同じ著者Kristin Hannahの作品とはいえ、この本はほかの本とはかなり内容の展開に違うものがある。今までは、家庭内や友人をめぐる世界で起きる人間的感情(愛情・友情・信頼・寛容・許容、第二の人生など)が主なテーマであったが、ここでは、世界史が登場する。それも、一度も娘たちにうちとけたことがない母親の語る童話というかたちで展開されていく。それは、娘たちにとっては、母の秘密、なぞの本体が徐々に明らかにされていくことを意味する。
理解力のある父親と、どうしたことか母親と疎遠な関係をつづけている二人の姉妹。
母親はFairy Taleを語るだけで、自分の娘たちには打ち解けない関係が続いてすでに80歳ほどになっている。長女(Meredith)は結婚して、子供も大学生で、地方で学んでいる。夫とはうまくいっていない。長女は父親の果樹園のビジネスをひきうけ、すべてに精を出して自分の時間がないほどである。彼女は秩序なしには生きられないような人間である。
次女(Nina)は世界を舞台に活躍している写真家で、動乱激しい苦悩の世界の写真を世界に紹介して、ピュリッツアー賞を受賞したこともある。こちらは、秩序ある世界に定住するのがむつかしいほど、世界中あちこち飛び回っている。
場所はColumbia Riverコロンビア川に面したワシントン州側の田舎で、冬は雪が深く、そこにBeyle Nochiと呼ぶ果樹園を経営しているわけである。
85歳になる父親がHeart Attackで入院、重体で助からないとわかり、急遽、アフリカで写真を撮っている次女Ninaに連絡をする。
父親は助からないのは知っているが、自分の死後の妻と娘たちの関係を心配していて、年老いた妻のことを娘たちに頼み、妻のFairy Taleを最後まで聞くようにといって息を引き取る。
長女Meredithは母親がもうろくして、ほうっておくと危険だと思い、次女のNinaは遠い異国に居て、自分は仕事に忙しく、母親を世話できないということで、母親をNursing Homeに入れてしまう。あとで、かえってきた次女がそれをきいて、すぐにNursing Homeを訪問し、連れ出して、いつもの親の家に戻る。それでも、長女は次女を信用していない。世界のどこかで何か事件が起きると、すべてを放り出して出かけてしまい、自分の20年前の結婚式のときも、大事な役目を果たさないで、立ち去った妹を信用できないので、Nursing Homeがダメなら、近くのアパートに入れようと準備に忙しい。
そして、この物語は、父親Evanの妻(Anyaといわれている)が二人の娘に、ぼつぼつと語るFairy Tale(若い女性Vera-Veronicaを中心とした)を中心に展開されていく。
この娘たちの母親Anyaはロシア人であった。Fairy TaleにはPrinceやBlack Knightが登場し、二人の娘は主に母親の語る童話の最初のほうを聞いただけで、最後まで聞いたことがなかった。
妹が母親の世話をしながら、母親から聞き出すFairy Taleを、荷造りの準備をしている姉は、そっと隠れてききはじめ、自分が一度も聞いたことのない話が紡ぎだされてくるのに興味を覚える。
年老いた母親の口からぼつぼつと紡ぎだされるFairy Taleは、重々しい、絶望的な物語であった。
それは、母親が恋人に出遭ったころからはじまり、すぐに父親がBlack Knightと童話的に呼ばれる暗黒の世界からの馬車で拉致され、一度も家に帰ってくることがなかった話に入っていく。そして、ある日、父親は殺されたと知る。父親は詩人でもあり、時の政府は要注意の目を光らせていた。このスターリン時代を象徴する血の粛清の時代については、私は大学時代から比較的くわしく知っていたが、ナチスが侵入してくる段階から、つぎつぎと展開される話は、わたしには初めての内容であった。
つまり、スターリンの血の粛清の1935年頃から、ナチス・ドイツがソヴィエトに侵略していくころ(1941年-1943年)の物語が、母親の語る Fairy Taleということで、展開されていくのである。わたしは読んでいて、しきりにスターリンによる粛清の犠牲となった無数の人間、とくに詩人Osip Mandelstamマンデルスタームなどのことを思った。この本では、有名な女性の詩人Anna Akhmatovaアンナ・アハマトーヴァの詩(Requiem 1935-1940) が引用されたりしている。
それは、なんと重い、厳しい内容であることか。スターリン体制が形をとる1930年代の恐怖に満ちた“血の粛清”の社会とその中で生活をする苦しみ。そして、ナチスの侵略が、時のレニングラード(今のサンクト・ペテルブルグ)を包囲する形で展開し、ある種の租界や包囲網の中で飢えと寒さで、まるで方丈記の世界のように(しかし、もっと大規模でおそろしいあり方で)、ごろごろと人が(特に老人と子供が)死んでいく世界。直接にはナチスの侵略のせいとはいえ、スターリン体制の防御方針でのこの時の犠牲者は軽く見て百万人を超え、飢えと寒さで餓死した人間は70万人を超えたという。
これがLeningradレニングラードという大都会で起きたのだから、驚きである。スターリン体制のもとで起きた大事件として、ほかにウクライナの大飢饉がある(これはスターリン体制がもたらした人工的な恐怖の大飢饉で、このときは何百万人のひとが飢え死にしたという)。ほかに、死のスターリングラードとかといって、Stalingradスターリングラード(今はなんという名前なのか、ロシアでは名前がころころ変わるので、どこのことかわからなくなる可能性も多い。)で、ナチス・ドイツと決死の攻防戦が行われたのは有名で、シーモノフという作家がそれを舞台に小説を書いたりした。そして Babi Yarの、ナチスによる、ウクライナKievユダヤ人3万人以上を二日以内で虐殺。9/29,30/1941. Largest single massacre in history of holocaustといわれている。これはナチスの最初のユダヤ人虐殺のひとつで、ヒットラーのテスト・ケースであったといわれている。これに自信を得て、のちのユダヤ人虐殺が大規模に展開されたという。 ともかく、ソヴィエト・ロシアで、無数の惨劇が起きたが、レニングラードの包囲戦については、わたしははじめて知った。飢えと寒さで、世界史のうえで最大級の死者をうんだ包囲であったという。
著者は、みな、Fictionだと書いているが、もちろん、Fictionでレニングラード包囲は語れない。事実であったに違いない。登場人物はFictionだが。
内容的に重い小説であるが、この著者の本らしく、最後は姉妹の関係も母親との関係もみごとに収まり、離婚騒ぎになりかけていた長女Meredithの問題もうまく愛情が復活し、ほとんどHappy Endingといえるほどである。Fairy Taleの主人公Veraが実は母親のことであり、母親がAnyaとなのっていたのは、5歳で亡くしたと思っていた自分の娘のことを忘れないためだったとわかる。
最後に、母親の持つ秘密の解明を目指して行われるアラスカ・クルーズは、母親と姉妹三人が大いに期待を抱いて行った旅行で、AlaskaのSitkaやJuneauやKetchikanの魅力を伝えるすばらしい紹介文であるが、そこで、すべてが解き明かされ、最後に、なんとレニングラードで死に別れたはずの当時5歳であった娘Anyaと出会い、同じときに亡くなったと思っていた夫がつい最近、亡くなったと知る。夫と娘はそれぞれ、このアラスカの地で、妻であり母親であるVera(Anyaと名乗っていた)を探して、とうとう見つからないまま、夫Alexander(Sasha)は亡くなったのであった。
チャップリンの Gold Rush映画で飢えて皮靴を料理して食べる場面は有名だが、この母親が、何も食べるものが無くなり、病気で衰えるばかりの子供に夫の皮のバンドを煮て柔らかくして、飢えた子どもにたべさせるところが出てくる。
母親Veraは、自分の子供や夫、母や祖母などを全部レニングラードでのドイツ軍による空襲や病気で亡くしたと思い、もう自分にはなにもない、そして自分で死ぬ勇気もないと、前線に向けてひとりで歩きだし、ドイツ軍にShoot meと頼んだりしたが、結局、捕虜にされて終戦を迎え、連合軍に助け出され、アメリカ人兵士の Evanと結婚する。そして、娘二人が生まれたが、あまりにも暗い過去が邪魔をして、妻はオープンに生きられない。それをよく理解するのが夫であり、彼は夫としても父親としても、理解力のある、あたたかい人物で、うまく相容れない家族をまとめる役割も果たしていた。
姉と妹の確執は彼女の小説の主なテーマの一つであり、この小説はその面も上手に扱っているが、全編を通じて、Fairy Taleの挿入のような形で展開される母親の話がなんといっても重要である。
こういう話を読むと、今の平和のひと時をよく味わいながら生きることがいかに大事かと身に染みて感じさせられる。
世にスターリン時代といわれた暗黒の時代、それはその社会の人間全体が不信で生きるという、おそろしい世界であった。これが人民のためという名目で実行されていたから、なおさら恐ろしい世界であった。
その忍び入る恐怖のイメージを、馬車にひきいられた深夜の恐怖の訪問者Black Knightのイメージで寓話のごとく語るということが、絶望にうちひしがれた母親が保持する唯一の保身術であった。
まだ子供の頃、母親の語る Fairy Taleが母親の好きな唯一のテーマだと思って、子供たちはクリスマスにその芝居を演じようとして、母親の劇的な抵抗にあい、劇は失敗におわっただけでなく、ますます親子の関係を悪化していった。
母親のおとぎばなしを最後まで聞けという父親の遺言を手掛かりに、二人の娘は徐々にお互いの信頼を回復し、母親がアルツハイマーでぼけているわけではなく、あまりにも暗い過去を背負って、その責任の重さにうちひしがれて、閉じこもって生きていただけで、娘たちがきらいであったわけでもないとわかりホッとする。アラスカ旅行の間に母親は積極的にその重く暗い童話の世界を最後まで語り、ときには三人で笑いあう場面が登場する。そして、最後に、レニングラードで亡くなったと思っていた夫と娘Anyaがアラスカで生き延びていて、ほんの少しの違いで夫と再会できなかったとわかり、大きな精神的重荷がとれて、平和が母親にも戻ってきたわけであった。
本の題名の「Winter Garden」は母親(Anya=Vera)がBeyle Nochiとロシア風に名付けた果樹園の庭の一画を指し、そこが自分の愛する近親者すべてを亡くし、自分だけが生き残っている彼女の祈りを捧げる場所となっていた。母親のFairyTaleがいつまでも生き続ける場所であった。
この物語は、童話風な展開をしながら、世界史における大事件(スターリンの血の粛清とナチスによるレニングラード包囲)を扱った、重い内容を含んだ文学的な名作である。しかも、いつもの彼女の作品らしく、上手に家庭内の葛藤・相克を扱い、まとめあげている。じっくり時間をかけて読むべきものかもしれない。私はいつもの調子で、二日以内で読み終わったが。
注:Siege of Leningrad (or Leningrad Blockade) 9/8/1941-1/18/1943 827 days, Most lethal siege in world history 死者150万人,疎開 140万人とかといわれている。
レニングラードはセント・ペテルスブルグのロシア革命後の名前で、今またもとにもどったよう。一時はヒットラーがAdolfburgと名付けた由。
村田茂太郎 2013年5月1日、2日
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