人物の魂に影響されるわけで、やはり健康的でないということで、療法家は光を求めて昇天する方針を徹底しているようである。(ここから、いわゆる Deja
Vue デジャー・ヴューのケースのありうる解釈として、PossessionとReincarnationの両者が有効であるということがわかる。自分は経験しなくても、遠い過去の自分やPossessedした人物の記憶がDeja Vue現象を引き起こしているといえるわけである。)
映画ExorcistのPossessionのようなケースではなくて、普通の人間がとりつくというケースが主で、誰でも内部にそうした魂を保持しているのではないかと思われ、私自身、チャンスがあれば専門家に見てもらいたいと思えるほどである。本の著者であるドクター自身が友人に手伝ってもらって、自分に取り付いていたSpiritを解放させたと報告しているほどである。Possessedされるチャンスは誰でもいっぱいかかえているようである。麻酔状態、事故の後、アル中状態 (Drugもふくめて)、出産時、重態、お葬式 その他、誰でもどこでもPossessedの可能性を保持しているようで、いわば共存状態にある人間がたくさんいることにある。
George
Ritchie M.D.の本 「Return from
Tomorrow」を読んだ後では、アルコールを飲みすぎて人事不省に陥ったひとは必ずアル中の魂にPossessされているはずだと、今では、私は思う。アルコールが入るとひとが変わったようになるという話はよく聞くが、まさにそのとおりで、取り付いた魂の反応が暴力的にあらわれたりしていると解釈される。
ともかく、今では、学者たちがまじめにAfter
Lifeの様相やReincarnation転生などを論じているので、一昔前とはずいぶん変わったと思う。
最近、私が感じていることは、これからの学校教育で、道徳指導だけでなく、霊魂不滅・死はエネルギーの移行ということを子供たちに教育しておく必要があると思う。なぜなら、小さな子供たちといえども、いつ、どんな事件に巻き込まれ死んでしまうかわからない世界に生きているのである。天災による場合から人災による場合など、世界の情報をながめてみても、いつだれがどうなるかわからないような世界が現代だといえる。したがって、物心がつくころから、死について指導し、もし万一死ぬ目にあっても、わけもわからずにEarthbound地上に取り付いた状態でおわるのではなく、光を求めて移行するという最低の知識は身につけさせておくことが大事だと思われる。わたしの著書「寺子屋的教育志向の中から」の中のエッセイ“心霊現象の科学への私の歩み”のなかでも触れたことがあるが、東北の小学生が実験的自殺を実行した。(もう、今から40年ほど以前のニュースである)。それは、まじめな探求心がもたらしたものであったが、周りの無理解も影響していた。そういうことは意味がないということを知ってもらうためにも、また“いじめ”による自殺が頻繁に起きる社会であることをも踏まえて、この領域の一般的理解を深め、自殺は意味がないということなどを知ってもらうためにも、霊魂不滅をも含めた道徳教育が必要と思われる。昔、梅原猛氏が堂々と道徳教育について講演し、みずからも中学生に特訓されたりしていたようだが(文庫本)、本当に、霊魂不滅・愛情第一、寛容、同情、理解、感謝といったことの重要性を自然に理解させる道徳教育が必要であると私は思う。
これからは、私はこのブログで、以前のように直接英文を引用して訳文をつけるスタイルでは、版権などが問題になるので、印象的な内容について、私の意訳・紹介というかたちでこのブログを展開していきたいと思う。
村田茂太郎 2013年11月11日
「心霊現象の科学」をめぐってー逸話 2014年3月28日
昨日、わたしは女房と、RetireしたBeauticianにHair cutをしてもらうチャンスがあった。この女性は日系人で、わたしのこのブログの最初の話、お寺さんが、ひとが死んだら無ですと話すのを直接聞いたとわたしに話してくれたひとである。そのあと、わたしは問題のお寺でのお葬式に参加して、今度はそのくだんの女性のお寺さんが、まじめに、亡くなったかたは、あの世から見守っているというような話をされ、きっと上のほうから注意されて、勉強したのだろうと思ったものであった。お寺さんが死んで無で、あとは何もないと言っていたのでは、やはり問題があり、勉強が必要だったといえる。
きのう、その日系女性は、いつも私が本を読んでいるのを知っていて、何を読んでいるのかと訊ねたので、Dianne
Arcangelというひとの「Afterlife
Encounters」という本で、Deceased死者とLiving正者との交信に関してSurveyを行い、分析して、例示したもので、とてもわかりやすく、簡単に読める、いい本だということを伝えたので、そのBeauticianとの話が、超常現象について展開し、彼女自身いまの息子を産んだ後、一度、三ヶ月目で流産した経験があり、自分の息子の嫁が産んだ子供(彼女の孫)が、まだ2歳ごろのときに、I
died, I diedと自分は死んだことがあるとか、何度も叫んでいて、自分は無視して、息子も問題にしなかったら、5-6歳を過ぎて、もう忘れてしまったのか、なにも言わなくなったという話をされ、どうやら自分は自分が流産した子供が息子の子供つまり自分の孫として生まれてきているように思う、そして、子供とはいえ、成熟しているようだという話になり、そうですね、本によると、子供は何度も転生Reincarnationを経験していれば、Old Soulというわけで、大人よりも大人っぽい発言をすることもおこりうるわけですねと二人で同意しあった。
子供のSoulは生まれる前に親を選ぶそうですよと、わたしが読んだ本の知識を披露すると、自分もそう思うということであった。
そのとき、彼女は、別な話をしてくれた。知り合いの女性で、子供が家のプールに飛び込もうと、透明のガラスがあるのに気がつかずに走っていって、ガラスにぶつかったため、首にガラスがささって死んでしまうという事件があった。その女性・母親は非常に子供に愛着していたようで、子供も、もう一度、同じ母親に子供として戻ってこようと決意したのか、同じ母親からつぎに生まれ出た子供が、首にBirthmarkをもって生まれてきたという、まさにDr.
Ian StevensonのReincarnationの研究の中でもBirthmarkの例示としてつかえそうな話が、このBeauticianの身近でも起きていたという話をわたしは興味深く聞くことができた。
さらに、このBeauticianの近くに住んでいた(今はアリゾナに引っ越したという話で、わたしは、近くに居れば紹介してもらいたいと思うほどGenuineのサイキックであった様子)黒人の女性のサイキックの話で、ある女性の夫が急になくなって、彼のビジネスを部下であった男がのっとろうとしているということで、どうすればよいかわからない、そこで、サイキックにコンタクトして夫から何か情報を得られないかと、この黒人女性に相談したところ、このサイキックは一度も夫にあったことがないはずなのに、大丈夫、こういう人間がもうすぐあなたの前にあらわれて、ちゃんと指示してくれるだろうといったら、すぐ次の日に、まさに彼女が予告したように夫の霊があらわれて、弁護士に接してどのようにするべきか、指示してくれたので、あとはうまくいったとか。これは、このサイキックMediumが夫の霊に接して、ワイフにコンタクトするように説得したから起きた現象なのか、もともと、そういう予定の夫の霊をサイキックがCatchしたということなのか、いずれにしろ、まさにGenuine本物のサイキックが居て、そういう不思議なことをする能力を身につけているということを証明したわけであった。
私自身はあまりGenuineサイキックと接する機会はないが、どうやら身近なところにいろいろサイキックな体験をしている人は居るようであり、今は昔と違って、臨死体験や対外離脱体験、AfterlifeやReincarnationの話が日常的に出てくる時限まできているので、Carol
Bowmanが子供の前世の記憶を再現することで、トラウマから完治するという話を展開していることなどをあげて、これからは、親も子供の異常な反応をまじめに受け止め、前世の記憶を馬鹿にしないで、真剣に受け止めるようにすれば、子供はもっと柔軟にサイキックな能力を発揮できるようになるだろうというような話をこのBeauticianと語り合うことができた。
私自身、思えば、この2年ほどで、死んだら無です、の意識状態から、ずいぶん飛躍成長したものだと思う。今ではAfterlifeはまちがいない、Soulは不滅で、場合によっては転生Reincarnationも起こり、Possession憑きもおこり、Comaの状態ではSoulは対外離脱状態を示している可能性がつよいので、意識不明のように見えても、話しかければSoulは理解するだろう、そしてPrayer祈りは確かに効果があるようであり、結局、Love愛と寛容、謝罪がとても大事だという結論に達している。おかげで人を見る目も成熟したように思う。Everything
happens for a reason. は本当だと思う。
村田茂太郎 2014年3月28日
「心霊現象の科学」をめぐって - 不思議な出来事 2014年2月22日
昨日、2月22日、私はブログ開設2周年記念日ということで、私のブログに関する感想を述べ、最後に P.S.として、私の著した本の宣伝がYomiuri-Onlineの発言小町をクリックしたときに右側に現れる広告のなかの”楽天コーナー”の”オススメアイテム”というところに現れてくることを述べました。教育的な本が順繰りに紹介されている、その中に、私の本がここ数ヶ月、そのリストから消えることなく現れてくることを記しました。私が宣伝費を払ったわけでもなく、頼んだわけでもなく、自発的に”楽天”が宣伝してくれているようでした。
昨日の夜、Yomiuriに入り、発言小町に入り、右側の広告コーナーをみたところ、最初は何もでていなくて、本の表紙も何もなしに順繰りに動いていましたが、突然、そこに私の本が全面、つまり広告の部分4冊分を占める形であらわれて、つぎつぎに移動していくにもかかわらず、私の本ばかりあらわれていました。
これはおかしいと感じて、すぐに、その場面を写真に撮り、いったん、Yomiuriをでて、ComputerもRestartしました。そして、再起動でYomiuriに入り、発言小町に入って、右側を見ると、いつもと同じように教育的な本がつぎつぎにあらわれ、私の本もそのなかの一冊として広告部分の四分の一をしめるかたちであらわれ、次に動いてゆきました。それで、ふつうなので、普通に戻ったわけでした。それでは、私の本が広告部分全面を占めてつぎつぎと現れてきたのはどういうことであったのか。
2月21日に女房のいとこから、私たちが親しんだ従兄弟がなくなったという知らせが届きました。わたしはこのニュースを知らせてくれた弟のほうと親しくなる前は、この亡くなった従兄弟のほうとより親しくつきあっていました。立派な日本人の典型のように思っていました。エコノミック・アニマルとかセックス・アニマルとかというふうに日本人を非難する風潮が現れてくるなかで、彼のようないい意味での典型的な日本のビジネスマンもいるのだと誇りに思っていました。そして、私のコンピューターの Screen Saver Slide mode で、彼と一緒にSan Diego方面に旅行したときの彼の写真が毎回でてきていました。毎日、挨拶をしているようなものでした。その彼がストロークでComa状態になって、身動きもできないということで、Psychic Healingでなんとかならないものかといろいろ勉強もすすめていました。
結局、間にあわず、亡くなったということでした。私はすでにPsychic Scienceの勉強で、Afterlife霊魂不滅を信じるようになっていたので、死もそれほど恐れるものではなく、かえって身動きのできない肉体からの解放ととりました。
それで、Josie Varga ”Visits from Heaven"その他の本を読むと、死はTransitionエネルギーレベルの移行で、Low からHighに移ったということで、Heavenから故人がいろいろなメッセージを送ってくる、それはまさにあの世で生きている存在証明であり、Attentionでもあり、また身の回りにいることの自己主張でもあるわけで、いろいろな不思議な現象があらわれるということが記されています。この本の中にもいろいろな不思議な現象があらわれ、なくなった人の家族は故人を身近に感じ、なぐさめられたと記されています。(この本の紹介は、またのちほど。)
そこで、私はこの楽天コーナーの本の宣伝のところで、一時的とはいえ、すべてが私の本で埋まったというのは本来ならありえない話で、これはまさにParanormal現象、故人が意図的に起こしたのではないかと感じられます。
私自身はあまりサイキックではない(サイキックだとMediumは言いますが)はずなので、ただ、不思議な現象が起こるということで、まさに故人が起こしていると考えるわけです。はっきりいえることは、私はこうして心霊現象の発現に興味を持ち、非常に柔軟な姿勢でいるので、霊界・天国からはわたしにアクセスしやすいということが言えるかもしれません。Openな態度というものは、Receptive 受け入れやすい状態ということだと思います。
最近、これに限らず、”腕時計”に関しても奇妙なことが起こり、もうこの腕時計はつかえないのかと思ったほどでした。これは、わたしが一緒に何度もアメリカと日本を旅した友人がGiftとしてくれたものなので、これがおかしくなるということは、この友人に何かあったのではないかと思うわけです。今までは、わたしには三人、気になる状態の人がいたので、その誰なのかはっきり今のところわかりませんが、訃報が届いたということで、まずこの女房の従兄弟がこういうことをできるほど別世界で元気にやっているという通知なのかなと思う次第です。
そこで、その昨日撮った写真何枚か全部を添付します。これに関しては”楽天”にたずねてみることも可能ですが、わたしはその必要を認めず、自分でParanormal現象がおきたということで、納得状態にいます。
写真は5枚撮ったようで、最初の3枚が異常な、私の本「寺子屋的教育志向の中から」で埋められた広告部分、最後の2枚がそのあと、いったんShut downしてコンピューターを再起動して発言小町にはいったときの、いわばノーマルな現れ方。8時42分には異常で、8時46分には正常ということがわかる写真だと思います。
不思議な現象が身近に現れた現場を写真に撮ったというお話でした。
村田茂太郎 2014年2月23日
昨日、2月22日、私はブログ開設2周年記念日ということで、私のブログに関する感想を述べ、最後に P.S.として、私の著した本の宣伝がYomiuri-Onlineの発言小町をクリックしたときに右側に現れる広告のなかの”楽天コーナー”の”オススメアイテム”というところに現れてくることを述べました。教育的な本が順繰りに紹介されている、その中に、私の本がここ数ヶ月、そのリストから消えることなく現れてくることを記しました。私が宣伝費を払ったわけでもなく、頼んだわけでもなく、自発的に”楽天”が宣伝してくれているようでした。
昨日の夜、Yomiuriに入り、発言小町に入り、右側の広告コーナーをみたところ、最初は何もでていなくて、本の表紙も何もなしに順繰りに動いていましたが、突然、そこに私の本が全面、つまり広告の部分4冊分を占める形であらわれて、つぎつぎに移動していくにもかかわらず、私の本ばかりあらわれていました。
これはおかしいと感じて、すぐに、その場面を写真に撮り、いったん、Yomiuriをでて、ComputerもRestartしました。そして、再起動でYomiuriに入り、発言小町に入って、右側を見ると、いつもと同じように教育的な本がつぎつぎにあらわれ、私の本もそのなかの一冊として広告部分の四分の一をしめるかたちであらわれ、次に動いてゆきました。それで、ふつうなので、普通に戻ったわけでした。それでは、私の本が広告部分全面を占めてつぎつぎと現れてきたのはどういうことであったのか。
2月21日に女房のいとこから、私たちが親しんだ従兄弟がなくなったという知らせが届きました。わたしはこのニュースを知らせてくれた弟のほうと親しくなる前は、この亡くなった従兄弟のほうとより親しくつきあっていました。立派な日本人の典型のように思っていました。エコノミック・アニマルとかセックス・アニマルとかというふうに日本人を非難する風潮が現れてくるなかで、彼のようないい意味での典型的な日本のビジネスマンもいるのだと誇りに思っていました。そして、私のコンピューターの Screen Saver Slide mode で、彼と一緒にSan Diego方面に旅行したときの彼の写真が毎回でてきていました。毎日、挨拶をしているようなものでした。その彼がストロークでComa状態になって、身動きもできないということで、Psychic Healingでなんとかならないものかといろいろ勉強もすすめていました。
結局、間にあわず、亡くなったということでした。私はすでにPsychic Scienceの勉強で、Afterlife霊魂不滅を信じるようになっていたので、死もそれほど恐れるものではなく、かえって身動きのできない肉体からの解放ととりました。
それで、Josie Varga ”Visits from Heaven"その他の本を読むと、死はTransitionエネルギーレベルの移行で、Low からHighに移ったということで、Heavenから故人がいろいろなメッセージを送ってくる、それはまさにあの世で生きている存在証明であり、Attentionでもあり、また身の回りにいることの自己主張でもあるわけで、いろいろな不思議な現象があらわれるということが記されています。この本の中にもいろいろな不思議な現象があらわれ、なくなった人の家族は故人を身近に感じ、なぐさめられたと記されています。(この本の紹介は、またのちほど。)
そこで、私はこの楽天コーナーの本の宣伝のところで、一時的とはいえ、すべてが私の本で埋まったというのは本来ならありえない話で、これはまさにParanormal現象、故人が意図的に起こしたのではないかと感じられます。
私自身はあまりサイキックではない(サイキックだとMediumは言いますが)はずなので、ただ、不思議な現象が起こるということで、まさに故人が起こしていると考えるわけです。はっきりいえることは、私はこうして心霊現象の発現に興味を持ち、非常に柔軟な姿勢でいるので、霊界・天国からはわたしにアクセスしやすいということが言えるかもしれません。Openな態度というものは、Receptive 受け入れやすい状態ということだと思います。
最近、これに限らず、”腕時計”に関しても奇妙なことが起こり、もうこの腕時計はつかえないのかと思ったほどでした。これは、わたしが一緒に何度もアメリカと日本を旅した友人がGiftとしてくれたものなので、これがおかしくなるということは、この友人に何かあったのではないかと思うわけです。今までは、わたしには三人、気になる状態の人がいたので、その誰なのかはっきり今のところわかりませんが、訃報が届いたということで、まずこの女房の従兄弟がこういうことをできるほど別世界で元気にやっているという通知なのかなと思う次第です。
そこで、その昨日撮った写真何枚か全部を添付します。これに関しては”楽天”にたずねてみることも可能ですが、わたしはその必要を認めず、自分でParanormal現象がおきたということで、納得状態にいます。
写真は5枚撮ったようで、最初の3枚が異常な、私の本「寺子屋的教育志向の中から」で埋められた広告部分、最後の2枚がそのあと、いったんShut downしてコンピューターを再起動して発言小町にはいったときの、いわばノーマルな現れ方。8時42分には異常で、8時46分には正常ということがわかる写真だと思います。
不思議な現象が身近に現れた現場を写真に撮ったというお話でした。
村田茂太郎 2014年2月23日
私のブログ公開2周年記念日2月22日の感想
私のブログ公開2周年記念日2月22日の感想
2012年2月22日、はじめてこわごわ私のBlogを作成して、Openしてから丁度2年目を迎えます。どうなることかと細々と始めた次第ですが、Wordで作成したエッセイなどのほかに、写真も持ち込めるとわかり、このブログは私の自己表現の場として重要な意味を持つようになりました。使用メモリーが大きくなり、当初無料であったものから、有料に代わり、その分、私は安心して堂々と私のブログを楽しんできました。
このブログで、展開できたことは
1ー拙著「寺子屋的教育志向の中から」にページ数の関係でのせられなかった、教育に関係のあるエッセイを全部もちこめたこと、
2ー国語文集のいくつかを文集から直接Scanして持ち込めたこと、
3ーアメリカ南西部に関する写真つき紀行文を出版するかわりに、このブログで展開できたこと、
4ーついでにアメリカだけでなく、私の日本訪問時のいくつかの名所旧跡、日本の素晴らしい自然の紹介をできたこと、私にとっては友人とのこれらの旅は日本美再発見の旅となりました、
5ーわたしが読んだ本(ミステリー、Love Story, サスペンス、 古典、 伝記 ー 広瀬武夫、 秋山真之など)のいくつかの感想文を展開できたこと、
6ー「我が家の犬猫」ということで大事な家族の一員である三匹の犬猫の写真を提供できたこと、
7ー同時に家の近くの花やパークやHikingTrailを紹介できたこと、
8ー盆栽クラブ毎月の会合ぶりとその年中行事にあたる夏の盆踊り・カーニバルでの盆栽ショーの写真などを紹介できたこと、
9ーそして、もっとも大事な内容といえる「心霊現象の科学」をめぐる私の感想文、本の紹介、わたしの考えなどを紹介できたこと、この2年間の間の私の心霊現象に関する勉強の結果、魂Soul, Spiritの存在について判断保留と2年前の2月に書いてあった段階から、霊魂不滅、Life after Death 信じる段階にいたったことで、1975年にまだ若い友人の死を知ってから、探求し始めた心霊現象の科学への私の関心も、いまや40年近くにならんとしており、ようやく結論に達したという段階で、この間、すばらしい研究書を沢山購入して読みすすめており、順番にこのブログの場を借りて紹介していきたいと思っています。また、このブログ資料をベースにして、日本語でこの心霊現象に関する私の展開を本にまとめて、コンピューター・インターネットを知らない人に、この興味深い領域に関する情報を提供したいと思っています。
いわば私の野心に等しい、膨大な内容をふくんだブログとして展開してきたことになります。言うなれば、私の精神の発展に、このブログが大いに貢献してきたといえます。
本当に、楽しい試みで、わたしの生きがいのひとつとなっていました。これからも、主に、心霊現象にかんする紹介を続けてゆきたいと思っています。
ただ、最近、このブログのBloggerにエラーが発生し、もしかして、もうこのブログはこれで終わるのではないかと思ったことがつい最近ありました。今もエラーのままで、表紙写真を変えても文字の色をかえることができず、このままエラー状態が続くと、本当に使えなくなるのではないかという心配もあります。私はすでにこの2年間の活用で充分満足していますが、心霊現象に関する現段階の紹介は、私の大事な務めと思っているほどで、これだけでも、続けてゆきたいと思っています。したがって、エラーが解消され、スムースに私の希望通りにブログの展開ができることを願っています。
Open 公開件数が前回で900件に達し、この記念日の感想で901号となります。
これで終わりになるわけではありませんが、とりあえず2年目の区切りとして、このブログを閲覧くださった読者の皆様に心から御礼申し上げます。
P.S. 私の本は、あまり売れなかったそうです。Yomiuri-online の
2012年2月22日、はじめてこわごわ私のBlogを作成して、Openしてから丁度2年目を迎えます。どうなることかと細々と始めた次第ですが、Wordで作成したエッセイなどのほかに、写真も持ち込めるとわかり、このブログは私の自己表現の場として重要な意味を持つようになりました。使用メモリーが大きくなり、当初無料であったものから、有料に代わり、その分、私は安心して堂々と私のブログを楽しんできました。
このブログで、展開できたことは
1ー拙著「寺子屋的教育志向の中から」にページ数の関係でのせられなかった、教育に関係のあるエッセイを全部もちこめたこと、
2ー国語文集のいくつかを文集から直接Scanして持ち込めたこと、
3ーアメリカ南西部に関する写真つき紀行文を出版するかわりに、このブログで展開できたこと、
4ーついでにアメリカだけでなく、私の日本訪問時のいくつかの名所旧跡、日本の素晴らしい自然の紹介をできたこと、私にとっては友人とのこれらの旅は日本美再発見の旅となりました、
5ーわたしが読んだ本(ミステリー、Love Story, サスペンス、 古典、 伝記 ー 広瀬武夫、 秋山真之など)のいくつかの感想文を展開できたこと、
6ー「我が家の犬猫」ということで大事な家族の一員である三匹の犬猫の写真を提供できたこと、
7ー同時に家の近くの花やパークやHikingTrailを紹介できたこと、
8ー盆栽クラブ毎月の会合ぶりとその年中行事にあたる夏の盆踊り・カーニバルでの盆栽ショーの写真などを紹介できたこと、
9ーそして、もっとも大事な内容といえる「心霊現象の科学」をめぐる私の感想文、本の紹介、わたしの考えなどを紹介できたこと、この2年間の間の私の心霊現象に関する勉強の結果、魂Soul, Spiritの存在について判断保留と2年前の2月に書いてあった段階から、霊魂不滅、Life after Death 信じる段階にいたったことで、1975年にまだ若い友人の死を知ってから、探求し始めた心霊現象の科学への私の関心も、いまや40年近くにならんとしており、ようやく結論に達したという段階で、この間、すばらしい研究書を沢山購入して読みすすめており、順番にこのブログの場を借りて紹介していきたいと思っています。また、このブログ資料をベースにして、日本語でこの心霊現象に関する私の展開を本にまとめて、コンピューター・インターネットを知らない人に、この興味深い領域に関する情報を提供したいと思っています。
いわば私の野心に等しい、膨大な内容をふくんだブログとして展開してきたことになります。言うなれば、私の精神の発展に、このブログが大いに貢献してきたといえます。
本当に、楽しい試みで、わたしの生きがいのひとつとなっていました。これからも、主に、心霊現象にかんする紹介を続けてゆきたいと思っています。
ただ、最近、このブログのBloggerにエラーが発生し、もしかして、もうこのブログはこれで終わるのではないかと思ったことがつい最近ありました。今もエラーのままで、表紙写真を変えても文字の色をかえることができず、このままエラー状態が続くと、本当に使えなくなるのではないかという心配もあります。私はすでにこの2年間の活用で充分満足していますが、心霊現象に関する現段階の紹介は、私の大事な務めと思っているほどで、これだけでも、続けてゆきたいと思っています。したがって、エラーが解消され、スムースに私の希望通りにブログの展開ができることを願っています。
Open 公開件数が前回で900件に達し、この記念日の感想で901号となります。
これで終わりになるわけではありませんが、とりあえず2年目の区切りとして、このブログを閲覧くださった読者の皆様に心から御礼申し上げます。
P.S. 私の本は、あまり売れなかったそうです。Yomiuri-online の
”発言小町”というところをClickすると、小町のブログがあらわれます。その横のほうの広告の、オススメアイテム・楽天コーナーというところに、いくつかの教育的な本が順番にあらわれて紹介されています。そのなかに、私の本「寺子屋的教育志向の中から」が、この数ヶ月間消えてしまわないで、いつも出てきます。ぜんぜん、宣伝も何もしていなかった本で、売れなくて当然と思いますが、楽天が”おススメ”のなかに択んでくれているということは、この本を読んだ”楽天”関係の人が認めてくれているからだろうと、ひそかに”楽天”に感謝しています。何も金を払って載せてもらっているわけではないので、まさに内容を知った上で、おススメしてくれているのだろうと判断し、感謝し、喜んでいます。主に中学1年生から3年生を相手に書き上げた文章のはずなのに、どうもむつかしいと思われているようで、残念です。最近、昔、アメリカの会社で同僚だった知人(今は国際的な企業の会長を務め、同時にビジネスでPh.D.をとろうと今、論文執筆中という驚くほどのVitalityをもったひとで、逆に私も刺激されている)と交信が再開し、そのとき、私の本を一冊プレゼントしたところ、全頁本当に熟読してくれて、自分を鞭撻する手がかりととらえてくれたようで、感激しました。私自身はこのエッセイ集のなかにあげた勉強法で受験勉強はばっちりということになるはずで、受験生、つまり、すべての日本の小学生・中学生・高校生に役に立つと思っていましたが、なかなか思うようにはいかないものです。ただ、この拙著にいれられなかったエッセイをすべてこのブログで紹介できて、本当に満足しました。
皆様、ありがとうございました。このあとも、特に人間にとって大事な”死”をめぐる最近の展開を紹介していきたいと思っていますので、今後とも時々ご閲読くださるようお願い申し上げます。
村田茂太郎 2014年2月22日
皆様、ありがとうございました。このあとも、特に人間にとって大事な”死”をめぐる最近の展開を紹介していきたいと思っていますので、今後とも時々ご閲読くださるようお願い申し上げます。
村田茂太郎 2014年2月22日
「心霊現象の科学」をめぐってー余談 「臨死体験」談をいくつか読んで
わたしは最近、つづけて3人のAfterlife体験談(臨死体験談)を読んだ。20世紀の偉大な哲学者のひとり、フランクフルト学派の代表といえるアドルノに関する浩瀚な伝記620ページをやっと読了し、また日本人の書いたすぐれたニーチェ研究書の第一部を読了して、すこし休憩したいと思い、臨死体験に関する本をいくつか買ってあったのを思い出し、取り組むことにし、読みやすいので、たてつづけに三冊すぐに読了したわけであった。
死んで生き返ったこれらの三人は、みな熱心なクリスチャンであり、どうしてもSpiritualな体験が聖書的な人物とまざってしまうようで、本人がそうだというのだから、そうだろうととるしかないが、クリスチャンでないひとだとどうなるのかという興味がわく次第である。東洋世界ではトンネルのかわりに三途の川があり、青い芝生の天国の変わりに、仏説阿弥陀経が描く蓮の花などが見事に咲き誇る極楽浄土が展開されるわけで、日本の臨死体験者がどのような“あの世”を体験したのか知りたいと思う。
この三冊の著者のひとりは、溺れて死んでイエス・キリストに迎えられ、まだ時期ではないと生き返り、ひとりはペテロ(Peter)に迎えられ、Gateまで案内されてBook of Lifeには記載されていないから、まだやることが残されていると生き返り、もうひとりは、すばらしい天国の有様を見て、もうこのままここに居たいと願ったのに、やはりやることがあるはずだと地獄の苦痛が待っている病床にもどされて、本当にどうにもならない苦痛をなめながら生きるわけである。
これらの本を読んでいて気がつくのは、祈りPrayerというものが、本当に効果があるということで、18Wheeler
Truckにぶつけられて車が大破した事故に遭い、プロのParamedicたちが死んだとみなしていたのに、たまたま居合わせた牧師が熱心に祈りをささげ、歌もうたっていると、相手のSpiritにつたわり、天国で歌を聞きながら自分も歌いだしているようになったとき、死んだはずの男が歌を歌いだしたので、相手の男は彼が生きているのを知り、本格的な救助作業にうつるわけで、もしこの男が祈らなければ、救助には手遅れになっていただろうと思わせる、真に祈りの効果を確認させるような出来事であった。
そのとき、死んでいたはずの本人はこの祈った男が自分の手をつかんだと感じて、力強い生命力をわきたたせたのであるが、あとで、事実として、この祈った男が彼の手をつかむことは不可能なことであり、しかも男はだれかが確実に手を握り、そこから生命力を感じたというのだから、これは誰の手であったのか(いうまでもなくGodにちがいないということになる)。
臨死体験談は一様にトンネルを通過すると別世界がひらけていたとか、Life
Reviewとかさまざまな共通した体験をすることで有名であるが、このなかのあるひとはトンネルをとおらないで、いきなり別世界に居たり、Life
Reviewもなかったりと、人によって、状況その他によって、違いがあるようである。
花火の好きな男は、天界でみごとな花火のような光景を目撃し、ほかの人と明らかに異なった展開の情景を描出しているわけで、これはその個人の生活史を反映した光景が展開されるように思えてくる。つまり、個人個人にあった、ふさわしい天国が展開されるようである。
共通していえることは、たしかに、この臨死体験者たちがあの世に着いたとしか思えないのは、故人との再会であり、それは既に亡くなった家族のものや親戚、そして親友や親しんだ教師、流産したはずの子供などが、若々しい健康な姿で今死んだはずの男女を迎えに現れるという話である。この事実が、この臨死体験が妄想や夢想・空想などではなく、確実にAfterlifeの存在を示してくれているといえる。
もうひとつ気がついたことは、みな本当に死んだような状態に長い間いたのにもかかわらず、生き返って、ほとんど精神的には正常な状態の人間に回復することで、ふつう心肺停止から何分以内に蘇生させないと、生き返っても脳細胞がDamageしていて、普通の状態にはもどらないなどといわれているが、これらの話の臨死体験者は10分どころか、1時間以上とか死んだ状態で、それでもよみがえって正常に生き返るのである。
そこで、既に紹介した心肺移植を経験したClare
Sylviaの話(心臓・肺提供者の記憶や体質を共有する)や、これから紹介するRupert
SheldrakeのMorphic
Resonance Theoryなど、人間の記憶装置は単に大脳の記憶部に依存しているだけでなく、記憶データはもっとどこかほかのところにしまわれ、大脳は丁度TVのように再生装置に過ぎないといえるのかもしれない。それでなければ、Akashic
Recordの話や、誰かMediumその他の超能力者があるひとの個人史にアクセスするというようなことが起こり得ないわけで、そういう、たとえばEdgar
Cayceのような超能力者の異常な展開がおこりえるということが、記憶は大脳辺縁系に依存していないということを考えさせる。
ともかく、臨死体験者はみな生き返るようにGodから指示され、送り返されるわけであるが、その本当の理由は、どうやら一般の人に天国の存在やSpiritが別の次元で生き続けていることを伝えることによって、もっとこの地上での生活にプラスになるような影響があらわれるだろうということらしい。
ひとりはものすごい痛みを感じながら1年以上も寝たきりの病院生活を続け、ひとりは百万人に一人の奇病を生きながらえ、その体験をあるひとびとに語ることによって、周りの人々に希望を生む働きをするわけで、結果として、私が読み終わったこれらの本が書かれることになったわけである。
臨死体験はどれも似たものだろうと思って読み始めるのだが、みなそれぞれ違った生活史をもち、ちがった臨死体験をするようで、なかなか面白く、かつ教訓的である。
また、臓器移植に関して、提供者の脳死が死亡の基準になっているが、もしかして、まだ生き返る可能性があったのかもという印象がこれらの臨死体験談を読むと生まれてくる。臨死体験をしたひとは、それぞれ脳死状態などを経て死んだとみなされて、しかも生き返ってくるわけで、そのとき、死者はOut
of Bodyの状態で、周りの状況を見ており、脳は活躍していないはずなのに、意識も記憶も保持しているということは、やはり、大脳というのは再生装置で、記憶も意識も別な次元ではたらいていると考えざるをえないというか、まだまだ人間の意識も記憶も解明されていないということなのかもしれない。
私は「心霊現象の科学」をめぐってーその91 で Mary C. Neal, M.D.の「To Heaven and Back」を紹介し、その92 で Don Piperの「90Minutes in Heaven」、その93 で Marvin J.
Bestemanの「My
Journey to Heaven」を紹介する予定である。
村田茂太郎 2014年5月27日
「心霊現象の科学」をめぐってー余談 お葬式またはメモリアル・サービスに参加して
この2-3年の間に私は何度か“お葬式”または“Memorial
Service”にでかける機会があった。この最近の、私の「心霊現象の科学」、とくにAfterlife & Deathをめぐるかなりの勉強のおかげで、わたしはこうしたお葬式またはメモリアル・サービスに参加するのが楽しみになった。お寺さんや牧師その他のひとが、どういうお話をするのかを聞くのに興味を覚えるようになったわけである。
この私のブログに展開している“「心霊現象の科学」をめぐって”の、その第一回目のエッセイは、ある美容師からきいたお寺さんのお話からスタートした。その日系二世の美容師は、直接、お寺のお葬式をとりはからう女性に、人は死んだらどうなりますの と訊ねたら、そのお寺さんは、無です、Nothingです、何もありません と応えたという話であった。それを聞いて、学生時代の私なら、マルクスを深く勉強したこともあった、そのとおりと思ったであろう。
二年前、SFV(San Fernando Valley)の本願寺でお葬式があった。そのときには、私はすでに大分、最近の心霊現象の科学に関する本を読んでいた。そして、そのとき女性のお寺さんが、亡くなった方は霊となって、地上の人間の生活ぶりを見守っておられますといったお話をきくことができた。わたしは、多分、美容師の話していた同じお寺の女性だろう、しかし、内容に違いがあるのは、多分、いくらなんでもお寺の人が、人が死んだら無ですと言っていたのでは、問題だろう、きっと、誰かが指摘したか、自分であのあと勉強して、別の解釈に達したか、自分では無にかえると思っていても、お寺の主催者として、霊の話をしたのであろうと思った。
その後、最近、葬儀社でのMemorial
Serviceに2回参加する機会があった。葬儀社のなかに小さな100人ほどを収容できる会堂が設けられていて、仏教の場合はそれぞれの宗派のお寺さんが招かれて式を運行し、クリスチャンの場合は、また牧師その他が、その会堂で式を運行できるようになっている。これは便利で、わたしも、この葬儀社で火葬にしてもらって、どこかの海か山に灰をまいてもらうように手配しようと思った。リトル東京には合同教会などもあって、私は昔、会社その他の同僚のお葬式、メモリアル・サービスで何度か訪れたことがあるが、葬儀社で全部手配できれば、より簡単ですばらしいと思った。
一回目のMemorial
Serviceは本願寺別院のお坊さんと思われる人が式をとりはからった。彼は日本語と英語でかわるがわる、上手に彼のお話を展開した。彼はほかの宗教と違って、仏教では義務とか制約とかがないという話をまず述べ、みんなVoluntaryの精神で亡き人を弔う、上も下も天国も地獄もないという話で、亡き人の魂は生きている人の記憶に生きると言い、仏教で何回忌とかという行事があるのは、そういう機会を作って亡き人をしのぶということであり、それがなくなるとどんどん忘れ去られていく、というような話であった。わたしはこの、義務も制約もないという話はすばらしいが、このお寺さんは多分、無神論者にちがいないと思った。以前の、本願寺の女性のお寺さんの、霊がうえから、身の回りで見守っているという話とはえらい違いである。でも、確かに記憶の中に生きるのはそのとおりであり、まあ、このお話はそんなに悪いものではなかった。前の女性のお話のほうが、まあ、死者にふさわしいと思ったが。
さて、2回目は仏教ではなかった。同じ葬儀社の、同じ会堂にあつまって、百人を超える参加者があったが、今回はエホバという名前がでてきて、したがって、私は数珠をもっていったが、ただ黙って座っているだけで、参加者一人ひとりが灰をたむけてお祈りするというような儀式は無かった。ひとりのエホバの関係者がながい説教じみた、オルグじみた話を、聖書を引用しながらやり、それを別の人が英語に通訳するという形で展開し、そのあと、遺族の簡単な話と生前の写真のDVDを見ることでおわった。
このエホバの話をしたひとは、多分、その種の宗教団体の主要なメンバーのひとであったのであろう。わたしは聞いていて、これはまずい、こんなMemorial service など場違いで、まるで、エホバの宗教の勧誘をされているようだと感じざるを得なかった。なんと、何度も聖書を引用しながら展開した内容は、アダムの原罪で罪を得た人間の子孫の救済は聖書にかかれたように忠実に、熱心にお祈りしなければならないというような話で、死んでしまえば意識も記憶もなにもなくなり、ちりに返り、Dust
to Dustで復活のときがくるまでお墓で待っていなければならない、そして復活のときがきたら、みなさんとあの世で再会できるというような話で、お寺の女性の、霊となって見守っているというような心休まる話ではなく、灰Dustになって、意識も記憶もない状態で、復活のときを待つというむなしい話。わたしはこれを聞いていて、このエホバの宗派は、教会カトリックの、例の紀元325年二ケア会議と500年代のユスチニアヌス帝の時代の教会統一その他の影響で、教会カトリックが経典を固めて、同じクリスチャンでも他派を排斥、抹殺していった(12-13世紀Cathars-アルビジョワ十字軍、異端審問 その他)、そのカトリックの流れを汲む宗派であるに違いないと思った。
この人たち、宗教を専門とする人たちも、心霊現象の科学の最近の展開を勉強して、それを経典に取り組むかたちで展開しないと、多くの人たちに受け入れられる宗教とはならないであろう。時代遅れで、勉強不足も明らかだというのが私の感想であった。
すでにこの「心霊現象の科学」をめぐるエッセイで展開してきたように、どうやら臨死体験その他でも明らかなように、人間には魂Soulがあって霊魂不滅であり、人は肉体がほろんでも、Soulはより健在で、そのひとのもっていた意識も記憶もそのまま保持しており、エネルギーの次元が異なるだけで、よりすばらしい次元に移行できるという話であり、亡くなれば、生前の家族や友人たちと霊的に再会でき、この地上よりもすばらしい世界に移れ、そこはいわゆる地獄などはなくて、自分がさめた意識で自分をJudgeするという世界、そして大いなるエネルギー、それは愛と慈悲と寛容に満ちて、あたらしい魂を受け入れてくれ、次の次元への案内をしてくれるという話である。
このSpiritualな世界では、多分、釈迦(仏陀)やキリスト、マホメット、道元、親鸞、空海その他の天才的な宗教家たちは、みな愛と信頼、慈悲と寛容に満ちたおおいなるマスターであり、人間たちをリードする役割を果たしているに違いない、そこでは宗教上の宗派を超えた、あかるいエネルギーの世界が展開しているに違いない、したがって、無神論者であれ、どの宗教の信者であれ、誰もが愛と寛容、慈悲と許しの恩恵をうけて、次の次元へと移行していくに違いない。
最近、日本ではお寺も寂れてきているとのことである。わたしが勉強した心霊現象の科学から学んだことは、“お祈り”というのは科学的にも効果があることを証明されており、馬鹿にできないということであった。儀式としてのお寺の利用ではなく、お寺の祈りや啓蒙が若い人々にも受け入れられるような展開が望まれる。
ゲーテGoetheとはまた違った意味で万能の達人・天才であったThomas
Jeffersonは自分の墓碑銘に三つの業績をかかげた。Jeffersonは自分で墓碑銘を選び、デザインをし、Scriptを書いた。その三つとは、独立宣言の執筆、Virginia州での宗教の自由の宣言、そしてUniversity
of VirginiaのFATHERということであった。Jeffersonといえば、アメリカの国土を飛躍的に増大させたLouisianaのナポレオンからの買収も大きな業績のひとつだが、それよりも、彼にとっては自分の出身地であるVirginia州に信仰の自由を確立したことのほうが大事な業績であった。
現代、多くの戦争は宗教戦争といってまちがいない。石油その他の資源など、おおきな利権が絡んでいるが、どうみても人種、宗教がらみの戦争がいつまでも絶えることなく、この地球を悲惨な世界に追い込んでいる。愛と寛容、慈悲と許しに満ちた明るい世界がいつになったらこの地上に実現するのか。
心霊現象の科学を勉強すると人種や宗教の違いなどまったく意味が無いことが判明する。まだまだ啓蒙は必要だと感じさせる。
村田茂太郎 2014年5月4日
「心霊現象の科学」をめぐってー余談 Ghostly
light? ある写真2枚
ここに2枚の写真があります。写真を撮ったときには別に意識して異常な状態を撮ったのはありませんでしたが、Digital
Photoをコンピューターのスクリーンでみると、変な光がうつっていました。
これは2012年12月22日の出来事で、この日は盆栽クラブの忘年会。マスター宅でPotluck スタイルで、みなで食べ物を持ち寄って、楽しく集い、約20人近い人数があつまりました。
わたしはサイキックでは無いので、このような写真がとれるとは思っていませんでしたが、可能性は予感していました。というのは、この年の3月にマスターの長年連れ添われたミセスが癌でなくなり、その1年半ほど前に、やはり盆栽クラブのメンバーであったという若者がまだ40代の若さで、癌で亡くなり、この二人の故人の関係者がこの忘年会に出席しているわけで、いろいろなAfterlife関係の本を読んでいる私には、目に見えなくても二人の霊が、盆栽クラブの例年の忘年会に顔を見せないわけが無いと思っていました。
この部屋のそれ以前の状態を示すために、同じ部屋の写真1枚も添付しました。
私はそれ以外の写真とも比べながら、この2条の光の束のようなものが、突然現れたことを確認しました。最近はGhostly
Light の写真もとれるようになっているようです。ひとつは何かわからない不思議なかたちのものがうつっています。
1970年代に日本で子供たちの間で幽霊の写真を撮るとかという遊びがはやって、その行き過ぎが東北で小学生の実験的自殺を生んだ話は私のエッセイ「心霊現象の科学への私の歩み」のなかで述べておきましたが、墓場はともかく、関係者がいるところでは可能なようであり、特にPhilip
Experienceなどが示しているように、あるいはMaurice
Barbanellの「This
is Spiritualism」という本を何回かに分けて私のブログで紹介したなかで、Spiritはにぎやかな雰囲気が好きだという話も紹介しましたが、本当にSpiritsが身近に居ることを示しているように思います。
村田茂太郎 2015年8月5日
「心霊現象の科学」をめぐって - 余談 “結論”? 2015年10月3日、4日
1966年、大学のクラス・メートのひとりが突然自殺したとき、私は本当にショックを感じ、回復するまでに半年ほどの精神的心理的苦悩を体験した。そのとき、クラスで発行していた新聞に、「彼女があの世で生きているとわかれば、どんなに心が安らぐことだろう」というような記事を書いたことを覚えている。
当時、ベトナム反戦運動が盛んで、マルクス思想で頭がいっぱいの私には、あの世が存在するなど考えることも出来なかった。もちろんほかのクラス・メートもいわゆる無神論で、だれも本当にAfterlifeが存在するなどということを信じもせず、考えたこともなかったはずである。死んで無にかえる、それがあたりまえの解釈であった。
その当時からほとんど50年が経過した。
私のこの領域、心霊現象の科学への関心は、1975年に同じクラス・メートの一人がLeukemiaで病死するという出来事があってから、加速的に深まった。
そしてそれから40年、私はやっと自分なりの結論に達したように思う。
―――結論―――
Death死 は肉体がなくなるだけで、魂Soulは滅びず、次の次元(? 高度なエネルギーレベル?)に移行するだけである。
次の次元に移った魂Soulは肉体を保持していたときに体験したすべてを保持する。
つまり、記憶をもち、意識があり、個性も性格も、感情もすべてそのまま保持する。視力や聴力まで保持するというから、肉体とは何かということになるかもしれない。移行するときに物質的富だけが魂と関係なくなるだけで、それまでに精神的に身につけたレベルで次の次元に移行する。したがって、悪いことばかりしてきた魂が突如よくなるということはない。EarthboundのSoul(地上にへばりついた魂、成仏できない、または家族に執着があって成仏しない魂)で、デタラメな人物は、死んでもいいかげんである。(Ouija
Boardの危険性は、こういういい加減なEarthbound
Soulがチャンス到来とばかり近寄ってきて、めちゃくちゃな情報を送り、それを神からのメッセージと解釈した不幸なひとびとは、悲惨な結果を招くことになった。)
移行時に“お迎え”がくれば、やすらかに次の次元に移行できる。臨死体験が示し、Mediumが示すように、先に亡くなった近親者や友人の霊があつまって、次の時限に移行するSoul魂を“お迎えする”という話は本当のようである。お迎えが来れば、安心して従えばよいということのようである。これが臨死体験を大脳の化学反応で解釈するときに説明不可能な現象である。
無神論者や、宗教の影響で地獄におちると信じている魂は、光を求めて移行することが出来ず、Earthbound Soul (地上にへばりついた魂)となる可能性が強い。Earthbound Soul の一つの現象の仕方は、Ghostである。幽霊現象は本当に実在する現象である。
天界(霊界)とは空の上にあるのではなく、この肉体の持つエネルギー次元よりも高度のVibrationを発する状態のことであり、通常の人間にはなかなかCatchすることはできない。サイキックなひとは、その振動レベルを上げることが可能な人で、異次元の状態に居るSoulがコンタクトすることが可能となる(Soulとしては努力してすこし振動を落とすということか)。Meditation,
Hypnosis その他の方法で自分の意識レベルをあげることによって、霊界と接触が可能になるようだ。霊界は肉体を保持しないエネルギー状態なので、ふつうのひとはそのままではコンタクトは無理で、夢見る状態(アルファー波)のレベルにいるときに、霊界からのコンタクトをCatchすることは起きるらしい。
次の次元では“愛”がすべてを支配していて、どのSoulも限りない愛に満たされるのを感じる。
ただ執着が残ったままのSoulは次の次元に移行するのが容易でない。地上に生き残ったメンバーと亡くなったSoulとの間の確執が解除されない限り、いつまでもEarthboundの状態にとどまる可能性がつよい。したがって、この世で生じた問題はこの世で解決しなければならず、死んですべてが片付くというものではない。したがって自殺は解決にならない(例外もあるが)。ここで大事なことは赦し、Forgivenessである。
ではこの世での人間の生存理由、生きる目的は何か。なぜ人間はこの世で生きているのか。それは体験をするためであるといわれる。肉体を持った人間は、エネルギーだけになったSoulとくらべてさまざまなことを体験する。肉体があるために苦痛も快楽も恐怖も歓楽も体験することになる。死の恐怖を含めて。つまり、さまざまな体験を経て魂は成長するわけである。魂が成長するためにさまざまな体験をする、そして愛や寛容、赦しの大切さを学ぶということが、この世に生きている理由ということになるらしい。
最近の情報では、魂が存在するのなら、もちろん生まれる前にも魂があり、魂は生まれる前に相談をして、自分で親を択んで生まれてくるという。(そういえば最近読んだベックという人の書いた「仏教」という本(岩波文庫)の釈迦の伝記のところで、釈迦は生まれる前にどの親の元に生まれるかをほかの神様たちと相談し、最適の夫婦をみつけて(国王夫妻)、確認し、そのとおりに生まれてきたと書かれていた。これは今で言うPrenatal
Plan(子供は生まれてくる前に、どのような体験を次の人生でするかを自分でわかって決めて、親を択んで生まれてくるという)である。いろいろな状態で子供が生まれ、場合によってはまだ若いうちに逝去するケースも沢山あるが、そういうような場合でも子供は自分がそうなるのを知って生まれてくるとか。それは経験・体験としてどういう意味を持つのかといえば、そうした不幸を体験したすべての関係者が喜びと悲しみ、苦悩、怒りその他を切実に体験し、世の中の見方がかわるということであるらしい。自分で苦しみや悲しみを体験しないと、人の苦しみや悲しみもよく理解できないということ。周りの人間が苦悩・悲しみを体験するというのは本当で、19歳になりたてで クラス・メートが突然自殺したときに私が体験した空虚感、絶望感は、ある意味で私の存在を変えてしまったといえる。今では私が工学部の大学を中退して文学部の大学に移行したのは、この クラス・メートの自殺を体験するためであったのかもしれないと思うほどである。
そしてSoulが独立で存在するのなら、Possession(憑依 人に取り付く)もありうる話であり、Reincarnation転生 も起こりうる話である。先にあげた「仏教」のなかで、釈迦は転生を当たり前の事実として受け止めており、この転生をしなくてすむように修業するのが仏の道で、最高の境地に達した人は転生をしなくてすむと書かれている。釈迦にとって人生は苦悩の連続ということで、人々が苦悩を脱出できる道は、悟りを開いて二度と生まれてこないでよいようにするということであったらしい。
聖書で“転生”が葬り去られたのは、コンスタンチン大帝のローマ帝国維持政策のためであるらしい。325年の二ケア会議、そして国教化、539年ユスチニアヌス帝の異教禁止令が教会キリスト教のその後の専横を産むことになった。教会組織にとって、死後また生まれ変わってくるなどという考えは教会存在を揺さぶることになるからである。このため13世紀ごろにアルビジョワ十字軍という異端征伐がおこなわれ(イノケンチウス3世Innocent
III の命令!)、転生を信じる無抵抗なキリシタン信徒1万人以上を焼き殺す事件が起きたりした。仏教はほかの宗教に寛容であることを思うと、一神教は、ひとつ間違えば、神の名で同じキリスト教の信者を異端の名で堂々と抹殺できたというところに恐ろしさがある。
そうした教会側の苦労(転生のアイデアを聖書から消し去ろうと、何度も改ざんした)にもかかわらず、新約聖書を読めばイエスが転生を説いている箇所に出遭うわけである。
さてSoul魂が意識も記憶も個性も、そして視力も聴力も保持しているということはどういうことか。人間の大脳は丁度あらゆる電波を整理し、再生するTV装置のようなもので、情報自体はエネルギーとして存在しているという説がある。死んでも記憶も意識もあるということであれば、大脳を持った肉体がなくなったあと、大脳と関係なく記憶・意識・情報がサイキックな人にアクセスできる状態で存在しているということである。ということは、大脳は情報再生装置のひとつで、それ以上のもので無いということであるのかもしれない。すべての情報はAkashic Recordに記録され、超能力者はそれにアクセスでき、たとえばEdgar
Cayce(エドガー・ケイシー)のようなひとは、個人の現在だけでなく、前世の情報もとりだすことができた。Cayce は人が見た夢にアクセスして、その夢がどういう意味か分析できたという。
そういえば、心臓と肺を移植した女性が無事生きながらえたが、なんと、臓器を提供した人間の体質や性向、ある種の記憶まで共有することになったという話である。最近はCell細胞レベルでその人の記憶や体質まで影響しており、いわば人間は頭脳といわず、体全体で意識し思考しているということがわかってきたようである。
そしてもちろん今では意識が、そして祈りが細胞に影響を与えることが出来るという事実は常識になっている。有名なPlacebo効果は本当である。ただの水を特効薬だと信じて服用した人は、特効薬を服用したひとと同じほどの効果をえるのはよく知られている。これは、そのひとの意識・信念が細胞に影響を与えたということである。
William
Jamesがアメリカ心霊現象研究学会を発展、維持させようとして苦労した19世紀末の意識状態にくらべると、現代のこの領域の意識状態は、なんと発展したことだろう。当時、テレパシーを信じるだけで大学教授の席を追放され、学会から葬られる状態であったので、偉大な哲学者・心理学者William
Jamesの苦労は並大抵ではなかった。今ではTelepathyやClairvoyant、Psycho-kinesis などは当たり前になって、どうやらReincarnation,
Possession, Past-life Therapy、Pre-natal-planといった領域が堂々と学者の間で論じられるようになり、いまや最大の問題はConsciousness意識 をどう扱うかということであるようだ。生理的に大脳を捜しても“意識”がみつかるわけでもなく、脳死の状態で、臨死体験者は意識を保持してOut-of-Bodyの状態で自分の体をみつめているということであれば、やはりMorphic
Resonanceというか、意識はエネルギー状態のひとつで、大脳はただの再生装置のひとつで、再生は大脳がなくても可能ということが、Psychic現象が提示している問題かもしれない。
私には今の科学はまだ発展途上で、Star
Trekの状態になるまでには、たしかに300年、500年、必要だろうと思える。今の科学で解明できないから、ありえないとかインチキだとか迷信だとか平気でつぶやいている批評家・知識人が沢山居るのは困ったもので、もうすこしまじめに勉強してもらいたいと思う。ここでも小林秀雄は正しかった。知識人の堕落を非難し、今の科学の状態とその限界をよく理解していた。不思議が世の中に存在することを疑わなかった。“不思議”とは今の科学の時点で解明できないというだけで、いつかは解明されるであろう。知識人の理解度をテストするその試金石はCarl
Jungをどう扱うかだと思う。(吉本隆明は落第であった。小林秀雄はもちろん合格。)私は、ユングはフロイトよりもはるかに人間をよく理解していたと思うし、大胆で、風評をおそれなかった人だと思う。彼自身がサイキックだったから、それができたのだろう。
わたしは今ではSpiritualistという分類に属するのだと思う。Soulが存在すると認めるのがSpiritualistだと思う。先祖の霊を祭る日本人は基本的にSpiritualistである。仏教を無神論だというひとがいるが、それはユダヤ教のような絶対者としての神を認めなかった、必要としなかっただけで、自然の中に神を認めたわけで、すべてに神を見るとは、すべてに愛を見るということで、汎神論的な展開をした。唯一神でなく、愛が神であり、法則性、全一者、おおいなる光。したがって、この肉体が無くなれば、意識をもったSoul魂として次のエネルギー状態に移行する。私も(お釈迦さまが感じられたように)この世の中は苦しみと悲しみが満ちているので、転生はしたくないと思う。また生まれ変わったら大変である。仏陀もイエスも孔子もソクラテスも道元も親鸞も明恵も空海もマホメットも、みなマスターの次元に居るに違いない。そこは愛と寛容で満ちているに違いない。
私の心霊現象の科学に対する探求はようやく結論に達したわけである。いまや私は、死はこわくないどころか、楽しみである。亡くなった友人知人親族に再会できることはもちろん、もしかして自殺や事故で亡くなった若い魂を救済する教師の仕事が私には向いているかもしれない。そうすれば転生しないで意味のある仕事が出来るということかもしれない。
私はマルクスを否定したわけではない。今も哲学者のなかで、私にとって一番えらいひとである。私がマルクスから学んだのは 主体性、弁証法、批判的意識、論理的展開 などであり、それは旧ソ連が崩壊し、衛星国が崩壊しようと、マルクスに関係ないことであった。スターリン主義はマルクスとは全く異なる。毛沢東主義もマルクスとは関係ない。わたしがマルクスを訂正するのは、“死んで無” ではなく、“死んで次のより高度なエネルギー次元に移行するだけ”ということがわかった、ということであり、それも弁証法的・科学的に思考することによって到達した結論である。
2014年12月にBob Olsonの本を紹介したのが最後で、あとは殆どこの表題でブログに発表はしてこなかった。忘れてしまったのではなくて、素晴らしい本を読み続けるのに忙しくて、なかなか書く気分にならなかっただけである。英語の素晴らしい本が沢山ある。今後も私はこのブログで紹介していきたいと思う。村田茂太郎 2015年10月3日、4日
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