「心霊現象の科学」をめぐって -その69 矢作直樹(やはぎ なおき)を読む
女房がどこから情報を得たのか、矢作直樹の「魂と肉体のゆくえ」という本を、日本語の本ではなくて、Amazon Kindle Japanese で読みたいと言い出した。わたしは日本にいる彼女の従兄弟に何度か本を頼んで探してもらい、送ってもらったり、訪米時に届けてもらったりしていたので、彼に頼もうかときいたら、Kindleで読みたいということであった。
そのあと、私はSamsungのGalaxy Tablet 3 を手に入れ、Amazon Kindle APPでAndroid KindleをDownloadし、英語のKindle Bookは購入して、Downloadするところまでこぎつけた。このあと、Androidでなくても、わたしが最近購入したDell DesktopのPCでもKindle PC AppをDownloadしてKindle Englishは簡単に、本当に簡単に購入・Downloadできることがわかり、なんと今では私はこのTab 3とPC に合計50冊以上のPsychic 関係の書物を購入してしまったし、すでに10冊以上は読み終わった。Kindle EnglishはOne Click で購入・Downloadができるので、便利は便利だが、買いすぎる危険もあり、また、むつかしそうな好い本は、やはり、Paperbackで手元に置いて、大事なところに備忘用の線やマークをつけながら読めるほうが私は好きである。したがって、いまや、私の本の購入の幅が増えたということで、Paperbackを買ったり、Android(これは携帯に便利)で買ったり、DesktopのPC(これは画面が大きくて見やすい)で買ったりと、3種類の購入を実行している。
さて問題のKindle Japaneseである。わたしはGalaxy Tab 3でAmazon.co.jpに入り、Registerして日本語の矢作直樹の本が何冊か出ているのを確かめて、購入・Downloadしようと試みた。ところが、Kindle Downloadとかと書いてあるのに、いざ選ぼうとすると、今はDownloadできないというメッセージが出て、矢作直樹に限らず、森鴎外や夏目漱石をトライしたが、みな駄目であった。これは、Registerの仕方が悪かったのかもと、別な名前とE-mailでトライしたが、いずれも駄目であった。
そこで、これはKindle Paperwhiteでないせいかもしれないと、一生懸命、Paperwhiteについて調査し、PaperwhiteならKindle専用に作られているのだから、読めるだろうと思って、もう少しで買いそうなところまできた。そして、念のために、アメリカの友人が教えてくれた、Kindle日本語の本を読むやりかたというのを読んで、その説明はぜんぜん役に立たなかったが、そのブログを見て投書して意見を発表しているところに目を通すと、なんとPaperwhiteをもっているカナダ在住の日本女性が、PaperwhiteにKindle JapaneseをDownload(購入)できないということで、Amazon.co.jpに問い合わせたところ、アマゾンは売りたいけれども、出版社(大手の講談社など)が日本国外へのKindle Japanese販売を許可していないということがわかったと記されていた。そうか、そういうことであったのかと目が覚めたような思いで、理由があるにしろ、せっかく外国で日本語の本を手早く読めるとTabletまで購入して喜んでいたのにと、腹が立つと同時にがっかりし、まあ、Paperwhiteを購入しなくてよかったと思った。
そこで、女房のKindle Japaneseで読みたいというのは無理だから、仕方がない、彼女の従兄弟に頼んで本を送ってもらおうと、私が勝手に矢作直樹という名前の入っている本を5冊ほど選び(共著・対談もある)、私自身のための哲学書「ニーチェ」に関する本と一緒に依頼した。
しばらくして、本の小包がDHLで届き、わたしはHappyであった。
女房に示したところ、勝手にオーダーしてといって、手にしないので、私はまず自分が読むことに決め、矢作直樹5冊とはいえ、みな簡単な本なので、20日に届いて、正味二日で、22日にはすべて読み終わった。
読んだ順番でリストすると
・魂と肉体のゆくえ
・人は死なない
・お別れの作法
・人は死なない。では、どうする?
・命には続きがある
の5冊で、最後の2冊は対談である。
まあ、これは執筆順とはいえないが、これでよかったと思う。
まず、「魂と肉体のゆくえ」 でどういうことが書いてあるのかを知り、そこから最初(「人は死なない」)にさかのぼって、確認し、それからは順番にといったところであった。
「人は死なない」が最初の本らしいが、これはとてもよかった。矢作直樹氏の強みというか、偉いところは、これは自分が直接体験したことや、救急・集中医療での患者との対応体験をふまえて、正直にサイキックな領域に入り、堂々と彼の信じるところを展開していることである。そして、この「人は死なない」の本のよさは、欧米のそういったサイキックな領域の研究史にも触れ、一応、かなりの広範囲な領域にわたって、現在のこのサイキックな領域の段階を示しているわけで、これ一冊で、まず大体は大事なところはつかめるはずである。
矢作直樹氏は、人は死なない、つまり肉体はなくなるが、魂は不滅であること、そして魂は輪廻転生をくりかえして、どんどん成長していくこと、どんな宗教にも偏らない、しかし、全体をつかさどるおおいなる光・愛・全能者ともいえる摂理があって、すべてが完璧にむかって成長しているということを何度もしっかりと書いている。彼は亡くなった母親ともMedium経由で会って話をするという体験もし、何度かの山での遭難で「霊聴」も体験し、Out-of-bodyに似た体験もし、患者からはOut-of-Body体験の話や憑依現象―ひょうい現象(いわゆるPossession)の体験も聞き、自分でもそういうケースがあるのを確認するという、今まで私がこのブログで書いてきた現象のいくつかをじかに体験し、また、直接そういう体験をした人と話をする機会をもったことがプラスして、こういう有益な本がかけたのであろう。自ら気功にも関心をもって中国までそのセミナーに参加するほど積極的に自分の好奇心を満足させるほど行動的であり、そのときの気功の先生・中健次郎とも「人は死なない。では、どうする?」で対談することになる。
現役の医者で東大教授というPositionも有利にはたらいたと思われる。まだ、日本では、この道100年以上の歴史を持つ欧米と違って、へんに科学主義が身についてしまった日本人は不思議な現象が起こるとか、ありうるとかということに対して、素直に肯定することができない体質を持つようになった。このブログの最初で展開したように、小林秀雄が現代インテリの科学万能主義を批判し、世の中に不思議な現象(つまり、今の科学では説明が難しい現象)が起こることを認めようとしないインテリのあり方を鋭く批判したが、現役の医者である矢作直樹氏は、医者としても、わかっている領域はわからないことにくらべると、まだまだ膨大であり、いわゆる医学では治療できなかった病気が別な方法(代替療法、Holistic Medicine など)で治るケースもいっぱいあり、その実例が気功を利用した療法であり、ほかのHealing方法であったりするが、そういう代替療法の有効性をみとめ、積極的に学ぼうとしているわけで、立派なものである。わたしのUCLA大学病院のPrimary Doctorはいわゆる対症療法主義で、自分はHolistic Medicineは認めないといっていたことからも、医者はなかなか、自分の学んだ医学の領域から抜け出せないようであり、その点、矢作直樹氏は立派だと思う。これからは、ますますそういう方向の研究が発展することを望まないではいられない。
そういうわけで、現役の医者で東大教授がはっきりと、自分はこう思う、つまり、あの世があり、死ぬのは肉体だけで、魂はもっといい世界に移るだけ、そして、輪廻転生をくりかえして、魂は徐々に向上してゆき、どうやら最後には全体と統一して一者になるらしい、それは愛であり、摂理でありということで、Reincarnation転生も当然のこととして認め、その霊魂の存在から、憑依現象、霊障、除霊(Depossession, Soul Releasement)といったこともあることまで言及して、まさに、万人向けのSpirit世界へのガイド・ブックであるといえる。この本を読んで、いままで不思議な体験をしてきたが誰にも話せなかった人々が直接ドクター矢作に、生の体験話をしてくるそうである。
当然、そこから、死んで魂が別の次元にうつるだけなら、では「お別れの作法」はどうなのか、とか、言葉遣い、逝く人と送る人のあるべき態度、Living Willの問題―特に最近は延命作業が弊害になっているケースが多く、ちゃんとどうしてほしいか書類にしてサインをし、みなに知らせておくとかといった実務的な面にまで心配りをしている。
「お別れの作法」を読むと、日本語のよさがよみがえってくる。アメリカなどにいると、食事時の「いただきます」など忘れてしまったようになっているが、やはり大事だなと気づかされる。
わたしは、ロサンジェルス日本語補習校あさひ学園で国語指導中、日本語の美しさ、すばらしさを理解してもらおうと努力し、たくさん、それに関するエッセイを書いて、それを、私の本「寺子屋的教育志向の中から」という形で発表したから、矢作直樹氏が日本語のすばらしさをよくわかるかたちで展開しているのを読むと、うれしく思う。
中健次郎氏との対談に出てくる気功の話はおどろくばかりであったが、事実なのであろう。ということは、あの世の実在も確かであるが、やはり人間は隠れた無限の能力を保持しているのだなあと感心する。わたしが、もっと若ければ、気功その他、いろいろ興味深い領域をもっと探求したいと思うが、今ではどうか。まあ、せめて本でも手に入れてトライはしたいものだ。
これらの本の中でも「祈り」に触れられているが、本当に「祈り」は効果があるそうである。Dr. Masaru Emotoがあちこちの水を凍らせてその結晶を写真に撮ると、結晶構造に違いが現れて、よい水かそうでないかの判断がすぐにできるそうであり、それだけでなく、感謝の言葉をこめた水にはそれ相応の効力が生じるとか、祈ったら、ダムの水がきれいになったとかという話がしるされていたが、本当なのであろう。むかし、日本古典を読むと、有名な紫式部日記など、冒頭から中宮彰子の安産を願う僧侶たちの祈祷の場面に出会うが、そして、祈りの効力など知らなかった私は迷信に支配されたありかたを馬鹿にしていたが、最近、わたしは、これはいけない、もっと謙虚になって、Shamanismなどについても勉強しなおさなければと思い始めた。あきらかに、むかしの、特に自然に近い生活をしていたひとびとは、人間が本来持っていた能力を充分に活用しながら生きていたのに違いない。文明が発達したことは、よい面もあるが、ちょうど科学万能主義が大事なものをおとしていったように、人間の本来持っている第六感といわれるサイキックな領域も隠してしまい、たまに超能力者がマスコミにでてくると、インチキだと無意味なたわごとを繰り返すだけに終わるようになった。
ということで、最後の本は葬儀社を経営している作家との対談で、死というものをみつめることの大切さなどについて、そして東日本大震災における天皇の祈りなどについても述べられている。矢作直樹氏はこのあと」天皇」という小冊子を出版されたようであるが、この「祈り」から見た天皇の存在、今までの日本人一般が知らなかったか知らされていなかったか、無視していたか、ともかく、扱うことをおそれてきた天皇を対象に描く勇気をもった人物が矢作直樹氏である。ということで、はじめて矢作直樹氏の本を読んだわけであるが、まじめな、とてもいい本(5冊)であって、読んでよかった。
ともかく、私は英語の本はいっぱい購入してきたが、日本でのこの領域の一般読者の読書の実態がつかめていなかった。私の本の中でも“心霊現象の科学への私の歩み”というエッセイで私の1975年からの関心と展開を紹介してきたが、最近、本を出してから、また新たな興味をわきおこされ、心霊現象の科学の現段階を知りたいと、最近だけでも150冊ほど英語の本を購入して、すでに40冊ほど読んだ段階である。
おどろいたのは、テラピストたちドクターがReincarnation, Possessionなど当然のごとく扱っていることで、今ではAfter Life が存在するのは当然のような感覚であること、昔はEileen GarrettやMrs. Piper, Mrs. Leonardその他、限られた人数のMedium霊能力者が有名で、科学実験に協力していたが、今ではMedium, Rare とはいいながら、いっぱいMediumがいて、その自伝もいっぱい手に入り、一般の人もセミナーなどに接する機会も多くなり、第六感といわれた領域が、より身近になっているようで、喜ばしい。
すでに私の意見は、このブログの中の「心霊現象の科学をめぐってー最近の感想」というところで記したが、矢作直樹氏と同様、私も、あの世はあり、転生はあり、憑依現象も、Ghostもあると確信している状態である。これは科学的に証明されたかどうかとは関係なく、そういう話は無意味だと思う。今の科学は、すでに述べたように発展途上であり、まだまだ幼児期の段階にあると私は思う。まあ、探究心旺盛な科学者がいて、この異次元の段階についてもますます研究が盛んになり、いい研究結果を発表されることを願っている。やはりなんといっても保守的な科学の世界のことである。勇気を持った医者・科学者の出現を大いに期待したい。その日本での現代の嚆矢ともいえる矢作直樹氏の諸著作は日本人に覚醒の警鐘を呼び鳴らすことであろう。昔、東大(東京帝国大学)はこの分野のまじめな探求者、海外にまで知られていたDr. Fukuraiを高野山大学に更迭した経験をもつ。それを思うと昔日の感である。
村田茂太郎 2013年11月23日
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