私のブログ ”心霊現象の科学” をめぐる私の感想 並びに 抜粋紹介 9篇 2021年10月16日
私が「心霊現象の科学」という題でブログとして展開し始めたのは2012年の2月であった。そして4年後、2015年12月末で一応、終了とした。ファイルはWordで簡単に送付できるので、私は何人かの友人にメールに添付して届けた。
LAを訪問した姉にはプリントしたBinderを重たいけれど持ち帰ってもらった。最近、読んだかどうか尋ねたところ、全然読んでいないということであった。まあ、私が電話でいくつかの疑問について説明したりしていたので、姉はそれで充分だといったので、私はNO!、ちゃんと読んでちょうだいとリクエストした。それから1か月たち、どう?と聞いたら、1篇だけ その105 を読んで、わかりやすく面白かったので、これからはちゃんとまじめに取り組むということであった。
私が交信している友人は、親切に、なぜ取り組むのが大変かについて理由を説明してくれた。まず題名がむつかしそうである。心霊現象の科学!単に あの世について とか、もう少し親しみやすい題名が必要だったのかもしれない。そして、英語の引用文がたくさん出てくる。もちろん直訳や意訳が’主についているのだが、英語の引用が多いと、慣れていない人には読む気にならないということかもしれない。
それで、私は一案として、最初から読むのでなく、ほとんどそれぞれ独立した内容なので、目次を眺めて自分が面白そうだと思ったところから読み始めればよい。特に、最後のほうのエッセイは私が4年の探求でたどり着いた結論がまとめとして書いてあるので、まず終わりのほうのエッセイから読み始めるとよいと姉にも勧め、友人にもすすめた。
今、’我々はテロや大事故、大天災そしてコロナなどでいつ死ぬかしれない時代に生きている。そのとき、死んだらどうなるか、ある宗教が説くように、死んで眠りにはいり、最後の審判の日にめざめて天国・地獄の判定がされるのか、そうではなくて、死んで肉体が亡くなるだけで、意識も記憶も個性も感情もすべて保持するのか、それとも唯物論者が説くように“無”であるのか。もし無であれば、簡単である。無でなく、意識があり、記憶もあり、感情もある個性もあるとわかったときが大変である。どうすればよいのか。間違った宗教上のドグマをまじめに信じたひとは、肉体がないが意識も記憶も保持していると分かった時が大変である。地獄を信じた人は、地獄をのがれようとして、次のエネルギー次元に移行しようとしないで、逃げ回る。そういう成仏できない魂を救おうと Dr. Wickland は1924年に出版した Thirty years among the Dead という素晴らしい本で、Mediumであった彼のワイフと一緒に、迷える魂の救済活動をした。わたしのブログの最後の5編はこの素晴らしい本の紹介である。
ということで、私は皆さんに、この私のブログ「心霊現象の科学」を読んでもらいたいが、まあ、今回、姉にも勧めた最後に近いところで展開したエッセイを抜粋して、ここに添付する。
私の、この道のまじめな探求は1975年から始まった。拙著に収め、ブログにも採用した 「心霊現象の科学への私の歩み」というエッセイは、1985年の執筆である。そしてこのブログを始めたのは2012年。そして今は2021年。探求をはじめてすでに45年以上経った。今も私は探求を辞めていない。意識とエネルギーと物質の関係、宗教の起源、あの世の構造、その他、まだまだ興味深い領域が未解決である。
まあ、今更この題名を変更するわけにはゆかない。興味ある人にだけ読んでもらうということで満足する。
以下にそれぞれまとまったエッセイを添付した。9編。ブログの最後に近い文章である。わたしの結論が示されている。これを読んで興味がわけば、最初から読んでいただけば幸いである。
村田茂太郎 2021年10月16日
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1 余談 ”結論” ? 2015年10月3日、4日
2 訣別 わかれ 2012年3月16日
3 雑談 癌をめぐって 2015年10月16日
4 雑談 Survey(世論調査)をめぐって
5 雑談 人生の意味は・目的は何か Parapsychologyの現段階?
6 その101「The Secret Life of the Unborn Child」 Thomas Verny, MD を読む
7 余談 お葬式またはメモリアル・サービスに参加して
8 「心霊現象の科学」をめぐって - 最近の感想 (2013年11月)
9 その103「The Children of Now」 Meg Blackburn Losey, 、MSC.D., Ph.D.を読む
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1 「心霊現象の科学」をめぐって-余談 “結論”? 2015年10月3日、4日
1966年、大学のクラス・メートのひとりが突然自殺したとき、私は本当にショックを感じ、回復するまでに半年ほどの精神的心理的苦悩を体験した。そのとき、クラスで発行していた新聞に、「彼女があの世で生きているとわかれば、どんなに心が安らぐことだろう」というような記事を書いたことを覚えている。
当時、ベトナム反戦運動が盛んで、マルクス思想で頭がいっぱいの私には、あの世が存在するなど考えることも出来なかった。もちろんほかのクラス・メートもいわゆる無神論で、だれも本当にAfterlifeが存在するなどということを信じもせず、考えたこともなかったはずである。死んで無にかえる、それがあたりまえの解釈であった。
その当時からほとんど50年が経過した。
私のこの領域、心霊現象の科学への関心は、1975年に同じクラス・メートの一人がLeukemiaで病死するという出来事があってから、加速的に深まった。
そしてそれから40年、私はやっと自分なりの結論に達したように思う。
―――結論―――
Death死 は肉体がなくなるだけで、魂Soulは滅びず、次の次元(? 高度なエネルギーレベル?)に移行するだけである。
次の次元に移った魂Soulは肉体を保持していたときに体験したすべてを保持する。
つまり、記憶をもち、意識があり、個性も性格も、感情もすべてそのまま保持する。視力や聴力まで保持するというから、肉体とは何かということになるかもしれない。移行するときに物質的富だけが魂と関係なくなるだけで、それまでに精神的に身につけたレベルで次の次元に移行する。したがって、悪いことばかりしてきた魂が突如よくなるということはない。EarthboundのSoul(地上にへばりついた魂、成仏できない、または家族に執着があって成仏しない魂)で、デタラメな人物は、死んでもいいかげんである。(Ouija
Boardの危険性は、こういういい加減なEarthbound Soulがチャンス到来とばかり近寄ってきて、めちゃくちゃな情報を送り、それを神からのメッセージと解釈した不幸なひとびとは、悲惨な結果を招くことになった。)
移行時に“お迎え”がくれば、やすらかに次の次元に移行できる。臨死体験が示し、Mediumが示すように、先に亡くなった近親者や友人の霊があつまって、次の時限に移行するSoul魂を“お迎えする”という話は本当のようである。お迎えが来れば、安心して従えばよいということのようである。これが臨死体験を大脳の化学反応で解釈するときに説明不可能な現象である。
無神論者や、宗教の影響で地獄におちると信じている魂は、光を求めて移行することが出来ず、Earthbound Soul (地上にへばりついた魂)となる可能性が強い。Earthbound Soul の一つの現象の仕方は、Ghostである。幽霊現象は本当に実在する現象である。
天界(霊界)とは空の上にあるのではなく、この肉体の持つエネルギー次元よりも高度のVibrationを発する状態のことであり、通常の人間にはなかなかCatchすることはできない。サイキックなひとは、その振動レベルを上げることが可能な人で、異次元の状態に居るSoulがコンタクトすることが可能となる(Soulとしては努力してすこし振動を落とすということか)。Meditation,
Hypnosis その他の方法で自分の意識レベルをあげることによって、霊界と接触が可能になるようだ。霊界は肉体を保持しないエネルギー状態なので、ふつうのひとはそのままではコンタクトは無理で、夢見る状態(アルファー波)のレベルにいるときに、霊界からのコンタクトをCatchすることは起きるらしい。
次の次元では“愛”がすべてを支配していて、どのSoulも限りない愛に満たされるのを感じる。
ただ執着が残ったままのSoulは次の次元に移行するのが容易でない。地上に生き残ったメンバーと亡くなったSoulとの間の確執が解除されない限り、いつまでもEarthboundの状態にとどまる可能性がつよい。したがって、この世で生じた問題はこの世で解決しなければならず、死んですべてが片付くというものではない。したがって自殺は解決にならない(例外もあるが)。ここで大事なことは赦し、Forgivenessである。
ではこの世での人間の生存理由、生きる目的は何か。なぜ人間はこの世で生きているのか。それは体験をするためであるといわれる。肉体を持った人間は、エネルギーだけになったSoulとくらべてさまざまなことを体験する。肉体があるために苦痛も快楽も恐怖も歓楽も体験することになる。死の恐怖を含めて。つまり、さまざまな体験を経て魂は成長するわけである。魂が成長するためにさまざまな体験をする、そして愛や寛容、赦しの大切さを学ぶということが、この世に生きている理由ということになるらしい。
最近の情報では、魂が存在するのなら、もちろん生まれる前にも魂があり、魂は生まれる前に相談をして、自分で親を択んで生まれてくるという。(そういえば最近読んだベックという人の書いた「仏教」という本(岩波文庫)の釈迦の伝記のところで、釈迦は生まれる前にどの親の元に生まれるかをほかの神様たちと相談し、最適の夫婦をみつけて(国王夫妻)、確認し、そのとおりに生まれてきたと書かれていた。これは今で言うPrenatal
Plan(子供は生まれてくる前に、どのような体験を次の人生でするかを自分でわかって決めて、親を択んで生まれてくるという)である。いろいろな状態で子供が生まれ、場合によってはまだ若いうちに逝去するケースも沢山あるが、そういうような場合でも子供は自分がそうなるのを知って生まれてくるとか。それは経験・体験としてどういう意味を持つのかといえば、そうした不幸を体験したすべての関係者が喜びと悲しみ、苦悩、怒りその他を切実に体験し、世の中の見方がかわるということであるらしい。自分で苦しみや悲しみを体験しないと、人の苦しみや悲しみもよく理解できないということ。周りの人間が苦悩・悲しみを体験するというのは本当で、19歳になりたてで クラス・メートが突然自殺したときに私が体験した空虚感、絶望感は、ある意味で私の存在を変えてしまったといえる。今では私が工学部の大学を中退して文学部の大学に移行したのは、この クラス・メートの自殺を体験するためであったのかもしれないと思うほどである。
そしてSoulが独立で存在するのなら、Possession(憑依 人に取り付く)もありうる話であり、Reincarnation転生 も起こりうる話である。先にあげた「仏教」のなかで、釈迦は転生を当たり前の事実として受け止めており、この転生をしなくてすむように修業するのが仏の道で、最高の境地に達した人は転生をしなくてすむと書かれている。釈迦にとって人生は苦悩の連続ということで、人々が苦悩を脱出できる道は、悟りを開いて二度と生まれてこないでよいようにするということであったらしい。
聖書で“転生”が葬り去られたのは、コンスタンチン大帝のローマ帝国維持政策のためであるらしい。325年の二ケア会議、そして国教化、539年ユスチニアヌス帝の異教禁止令が教会キリスト教のその後の専横を産むことになった。教会組織にとって、死後また生まれ変わってくるなどという考えは教会存在を揺さぶることになるからである。このため13世紀ごろにアルビジョワ十字軍という異端征伐がおこなわれ(イノケンチウス3世Innocent
III の命令!)、転生を信じる無抵抗なキリシタン信徒1万人以上を焼き殺す事件が起きたりした。仏教はほかの宗教に寛容であることを思うと、一神教は、ひとつ間違えば、神の名で同じキリスト教の信者を異端の名で堂々と抹殺できたというところに恐ろしさがある。
そうした教会側の苦労(転生のアイデアを聖書から消し去ろうと、何度も改ざんした)にもかかわらず、新約聖書を読めばイエスが転生を説いている箇所に出遭うわけである。
さてSoul魂が意識も記憶も個性も、そして視力も聴力も保持しているということはどういうことか。人間の大脳は丁度あらゆる電波を整理し、再生するTV装置のようなもので、情報自体はエネルギーとして存在しているという説がある。死んでも記憶も意識もあるということであれば、大脳を持った肉体がなくなったあと、大脳と関係なく記憶・意識・情報がサイキックな人にアクセスできる状態で存在しているということである。ということは、大脳は情報再生装置のひとつで、それ以上のもので無いということであるのかもしれない。すべての情報はAkashic Recordに記録され、超能力者はそれにアクセスでき、たとえばEdgar
Cayce(エドガー・ケイシー)のようなひとは、個人の現在だけでなく、前世の情報もとりだすことができた。Cayce は人が見た夢にアクセスして、その夢がどういう意味か分析できたという。
そういえば、心臓と肺を移植した女性が無事生きながらえたが、なんと、臓器を提供した人間の体質や性向、ある種の記憶まで共有することになったという話である。最近はCell細胞レベルでその人の記憶や体質まで影響しており、いわば人間は頭脳といわず、体全体で意識し思考しているということがわかってきたようである。
そしてもちろん今では意識が、そして祈りが細胞に影響を与えることが出来るという事実は常識になっている。有名なPlacebo効果は本当である。ただの水を特効薬だと信じて服用した人は、特効薬を服用したひとと同じほどの効果をえるのはよく知られている。これは、そのひとの意識・信念が細胞に影響を与えたということである。
William Jamesがアメリカ心霊現象研究学会を発展、維持させようとして苦労した19世紀末の意識状態にくらべると、現代のこの領域の意識状態は、なんと発展したことだろう。当時、テレパシーを信じるだけで大学教授の席を追放され、学会から葬られる状態であったので、偉大な哲学者・心理学者William
Jamesの苦労は並大抵ではなかった。今ではTelepathyやClairvoyant、Psycho-kinesis などは当たり前になって、どうやらReincarnation,
Possession, Past-life Therapy、Pre-natal-planといった領域が堂々と学者の間で論じられるようになり、いまや最大の問題はConsciousness意識 をどう扱うかということであるようだ。生理的に大脳を捜しても“意識”がみつかるわけでもなく、脳死の状態で、臨死体験者は意識を保持してOut-of-Bodyの状態で自分の体をみつめているということであれば、やはりMorphic
Resonanceというか、意識はエネルギー状態のひとつで、大脳はただの再生装置のひとつで、再生は大脳がなくても可能ということが、Psychic現象が提示している問題かもしれない。
私には今の科学はまだ発展途上で、Star Trekの状態になるまでには、たしかに300年、500年、必要だろうと思える。今の科学で解明できないから、ありえないとかインチキだとか迷信だとか平気でつぶやいている批評家・知識人が沢山居るのは困ったもので、もうすこしまじめに勉強してもらいたいと思う。ここでも小林秀雄は正しかった。知識人の堕落を非難し、今の科学の状態とその限界をよく理解していた。不思議が世の中に存在することを疑わなかった。“不思議”とは今の科学の時点で解明できないというだけで、いつかは解明されるであろう。知識人の理解度をテストするその試金石はCarl
Jungをどう扱うかだと思う。(吉本隆明は落第であった。小林秀雄はもちろん合格。)私は、ユングはフロイトよりもはるかに人間をよく理解していたと思うし、大胆で、風評をおそれなかった人だと思う。彼自身がサイキックだったから、それができたのだろう。
わたしは今ではSpiritualistという分類に属するのだと思う。Soulが存在すると認めるのがSpiritualistだと思う。先祖の霊を祭る日本人は基本的にSpiritualistである。仏教を無神論だというひとがいるが、それはユダヤ教のような絶対者としての神を認めなかった、必要としなかっただけで、自然の中に神を認めたわけで、すべてに神を見るとは、すべてに愛を見るということで、汎神論的な展開をした。唯一神でなく、愛が神であり、法則性、全一者、おおいなる光。したがって、この肉体が無くなれば、意識をもったSoul魂として次のエネルギー状態に移行する。私も(お釈迦さまが感じられたように)この世の中は苦しみと悲しみが満ちているので、転生はしたくないと思う。また生まれ変わったら大変である。仏陀もイエスも孔子もソクラテスも道元も親鸞も明恵も空海もマホメットも、みなマスターの次元に居るに違いない。そこは愛と寛容で満ちているに違いない。
私の心霊現象の科学に対する探求はようやく結論に達したわけである。いまや私は、死はこわくないどころか、楽しみである。亡くなった友人知人親族に再会できることはもちろん、もしかして自殺や事故で亡くなった若い魂を救済する教師の仕事が私には向いているかもしれない。そうすれば転生しないで意味のある仕事が出来るということかもしれない。
私はマルクスを否定したわけではない。今も哲学者のなかで、私にとって一番えらいひとである。私がマルクスから学んだのは 主体性、弁証法、批判的意識、論理的展開 などであり、それは旧ソ連が崩壊し、衛星国が崩壊しようと、マルクスに関係ないことであった。スターリン主義はマルクスとは全く異なる。毛沢東主義もマルクスとは関係ない。わたしがマルクスを訂正するのは、“死んで無” ではなく、“死んで次のより高度なエネルギー次元に移行するだけ”ということがわかった、ということであり、それも弁証法的・科学的に思考することによって到達した結論である。
2014年12月にBob Olsonの本を紹介したのが最後で、あとは殆どこの表題でブログに発表はしてこなかった。忘れてしまったのではなくて、素晴らしい本を読み続けるのに忙しくて、なかなか書く気分にならなかっただけである。英語の素晴らしい本が沢山ある。今後も私はこのブログで紹介していきたいと思う。
村田茂太郎 2015年10月3日、4日
2 訣別 わかれ 2012年3月16日
今日(アメリカ3月16日)はお葬式がありました。
この、お葬式は、最近の私の「心霊現象の科学」への関心がまた高まって、いくつかの昔読んだ本を再読していたおかげもあって、わたしにはさわやかなものでした。
多分、Rosemary Brownの話が心に残っているからでしょう。”Unfinished Symphonies"。
彼女(Rosemary)のお母さんが病院でなくなったとき、知らせが来る前に、病気の母の姿ではなく、わかわかしく元気になってうれしそうな母親のまぼろしが彼女を訪れて、彼女は病気で苦しんでいる母親でなく、もう違う次元に移った母親の霊にあって、かえってうれしかったという感想を書いていました。
Rosemary Brownはそのあと、彼女につきそうFrantz Lisztの霊から、この地上の生命はいわば幼児期のようなもので、まだまだ異次元の世界で生長していかねばならないとかという話をききます。
つまり、霊がお墓にとどまっているのではなく、もう別の次元に移行しているのであって、いわば偏在の存在になったということだと思います。
今日のお寺さんのお話でも、霊が永遠に、いつまでも、お墓の中に居るのではなく、どこにでも、そよ風にも、夜の星明りの中にも、というたとえがありましたが、そういうことだと思います。
昔、読んだ本を読み返していて、次のような話がありました。これは ”Edgar Cayce-Sleeping Prophet” というベストセラーを書いたJournalist Jess
Stearn というひとの”A Matter of Immortality" という本の最初に出てくる話です。
有名なMedium 霊媒 Maria Moreno というサイキック(Trance Medium) がTyrone Power というActorのお墓の近くのベンチでRelaxしていたとき、突然、だれかが肩に触れたように思い、夢だと思って払いのけようとしたら、突然、声がした。
”I want you to convey a message for
me."わたしからのメッセージを伝えて欲しい。
Mediumとして沢山の霊とつきあってきたMariaにとっても、Trance状態でないのに、霊がはなしかけてきたのは初めてだった。
”My name is Lydia、and you
are sitting by the foot of my grave.”私の名前はリュディア、あなたは私のお墓のあしもとに座っている。”
Mediumがよlくみると地面を少しあげたところに簡素な厚板のような墓石があって、それにLydia 1931-1972 と刻んである。
"In a few minutes," she said, “three people
will arrive to visit my grave. They come every day at four-thirty with flowers, and they weep until my hearts aches
for them. Tell them not to come any more, that I am not dead, but alive, and
that they should go with their lives, and stop grieving."
"And who are these people?"
asked Maria.
"They are my mother and father
and sister. They loved me, and will not let me go."
"But why should they listen to
me?" said Maria. "They have not consulted to me."
"True," said the vision,
“but I will give you the information that will convince them that you are
speaking for me."
"I do not think so," said
Maria, “They enjoy their sorrow."
"Oh, no, it is only that they
have little else, and do not understand that life is everlasting. Nothing lies
in that coffin but the flesh. There are no ghosts living in graveyards."
もうすぐ、三人やってくる。毎日、4時半にお花をもって。そしてわたしの心が痛むほど彼らは嘆く。もうお墓へは来なくてよいといって欲しい、わたしは死んではいない、生きているのだ、彼らは自分の生活を生きるべきで、いつまでも嘆いていてはいけない。
誰なの?
父母と妹。彼らはいつまでも私を愛して、お墓参りをするので、わたしはどこへもゆけない。
でも、どうして彼らがわたしの忠告を聞くと思うの、別に私に相談したわけでもないのだし。
そうその通り、ただ、あなたが私のために話していると彼らが信じるような情報を伝えるわ。
私はそうは思わない、かれらは自分たちの悲しみを楽しんでいるのだから。
いいえ、彼らには何もする事が無いから、そうしているだけ。生命が持続するものだとわかっていないのよ。このお墓の棺の中には死んだ肉体以外の何もないのよ。墓場には幽霊なんていないのよ。
という調子でつづいていきます。
結局、名前その他の情報をもらい、しばらくすると、3人がやってきました。Mediumが声をかけ、Lydiaの希望を伝えると、驚いて、信じるどころか逃げていく。しかし、しばらくたって、別の日、またTyrone Powerのお墓の近くにいったら、今度は一人の女性だけがお墓参りにきていた。すくなくとも、両親は訪問をやめたのであった。
“She tells me to tell you: “‘I am not dead. I live. Death is the beginning, life
the unreality. Grieve for me no longer'."わたしは死んでいない、死は始まりだから、非現実的なる生の、もう、私のことを嘆かないで“ ということを伝えてくれと言っている。”
ということで、Maria Moreno はあとで、何が起こったかについて考察します。
"Nothing was in the grave. She came to me from
space, because I was a medium. She wanted her family to know that she was happy
now, and didn't like seeing them unhappy."
お墓には何もない。彼女の霊は宇宙から私のところにやってきた、なぜなら、わたしが霊をあつかえるMedium霊媒ということを知ったから。彼女は今、Happyで、彼女の家族がいつまでも彼女のことを嘆いてUnhappyでいるのはたまらない、ということで、Mariaをみつけて、頼んだというお話。
ともかく、Psychic Scienceを読み、今在る科学の限界、あるいは科学者の科学的態度の限界を思うと、世の中に不思議はあり(小林秀雄)、霊媒Mediumは本当に霊と交信し、死ははじまりであって、おわりではないということは本当かもしれません。パスカルの賭けで、本当かもしれないというほうに賭けた方が、無を信じるよりは、じぶんが死んだときに戸惑わなくて済むかもしれません。
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そういえば、昨日〔アメリカ3月15日)、たまたま、Yomiuri-onlineで吉本ばなな が云々と書いてあったので、開いてみると、吉本隆明が亡くなった感じなので、Wikipediaで調べると、3月16日、日本時間で、87歳で逝去と出てきました。ばなな の話では、父隆明氏が、おまえが祈ってくれたおかげで、三途の川からもどってこられた、とかといっていたということで、亡くなるすこしまえに、意識が回復したときの話でしょう。
吉本隆明氏は戦後思想界の巨人で、とくに若い全共闘の世代〔1960年代)に妄信的な影響と信者をあつめたようで、わたしはえらいと思っていましたが、どちらかというと小林秀雄のほうが私の好みにあっていたので、批判的に読んだ方です。しかし、小林秀雄とちがって、つねに時代の問題をひきうけていたので、大変だったと思います。
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今日、お別れをした人はとても明るく、生き生きとしたひとで、居るだけで、その場がはなやぐような、楽しい人でした。77歳。病気で苦しんで生きているよりも、サイキックの話が本当であれば、かえって喜ばしい状態になったのかもしれません。私がさわやかな印象をもてたというのも、そのせいでしょう。いまも、まるですぐそばにおられるような感じがするほどで、もしかして、そうなのかもしれません。思い出す、祈る、考えるということは、霊的存在にとっても大事なことかもしれません。
合掌。村田茂太郎 2012年3月16日
3 「心霊現象の科学」をめぐってー 雑談 癌をめぐって 2015年10月16日
Yomiuri Onlineによると日本人の三大疾患は 癌、心疾患、 脳血管疾患 であるという。
癌に関しては、今では、最も恐れられる病気のひとつから、そうでもない病気の一つになったように思われるが、それでも癌で亡くなる人はいまだに沢山居るようだ。
私の友人、知人、クラス・メート その他、わかっただけでも大概は癌で亡くなっている。
私は 拙著「寺子屋的教育志向の中から」というエッセイ集に載せたエッセイ“癌と人生”のなかで、著者Lawrence
LeShan Ph.D.の本”You
can fight for your life” を紹介しながら、癌に対抗して生きる生き方を述べた。それは1983年ごろのことであり、この本は1977年ごろに出版されていた。私は、一読して素晴らしいと思い、もう一度本屋に行って、そこにあった6冊ほど全部購入して、友人・知人にあげたり、貸したりしたものであった。なかには、返してくれと頼んだのに、返してくれない人も居た。
最近、私は Bernie S. Siegel M.D. の“Love,
Medicine & Miracles”という本を読んだ。(1986年出版)。素晴らしい本で、このブログで紹介しなければならないと思っていたが、今はその中の、このLeShanの本と関係する話を紹介しなければと思う。このSiegelの本には、ちゃんとLawrence
LeShanの本の話が引用されていた。
LeShanは何を言いたかったのか。彼は癌の症状があらわれたということは、今までの生活から生活態度を根本的に変更する必要に迫られたととり、がん患者にはそれ相応に人生の今後の生き方を変更する必要を説いたのであった。そして、彼の意見に忠実に従ったひとは、致命的といわれた癌の症状から回復したというような話が書かれていた。
Bernie Siegel MDの本を読むと、LeShanは正しかったということがわかる。それよりもさらにすすんで、Siegelは、いわゆる致命的で手遅れといわれるような癌患者でも、完全に回復する可能性があることを示している。
まず癌に関する最大の問題は、医者が、患者の癌がわかった時点で、その結果を患者に通知する際、患者に対して、あなたは重症の癌の状態にあるため、もう手遅れで助からない、あと半年の命だとか3ヶ月もてば良いほうだとか、いろいろ預言者的な通知を行い、そのとおりに患者が亡くなれば、自分の判断は正確であったと自己満足する(?)というのが、今までの医者とがん患者の関係であった。
ドクターSiegel によると、医者が、この“余命いくばく”という通知をすることで、患者から生きる希望を奪い、患者はそのとおりに、期日に死ななければならないと観念してしまい、そのとおりに死んでいくようである。
患者にとっては、医者は絶対であり、医者があなたは半年の命だといえば、あとはどのような治療を施そうと、まさに宣言された余命期間がすぎると死んでいくというのが通常起きているケースであるらしい。
そこで、では癌に対して(癌だけではなく、すべての病気に対して)どうすれば、健康に生きることが出来るのか。致命的といわれた癌から回復することが可能なのか。Dr.
Siegelが発見したのは、人間には自然治癒力がそなわっており、いかにそれを発揮させるかが大事で、それにはUnconditional
Love無条件の愛 がもっとも大事であるということ。医者も患者も家族も人間として人間らしく付き合い、お互いを信じあい、愛し合い、協力し合うなかで、癌と闘う体制を築いていくということであるようだ。誰も人間は自分で治癒できる能力を潜在的に保持している。それをいかに発揮させるかが大事な問題で、それには、まず生きる意欲が何よりも先決されるというわけで、以下のような処方箋が展開されることになる。
1 生きる意欲、癌に負けないぞ、俺は癌にうちかつぞという意欲(一番大事!)。
2 生き方を変える。やはり癌の発生原因のひとつはストレスその他の問題山積なので、生きる環境を完全に変えてしまうこと。新しい人生を自分で択ぶこと。
3 健康なイメージをいつも描くこと。がん細胞に対して、健康な自分の細胞がうちかっていき、がん細胞を取り除いていく姿をいつもイメージに描くこと。Visualization.
4 医者も含めて、周りの全員が本当に癌に打ち勝てると信じて、患者を応援する体制をつくること。医者が先にあきらめてしまうのではなく、医者も完治を信じて患者に対応することが必要。それには、医者もよく勉強して、Mind
over Medicine であることを新たに学ぶことが必要。(これは私のコメント)。
5 もちろん、Diet, Exercise、そしてMeditation瞑想 は健康回復に非常に貢献する。
6 祈り。 祈りの効果は今では科学的にも証明されている。ひとりで祈ることも大事だが、沢山の人が共通の目的に対して祈ると、エネルギーが効果的に働いて、本当にPositiveに働くことになる。
7 治療方法は、たとえばChemotherapyのような、評判が悪く(毛が抜ける、苦しい 等)恐れられているRadiation Therapy でも、わるくとらないで、Positiveに、自分に必ずプラスになると信じて治療を受けると、本当にNegativeな反応は極微におさえられ、Positiveな効果があらわれるようになる。
以上のようなことが、この Bernie Siegel MD の本に述べられていることで、彼は実例を引きながら展開しているので、なかなか説得力のある展開となっている。まさに、これを読んで、癌だ とわかっても、ぜんぜん、あきらめることは無く、まず、自分の生き方を反省してみることからスタートということで、癌を完全に克服する、つまり跡形もなくなるということも可能とのことである。
すでにどこかでも書いたがPlacebo Effect という言葉がある。すばらしい新薬だ、特効薬だといって患者に与えると、本当に効果を発揮するということで、まさに事実である。これはどういうことか、“信念”、“意識” が個々の細胞に直接影響を与えるということである。つまり、“意識”はある種のエネルギーで、細胞レベルで直接に効果を与えることが可能ということで、今ではCandace
Pert Ph.D. や Bruce Lipton Ph.D. の研究で科学的に解明されているといえる。意識のもちかたが、人間の身体、細胞に直接影響を与えるということで、医者があなたの余命は半年と宣言すれば、もう意識が、半年後に死ぬということを細胞に記録してしまうわけで、結果的そのようになるというのが現に起きていることであると思う。(これは Placebo
Effect に対して Nocebo Effect といわれるようだ 「Mind
Over Medicine」 Lissa Rankin, M.D.)。まさに、“医者よ、驕る無かれ!”である。医者は患者を生かそうとするのが使命であるはずなのに、勉強不足のために、自分の言葉が死刑宣告しているのだということを忘れて、宣告どおりに死んだと、自分の病状理解を自慢するようなことがあれば、それはひどい話である。
Voodoo Magic という言葉がある。Voodoo
Magic を信じる人に、誰かが“あなたはいついつに死ぬ”というVoodooの呪いをかけたというと、その人は本当に死んでしまうのである。これはVoodoo Magicにそういう力があるということではなく、死を宣告されたと その人が信じたら、それが全肉体に影響して本当に死に至るということで、これは魔法でもなんでもなく、信念・意識が細胞レベルに直接影響を与えるということの実例であり、Dr.
BarkerのScared to Death という本にも紹介されていたが、ありうる話である。
最近の科学は、今まで、わかっていたが、科学的に証明不可能と思われていたことが、サイド・ラインから証明されてきているようで、今では個々の細胞が、まるでHolographic 宇宙のように、個人の記憶や感情までKeepしていることがわかるようになってきている。そのことは有名な心臓・肺移植のSurvivor Claire
Sylviaが自分で証明しているわけで、このブログでもすでに紹介した。(その68)。
このBernie Siegel M.D. の本は非常に素晴らしい本で、日本語訳が出版されていなければならないはずだが、もし出版されていれば、すべての癌を宣告された人に読んでもらいたいと思うし、周りの人にも、医者にも読んでもらいたいと思う。生きるか死ぬか、この本を読んだかどうかで、分かれることになると思う。
Bernie S. Siegel M.D. “Love,
Medicine & Miracles”
ISBN: 978-0-06-091983-2 William
Morrow An Imprint of Harper Collins
Publishers 1986
村田茂太郎 2015年10月16日
4.「心霊現象の科学」雑談 Surveyをめぐって 2015年10月17日
Brian Weiss, M.D. の “Miracles
Happen” という本を読んでいたら、アメリカ国内でのSurvey結果が報告されていた。
2009年 Pew Forum というところがReligion
& Public Life について統計を取ったというもので、それによると、アメリカ人全体の
1 ¾ American believe in Life after
Death 四分の三が、死んだらあの世に移ると信じる。死後の世界があると信じる。
2 ¼ believe in Reincarnation 四分の一が、転生Reincarnationがあると信じる。
3 ½ had mystical or spiritual
experiences アメリカ人の約半分の人は、霊的、または不思議な体験をしたことがあるという。{Bill
Guggenheim & Judy Guggenheim の編集した “Hello
from Heaven” を読むと(その77―で紹介)、確かに誰でも霊界からのコンタクトを経験しているようである。彼らは After
Death Communication ADC という用語を作り出したくらいである。}
日本ではどうだろうか?アメリカでは様々なPh.D. またはM.D.タイトル保持者が Afterlife,
Reincarnation, Possession, Near Death Experiences などについて、堂々と彼らの研究成果を発表しているが、日本では東大教授の矢作直樹博士くらいであろうか。堂々とAfterlifeなどについて自分の意見・体験を発表しているのは。
Brian Weiss、M.D. は 「Many
Lives, Many Masters」 (1988年)を発表して、一躍世界的に有名なPast-life
Regression Therapist となった。(自分が生きた過去の人生を、催眠状態に入って再体験することによって、現代の自分の様々な病状が完治されるという療法)。(その75―で既に紹介したとおりである)。彼自身は、この患者、仮名Catherineと出遭うまでは、普通の精神分析医・大学教授であった。Catherineがきっかけとなって、彼のPast-life
Regressionは本格化し、今では、Dr. Weissには、もちろん Afterlife があるのはわかりきったことで、それだけでなく、人間は何度も生まれ変わって現在に至っているという転生Reincarnationの代表的な旗手のひとりとなっている。このCatherineの場合、霊界のMasterのひとりが、彼女は87回生まれ変わっていると告げたそうである。
このとき、Dr. Weissが驚かされたのは、催眠状態のCatherineの口から、違った声音で、Dr.
Weiss自身の、誰も知らない情報があきらかにされたことで、それはMasterがAkashic
Recordを直接読み取っているような感じであった。Edgar Cayceは、名前と住所をきいただけで、自己催眠状態で、このAkashic
Recordにコンタクトして、正確な情報をつかんでくるのであったが、まさに同じことが、この彼の患者Catherineによって展開されたわけであった。
普通の人間が、Past-life Regressionによって、そういう世界に入っていけると知ったことが、彼が熱心なReincarnationの信奉者となるはじまりであった。
その後、かれは堂々とPast-life Regressionに関する講義やWorkshopその他をアメリカだけでなく、世界各地で、あるいはCruising
Shipの上で実行したのであった。
この“Miracles Happen”という本を読んで、何よりも感心するのは、Dr.
Weissの本を読んで感激し、興味を覚えた人々は、機会をつかんで、Dr. Weissの講演会、Past-life
Regression Workshop などにどんどん参加していることで、時には何百マイルのドライブだけでなく、飛行機でかけつけて、3日から1週間のWorkshopに参加する人、それも夫婦や家族、友人たちと参加する人が多いということであった。
ひとくちにWorkshopとかといっても、その開かれる場所にかけつける費用(飛行機代、宿泊代、レンタカー代、その他)も膨大(近場で無ければ、多分、何千ドル)であり、多分、一週間もつづくWorkshopの場合は参加費も1000ドル、2000ドルかかることであろう。
私は一度、SpiritualistのメッカといえるNew
York の Lily Dale に1週間ほど滞在したいと思って、費用を計算してみたが、一週間の滞在と飛行機・レンタカーなどの費用、食費で3千ドル、そしてMedium何人かに会う費用が2千ドルほど、合計5千ドルほどは用意していかねばならないとわかって実行できなかったことがある。
私が感心したのは、Dr. Weissの本5冊ほど全部何度も読んで、自分もPast-life
Regressionをやってみたいと思う人が多く、機会を捕まえて、すぐに実行に移すという行動力であった。この“Miracles
Happen”を読むだけで、本当にあちこちでのWorkshopに沢山の人間が積極的に駆けつけているということがわかる。それも一般人だけでなく、プロのPh.D.やM.D.の資格を持つ人、Psychic
Therapyを実行している人など、要するに本を読んで興味を覚えた人は誰でも参加しているということであった。しかも、一度だけでなく、何度も参加している人も多いのである。
そして、このSurveyを見ると、なるほど、確かに、今では Afterlife は当たり前、そして自分の過去のLivesを知りたいということで、Reincarnationのアイデアも素直に受け入れている人が多いということがわかる。
私もDr. Weissの本6冊ほど、全部購入して読み終わり、興味深く、私自身も、もし彼がこの近くに居るなら訪問してPast-life
Regressionをしてみたいと思うに至っているが、どうもどこか遠くまで出かける勇気は無い。最近考えているのは、近場で、サイキックで、Past-life
RegressionをやるというTherapistをみつけて、まず自分でトライしてみたいという段階である。
ともかく、アメリカではAfterlife, Reincarnation の考えは当たり前になってきており、人々は本当に興味を持ったら、直接、ドクターにあいにゆくという実行力(お金と時間と探究心、行動力)を持っている人が多いということがわかった。そういえば、すでにこのブログで何度も紹介したMaurice
Barbanellなどは3千回もMedium、Séance につきあったと書いていた。うらやましい限りであるが、わたしも遅ればせながら、近場でホンモノのPast-life
Regression HypnotistやMediumをみつけて、私自身の探求を深めたいと思う。自分の過去のLifeにもどるーまさに“自己探求”の究極である。
このPast-life Regressionの素晴らしいところは、今の人生で自分が保持している様々な病気や体質、トラウマその他、現代の医学でどのようにしても完治しない症状が、まさに1-2回のRegressionで治ってしまうということで、ドクターによれば、Imaginationなどでは、そういう完治などは起きないから、あきらかに、本当に過去のLifeを再体験しているということになるようである。
私が読んだ Brian Weiss M.D.の著書
Many Lives, Many
Masters 1988
Through Time into
Healing 1993
Only Love is Real 1997
Messages from Masters 2001
Same Soul, Many
Bodies 2005
Miracles Happen 2012
2002年に“Mirrors of Time” という本も出版されているようだ。これは、私は未読。
村田茂太郎 2015年10月17日
5 「心霊現象の科学」雑談 人生の意味は・目的は何か、Parapsychologyの現段階?
フランスの戦後作家で、サルトルよりも先にノーベル文学賞を受賞したアルベール・カミュの哲学的エッセイに「シジフォスの神話」という作品がある。不条理を出発点と考えたカミュが、この本の冒頭で述べた言葉―“本当に重大な哲学の問題はひとつしかない。それは自殺である。人生が生きるに値するか否かを判断すること。これこそ哲学の根本問題に答えることである。・・・ 自殺することは、ただ、人生が「生きるに値しない」ことを告白することである。・・・”(“不条理と自殺”)。
私のクラス・メートが自殺した後、わたしはこのカミュの本を読んで考えた。本当にそうなのだろうか。自殺が哲学の根本問題であろうか?自殺者は、人生が生きるに値しないと判断したのであろうか?
80歳・90歳まで生ききったひとが、自分の人生を振り返って、「私の人生は生きるに値しなかった」とつぶやくのなら、まだ理解できる。だが、20歳にならない人生で、人生は生きるに値しないなどといえるのであろうか。最近では小学生・中学生の自殺が頻繁に起きている。彼らは、人生は生きるに値しないと判断して自殺したのであろうか。
クラス・メートの自殺は、私に深刻な問題をつきつけた。それまで外在的な事件であった自殺が、自分の存在を揺るがすような大事件となって迫ってきた。
事故死、病死、老衰死、殺人、処刑、戦死・・・人が死ぬ死に方にはさまざまな形があるが、自殺だけはわたしにとっては、ほかの死に方と違って、納得の出来ない、謎をつきつけられたような、不可解な、意味不明なものであった。誰も、特に身近な人の死は悲しいし、苦しい。Grief悼み・かなしみ ということは誰も経験するものである。しかし、自殺だけは、悲しみだけでなく、“なぜ?”という疑問と、自分に何かできなかったのかという思いがいつまでも残る。
人は誰も死ぬものであり、それに限っては平等だといえる。人類始まって以来、生きながらえた人は居ないのである。そして、自殺以外の死に方は、なんとなく納得はゆくのであるが、自殺だけは“なぜ”という疑問が重くいつまでも圧し掛かってくることをどうすることもできない。
だがもちろん、理由の判明する自殺も多い。苦悩からの逃避とか問題に押しつぶされて逃げ場がなくなったとか、肉体的苦痛から開放されるためにとか、ある種の恐怖から逃れるためにとか。
私自身はクラス・メートの、私にとって、わけのわからない自殺が本当に不思議で、それをめぐって私自身を苦悩のどん底にまで追い込んだといえるものであった。
そして、カミュの言う「人生が生きるに値するかどうか」という問題で、答えを自殺で示したのなら、それは間違っていると私ははっきり確信を持って返答できるという結論に達した。ただ、自殺は論理ではなく、衝動なので、論理的に否定できても、自殺を止めることは不可能だという結論にも達した。10年、20年しか生きていない人間が、人生は生きるに値しないなどという権利は無いというのが、まず、わたしの返答であり、若い人が、そういう考えで自殺を実行しようとするのなら、論理的に間違っていると主張することは可能なのだ。だが、自殺を決意した人間には、すべてが空しく映るから、論理的に説得可能とは思えない。
よくある、若い人の自殺は、やはり、ある種の苦痛、苦悩からの逃避であったに違いない。そしてそれは当然避けることも可能であったわけで、やはり、早まったということになるだろう。まわりの環境が問題であったといえるであろう。
さて、哲学の根本問題だかどうだかわからないが、人生が生きるに値するか、なぜ生きているのか、生きている目的は何なのか、生み出されたから生きているだけなのかと言った問題は重要である。
そこで、最近の心霊学的理解を元に、この地球に生きる生物の最高の形態としての人間にとって最大の問題―人生の目的・意味について考えてみなければならない。
これまで、私はこのブログで様々な問題を考えてきた。そして、いろいろな本を読んで、考えを深めた結果、最近、余談 のひとつとして、私が理解した“結論”らしきものを提示した。(「心霊現象の科学」-余談 “結論”? 2015年10月3日、4日。)
最近書かれた様々な本によると、人間が生まれてくるのは偶然ではないらしい。昔なら、生まれた子供は成長して、自分が希望して生まれてきたわけではない、親の性行為の結果、生まれてきたわけで、自分が択んだ人生でないものに対して責任はもてない、と言いかえすようなこともありえたようである。しかし、今は違う。そういう責任逃れはゆるされない。子供は生まれるときに、母胎に魂が入る前に、自分でどういう人生を導くかを択び、それに合った親を択んで生まれてきたという。従って、生後どのような人生になろうと、すべて自分がわかって択んだものであるということになるらしい。すべて自分の責任である。
従って、生まれようと決意した時点で、一応、次の人生の目的は決まっていたわけである。では、なぜ人間は生まれてくるのか?それは“学ぶため”ということになるようだ。人生の目的とは学ぶことにある。では何を学ぶのか?いろいろなことを経験し、それによって学んでいくということで、苦しい人生であればあるほど、沢山のことが学べることになる。そして、最終は?無条件の愛、寛容、慈悲、赦し、などを学び、実行することにある。
仏陀(釈迦)が人間世界を眺めたとき、世の中は苦悩に満ちているとわかり、その原因は様々な欲望のせいだということで、それらを克服しないと、いつまでも生まれ変わって、この世の苦労を体験することになる。輪廻転生から脱却するためには、つまり、二度と生まれ代わる必要が無いようにするためには、悟りの境地に立つことが必要だと考えた。つまり、悪循環のカルマを抜け出すには、解脱が必要ということである。悟りの境地とは、無条件の愛、寛容、慈悲、赦しの世界である。
Reincarnation転生 に関する研究も、どうやら、人間は無条件の愛・慈悲・赦し・寛容などを最終的に身につけるまで、なんども生まれかわるということを示しているといえる。逆に、仏陀やイエスやソクラテスやほかの偉い聖人たちは、その状態に達して死んでいるから、もう生まれ変わる必要は無く、いわば別の次元でMasterとして、Soulの育成にたずさわっているといえそうである。
We are here to learn about love,
compassion, kindness and non-violence. Success should be measured by these
qualities. (Brian Weiss, MD “Miracles Happen”.) 我々は、愛や同情心、親切、非暴力などを学ぶためにここにいる。
Meaning or Purpose of Life is to have
experiences. Life is about having experiences that our souls are unable to have
in the spiritual realm. (Bob Olson “Answers about the Afterlife”.) 人生の目的または意味は何か?それはSoul魂がスピリチュアルな領域(あの世)では体験できないことを体験することにある。(エネルギー状態なので、苦痛も死の恐怖も感じない-ムラタ注)。
We are all here to learn lessons.
Once those lessons are learned and our purpose for being here is met, we go
home. (Josie Varga “divine visits”.) 私たちはすべて、ここにいるのはレッスンを学ぶためである。そして、いったん、学んでしまえば、ここに居る目的が達成されたわけで、私たちは家に帰ることになる。
肉体が滅んで魂が次の次元に移行すると、エネルギー状態になり、肉体がないため、苦痛も恐れも、快感も体験できなくなる。肉体があるため、人間は苦悩し、歓喜も悲哀も体験する。肉体を持つ人間に与えられた特権であるといえる。従って、さまざまな苦労も喜びも悲しみも体験することが、Soul魂 の成長にとって重要な課題である。苦労や喜び悲しみを体験した人でないと。ほかの人間に対して、同情も恐怖も悲哀も共感できない。魂の成長のためには肉体を供えた人間として、この世に生きることが非常に重大なわけである。これは次の次元(エネルギー的存在)では実現不可能な体験である。
すでに「心霊現象の科学」-その74 で紹介したRobert Schwartzの“Your
Soul’s Plan”の冒頭に例示されたある女性のケース - UCLAで事務をしていた若い女性がメールをPick
upしたら爆弾が破裂して、死ななかったけど大変な重症を負った。この女性は、のちにHandicapを背負いながらPh.D. 博士号を取得し、自分の不幸な体験を教訓として踏まえて、立派に生き延びたという話で、もっとも感動的な点は、この女性がメール爆弾を送った犯人を恨んでいない、犯人の心の平安を望んでいる、自分は犯人を赦しているということであった。そして、Robert
SchwartzがMediumをとおして、知ったことは、この女性が生まれる前の人生と親の選択において、彼女のSoulには、こんな人生が待っているということがわかっていて、それを択んだ、それが自分の魂の成長に必要だと判断して、生まれてきたということであった。もちろん、彼女自身は生まれながらの聖人ではない。Elizabeth
Kubra-RossがDeathへの心理的5段階を示したように、最初は彼女もAnger怒ったが、最終的には、この不幸な事件を、自分が成長するためのGift贈り物として受け取れるようになった。彼女はHealerとして人を助けたいと思っていたが、この事件にあったため、大学でSpeech
Language Pathologyという領域でPh.D.をとるに至り、沢山の患者を助けることができるようになった。この事件が起きなければ、ただの大学事務員で終わったかもしれない彼女の人生が、まったく新しい人生を歩むことになった。そして、それこそ、生まれる前から彼女の魂が望んでいたことであったのであり、この種の事件に巻き込まれたのも、はじめから予定されていたといえるものであった。
人はなぜ生まれてくるのか、人生の目的は何か、人生の意味とは何か?答えは、人は自分で目的を持って、自分の意思で人生を択んで生まれてくる。親も択んでうまれてくる。そして、さまざまな体験をしながら、大切な無条件の愛、寛容、赦し、慈悲などを学び、実行する、これが人生を苦労しながら生きる理由である。自殺は、したがって、途中ですべてを放棄したことになる。ということは、また生まれ変わって同じような体験をしなければならないということか。
ともかく、心霊現象の研究が示しているところは、人にはSoulがあり、死は肉体が無くなるだけで、魂は健在であり、生きていたときの記憶、意識、個性、感情その他すべてを保持する。そしてどうやら、何度か生まれ変わるようである。なぜ生まれ変わるのか、それは人間が完成するように、つまり無条件の愛情などを身につけた魂となって自然の仲間と共棲できるようにということで、それが完成すると、エネルギーに包まれた愛となってほかの魂と安定した状態に入る、とか。自然のエネルギーと一体となって調和した状態になるとか。
それぞれの偉大な宗教が目指しているところも、この“無条件の愛”が普遍的に広がることであるようだ。宗教戦争がこの地上をなんども吹き荒れたが、本当に神の愛を慕うものには考えられない自己矛盾といえる。全一者とは愛であり、それが宇宙を統御しているということであろうか。
村田茂太郎 2015年10月29日
6 「心霊現象の科学」 その101 「The Secret Life of the Unborn Child」を読む
著者はThomas Verny, M.D. でJohn
Kellyとの共著となっている。出版されたのは1981年というから、もう30年以上前に書かれた本である。私は、これは古典だと思う。日本で翻訳出版されていなければならないが、どうであろうか。もし、すでに日本語訳があれば、字を読める人全員に、読むように強くお薦めする。妊婦とかこれから家庭を築こうとしている夫婦とかには必読文献といえる。今では、日本でも、十代で妊娠出産する若者が増えているわけで、そして堕胎も平気で行われているようなので、まさに、この本の内容を知る必要があると私は真剣に思う。
この本は直接には心霊現象とは関係が無い。(?)。いや、Soul魂 が関係してくるから、やはり、心霊現象の科学の一部といえるだろう。著者はまじめなドクターであり、この本もすごくまじめな本である。ただ、私はすでに、人間にはSoul魂があり、それは肉体が滅びても健在し、記憶、意識、個性などみな保持しているという現在の心霊現象の科学が証明しつつある実態を信じる人間である。したがって、Soulが不滅であれば、生まれる前にも、母親の胎内の中でもSoulはあり、したがって、意識もあると信じる。そこで、このドクターがこの本で解明している胎児の反応を素直に信じることができる。
昔の人(ある哲学者)は、人間は生まれたときは何もなく、意識もBlankな状態、白紙状態で生まれてくると考えたが、今ではそれは通用しない考えである。
胎児にはすでに意識があり、自分が居る環境がどのようなものか、すでにすべて感じ取っている。母親がどう感じたか、何を考えたか、父親がどう反応しているか、自分を堕胎で殺そうとしているのは誰なのか、すべてわかっているようである。
したがって、母親が安定した、いい環境で、子供を産み育てるのを夫婦で楽しみながら胎児を育てているときには、生まれた子供が順調に、健やかに育つが、そうで無い環境であれば、どのような子供が生まれてくるか、恐ろしいものがある。胎児の自分を殺そうとした人間に対して、たとえ母親・父親であっても、まともな人間関係が生まれるとは信じがたい。ある子供は、言葉が話せる状態になったとき、自分の叔母さんに当たる人に、命を助けてくれてありがとうと言ったそうである。母親は堕胎しようとしたが、母親の姉妹が反対して生んだケースであった。
従って、母親が妊娠中に、すばらしい音楽をきいたり、素晴らしい美術を鑑賞したり、素晴らしい自然に接したり、夫婦和気藹々として家庭生活をみんなで楽しんでいれば、胎児もすばらしい環境で、健やかに、幸せに育つ。
ともかく、おなかの中に居る胎児のSoulは健康な意識を持った魂のはずなので、母親が感じることはすべて感じることができる。したがって、母親が幸福な状態に居るならば、胎児も安心して育つわけである。
いろいろな心霊現象の科学に関する本、子供のReincarnation転生や胎児の状態のHypnosisなどを読むと、受胎1ヶ月ほどでSoulが胎児に入る場合もあるけれど、Soulは母体の中が窮屈で、母体から出たり入ったりしながら、母体の周りをただよい、うろついたりしているそうで、従って、胎児とはいえ、Soulは成長した存在なので、母親の周りで起きていることをすべて見聞きし、感じ取っているようである。生まれでるまでに胎児の中に入りきらないと、生まれてもまだ躊躇していて、まるで死産のような状態が続き、Soulが無事入り込んで、やっと生き返るという場合もあるようである。
子供は母体に入る前に、どの親を望むか、男女どちらを択ぶかなど、決めてから母体に入り込むようで、それが受精卵のいつのときなのか、受胎何ヶ月目くらいに意識がはっきりし始めるのか、これからの研究が解明していくであろう。受胎3ヶ月目ころには、すでに明らかに胎児の意識ははっきりし、いわばSoulが出たり入ったりとはいえ、この母体から生まれると決め手入り込んでいるはずなので、妊娠3ヶ月までは堕胎も簡単などという考えは浅はかなものといえるだろう。それは生理的に母体を傷つけないで堕胎できる時期をさしているだけで、胎児の中にいりこんでいるSoulは、たとえ不滅とはいえ、傷つくのはあきらかである。なかには、母体に入りこんだが、堕胎されると知っている胎児もいるらしい。なかには、自分から母体に入り間違ったと流産していくケースもあるという。(これはこの本に書いてあるというのではなく、ほかの本に書いてあった。)
「Your Soul’s Plan」を書いたRobert
Schwartzによると、(心霊現象の科学―その74)、生まれる前に、Soulは親を択び、どのような人生を送ることになるか、了解して生まれてくるらしい。従って、堕胎される場合も、ある意味では胎児は自分が殺されるのをわかっているのかもしれない。
ともかく、この本を読むと、母親は胎児を育てるのが楽しみになり、おいしいものを食べ、いい音楽を聴き、自分自身が幸せな環境を作ることが胎児にも大切なのだとよくわかるであろう。そして、夫婦喧嘩も無く、安定した家庭生活を築いていくことが、まともな立派な子供が生まれ育つ基本であることを理解するであろう。最近、子供の犯罪が増え、不幸な親子関係が増えているのが目立っているが、その根本の原因は、すでに胎児の段階で生まれていたのだという可能性が強い。
美しい、立派な子供が生まれ育つためにも、この本をしっかり勉強して、幸せな母体生活をおくるひとが増えてほしいと思う。そのためにも、この本は大事な教訓にみちている、素晴らしい本である。Great!
Dr. Verny は、まじめに、20年間、母体と胎児、そして生まれてきた子供を研究して、子供はうまれるまえに意識を持ってすべてを感知しているという結論を経験的に確認したわけで、それは心霊現象の研究とは直接には関係が無い。ただ私は、Soulに関する理解度を深めると、胎児に意識があるという話はよくわかるというのである。
ISBN: 978-0-440-50565-5 Dell
Publishing 1981
Thomas Verny, M.D.
with John Kelly
「The Secret Life of the Unborn Child」
村田茂太郎 2015年10月21日
7 「心霊現象の科学」ー 余談 お葬式またはメモリアル・サービスに参加して
この2-3年の間に私は何度か“お葬式”または“Memorial
Service”にでかける機会があった。この最近の、私の「心霊現象の科学」、とくにAfterlife & Deathをめぐるかなりの勉強のおかげで、わたしはこうしたお葬式またはメモリアル・サービスに参加するのが楽しみになった。お寺さんや牧師その他のひとが、どういうお話をするのかを聞くのに興味を覚えるようになったわけである。
この私のブログに展開している“「心霊現象の科学」をめぐって”の、その第一回目のエッセイは、ある美容師からきいたお寺さんのお話からスタートした。その日系二世の美容師は、直接、お寺のお葬式をとりはからう女性に、人は死んだらどうなりますの と訊ねたら、そのお寺さんは、無です、Nothingです、何もありません と応えたという話であった。それを聞いて、学生時代の私なら、マルクスを深く勉強したこともあった、そのとおりと思ったであろう。
二年前、SFV(San
Fernando Valley)の本願寺でお葬式があった。そのときには、私はすでに大分、最近の心霊現象の科学に関する本を読んでいた。そして、そのとき女性のお寺さんが、亡くなった方は霊となって、地上の人間の生活ぶりを見守っておられますといったお話をきくことができた。わたしは、多分、美容師の話していた同じお寺の女性だろう、しかし、内容に違いがあるのは、多分、いくらなんでもお寺の人が、人が死んだら無ですと言っていたのでは、問題だろう、きっと、誰かが指摘したか、自分であのあと勉強して、別の解釈に達したか、自分では無にかえると思っていても、お寺の主催者として、霊の話をしたのであろうと思った。
その後、最近、葬儀社でのMemorial Serviceに2回参加する機会があった。葬儀社のなかに小さな100人ほどを収容できる会堂が設けられていて、仏教の場合はそれぞれの宗派のお寺さんが招かれて式を運行し、クリスチャンの場合は、また牧師その他が、その会堂で式を運行できるようになっている。これは便利で、わたしも、この葬儀社で火葬にしてもらって、どこかの海か山に灰をまいてもらうように手配しようと思った。リトル東京には合同教会などもあって、私は昔、会社その他の同僚のお葬式、メモリアル・サービスで何度か訪れたことがあるが、葬儀社で全部手配できれば、より簡単ですばらしいと思った。
一回目のMemorial Serviceは本願寺別院のお坊さんと思われる人が式をとりはからった。彼は日本語と英語でかわるがわる、上手に彼のお話を展開した。彼はほかの宗教と違って、仏教では義務とか制約とかがないという話をまず述べ、みんなVoluntaryの精神で亡き人を弔う、上も下も天国も地獄もないという話で、亡き人の魂は生きている人の記憶に生きると言い、仏教で何回忌とかという行事があるのは、そういう機会を作って亡き人をしのぶということであり、それがなくなるとどんどん忘れ去られていく、というような話であった。わたしはこの、義務も制約もないという話はすばらしいが、このお寺さんは多分、無神論者にちがいないと思った。以前の、本願寺の女性のお寺さんの、霊がうえから、身の回りで見守っているという話とはえらい違いである。でも、確かに記憶の中に生きるのはそのとおりであり、まあ、このお話はそんなに悪いものではなかった。前の女性のお話のほうが、まあ、死者にふさわしいと思ったが。
さて、2回目は仏教ではなかった。同じ葬儀社の、同じ会堂にあつまって、百人を超える参加者があったが、今回はエホバという名前がでてきて、したがって、私は数珠をもっていったが、ただ黙って座っているだけで、参加者一人ひとりが灰をたむけてお祈りするというような儀式は無かった。ひとりのエホバの関係者がながい説教じみた、オルグじみた話を、聖書を引用しながらやり、それを別の人が英語に通訳するという形で展開し、そのあと、遺族の簡単な話と生前の写真のDVDを見ることでおわった。
このエホバの話をしたひとは、多分、その種の宗教団体の主要なメンバーのひとであったのであろう。わたしは聞いていて、これはまずい、こんなMemorial service など場違いで、まるで、エホバの宗教の勧誘をされているようだと感じざるを得なかった。なんと、何度も聖書を引用しながら展開した内容は、アダムの原罪で罪を得た人間の子孫の救済は聖書にかかれたように忠実に、熱心にお祈りしなければならないというような話で、死んでしまえば意識も記憶もなにもなくなり、ちりに返り、Dust
to Dustで復活のときがくるまでお墓で待っていなければならない、そして復活のときがきたら、みなさんとあの世で再会できるというような話で、お寺の女性の、霊となって見守っているというような心休まる話ではなく、灰Dustになって、意識も記憶もない状態で、復活のときを待つというむなしい話。わたしはこれを聞いていて、このエホバの宗派は、教会カトリックの、例の紀元325年二ケア会議と500年代のユスチニアヌス帝の時代の教会統一その他の影響で、教会カトリックが経典を固めて、同じクリスチャンでも他派を排斥、抹殺していった(12-13世紀Cathars-アルビジョワ十字軍、異端審問 その他)、そのカトリックの流れを汲む宗派であるに違いないと思った。
この人たち、宗教を専門とする人たちも、心霊現象の科学の最近の展開を勉強して、それを経典に取り組むかたちで展開しないと、多くの人たちに受け入れられる宗教とはならないであろう。時代遅れで、勉強不足も明らかだというのが私の感想であった。
すでにこの「心霊現象の科学」をめぐるエッセイで展開してきたように、どうやら臨死体験その他でも明らかなように、人間には魂Soulがあって霊魂不滅であり、人は肉体がほろんでも、Soulはより健在で、そのひとのもっていた意識も記憶もそのまま保持しており、エネルギーの次元が異なるだけで、よりすばらしい次元に移行できるという話であり、亡くなれば、生前の家族や友人たちと霊的に再会でき、この地上よりもすばらしい世界に移れ、そこはいわゆる地獄などはなくて、自分がさめた意識で自分をJudgeするという世界、そして大いなるエネルギー、それは愛と慈悲と寛容に満ちて、あたらしい魂を受け入れてくれ、次の次元への案内をしてくれるという話である。
このSpiritualな世界では、多分、釈迦(仏陀)やキリスト、マホメット、道元、親鸞、空海その他の天才的な宗教家たちは、みな愛と信頼、慈悲と寛容に満ちたおおいなるマスターであり、人間たちをリードする役割を果たしているに違いない、そこでは宗教上の宗派を超えた、あかるいエネルギーの世界が展開しているに違いない、したがって、無神論者であれ、どの宗教の信者であれ、誰もが愛と寛容、慈悲と許しの恩恵をうけて、次の次元へと移行していくに違いない。
最近、日本ではお寺も寂れてきているとのことである。わたしが勉強した心霊現象の科学から学んだことは、“お祈り”というのは科学的にも効果があることを証明されており、馬鹿にできないということであった。儀式としてのお寺の利用ではなく、お寺の祈りや啓蒙が若い人々にも受け入れられるような展開が望まれる。
ゲーテGoetheとはまた違った意味で万能の達人・天才であったThomas
Jeffersonは自分の墓碑銘に三つの業績をかかげた。Jeffersonは自分で墓碑銘を選び、デザインをし、Scriptを書いた。その三つとは、独立宣言の執筆、Virginia州での宗教の自由の宣言、そしてUniversity
of VirginiaのFATHERということであった。Jeffersonといえば、アメリカの国土を飛躍的に増大させたLouisianaのナポレオンからの買収も大きな業績のひとつだが、それよりも、彼にとっては自分の出身地であるVirginia州に信仰の自由を確立したことのほうが大事な業績であった。
現代、多くの戦争は宗教戦争といってまちがいない。石油その他の資源など、おおきな利権が絡んでいるが、どうみても人種、宗教がらみの戦争がいつまでも絶えることなく、この地球を悲惨な世界に追い込んでいる。愛と寛容、慈悲と許しに満ちた明るい世界がいつになったらこの地上に実現するのか。
心霊現象の科学を勉強すると人種や宗教の違いなどまったく意味が無いことが判明する。まだまだ啓蒙は必要だと感じさせる。
村田茂太郎 2014年5月4日
8 「心霊現象の科学」をめぐって -最近の感想 (2013年11月)
私のブログに、“その65”(2013年3月1日)を載せてから、もう8ヶ月以上経つ。この間、なにもしていなかったわけではない。アマゾン・コム経由でかなりの量のこの領域の本を購入し、最近はさらにAmazon・Kindle (AndroidでもPC)でも購入して、Totalで150冊ほど手に入れたことになる。そのうち、すでに読み終わったものでも40冊近くになる。いわば充電していたといえる。
最近購入する本の内容は Medium関係の本、 Life
after Death 関係、 Reincarnation, Possession、Meditation などが主で、最近のこの領域の進展にはおどろかされる。
わたしはこの領域の科学的証明(死後の世界の存在証明)というのは、無意味でないかという結論に達し、自分がMediumその他でAfter-Life, Reincarnation、Possessionなどを確信できればそれで充分だという結論に達している。
したがって、このブログの最初(心霊現象の科学をめぐってーその1)のエッセイの最後で、わたしは霊魂不滅、魂の死後の存在に関して判断保留という感想を記したが、今でははっきりと、私は 霊魂不滅、Life
after Death、Reincarnation, Possession, Ghost
現象 その他すべて実際にあるという確信に至っている。Soulがあり、Out-of-Body体験が可能であるということは、転生、亡霊、Possession その他の可能性があることになる。
京都大学のCarl Becker博士がロサンジェルスでの講演(2009年8月)で開口一番、「あの世の存在を認めなければ仏教は存在しない」といわれたのは、真実で、仏説阿弥陀経などで説く極楽浄土の世界は東洋的色彩があるとはいえ、臨死体験者が語るあの世の世界の瞥見、そしてMediumが語るLife
after Death の世界と同じ内容であり、仏陀はもちろん超能力(Medium的)で、Life
after Deathを知っていて、Death死は肉体の消滅だけで魂は不滅ということを知っていたのはまちがいない。
最近の本を読んでおどろくことは、Past-life Regression Therapist たちは、もう死後の世界の存在は当たり前の事実であるだけでなく、Reincarnation転生もわかりきった当然のこと、したがってEarthbound
Spirit(地上をさまよう亡霊)もたくさん存在して、Ghost現象が起きたり、人に取り付いたりして、いわゆるPossession現象をおこしているのは常識のような段階にきており、心理学的に治療するというよりも、催眠療法で幼児期だけでなく、生まれる寸前、生まれる前、過去のLifeというかたちで、どんどんさかのぼり、現在の病状、異常症状の根源を過去の人生に探るという方向で効果を挙げており、トラウマの起源を認知することによって、どのような精神療法でも回復不可能であった症状・病状が完全に治癒されるというケースをたくさん発表し、科学的とかどうかとは関係なく、この死後の世界を認め、転生、憑きその他を認める形で、対応すれば、病気の回復も驚くほど効果があるという結論に達しているようである。
やはり私がはじめから予想していたように、Medium霊媒関係の領域からのアプローチがこのLife-after-Deathその他の探求に不可欠で、この領域もただメッセンジャー(死者から生者への)としての段階を超えて、生まれる前にSoulsが自分でどのように生まれるかを計画して生まれるという驚くべき次元にまで展開してきている。
Possessionに関しても、映画で有名なDemonic Possessionではなく、Earthboundとなって光を求めて昇天しなかった魂がさまざまな機会に生者にとりつき、それもひとりだけでなく、Nestの状態で、一人の人間にいくつもの魂がとりついていて、それを除去する作業がDepossessionとかSoul
Releasing Therapyとかで、それを専門にしているPh.D.、M.D.がたくさん現れてきている。
ということは、死後の世界の科学的証明などということとは関係なく、死後の世界の存在、転生などを認めないと、それぞれの人間が抱える問題が解明できない次元にきているということである。Death死ということばよりはTransition移行という言葉のほうがより真実味がアルということになる。Energyのありかたが変わるだけであるというわけである。
Therapistによると、Possessionは子供や孫が心配で、死んだ肉親が取り付いている場合もたくさんあり、特に悪くないように思える場合でも、本人の特性がPossessした人物の魂に影響されるわけで、やはり健康的でないということで、療法家は光を求めて昇天する方針を徹底しているようである。(ここから、いわゆる Deja
Vue デジャー・ヴューのケースのありうる解釈として、PossessionとReincarnationの両者が有効であるということがわかる。自分は経験しなくても、遠い過去の自分やPossessedした人物の記憶がDeja
Vue現象を引き起こしているといえるわけである。)
映画ExorcistのPossessionのようなケースではなくて、普通の人間がとりつくというケースが主で、誰でも内部にそうした魂を保持しているのではないかと思われ、私自身、チャンスがあれば専門家に見てもらいたいと思えるほどである。本の著者であるドクター自身が友人に手伝ってもらって、自分に取り付いていたSpiritを解放させたと報告しているほどである。Possessedされるチャンスは誰でもいっぱいかかえているようである。麻酔状態、事故の後、アル中状態 (Drugもふくめて)、出産時、重態、お葬式 その他、誰でもどこでもPossessedの可能性を保持しているようで、いわば共存状態にある人間がたくさんいることにある。
George Ritchie M.D.の本 「Return
from Tomorrow」を読んだ後では、アルコールを飲みすぎて人事不省に陥ったひとは必ずアル中の魂にPossessされているはずだと、今では、私は思う。アルコールが入るとひとが変わったようになるという話はよく聞くが、まさにそのとおりで、取り付いた魂の反応が暴力的にあらわれたりしていると解釈される。
ともかく、今では、学者たちがまじめにAfter Lifeの様相やReincarnation転生などを論じているので、一昔前とはずいぶん変わったと思う。
最近、私が感じていることは、これからの学校教育で、道徳指導だけでなく、霊魂不滅・死はエネルギーの移行ということを子供たちに教育しておく必要があると思う。なぜなら、小さな子供たちといえども、いつ、どんな事件に巻き込まれ死んでしまうかわからない世界に生きているのである。天災による場合から人災による場合など、世界の情報をながめてみても、いつだれがどうなるかわからないような世界が現代だといえる。したがって、物心がつくころから、死について指導し、もし万一死ぬ目にあっても、わけもわからずにEarthbound地上に取り付いた状態でおわるのではなく、光を求めて移行するという最低の知識は身につけさせておくことが大事だと思われる。わたしの著書「寺子屋的教育志向の中から」の中のエッセイ“心霊現象の科学への私の歩み”のなかでも触れたことがあるが、東北の小学生が実験的自殺を実行した。(もう、今から40年ほど以前のニュースである)。それは、まじめな探求心がもたらしたものであったが、周りの無理解も影響していた。そういうことは意味がないということを知ってもらうためにも、また“いじめ”による自殺が頻繁に起きる社会であることをも踏まえて、この領域の一般的理解を深め、自殺は意味がないということなどを知ってもらうためにも、霊魂不滅をも含めた道徳教育が必要と思われる。昔、梅原猛氏が堂々と道徳教育について講演し、みずからも中学生に特訓されたりしていたようだが(文庫本)、本当に、霊魂不滅・愛情第一、寛容、同情、理解、感謝といったことの重要性を自然に理解させる道徳教育が必要であると私は思う。
これからは、私はこのブログで、以前のように直接英文を引用して訳文をつけるスタイルでは、版権などが問題になるので、印象的な内容について、私の意訳・紹介というかたちでこのブログを展開していきたいと思う。
村田茂太郎 2013年11月11日
9 「心霊現象の科学」をめぐってーその103「The Children of Now」 Meg Blackburn Losey, 、MSC.D., Ph.D.を読む
私は、すでに、「心霊現象の科学」-その101 で“胎児”の意識、Soulのあり方等について、Dr.
Vernyの本を紹介しながら展開した。
また、小さな子供が、言葉がしゃべれるようになった頃から6-7歳ころまでの間に、“自分が大きかったとき”とか、“わたしが、お母さんをBath
Tubに入れていたときは、そのような扱い方をしなかった”とか、南北戦争のなまなましい現場の思い出を語りだすとかという話を、「心霊現象の科学」―その70Return
from Heaven、―その73Children’s past lives などで紹介した。小さい子供は、ときに自分が生まれる前の別の人生の記憶を持っている、そして機会があると思い出すという話。
では、最近、特に目立って増えてきているといえるAutistic Children (Autism)社会的反応ができないので自己中心的に見える子供, ADD Attention
Deficit Disorder Children、ADHD-Attention
Deficit/Hyperactivity Disorder Children その他の子供を扱う親や教師はどういう態度をとればよいのか、そういう特殊学級が必要に思われる子供たちが特に増えてきているのはどういうことか、という問題に対するひとつのアイデア・解明を教示してくれるのがこの本「The
Children of Now」である。
著者はMetaphysics形而上学・哲学・神学? の領域でPh.D.をとった女性で、自分自身が非常にサイキックであることから、この、現代になって頻繁に出現している特殊な児童に興味を持ち、彼らの魂とTelepathyで話し合って彼女が理解した、驚くべき実態を示してくれている。
このChildren of Now は、大概は、Handicapというか、車椅子で生活しているような状態の子供で、つまり言葉がしゃべれないとか、身体が不自由で、誰かに面倒をみてもらわないとやっていけない不幸な状態にいる。親や教師は、これらの子供が普通一般の子供と違うという面だけを見て、どう違うのか、なぜ違うのかに気がつかない。
ドクターMegがこの特殊な子供たちと会話ができるということを、子供たち自ら第6感または第7感でわかって、Telepathyでドクターにコンタクトしてきたりして、ドクターと子供たちとの出会いは成立しているようである。
親や教師から見れば、ほかの子供となじまない、授業態度の悪い、集中力の無い、どうにもならない子供のように思われているのだが、ドクターMegがTelepathyで話し合ってみると、馬鹿どころか天才的な頭脳を持った子供である。なんと6歳ころの子供が、異次元空間とか量子力学的世界とか別な宇宙、Parallel
Universeとかという話をしたというのである。ドクターMegは、あきらかにこの子供は別の宇宙からやってきた、人類よりもはるかに頭脳が発達した異星人の魂をもっているということを発見した。 そして、地球の生物として不自由な身体にすみついて、幼稚園や小学生の低級な教育内容はばからしくてまじめに付き合えないと感じ、そして親も教師もわかってくれないと感じて、もうどうしようもなく、どんどん自分の孤立した世界に入り込んで、結局、沈黙してしまうということが、一般に起きているケースのようであった。
Crystalline ChildrenとかIndigo
ChildrenとかStar KidsとかTransitional
Children とかいろいろな異常な、特殊な子供たちが生まれ育ってきているようで、それは今、6-7歳ぐらいとか、1997年以降にあらわれて、今、10歳ほどとか、ともかく、1980年以降に現れてきている子供たちといえる。彼らの特殊さ異常さは、あらゆるセンスが異常に発達して、すべてを同時にききわけ、同時にすべてを扱おうとするので、すべてが中途半端に終わったり、だらしなかったりという印象を与えているようであるが、実態は、大人の発達した魂が子供の体に閉じ込められて苦労し悩んでいるということで、子供の精神自体に異常があるわけではない。それがDr.
Meg Blackburn Loseyが理解したことであった。
Indigo Childrenなどというと、私たちには理解できないが、彼女がリスト・アップしてくれた特徴をすこしあげると以下のような記述に当たる子供たちである。彼らは現在、世界中に散らばっていて、それぞれ親も教育者もわかってくれないということで苦労しているようである。よくある例はカウンセラーがDrugを与えて、反応を鈍らせようということで、子供の全体を駄目にしていっているようである。
ある感心な親は、“Indigo Children”という本(すでにその種の子供を扱った研究書がなん種類か出版され始めている)を沢山買い求め、教師や校長、保育所の担当者などに配って歩き、勉強するように刺激を与えているケースもあるとか。この場合は、母親が子供の特殊性に気がついて、それにふさわしい教育を受けさせたいと苦労している例だが、そうでなく、親が理解できず、めちゃめちゃになっていくケースも多いとか。子供がTelepathyでDr.
Megにコンタクトして、はじめて母親はDr. Megとアポイントをとり、三人で話し合うというのが普通のケースで、こういう場合は、いわば恵まれたケースといえる。
では、Crystalline Children とはどのような子供か
目の色がCrystal Blue または Very
deep dark blueで、成熟した目でみつめる
環境、地球、人々に対して非常に繊細な感情をもつ
非常に直感的である
社会意識はある
微妙なエネルギーを操作できる
各個別に思考するーCompartmentにそれぞれ分類思考する
したがって、集中力が欠如しているように見える
非常に同情・憐憫感がつよい
年よりもはるかに賢明である
平和愛好家である
自然治癒力を強固に備えているーNatural Healer
1997年以降に生まれている
きわめて脆いーわけのわからない病気になりやすい
しばしば過去のLifeの記憶を保持し、生まれる前の記憶ももつ
Angels、Mastersその他の非人間的な存在と関係を持ち、しばしば人間には見えないVisitors訪問者と会話をする、非常に個人的な、見えない友達と。
病院に連れて行かれると ADDとかADHDとか Autismという病名を与えられる
Life purposeをよくわきまえている
きわめて寛大である
愛情・同情心に富み、許容心も豊かである
エネルギー調整のために、一人で居る時間が必要である
たいへん傷つきやすいが、また非常にPowerfulでもある
人生やほかの人、動物などを深く愛する
日常的に自然と接することが大切
水と遊ぶことが好きである
接している人に不思議なMagicが起きるー人々が健康になったり、お金がどこからか現れたり、なにかがよいほうに進展したりする
外的な出来事に責任があるように感じる
人々をひきつける力がある
電気系統に影響を与える
など。
Star Children の場合は、さらに特殊である
Levitationの能力をもつ (重力に反して、上に上がる_)
Teleportation これこそStar
Trekの領域で、物体をMentalに移動させる
あらゆる種類のサイキック・パワーを保持する
など。
著者は、これらのChildrenはHumanとETとの間の子ではないかと推測する。
著者は明らかにサイキックで特殊な能力を持っている。ここに“会話をするORB”の話がでてくる。実は、Star
KidsやCrystalline Childrenなどが、Orbでメッセージを著者に送っていたとかという話で、私には単純には信じられないのだが、著者によると、仕事をしていると、“カメラを用意しろ”とか、“外に出ろ”とか“後ろ向け”とかといった言葉を発し、それに従うとORB球体の泡のようなものが浮かんでいるということで、写真にもおさめたようである。こういう、わけのわからないメッセンジャーを送り出せるというところからも、もしこれが事実であれば、明らかに地球生物とは違った、宇宙から来た生物が地上に共棲しているということになる。ORBは意識を持った球体だということを著者は発見した。そしてそれらの多くは、このChildren
of Now が著者にコンタクトしたいと送ってきた意識体なのであった。
(これは、Dolores Cannon の領域ともいえる。Custodian やConvoluted
Universe (渦巻く宇宙) シリーズで、膨大な宇宙観を展開したDolores
Cannonは、私がこれから集中的に読もうと用意している対象である。Dolores
Cannonは去年、2014年、83歳ほどで亡くなったらしい。残念である。いつか会いたいと楽しみにしていたのだが。)
この本、The Children of Now” は、現代に沢山生まれてきている優秀で、特異で、超能力を持ちながら、貧弱な肉体にとらえられた、素晴らしい子供たちを、理解し、どのように接するべきか、サイキックとして、また教師として、良心的に、驚くべき子供たちの世界を紹介した重要な書物であるといえる。日本でも、こういう子供たちが生まれてきているのか、私は知らないけれど、世界的な現象であるとすれば、やはり居るはずで、そういう子供たちを、特殊性を生かしながら、立派に育て上げるためには、親も教師もよく勉強し、理解し、最良の方法を適応できるように努力すべきである。この本はその一助となるのは確かである。みな、Open
Mindで、よく勉強し、理解し、ベストの方法を探すよう努力してもらいたいものである。
この種の本はアメリカでは、もうかなりの量が出版されているようだが、日本ではどうであろうか。問題が発生する前に、事前に、勉強し準備して教育指導をしてもらいたいものである。私は教師と医者は責任重大だと思う。どちらも、ひとつ間違えば、命にかかわるのである。
Los Angelesでのメモリアル・サービスに参加しても、私は葬儀関係者の勉強不足を痛感したが、このChildren
of Nowの場合も、あらかじめ、Open Mindでしっかり勉強しておくことが重要であると思う。
ともかく、この本には、ちょっと信じがたいような話が展開されていた。ただ、身体障碍児を弟に持ったサイキックの自伝を読んで、私がHandicapの車椅子の人をみる目がかわったが(「心霊現象の科学」-その97Cheryl
Booth)、今回も、小さな子供が車椅子で居た場合に、今まで、気の毒に思って、直接見ないようにしていたが、どうやらこのChildren
of Nowの場合は、彼らの美しい目を見ることが重要で、そこには成熟した、慈愛に満ちた、やさしい瞳が輝いているそうで、まさにUnconditional
Love無条件の愛、批判しない、優しい愛が輝いているそうである。総じて、このChildren of Now は、身体はHandicapでも、心はPerfect完璧で愛に満ちているというのが著者の意見である。
著者がMetaphysicsを勉強しているとき、私たちは自分の人生をえらび、自分の親をえらぶとよく聞かされた。著者の好きな文言のひとつは、Crystallineの少女がまだ幼い頃に母親に言ったという言葉、“わたしがUp-thereあちらから私の新しい親を択んでいたとき、沢山のひとを眺めた、しかし私はあなたが本当に素晴らしい人たちだとわかっていたから、I
picked you.あなたたちを親に択んだ”と。私、著者は、彼女の母親を知っている。彼女は正しかった。
つぎに4歳のChildren of Nowの言葉をあげよう
「ぼくは家に居るという意味がどのようなものかよく覚えている、それは、こことはまったく違っていた。すべてが美しかった。ぼくはみんなを愛し、みんなも僕を愛してくれた、ここではそんな感じがしないのはどうして?」
もうひとつ。6歳の少女、Crystalline Child
「What you learn on the outside of
yourself isn’t what is important. It is what you learn from the inside that
tells you the truth.」
‘あなたの外部から学ぶものは大事なものではない。あなたの内部から学ぶものが本当のことを告げているのだ。“-これは、まるで成熟したカール・ユングJungが言っていた言葉と同じである。“Memories,
Dreams, Reflections” Carl Jung
6歳の少女の言葉とは驚きである。あきらかに熟成した魂がこの少女に棲んでいる。
この本の最初のところで、DNAやエネルギー、Vibration、Consciousness など、この種の子供が現れた理由を考察していて、わかりにくいところがあった。むつかしい。
しかし“意識”ConsciousnessとDNAとEnergyに関して述べたところは重要(Page
41-43)で、著者は、われわれが受胎したときに入り込むのが意識で。それは過去のLifeの記憶をもっているから、我々は時折Déjà
vu を体験すると記している。ここで著者がつかっている“意識”は、通常、われわれがSoul魂と呼んでいるものである。著者はConsciousnessとMindを区別する。MindはLogicalな構成で、Survivalに必要な働きをする。意識は肉体に拘束されないで自由に飛翔する。意識は光速よりもはやい、Superluminalで、あらゆる情報を瞬間にとらえる。われわれは論理的に思惟することを学んだために、純粋意識は鈍ったようになってしまった。一方、Children
of Now は、まだPureな状態なので、彼らの意識はWide
Openな状態で、すべてが可能なようである。したがって、過去の記憶もすべて覚えている、とかということになる。
ともかく、まだわからないことが多いChildren of Now に挑戦した、とても面白い、教育的に重要な本である。
ISBN-13: 978-1-56414-948-0 2007年
The Career Press, Inc.
「The
Children of Now」 by Meg Blackburn Losey, MSC.D.,
Ph.D.
村田茂太郎 2015年10月27日
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