私のブログ ”心霊現象の科学” をめぐる私の感想 並びに 抜粋紹介 その3 16篇 2021年11月14日
もうやめた、とかと書いたが、統計を見ると散発的にこの心霊現象の科学のブログを今ものぞいている人が居るとわかった。
それで、ぜひ読んでほしい Dr. Carl Wickland、「Thirty years among the Dead」の紹介文、私のブログの最後の5編を載せることにし、ついでに東大の矢作直樹氏の本の紹介、その他を付け加えた。全部で16編。
Doctor Carl Wickland について少し。2/19/1861-11/13/1945。Sweden出身。Los Angelesで神経科医Psychiatrist, Psychical Researcher.フロイトより5年後に生まれ、ユングより14年先に生まれた。私は1924年出版のこの本がフロイトやユングによってどう評価されていたのか興味がわき、それぞれの伝記、Peter Gay やFrank McLynnのIndexを調べてみたが、Carl Wickland という名前は見当たらなかった。自身サイキックであり、姪にMediumをもって学位論文もMediumに関するものであったJungは当然、このすばらしい本について読んでいたと思われるのだが、知らなかったのであろうか。二人はアメリカまで訪問したくらいなのだが、当時、ロサンジェルスはNew York、Chicagoとちがって田舎であったから、気が付かないで過ごしたのか。彼らの訪問時は、まだこの本が出版されていなかったのか?
ブログでバラバラに読むよりも読みやすいであろうと期待。
私のこの「心霊現象の科学」に関するエッセイは125編ほどから成り立っており、この3回にわたる抜粋紹介文で36編ほどコピーしたことになるから、1/4以上を紹介したことになる。このブログがどのようなものであるか知るのには充分すぎるほどであるにちがいない。興味がわいた人はこのブログでさらに調べることが可能であろう。
1 「心霊現象の科学」をめぐって -その69 矢作直樹(やはぎなおき)東大教授の本を読む 5冊
2 「心霊現象の科学」をめぐってーその65「On the Fringe of the Para-normal」 Bonnie Golightly を読んで
3 「心霊現象の科学」をめぐってーその33 Sandra Gibson Ph.D. “Beyond the Body”を読む
4 「心霊現象の科学」をめぐってーその51 「Lifetimes」 by Frederick Lenz Ph.D. を読む -Reincarnationの研究
5 「心霊現象の科学」をめぐって-その52 Reincarnation Lenz Ph. D. 「Lifetimes」 つづき
6 「心霊現象の科学」をめぐって-その64 「Death Encounters」(死との邂逅)臨死体験 など by Charles Fiore & Alan Landsburg を読む
7 「心霊現象の科学」をめぐってーその68 Claire Sylvia 「A Change of Heart」(A Memoir)を読む
8 「心霊現象の科学をめぐって」ー その34 Arthur Guirdham 「カターリ教徒と転生」The Cathars and Reincarnation
9 「心霊現象の科学」をめぐってーその78“Reincarnation-Missing Link in Christianity” by Elizabeth Clare Prophetを読む
10~14 「心霊現象の科学」をめぐってーその109ー113 ”Thirty years among the Dead” Dr. Carl Wickland(1924年)を読むーその1~ その5/5
付録 15 「心霊現象の科学」をめぐってー逸話 2014年3月28日
付録 16 「心霊現象の科学」をめぐって -最近の感想 (2013年11月)
村田茂太郎 2021年11月14日
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1 「心霊現象の科学」をめぐって -その69 矢作直樹(やはぎなおき)を読む
女房がどこから情報を得たのか、矢作直樹の「魂と肉体のゆくえ」という本を、日本語の本ではなくて、Amazon Kindle Japanese で読みたいと言い出した。わたしは日本にいる彼女の従兄弟に何度か本を頼んで探してもらい、送ってもらったり、訪米時に届けてもらったりしていたので、彼に頼もうかときいたら、Kindleで読みたいということであった。
そのあと、私はSamsungのGalaxy Tablet
3 を手に入れ、Amazon Kindle APPでAndroid KindleをDownloadし、英語のKindle Bookは購入して、Downloadするところまでこぎつけた。このあと、Androidでなくても、わたしが最近購入したDell DesktopのPCでもKindle
PC AppをDownloadしてKindle Englishは簡単に、本当に簡単に購入・Downloadできることがわかり、なんと今では私はこのTab
3とPC に合計50冊以上のPsychic
関係の書物を購入してしまったし、すでに10冊以上は読み終わった。Kindle EnglishはOne
Click で購入・Downloadができるので、便利は便利だが、買いすぎる危険もあり、また、むつかしそうな好い本は、やはり、Paperbackで手元に置いて、大事なところに備忘用の線やマークをつけながら読めるほうが私は好きである。したがって、いまや、私の本の購入の幅が増えたということで、Paperbackを買ったり、Android(これは携帯に便利)で買ったり、DesktopのPC(これは画面が大きくて見やすい)で買ったりと、3種類の購入を実行している。
さて問題のKindle Japaneseである。わたしはGalaxy
Tab 3でAmazon.co.jpに入り、Registerして日本語の矢作直樹の本が何冊か出ているのを確かめて、購入・Downloadしようと試みた。ところが、Kindle
Downloadとかと書いてあるのに、いざ選ぼうとすると、今はDownloadできないというメッセージが出て、矢作直樹に限らず、森鴎外や夏目漱石をトライしたが、みな駄目であった。これは、Registerの仕方が悪かったのかもと、別な名前とE-mailでトライしたが、いずれも駄目であった。
そこで、これはKindle Paperwhiteでないせいかもしれないと、一生懸命、Paperwhiteについて調査し、PaperwhiteならKindle専用に作られているのだから、読めるだろうと思って、もう少しで買いそうなところまできた。そして、念のために、友人が教えてくれた、Kindle日本語の本を読むやりかたというのを読んで、その説明はぜんぜん役に立たなかったが、そのブログを見て投書して意見を発表しているところに目を通すと、なんとPaperwhiteをもっているカナダ在住の日本女性が、PaperwhiteにKindle
JapaneseをDownload(購入)できないということで、Amazon.co.jpに問い合わせたところ、アマゾンは売りたいけれども、出版社(大手の講談社など)が日本国外へのKindle
Japanese販売を許可していないということがわかったと記されていた。そうか、そういうことであったのかと目が覚めたような思いで、理由があるにしろ、せっかく外国で日本語の本を手早く読めるとTabletまで購入して喜んでいたのにと、腹が立つと同時にがっかりし、まあ、Paperwhiteを購入しなくてよかったと思った。
そこで、女房のKindle Japaneseで読みたいというのは無理だから、仕方がない、彼女の従兄弟に頼んで本を送ってもらおうと、私が勝手に矢作直樹という名前の入っている本を5冊ほど選び(共著・対談もある)、私自身のための哲学書「ニーチェ」に関する本と一緒に依頼した。
しばらくして、本の小包がDHLで届き、わたしはHappyであった。
女房に示したところ、勝手にオーダーしてといって、手にしないので、私はまず自分が読むことに決め、矢作直樹5冊とはいえ、みな簡単な本なので、20日に届いて、正味二日で、22日にはすべて読み終わった。
読んだ順番でリストすると
魂と肉体のゆくえ
人は死なない
お別れの作法
人は死なない。では、どうする?
命には続きがある
の5冊で、最後の2冊は対談である。
まあ、これは執筆順とはいえないが、これでよかったと思う。
まず、「魂と肉体のゆくえ」 でどういうことが書いてあるのかを知り、そこから最初(「人は死なない」)にさかのぼって、確認し、それからは順番にといったところであった。
「人は死なない」が最初の本らしいが、これはとてもよかった。矢作直樹氏の強みというか、偉いところは、これは自分が直接体験したことや、救急・集中医療での患者との対応体験をふまえて、正直にサイキックな領域に入り、堂々と彼の信じるところを展開していることである。そして、この「人は死なない」の本のよさは、欧米のそういったサイキックな領域の研究史にも触れ、一応、かなりの広範囲な領域にわたって、現在のこのサイキックな領域の段階を示しているわけで、これ一冊で、まず大体は大事なところはつかめるはずである。
矢作直樹氏は、人は死なない、つまり肉体はなくなるが、魂は不滅であること、そして魂は輪廻転生をくりかえして、どんどん成長していくこと、どんな宗教にも偏らない、しかし、全体をつかさどるおおいなる光・愛・全能者ともいえる摂理があって、すべてが完璧にむかって成長しているということを何度もしっかりと書いている。彼は亡くなった母親ともMedium経由で会って話をするという体験もし、何度かの山での遭難で「霊聴」も体験し、Out-of-bodyに似た体験もし、患者からはOut-of-Body体験の話や憑依現象―ひょうい現象(いわゆるPossession)の体験も聞き、自分でもそういうケースがあるのを確認するという、今まで私がこのブログで書いてきた現象のいくつかをじかに体験し、また、直接そういう体験をした人と話をする機会をもったことがプラスして、こういう有益な本がかけたのであろう。自ら気功にも関心をもって中国までそのセミナーに参加するほど積極的に自分の好奇心を満足させるほど行動的であり、そのときの気功の先生・中健次郎とも「人は死なない。では、どうする?」で対談することになる。
現役の医者で東大教授というPositionも有利にはたらいたと思われる。まだ、日本では、この道100年以上の歴史を持つ欧米と違って、へんに科学主義が身についてしまった日本人は不思議な現象が起こるとか、ありうるとかということに対して、素直に肯定することができない体質を持つようになった。このブログの最初で展開したように、小林秀雄が現代インテリの科学万能主義を批判し、世の中に不思議な現象(つまり、今の科学では説明が難しい現象)が起こることを認めようとしないインテリのあり方を鋭く批判したが、現役の医者である矢作直樹氏は、医者としても、わかっている領域はわからないことにくらべると、まだまだ膨大であり、いわゆる医学では治療できなかった病気が別な方法(代替療法、Holistic
Medicine など)で治るケースもいっぱいあり、その実例が気功を利用した療法であり、ほかのHealing方法であったりするが、そういう代替療法の有効性をみとめ、積極的に学ぼうとしているわけで、立派なものである。わたしのUCLA大学病院のPrimary
Doctorはいわゆる対症療法主義で、自分はHolistic Medicineは認めないといっていたことからも、医者はなかなか、自分の学んだ医学の領域から抜け出せないようであり、その点、矢作直樹氏は立派だと思う。これからは、ますますそういう方向の研究が発展することを望まないではいられない。
そういうわけで、現役の医者で東大教授がはっきりと、自分はこう思う、つまり、あの世があり、死ぬのは肉体だけで、魂はもっといい世界に移るだけ、そして、輪廻転生をくりかえして、魂は徐々に向上してゆき、どうやら最後には全体と統一して一者になるらしい、それは愛であり、摂理でありということで、Reincarnation転生も当然のこととして認め、その霊魂の存在から、憑依現象、霊障、除霊(Depossession,
Soul Releasement)といったこともあることまで言及して、まさに、万人向けのSpirit世界への ガイド・ブックであるといえる。この本を読んで、いままで不思議な体験をしてきたが誰にも話せなかった人々が直接ドクター矢作に、生の体験話をしてくるそうである。
当然、そこから、死んで魂が別の次元にうつるだけなら、では「お別れの作法」はどうなのか、とか、言葉遣い、逝く人と送る人のあるべき態度、Living
Willの問題―特に最近は延命作業が弊害になっているケースが多く、ちゃんとどうしてほしいか書類にしてサインをし、みなに知らせておくとかといった実務的な面にまで心配りをしている。
「お別れの作法」を読むと、日本語のよさがよみがえってくる。アメリカなどにいると、食事時の「いただきます」など忘れてしまったようになっているが、やはり大事だなと気づかされる。
わたしは、ロサンジェルス日本語補習校あさひ学園で国語指導中、日本語の美しさ、すばらしさを理解してもらおうと努力し、たくさん、それに関するエッセイを書いて、それを、私の本「寺子屋的教育志向の中から」という形で発表したから、矢作直樹氏が日本語のすばらしさをよくわかるかたちで展開しているのを読むと、うれしく思う。
中健次郎氏との対談に出てくる気功の話はおどろくばかりであったが、事実なのであろう。ということは、あの世の実在も確かであるが、やはり人間は隠れた無限の能力を保持しているのだなあと感心する。わたしが、もっと若ければ、気功その他、いろいろ興味深い領域をもっと探求したいと思うが、今ではどうか。まあ、せめて本でも手に入れてトライはしたいものだ。
これらの本の中でも「祈り」に触れられているが、本当に「祈り」は効果があるそうである。Dr.
Masaru Emotoがあちこちの水を凍らせてその結晶を写真に撮ると、結晶構造に違いが現れて、よい水かそうでないかの判断がすぐにできるそうであり、それだけでなく、感謝の言葉をこめた水にはそれ相応の効力が生じるとか、祈ったら、ダムの水がきれいになったとかという話がしるされていたが、本当なのであろう。むかし、日本古典を読むと、有名な紫式部日記など、冒頭から中宮彰子の安産を願う僧侶たちの祈祷の場面に出会うが、そして、祈りの効力など知らなかった私は迷信に支配されたありかたを馬鹿にしていたが、最近、わたしは、これはいけない、もっと謙虚になって、Shamanismなどについても勉強しなおさなければと思い始めた。あきらかに、むかしの、特に自然に近い生活をしていたひとびとは、人間が本来持っていた能力を充分に活用しながら生きていたのに違いない。文明が発達したことは、よい面もあるが、ちょうど科学万能主義が大事なものをおとしていったように、人間の本来持っている第六感といわれるサイキックな領域も隠してしまい、たまに超能力者がマスコミにでてくると、インチキだと無意味なたわごとを繰り返すだけに終わるようになった。
ということで、最後の本は葬儀社を経営している作家との対談で、死というものをみつめることの大切さなどについて、そして東日本大震災における天皇の祈りなどについても述べられている。矢作直樹氏はこのあと」天皇」という小冊子を出版されたようであるが、この「祈り」から見た天皇の存在、今までの日本人一般が知らなかったか知らされていなかったか、無視していたか、ともかく、扱うことをおそれてきた天皇を対象に描く勇気をもった人物が矢作直樹氏である。ということで、はじめて矢作直樹氏の本を読んだわけであるが、まじめな、とてもいい本(5冊)であって、読んでよかった。
ともかく、私は英語の本はいっぱい購入してきたが、日本での読書の実態がつかめていなかった。私の本の中でも“心霊現象の科学への私の歩み”というエッセイで私の1975年からの関心と展開を紹介してきたが、最近、本を出してから、また新たな興味をわきおこされ、心霊現象の科学の現段階を知りたいと、最近だけでも150冊ほど英語の本を購入して、すでに40冊ほど読んだ段階である。
おどろいたのは、テラピストたちドクターがReincarnation, Possessionなど当然のごとく扱っていることで、今ではAfter
Life が存在するのは当然のような感覚であること、昔はEileen GarrettやMrs.
Piper, Mrs. Leonardその他、限られた人数のMedium霊能力者が有名で、科学実験に協力していたが、今ではMedium,
Rare とはいいながら、いっぱいMediumがいて、その自伝もいっぱい手に入り、一般の人もセミナーなどに接する機会も多くなり、第六感といわれた領域が、より身近になっているようで、喜ばしい。
すでに私の意見は、このブログの中の「最近の感想」というところで記したが、矢作直樹氏と同様、あの世はあり、転生はあり、憑依現象も、Ghostもあると確信している状態である。これは科学的に証明されたかどうかとは関係なく、そういう話は無意味だと思う。今の科学は、すでに述べたように発展途上であり、まだまだ幼児期の段階にあると私は思う。まあ、探究心旺盛な科学者がいて、この異次元の段階についてもますます研究が盛んになり、いい研究結果を発表されることを願っている。やはりなんといっても保守的な科学の世界のことである。勇気を持った医者・科学者の出現を大いに期待したい。その日本での現代の嚆矢ともいえる矢作直樹氏の諸著作は日本人に覚醒の警鐘を呼び鳴らすことであろう。昔、東大(東京帝国大学)はこの分野のまじめな探求者、海外にまで知られていたDr.
Fukuraiを高野山大学に更迭した経験をもつ。それを思うと昔日の感である。
村田茂太郎 2013年11月23日
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2 「心霊現象の科学」をめぐってーその65「On the Fringe of
the Para-normal」 Bonnie Golightly を読んで
これは奇妙な本である。著者の名前がすでにおかしい。どこかで聞いたことがあるLast
Nameだと思っていたら、その通りで、Truman Capoteの“Breakfast
at Tiffany”の主人公の名前であった。
オードリー・ヘップバーンのおかげで、有名になりすぎた映画ができ、Tiffanyの名前も素人にまで知れ渡った。ただし、レストランではなくて宝石商として有名だとは知らなかった。Breakfastというから有名なRestaurantだと思ってしまっていた。
どちらが先かということで、Internetでサーチすると、このBonnie
GolightlyがCapoteと映画会社を訴訟して、敗訴になったことがわかった。つまり、自分が小説のモデルだとかという争議であり、これからすると、本名がGolightlyであったらしい。1919年生まれだから、小説発表の1950年代後半よりは、はるかまえに生まれた人である。
名前はともかく、自分がモデルだというのもおかしな話で、このCapoteのなかのヘップバーン Hollyは、きれいで、Tiffanyという名前に合う感じの女性になっているが、Capote自身は、Prostitute娼婦ではなくて、American
Geisha芸者のようなものだと説明したらしい。実際的には, 永井荷風のいわゆる私娼(墨東奇譚)的な感じで、金持ちの男をさがしているような感じであり、小説ではDrugのとりつぎでもやっている感じがし、いわゆるまともな女性ではないといえる。Office GirlとかBusiness Womanなどでなく、1950年代に出てきた新しいタイプの女性であったのかもしれない。もっとも、オードリー・ヘップバーンの演じるほかの映画、たとえばケーリー・グラントと出演した Charadeシャレードなどでは、殺された夫について、職業についても何についても“I don‘t know”ばかり返事するという、わけのわからない妻を演じて、そういう役割が似合うような女性を演じるのが得意であったといえそうである。
この本(サイキック回想録“On the Fringe of the
Para-normal超常現象の縁で”)を書いた女性Bonnie Golightlyは作家であったらしく、いわゆるアメリカ文学史に残る女流文学者のレベルではなかったが、三文小説 Pulp
Fictionをたくさん出版したらしい。Internetで調べると手に入れることは可能なようであるが、数が少ないため、今では内容はともかく、稀覯本みたいに高いものとなっている。Pulp
Fictionも馬鹿にはできないということは、日本の作家・村上春樹が1920年1930年代のホラー・SFジャンルで活躍したという作家デレク・ハートフィールドの作品を愛好し、村上春樹の小説志向の原型を形作ったということからもわかる。
このPara-normalはある種の自伝であって、興味深い話が書かれている。彼女自身はそれほどサイキックではなかったようだが、ある種のサイキックはもっていて、娘がちゃんとGhostsを見分けることができたという。彼女自身はそこまではいかなかったようだ。が、そのうちに、あるGhostが見えるようになったともいう。
特に興味深かったのは、大学の心理学教授(行動主義心理学者)であるという父親が一度だけ出遭ったGhostの話である。特にサイキックではなかったという父親の唯一のサイキックな経験だとか。大学生の時に見た夢として語られている。
マントルの上の時計が急に止まったので、目覚めた(夢の中で)。
Though still sleeping in actuality, he thought he looked up to see a
short, stout gentleman with sandy hair and sandy beard staring down at him.
Then he noticed that his dream visitor was holding the pendulum still by the
crook of and oiled cane which he carried. “Who are you? What do you want?” my
father asked. “Why have you stopped the clock?”
実際はまだ眠っているのだが、彼は見上げて、背の低い、がっしりした、砂のような毛色をし、砂のようなひげを生やした男が彼を見下ろしているのを見たように思った。そして、彼は夢の訪問者が、時計の振子を油のついた杖で抑えているのに気が付いた。お前は誰だ、何の用だ、なぜ時計を止めたのだと私の父はたずねた。
“I have stopped time to give you a
message for your roommate, my son, Harry.”
わたしが時間を止めたのは、お前のルーム・メート、つまり私の息子にメッセージを伝えたいからだ。
My father waited, then the old man went on. “Tell him that I can’t find
my spectacles, that I want my spectacles.”
私の父は待っていた、そうすると年老いた男はつづけた、わたしのメガネが見当たらないと伝えてくれ、と。
As the guest seemed on the verge of releasing the pendulum, my father
asked, “Is that all? Do you have any message for me?”
この見知らぬ訪問客が振子を放そうとしたので、私の父はたずねた、それだけか?私へのメッセージはあるのかい、と。
The visitor seemed to consider, “Yes, I do have a message for you.
Beware of Stone’s River!” Then he was gone, the clock began to tick again, and
my father woke up.
訪問客は考える様子であった。そうだ、わたしはあんたにもメッセージがある、Stone Riverに注意しなさい。そして彼は去った。時計は時刻を刻み始め、父は目が覚めた。
As he used to tell it, Harry went white when my father gave him the
message upon his return. It was correct in every detail. Harry’s father had
been a short, stout sandy-haired man with sandy beard; he’d been fond of clocks
and he had habitually walked around with an oiled cane. He had died some years
before and had been buried without the spectacles which he always wore.
父はメッセージを告げることに慣れていたので、そのメッセージを帰ってきたRoom Mate の Harryに告げたところ、Harryは顔面蒼白になった。Harryの父親は背が低く、がっしりしていて、砂のような色をした髪の毛と口ひげをはやしていた、そして時計が好きで、習慣的に油っぽい杖をもって歩くのが常であった。彼は何年か前に亡くなり、彼がいつも身に着けていたメガネをつけないで、葬られたのであった。
But what of the message the old man had given my father for himself? He
could not make it out. The college where this had taken place was in
Connecticut; no Stone’s River there, nor back home in Illinois.
しかし、この老人が、私の父に残したメッセージは、一体なにであったのか。父には何のことかさっぱりわからなかった。このことがあった大学はコネチカットにあったし、そこにも、そして出身地のイリノイ州にもStone Riverなどなかったのである。
He did not make the connection until years later - not
until he moved to the very town in Tennessee where two of the bloodiest battles
of the Civil War had been fought, the Battle of Stone’s River.
彼は何年もたつまで、このことに関係づけることができなかった。テネシー州のまさにその名前の町に住みうつるまで。そこは南北戦争のなかでも二つの最も凄惨な戦いが行われたところ、Battle of Stone‘s Riverが闘われたところであった。
And that is where I
grew up and where he grew old.
そして、そこで私は成長し、父も年老いていったのだった。
Bonnie GolightlyはOuija
Board(ウイジャー・ボード)をいじるのが好きで、100年ほどの古さの建物を借りてひとりで移り住んだ時、いろいろな怪事件が発生した。そこで、噂のとおり、Haunted
House幽霊屋敷だとわかったわけで、ここはFictionでなく、彼女の生の回想なのでとても面白い。
特に、セミ・プロのMediumといえる男性と知り合って、(なぜセミ・プロなのかという説明はあとでわかる。)その男から、彼が感じ取ったという、その家の中のGhostsとその反応が面白い。このMediumは家に入るなり、いっぱいGhostsが一緒にいるのを感じ取ったようである。
“Tell me,” I asked. “Do you see anybody in this house?”
私はたずねた、この家に誰かいるか教えてくれる?
“Oh, yes,” he said at once, “I saw somebody the minute I walked in the
door.”
やあ、もちろん、私はドアーを入るなり、だれかを見た、と彼はすぐに言った。
“Who?” I asked, and we all
waited breathlessly.
誰を? 私はたずね、みんな息をするのも忘れて待っていた。
Wesley gave me an uneasy look. “Really want to know?”
サイキック、ウエスリーはどうこたえていいかわからないような様子をし、本当に知りたいの?ときいた。
“Certainly, I do,” I said seriously, for certainly I did.
もちろんよ、と私はまじめに応えた、実際、そうだったから。
“It’s a woman. She’s hanging at the top of the stairs in the hall on
the second floor. She’s dressed in a late nineteenth century costume-rather
gaudy, with a floral print.”
女だ、二階のホールの階段の上で首をつっている、彼女は、19世紀後半のむしろ派手な、花模様のついた衣装を身に着けている。
We all gasped. “Good God,” I said faintly, feeling shaken and sick.
私たちはみな息をのんだ、まるで、震えと病とでかすれたような気分で、“おお、神様!”と叫んだ。
“There’re others too,” he went on. “Over
there in the corner there’s a man-in his sixties, I’d say-a big, hearty man,
with a very red face. He’s grinning at us most of the time tonight. Not a
pleasant grin either, but not vicious-he was probably practical joker.”
ほかにも居るよ、そこのコーナーには60代の男がいる、どちらかというと大きな、力強そうな、大変赤ら顔の男だ、今晩は、ほとんど、彼は我々を見てにやりとしている、楽しげな表情ではないが、べつにアクドイというわけではない、どちらかというと実際的なJokerおどけ者といったところだ。
As for spooks, he listened very soberly to
what I told him with the Ouija board, and about my blood-chilling first night
in the house.
幽霊のことに関しては、彼は私の話をたいへんまじめに聞いていた、わたしはウイジャー・ボードでの体験を話し、この家での最初の夜の、血も凍るような体験を語ったのであった。
“They were just testing you,” he said. “They
won’t bother you. They like you very much and they’re glad that you’re
occupying the house. And they’re delighted with your friends and the people you
have around all the time.”
彼らはただ、あなたをテストしているだけだ、あなたを困らせるようなことはないだろう、彼らはあなたを好んでいるようだ、あなたがこの家の住人になったことを喜んでいる、そしてまた、あなたの友人たちも、そしていつもあなたのまわりに居る人たちをも喜んでいる。
I felt positively flattered; imagine,
little me, the darling of the spirit world!
私はまじめに喜ばしく思った、想像してご覧、ちっぽけな私が、このスピリットの世界でかわいがってもらっているわけだから。
“But don’t make fun of them, though,” he
warned. “They are very sensitive.”
しかし、決して彼らをからかわないように、彼らは非常に繊細な感受性を持っているから、と彼は私に忠告をくれた。
Soon after the sudden death of a close
friend whom the Warlock hadn’t known, I was to discover just how sensitive
indeed they were.
このサイキックな男が知らなかった、私の近しい友人が突然亡くなったすぐあと、実際かれらが、どれほど神経がこまやかなのかを発見することになった。
彼女(Bonnie Golightly)は親しかった友人が急に亡くなり、その兄弟からPaintings,
Etching, Lithographsなど、その友人の蒐集したものを貰い受けた。そのなかに“Children’s
Revolt”(子供たちの反乱)という有名な物語の、あるシーンをイラストしたのにつかわれたLitho があり、内容はGruesome恐ろしげなもの であったが、Technically
Superb技術的にはすばらしく、友人のものであったということで、Dining roomに降りる階段の上に、ほかの作品と一緒に飾った。絵は、女が扉のところで首をつっていて、二人の子供がその辺で遊んでいて、女のほうをみてにやりとしているというものであった。それを見たサイキックは、絵を飾ったその日に”すぐに取り去りなさい“と忠告した。
“Why?” I asked, quite puzzled.
どして? と、まったく訳が分からなくてたずねた。
“The hanging woman doesn’t like it.”
首をつっている女が好まないからだ。
“But I do,” I said.
でも、私は好きよ。
The next morning just before dawn I was
awakened by an awful crash and sped downstairs to find that the picture in
question not only had fallen off the wall, crashing its glass to bits as it
fell down the stairs, but had taken along some others in its path-for good
measure. I was furious. All the
fallen pictures had badly damaged frames. Defiantly, I hung the whole lot up
again, after doing what I could by way of unprofessional repair, and made sure
they were really solidly installed this time.
翌朝、丁度、夜明け前、私は、ものすごい、壊れるような音がして目を覚ました、そして階下へと突進した、問題の絵が壁から落ち、階段から落ちる途中、ガラスが粉々にくだけただけでなく、その落ちる道連れとして、ほかのいくつかも巻き添えにしてしまっていた。わたしはかんかんに怒った。すべての落ちた絵はフレームがひどく壊れてしまっていた。わたしは、挑むような気持で、私にできる素人のやり方で修理をして、今度は本当にしっかりととめた。
The next night, of course, the same thing
happened, but this time, mysteriously, the hanging-woman picture went all by
itself. The violence of hurtling was unmistakable, both from the sound of it
and the damages. And yes, I was beginning to have second thoughts about my
defiance. Wesley came by and I told him what had happened, and produced the
evidence. “Better rid of it immediately, “he advised.
次の夜、もちろん、同じことが起きた、しかし今度は、不思議にも首つり女の絵だけに変化があった。その音と破壊の様から判断して、びゅっと飛ばしたその荒々しさはあきらかであった。わたしはどう扱おうかと考え始めていた。そうするとウエスリーがやってきた。私は何が起きたかを説明し、その証拠を見せた。すぐに取り除きなさいと彼は忠告した。
“What can she do to me?” She’s doing the
harm to herself,” I said, exhibiting my last shred of stubbornness. “After all,
this is my house. She’s my guest, so to speak.”
彼女にいったい何ができるの、彼女は自分を傷つけているだけじゃないの、と私は自分の頑固さの片りんを示しながら言った。結局、ここは私の家で、彼女は私に言わせればただのゲストじゃないの。
“It’s not her picture,” he reminded me. “It
would be better for you if it were. She thinks you’re making a joke of her. And
as for being your guest, well, your guest can set your house on fire. And
probably will.”
彼女の絵でないからというのではない、もしそうだったら、あなたにはそのほうがよかっただろう、彼女はあなたが彼女をからかっているのだと思っているのだ。それから、あなたの家のゲストだということについては、あなたのゲストは家に火をつけることもできるのだ、そして多分、そうするだろう。
That did it. I had no intention of having
my nearly completed house set on fire by poltergeist, accident, or coincidence.
Besides, the picture was not pleasant and I could well live without it. I
arranged for it to go on “permanent loan” to a friend who rather liked it. The
Warlock one day announced that the hanging woman on the stairway had gone, “Where
to?” I asked. “Don’t know,” he said with a shrug, “But I believe they’re all
going to leave.”
それを聞いて、きまった。私はほとんど完成しそうになっている家をポルターガイストや事故、あるいは偶然ということで、火事でなくすつもりはない、おまけに絵は楽しいものではなかった、それなしでも充分やっていけた。私はその絵をその絵を好きだという友人の一人に永久貸与という手配をした。サイキックはある日、階段の首つり女はいなくなったと告げた。どこへ?知らないよ、彼は肩をすくめた、しかし、どうやら、彼らは全員、去る様子だ。
“Why?” I wanted to know.
どうして? 私は知りたかった。
Once more he shrugged, “Something about the
house,”
もう一度、彼は肩を竦め、多分、何か家のことで、と言った。
“Don’t they like it here anymore?”
彼らは、もうこの家を好まないのかしら?
“Sure, they do. At least I think so. But I
have a feeling they’re going.”
たしかに、彼らは好いていたよ、少なくとも、私はそう思う、しかし、彼らは去っていくという感じがする。
Over the course of the next few months, he
reported another departure, and another. Then the thing that I, and the
occupants of the tenement house in front had feared would happen, did happen –
the Housing Authority notified us that the landlord wanted to put us out and
close the buildings. …
それからの二-三か月の間に、彼は別のが去って行った、また別のが去って行ったと私に報告した。そして、私と家の前のほかの住人が心配していたことが起きた、家主が私たちを追い出し、ビルを閉鎖したがっていると政府の居住問題関係者から通知があった。
A few weeks before I moved, the Warlock
announced one day that except for living occupants, the house was now
completely deserted.
私が移動する何週間か前に、サイキックはある日、生きている住民以外、この家には何もいなくなったと告げた。
“Spook-free at last,” I said rather sadly. “It
won’t be the same.”
幽霊はなにもいなくなったわけね。そうなると、同じじゃないね、とわたしはむしろ悲しそうにこたえた。
“Oh, you may hear from them again,” he
said, “Somewhere, sometime.”
やあ、また彼らからコンタクトしてくるかもしれないよ、いつか、どこかで、と彼は言った。
家を出るにあたって、借りるつもりでいたアパートをやめて田舎のほうに家を借りることに決め、必要でないものは倉庫を借りて入れることにした、その家を出る二日前に、友人が例の”絵“を返してくれたので、ほかの絵と一緒にバレルに入れて、倉庫にしまって、もうそのことは忘れていた。それは夏のことであったが、秋にニューヨークにもどると、私の倉庫で火事があったとわかった。わたしの所有物は水でかなりダメになった。このときは、彼女はその関連に気が付かなかったが、あるとき聴衆に自分がすんでいた家にいたSpirits ゲストについて話していた時、その関連に気が付き、あとでサイキックにそのことをたずねたが、例のごとく”Who knows?“どうだかね、という返事であった。
― - - - -
ここに語られたGhostsの話は重要である。
父親の唯一の体験というまさにサイキックな夢、そして予告。ここで、わたしが不思議に思うのは、その幽霊としてあらわれた男が、めがねが無いというメッセージを伝えるためにあらわれたということで、これは、エジプトや日本そのほか各地で死者を埋葬するのに所有物を一緒にいれて埋葬した、そして日本では埴輪がつかわれたということなどと関係があるように思われる。また一方、このブログの心霊現象の科学の最初のほうで紹介したJess Steranのサイキック(Maria Moreno)が語った、“お墓には何もない”という話と関連させると、どうなっているのかと思う。自分が必ず身に着けていたメガネを身に着けないで葬られて、Spiritが注文を付けにくるということは、どういうことなのか。メガネなど必要でないSpiritになっているのではなかったのか。そして、今更、メガネといわれても、どうしろというのだろう。お墓に葬った場合は掘り起こして、入れなおすということは可能だが、火葬の場合はどうなのか。わけのわからない話である。
Stone River の話は、まさに予知といえる。それも、かなり先の未来が、どうしたことか、Spiritにはわかったということは、予知の意味について考えるとき、大事な例証の一つといえるかもしれない。
彼女のふるい家にすみついていたSpirits達は重要な事実を伝えている。まさに、Earth Boundこの地上世界に密着したSpiritsがいるということ、まるで天井にはりつく蜘蛛の巣のように、旧い家に密着して存在し、まるで生きているかのように、反応し、感情をもち、しかもPoltergeistとしてある種のエネルギーで額に入った絵を物理的に投げ壊す能力・エネルギーを保持していること、場合によっては火事までおこさせるちからをもっているということ、などがここに語られていた。そして、その家が近いうちに取り壊しになるということを事前にキャッチして、家に住み着いたGhostsが先につぎつぎに家を出て行ったという話。(サイキックが最初にこの家に入ったときの印象では、この家には20を超えるSpiritsが一緒に住んでいるとのことであった。)そして、ホンモノのサイキックにはそうしたSpiritsの存在をキャッチできるということ。
Life after Death があり、肉体を離れたSpiritsが、別の世界、別の次元に移行しないで、自分が死んだことも知らないで、自分が、嘗て住んでいた家にへばりついているというのは、まさに地上に密着したあわれなあり方で、こういうことにならないように、我々は“チベットの死者の書”のような、次の次元を調査した研究書をよく勉強しておく必要があるように思われる。これらEarth Boundのスピリットがあるということは、まさに人間は死んだ後も意識と感情をもった個性ある存在でありつづけ、別の発展を期待されているといえる。
D. Scott Rogoの研究(「Man Does Survive Death」 その他)によると、ホンモノのGhost Houseといえるものにはなかなかぶつからないそうである。なんらかの原因で音を立てているケースがほとんどだとか。しかし、彼はみな嘘だといっているわけではない。本物のGhost Houseというのは存在するのである。この著者が住み込んだ100年の歴史をもった家もそうした本物のGhost Houseであったと思う。そうして、このGhostの研究はやはり人間の死後の世界の在り方の研究につながるものであると思う。
この本は、個人のなんとなくサイキックな人生をふりかえった、それなりに面白い、大事な本である。おおげさに扱わないで、しかも、本当にGhostHouseが存在し、それがどのようになっているか、Life after Death を正面からでなく、付属品から証明しているような感じがする。そういう意味でも、小品ながら、重要な本である。
さらに、ここにあらわれたサイキックの語る話、次に述べる体験談がとても重要である。それは、彼がなぜホンモノのサイキックでありながら、Semi-proというStatus、つまり、この本の著者をサイキックとして助けたりしながら、ほかの職業で生活しているありかたを続けているかという話である。いつものことながら、無断で引用・紹介という展開をした。悪用しているわけではないということで、著者または版権所有者のご容赦を乞う。つづく。
村田茂太郎 2013年3月1日
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3 「心霊現象の科学」をめぐってーその33 Sandra Gibson “Beyond
the Body”を読む
1979年にPaperbackが出版され〔Tower
Publications, Inc. Belmont Tower Books$2.25〕、メモによると、わたしは1979年4月には読了している。GoodともInterestingとも、なにも書いていない。あまり印象に残らなかったにちがいない。Croiset the Clairvoyantとか Mathew ManningのLinkとかは一度読んだだけで、鮮烈な印象が残ったので、多分、わたしのその当時の関心がこの本の内容とは関係ないところに向いていたのであろう。
今度、33年ぶりに読み返してみて、まったく初めて読むような感じであった。この2月ブログ開設以来、“心霊現象の科学”に関するものを再読し始めたおかげで、そして、わたしも成長したのか、今回、この本は非常に面白く読めた。最後にVery Goodと記載したほどである。
この本の裏表紙に“The making of a Medium-A True Story!”と書かれている。まさに、その通りである。わたしは2月以来、いつも引用するRosemary
BrownやEileen Garrettなどのサイキックの自伝または回想録、自己分析の記録などを読んで、Mediumは最初から、若い頃からMediumサイキックぶりを発揮し、それを肯定する母親そのほかのひとがヘルプして、自分はほかの人と違うということに対して、特にNegativeにもNervousにもならずに成長していったということを当然のことのように思っていたが、このSandra
Gibsonサンドラ・ギブソン(ペンネームで、1947年生まれ、この本を書いたときは約29歳。教育学、心理学関係でPh.D.を取得、Husbandも精神分析、心理学、カウンセラー関係でPh.D.を取得)のこの本を読むと、Medium―shipを自分が、本人がAcceptすることは、大変なことであり、また、まさに指導者とその道の教育が必要ということを始めて知った。
Sandraは13歳の頃から、普通の子どもとしては異常な体験をし始め、一時、おさまっていたが〔15歳から23歳まで〕、24歳の時から、あたらな展開を見せ、それは予知、テレパシー、Past
life Memory その他が関係してくる事になった。結婚してヨーロッパ旅行をして、スペインの古いお城を訪れたとき、自分が今のHusbandに、その昔、恋人同士でありながら、この城の城壁から突き落とされて死んだことを思い出し、高所恐怖症があらわれた。そのあと、イギリスで、今度は、彼女が男性で、今のHusbandが女性で、その女性から愛されていたのにもかかわらず、Playboyブリを発揮して、結婚まではいたらなかった、そういう実話なのか、夢なのか、想像なのかわからない場面が鮮烈な夢としてVividにあらわれてくるようになり、このままいくと、自分は気違いになるか、悪霊につかれてダメになるに違いないと感じて、Prana
FoundationというPsychic Consultingを訪れた。そして、何度も、やめようとかという思いにとりつかれながら、自分のこのいわば恐怖の体験の真相を究めたいという思いで、ひとりのConsultantとつきあいはじめ、彼の指導で、何度も、もたもたしながら、1年半かけて、自分の能力を発見し、開発し、Ph.D.をその間に取得しながら、Medium―shipを所持したひとりのサイキックとして成長していく話で、最初のConsultingに入る前から、1年半後にそれを終了するまでの記録Journalを本(Journal
of a Psychic)にまとめたものである。本にするアイデアは、彼女のSpirit Guideが提案し、Followして成立したものらしい。つまり、本当に懐疑的な人間が、自分のサイキックな能力を発見し、コントロールしながら、その才能を伸ばして、PublicにMediumとして通用するほどに成長するまでの話である。
ここには、Reincarnation転生が出てくるし、Edgar
Cayceエドガー・ケーシー同様のSleeping Prophet眠れる預言者的な、あるいはカウンセラー的な、病理学的な診断まで登場する。そのとき、彼女自身はいつも、それがホンモノか、自分の内部の意識の変容態から来た情報なのかと疑問に思い、自分のからだがほかのものにPossessedされることを極端におそれていた。そのため、時期が熟するとPast Life Therapyを受け、自分が夢で見たりしたことが、すべて本当のことであったと知る。そして、なぜ、そんなにPossessionをこわがるのか、ということなど、彼女の恐怖の真相がこのPast lifeの実態から(?)解明される。トラウマの真相に対決すると、トラウマは消えるということで、彼女は自分のいろいろと消極的な行動の原因が、実はその昔、サイキックな能力を悪用して人々をだましたり、その結果、火あぶりの刑で殺されたり、悪い霊に自分の身体をのっとられてしまったという体験と、それを償う形でその後の人生が展開してきたということなどを知らされ、自分でも確認し、そのため、今のLifeでは生活態度がNegativeになり、なかなか、心を無にして、良いGuiding
Spiritがうまく働ける状態にならなかったということであり、それがわかった時点で、彼女は自信をもってPositiveに自分の才能を発揮していく決心がつく。
そのうち、自分の能力を訓練してAuto-writingやTelepathy, Trance-medium性を発揮するようになり、Husbandが助けて、ふたりでTrance-mediumのSessionを何度も家でもち、またコンサルタントのヘルプで能力を開発する中で、彼女はまさにEdgar CayceがTranceの状態で、名前などを聞いただけで、そのひとの何が問題かとか、自分のHusbandの身体のどこが、具合が悪いかなどを判定するあるいは判定できるようになる。Medical
Doctorでもない彼女が、HusbandのProstateがおかしくなっているから、こういうフルーツ・ジュースを飲めとかいいはじめ、彼女自身はそれを信じないで、ドクターに相談しろと言うが、Husbandは彼女の診断どおりに行動して、元気になる。
そういうことで、結局、Reincarnationの悪夢かなにかで苦労した彼女が、コンサルタントの指導の下、自分の天分をひきだし、カウンセラー、Mediumとして大成していく。
これを読んでいて、わたしはEdgar Cayceが何も特別なわけではなく、ひとりのすぐれたサイキックであったとわかった。このSandraも、Trance-medium-shipに慣れてくると、知らない人の名前をもらっただけで、一応、それらしき問題をあてるわけである。彼女はそれをいつも自分の意識または深層意識から来た情報で、ホンモノかどうかわからないという疑問を持っていたが、コンサルタントは彼女の判定Readingは当たっているという。
そこで、彼女は、自分はコンピューターの端末で、それが意識または深層意識から中央のCosmic な意識につながって、その中央情報局にいわばAkashic
Recordといわれる個人の情報がたくわえられていて、Spirit Guideが名前をいわれただけで、その人の情報をひっぱってくることができるのかもしれないと考える(これは私の解釈で、この本ではAkashic
Recordなどという言葉はでてこない)。Edgar CayceがSleepingのTrance-mediumの状態で、いろいろな質問にたいして、おどろくような答えを残したように、彼女も名前を聞いただけで、そのひとはアルコールに問題があるとか、自己破壊的傾向があるとか、ともかく、本人である彼女が全然知らないことを、自分の口からいうことになる。
この本は日本語訳がでているのかどうか知らないが、とても面白い。まるでSFを読んでいるようなところまである。彼女はどこかのPlanetからいわば左遷されてきて、また戻ることになるかもとか、彼女のSpirit GuideはEarth
lifeのガイドをつとめるだけでなく、どこかのPlanetでは肉体を持って存在しているとか。Earthでは時間と空間が支配しているが、そこでは、つまり“あの世、別の次元”(?)では、時間も空間もないから、すべてが瞬間で、思うように動けるとか。そして、Earth
lifeはまだまだ幼稚な次元で、いくつもの段階を経て成長をしていかねばならず、そのひとつのいわば学習過程として地球上の生命としてあらわれたわけで、これは、まだはじめの段階にすぎないとか。まるで、Rosemary
Brownの Unfinished Symphonyで彼女Rosemaryのガイドを勤めたフランツ・リストがRosemaryに説明したのと同じ話である。つまり、この地上のLifeはいわば幼児期で、この世の生命がおわってから、あたらしい次元がスタートするので、死はおわりではなく、はじまりであるということ。
Past lifeとReincarnationに関しては有名な本もいっぱい出ている。わたしもたくさん読んだ。このSandra Gibsonの本を読むと、この地上の生命は何度も転生するように見える。
彼女は本の最後に近いところで、思い出された自分の過去の人生を列挙しているが、少なくとも6回以上転生しているようだ。Another Planetでの拷問と殺害、メソポタミアで大きな男性、1200年代Possessed、ヨーロッパで1400年代サイキック・パワーの悪用で追われて岩にあたって死ぬ。スペイン1500年代、高貴な身分の女性で若い王子(今のHusband)の愛人で、口論で城から突き落とされて死ぬ。1600年代アムステルダムでにせもののMediumとして人々をだまし、そのうちPossessedされ、火あぶりで死ぬ。1800年代イギリスで彼女は男性、女(今のHusband)をもてあそんで結婚せず。という転身(男に生まれたり、女に生まれたり)をくりかえす。
そして、Future彼女の将来-もう一度、地球上で、今度は平和な主婦として、サイキックで子どもを持ち、おだやかで幸せな生活をおくる。それがこのEarth lifeの最後で、そのあと、My Home Planetにかえる。
この彼女が何度も夢で見た過去の記憶が、Foundationでコンサルタントの助けで、催眠状態で思い出すPast
lifeの数々で確認され、彼女の夢はまさに彼女の過去の人生であったとか。
この本に引用されたりする本にLawrence LeShanの「The
Medium, The Mystic and The Physicist」や「How
to Meditate」がある。どれもこの本の中で信頼できる内容ということで、高い評価を与えられている。拙著の中の「癌と人生」というエッセイは、彼の本「You
can fight for your life」の紹介であった。この彼の本がMeditationその他で、ふたりのPh.D. Candidatesに役立ったのは事実のようだ。
この本を読みながら、わたしはほかにJane Robertsの Seth
Speaks やFrederick LenzのLife Times その他を読んでいる。そうすると、このSandraの本で書かれた何度もの“転生”Reincarnationの話が、Lenz Ph.D.のLifetimesやSeth
Speaksの中の話と通じ合って、ここにもまた別の転生の話があったのかということになる。わたしが2月から計画しているArthur
Guirdhamの「Cathars and Reincarnation」の紹介予定(まだ未筆)も具体的な転生の記憶の話で、それがとても興味深い。Dr.
Ian Stevensonの有名な「20 cases suggestive of Reincarnation」はインドその他の子どもの記憶の話であるが、あまり面白くない。このSandraのAnother
Planetの話を読んで、立花隆の「臨死体験」の中で、エリザベス・キューブラ・ロスとのInterviewで、話が“眉唾物”というか、変な方向に行きかかったことを述べている部分があるのを思い出した。(上巻489-490ページ)。
――――――――
―ロスさん自身は、臨死体験以外に、体外離脱をしたという経験はありませんか。
あります。何度もあります。・・・
体外離脱してどこに行くのですか。
いろんなところに行きます。その辺の屋根の上にとどまっていることもあれば、別の銀河まで行ってしまうこともあります。ついこの間は、プレヤデス星団(すばる)まで行ってきました。そこの人たちは、地球人よりもずっと優れた文明を持っていて、“地球人は地球を破壊しすぎた。もう元に戻らないだろう。・・・”といっていました。
・・・・私には昔から幾つかのスピリチュアルな体験があります。・・・
・・・ロスとのインタビューは、この奇妙なやり取りで終わった。・・・
しかし、それにしても、彼女がついこの間体外離脱してプレヤデス星団に行ってきたといいだしたときにはびっくりした。思わずまじまじと彼女の顔に見入ってしまった。あるいは彼女がこの問題についてそれ以上話そうとしなくなったのは、それが原因かもしれない。
・・・どう考えても、これは夢ないし入眠時幻覚なのではないかと私は考えている。
――――――
わたしは、このSandra GibsonのHome
PlanetとかEarth Lifeとかという話を読んでいて、このキューブラ・ロス、立花隆のプレヤデス星団の話を思い出した。サイキックは、この、時間と空間に縛られた地球的宇宙以外に、時間も空間も無いParallel宇宙にアクセスでき、そういうイメージを生み出せるのだろうかと思ったわけである。
スピリチュアルとかサイキックということと関係のある話で、ただ単純に体外離脱Out-of-Body-Experienceということではないのかもしれない。
さて、このSandraの本のなかに、1年ほど前に亡くなったはずの彼女のおばあさんがHelp
me!助けて!と彼女にコンタクトしてくる場面がある。おかしい、もう亡くなった筈なのにということで、彼女のSpirit/Guideに相談し、結局、White LightのPositiveなEnergyのイメージを送り、おばあさんはもう死んでいるのだから、別の次元に移るようにメッセージを送り、ほかのSpiritがヘルプしてくれるように頼んで、やっとおばあさんは死んだことをさとり、死後の世界のLimbo?から解放され、うまく昇天していくという話である。
これを読んで、そしてほかの本も読むと、Rosemary Brownの本でリストのSpiritがのべた、死ぬと近親者とか友達が待っていて、迎え、案内してくれるから、死んでも心配ないということであったが、それは、どうやら、うまく(?)死ねた場合の話で(つまり、成仏できるような環境で死んだ場合?)、そうではなくて、自分が死んだことにも気がつかないで、薄明のような中をさまよっているというケースもあるようだ。
Frederick Lenz, Ph.D.は、そのLifetimesという本の中で、The Tibetan Book of the Dead という本を簡単に紹介しているが、(わたしはこの本「チベットの死者の書」の英語版を持っていて、これから読むつもりであるが、ここでは、このLenzの紹介を述べる)、それによると、死者の魂が転生によって再生するまでに、いくつかの魂の遍歴を経る事になる。この魂の異次元での遍歴がConfusing(ややこしい)なので、Advanced StudentsにこのBardo Planeといわれる世界を事前に案内しておこうというのが、このTibetan Bookの書かれた目的、つまり、死んでから迷わないようにという話で、ということは、やはり死んですぐに、いわゆる極楽浄土にうつるわけではないということかもしれない。以下はLenzのLifetimes〔True Accounts of Reincarnation〕からの引用。Fawcett Crest Books, ISBN: 0-449-24337-0 1979、Page
96-97.
The Book of the Dead explains that
immediately following a person’s death, he may not realize he has died. After
he had recognized that his body had died, he will become distressed and will
try – without success – to enter his old body. After death the soul may linger
in its old environment on earth for several days, visiting familiar places
where it has lived during its former life. In some cases the soul will also
linger to observe its former body’s funeral and to see to what extent others
mourn its death.
チベットの死者の書によると、人は死んだアト、すぐには自分が死んでしまったことに気がつかず、しばらくして、それがわかると、落ち込んで、もう一度、自分の身体に戻ろうとするが、もちろんうまくいかない。そして、死後数日間は自分が親しんだ場所をうろついたり、自分の葬式を眺めたりする。
According to the Book of the Dead, after
the soul has lingered on earth for a time, it will feel a pull to go beyond
this world. At that time it will begin its journey through the higher worlds.
The first world the soul enters into after it leaves the physical world is a
vital world filled with chaos. The Book of the Dead describes many
unpleasant-looking beings who live in this vital world who try to torment the
soul. After staying in the vital world, the soul will then enter into a mental
world that is composed of abstract ideas and qualities. After passing through
this world, it enters into a number of beautiful psychic worlds filled with
pleasing colors, scents, and beautiful beings that will help the soul on its
journey. Finally, the Book of the Dead describes the soul’s own world, where it
will rest and reflect upon the experiences it has had in its most recent
lifetime. After it has rested for some time in its own world, it will retrace
its course and be reborn.
死者の書によると、それからSoulは異次元世界の方に引っ張られ、その異次元でのSoulの旅をはじめることになる。Vitalな世界からMentalな世界、Psychicな世界と経て、最後にSoulのOwn Worldに達する。そこで安らぎ、自分が去ってきた死ぬ前の世界について反省する。そういうことを経て、しばらく休んでから、また次の地上での生命に生まれかわる。転生がはじまる。というのが、この「死者の書」の記すところであり、要するに、死と転生の間を、Soulがとまどわないように説明したものということになる。この簡単すぎる要約は、Lenzの本によったもので、いずれ、わたしは自分が所持しているエジプトの死者の書とチベットの死者の書(どちらも英語版)を読んで、このブログで紹介したいと思っている。
ここで、言いたいのは、立花隆が言うように、死ぬ前に“臨死体験”に描かれたような、すばらしい気分を味わったアト、本当に死んで“無に帰す”のか、臨死体験が描いたような極楽浄土・あるいは天国のような世界に移れるのか、それは死ぬ前にはわからない。どちらであってもよい、ともかく、死ぬときに人間は苦しまないで次の次元または無に移れるということでよいということなのだが、もし、死んで次の次元に移るようなことになった場合、この死者の書に描かれたような、ある種の段階的移行があるかもしれないということを知っておいたほうが、安心して死ねる、ともかく、薄明の中で1年も2年もさまよわないですむということなのである。
Sandra Gibsonは、この「Beyond
the Body」を書いた後、読者の反応がすごくて、Best sellerになり、続編「Beyond
the Mind」(1981)を書くわけで、そのとき、自分のおばあさんが死んだことを知らないで1年間、薄明の中をさまよっていたという話から、Limbo(宙ぶらり)状態に居るSoulがGhostの一つの原因ではないかと考え、いわば、サイキックMediumとして、このLimbo状態に居るSoulへのコンサルタントをすることも大事ではないかと考えたことが記されている。以下はPage
9-10 の直接の引用.
“Well, if we really do survive death, then
we presumably take our personalities with us. We may not be that much different
right after death than we were right before death.” さて、もし本当にわれわれが死後も生きているのであれば、われわれは当然生前の個性もそのまま持ち込んでいるはずである。そうなると、われわれは死後も生前とあまり変わらないということになる。
“True. Raymond Moody’s Life After Life is one of a number of studies that supports that
idea.” その通り。ムーディのLife after Lifeはその考えを支持する研究のひとつといえる。
“If that’s the case, it seems that a lot of
those supposedly dead people may have problems. Some of them may be confused,
may not realize that they’re dead. Others may refuse to accept their
condition.” もし、そういうことが、本当に起っているのなら、死者といわれるひとはたくさんの問題を抱えていることになる。あるものは、戸惑って、自分が死んだという自覚が無いかもしれない。あるものは、これが死んだ状態だということを拒否するかもしれない。
“Aren’t there supposed to be guides on the
other side to help them at that time?” でも、そのときに、別の次元で死者をヘルプするガイドがいるはずではないの?
“I do think there are guides. But maybe
some people are closed to hearing them. Remember that day when I felt the
presence of my grandmother in my study? She had been dead a year, but I felt
she was telling me that she was very confused, Only after I convinced her that
physical body had died did she listen to the guides.” 私はガイドはいると思う。しかし、ある種の人々はガイドの意見に耳をかそうとしないのではないか。私が書斎でおばあさんが居るのを感じた日のことを覚えている?彼女は死んで1年経っていた、それにもかかわらず、おばあさんは戸惑った状態にいると私に伝えたように思う。わたしが彼女の肉体はすでに死んでしまっていると納得させて、やっと彼女はガイドの意見に耳を貸したのだ。
“Granted. Maybe some people who have
recently died are not receptive to the guides. So, what happens then?” その通り。もしかして、死んだばかりの人はガイドを受け入れないのかもしれない。もし、そうであれば、どういうことになるか?
“I am wondering if these confused people
become what we call `ghosts’, hanging around their former homes. It’s their
effect upon the people who are alive that interests Me.” 私は、もしかして、これらのわけがわからなくなった状態に居る死んだ人々が私達が“幽霊”と呼ぶものになって、自分たちのもとの家のまわりを徘徊しているのではないかと思う。私が興味を引かれるのは、そうした人の生み出す効果が生きている人に与える影響ということだ。
“Are you talking about possession?” あなたはPossession憑きについて話しているのか?
“Partly. I think possession can happen. But
maybe there’s telepathic rapport between the dead and the living.” 部分的にはソウ。私は、Possessionは起りうると思う。しかし、もしかして、死者と生きているものの間に、テレパシーが働くのかもしれない。
ということで、Sandra Gibsonは自分の過去を知って、生き返ったようになり、Ph.D. を取得して、カウンセラーをはじめ、なんと、自分が指導を受けたPrana FoundationのPresidentに推薦され、Foundationの発展に貢献するという話である。これを読むと、ReincarnationもNaturalに起るように見える。ともかく、わかりやすく、面白い本であった。
村田茂太郎 2012年11月24日、26日 執筆
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4 「心霊現象の科学」をめぐってーその51 「Lifetimes」
by Frederick Lenz Ph.D. を読む -Reincarnationの研究
私がReincarnation転生 に関する本をたくさん読んだのは、もう、今から35年ほど前の数年である。
今はどうだか知らないが、当時、1976年ごろから特に1980年ごろにかけて、盛んにReincarnationに関する本がでまわったように思う。
ほとんどがHypnosisによるPast
Lifeのメモリーということで、Past Life Therapyとかに関する本がたくさん出た。
このHypnosisによるReincarnationの研究の嚆矢は有名なMorey
Bernsteinの「The Search for Bridey Murphy」であったにちがいない。1956年に出版されたこの本は、コロラドの家庭の主婦が催眠術で過去のLifeにもどり、18世紀のアイルランドでのLifeを語って、一躍世界的に有名になり、その信憑性をめぐって、それぞれ専門の学者たちまで論じ合ったものであった。
1976年以降にこのReincarnationの研究がたくさん出回るようになったのは、きっと、Elizabeth
Kubra Ross と Raymond Moodyの「臨死体験」の研究が引き金になったのではないだろうか。臨死体験Near
death experienceと転生Reincarnationとは直接には関係がないが、この“Life
after Life” があることになれば、“Life before Life” の可能性もあり、それはReincarnationにも関係するからである。
1978年にはHelen Wambach Ph.D.の 「Reliving
Past Lives」、Dr. Edith Fiore の 「You
have been here before」、Morris Netherton Ph.D.とNancy
Shiffrinの 「Past Lives Therapy」 が出版された。ドクターではないがこのParapsychologyのFieldで一般向けの啓蒙書をたくさん書いていたBrad
Steigerも 「You will live again」 という本を同じ年に出版した。
このReincarnationブームが起きるずっと前から、このBrad
Steigerは 「The enigma of Reincarnation」 を1967年に出版し、Ghost
Hunterで有名なHans Holzerは 「Born
Again」 を1970年に出版していた。どれもHypnosisをつかっての話である。
ほかにJournalistのJess
Stearnが「The search for the girl with the
blue eyes」という本を1968年に、Jeffrey Iversonが「More
lives than one?」を1976年に、Reverend Carroll E. Jay が「Gretchen,
I am」を1977年に、それぞれHypnosisによる過去のLivesの記憶とその検証のこころみの本を出版している。
1979年にはDr. H.N. Banerjeeが 「The
once and future life」を発表した。
Morey Bernsteinの前に、Gina
Cerminara Ph.D. (1914-1984)はVirginia
BeachのサイキックEdgar CayceのData
Filesの研究から 「Many Mansions」 (1950年), 「The
World Within」(1957年)、Many lives, many loves (1963年)などを発表した。
したがって、Reincarnationの研究はもうすでに50年以上にわたる歴史があるわけである。
Frederick Lenz Ph.D.
(1950-1998) の「Lifetimes」(1979年)もReincarnationの研究書であるが、先にあげたHypnosisを中心にしたReincarnationの研究とは少し異なる。
Reincarnationの研究は大きく分けて三種類あり、ひとつは Dr.
Ian Stevenson (1918-2007) の研究で有名な、過去の記憶をもつという小さな子供を直接調べるケースで、これはインドその他のアジアの子供を中心とした研究である。代表作は「20cases
suggestive of reincarnation」(1966年) by
Dr. Ian Stevenson。Stevensonは、あくまでもSuggestiveであって、確実にReincarnationが立証できたとは言っていない。
二つ目は非常にポピュラーになった上記Hypnosisによるもの。三つめは、夢とか、ある場所、ある人など、特別な環境(Altered
states of consciousness)でのSpontaneous突発的に思い出して、過去のLivesがよみがえってくるというケース。
このHypnosisによるReincarnationの研究も、実際自分がやってみて、実感として納得しないと、まるでFictionを読んでいるようなものである。うそだとは言わないが、そんなに、簡単に、自分の何代も前の様々なLifeが鮮やかによみがえってくるものだろうかという疑問はある。これも、Medium体験と同じで、自分がHypnosisを、すぐれた専門家にやってもらって、テープをして自分で確認する以外に納得する道はないようである。
Frederick Lenz Ph.D.は、専門は哲学で、アメリカの大学の哲学の教授である。東洋の哲学に興味を持ち研究したことがReincarnationの研究に導いたのか、彼がとった方法は子供の記憶を探る方法でもなく、Hypnosisでもなく、アンケートを出して、一般からある種のデータを集めることであった。ある種のデータとは、Reincarnationの記憶の体験を、それ以外の、夢で、或いは、ある人と会って、ある場所に行って、といった突発的、デジャー・ヴュー的な体験でReincarnationを体験したと信じる人のデータをあつめて、127人のデータが真面目なものであると判断し、彼の信じる方法で分類し、整理し、哲学的に考察したものである。それには、彼が勉強したはずの「Tibetan
book of the dead」(チベットの死者の書)が大いに役に立ったようである。つまり、Reincarnationの途中で、死んでから生まれ変わるまでに、この「チベットの死者の書」で記述されたとほとんど同じコース(Vital
World, Mental World, Psychic
World, Soul’s World)をSoulが体験するということがわかったという。そして、この127人は一度も「チベットの死者の書」を読んだことはなく、Reincarnationを体験してから、この本を勉強した人が三人ほどいるだけということで、いっそう、その死後の遍歴の信憑性が高まるというわけである。
「Lifetimes」は“The
accounts of Reincarnation”というサブ・タイトルがついている。この研究はともかく、Hypnosisとちがい、もしかして、一般の人がデジャー・ヴュー経験などから、Reincarnationを思い出すのではないかということで、Hypnosisのドクターを訪れなくてもReincarnationらしきものを体験している人がいる可能性はあるというわけである。
また、すでにブログ“Mediumの誕生”で述べたSandra
Gibson Ph.D.もReincarnation をたくさん体験しているというわけであるが、彼女も、まず、最初は、Vividな夢で過去のLivesを何度も体験し、ヨーロッパ旅行でその前世の体験を事実と確認するというような形でReincarnation探求が進化し、HypnosisによるPast
Therapyへとはいって行ったわけである。彼女なら、この夢の段階でDr. Lenzの要求に応じことはできたわけである。
このLenzの本を読んで感心するのは、みな、まるで創作したようなVividなイメージの前世の体験を記述していることである。普通の夢とは違う、あざやかな体験であったから、いつまでも記憶に残ったということはいえるであろう。
このLenzの本によると、このReincarnationの記憶が現れる前にいくつかの顕著な現象があらわれる。The
Sound, Feeling of Weightlessness, Seeing
Colors, Vibrations, Feeling
of Well-being, Knowing without thinking, The
Movie, Full Participation などは、ほとんどすべてのReincarnation記憶体験者が体験したという。大きな音、重さを感じなくなる、鮮やかな色が目につく、すべてが振動する、Happyな感覚を覚える、考えなくてもわかってしまう、ムービーを見ているように過去が再現する、ただの観客でなく同時に体験している当人でもある などなど。
この本は、とても面白く、ある意味では、チベットの「死者の書」を自分で読むかわりに、そのエッセンスを要領よく書いたものとして、読んでおくと、もしかして、死後“無”でなくて、“Life
after Death” があれば、Soulが迷わなくて済むようなものである。
サイキック研究家であった D. Scott Rogo は「The
Search for Yesterday」(C Critical Examination of the
Evidence for Reincarnation)という本(1985年出版)の最後の参考文献のところで、Dr.
Lenzのこの本について、こう書いている。
“This book takes a refreshing look at
cases of spontaneous past-life recall. The author feels that the case follow a
predictable pattern, although research conducted by the present author did not
bear it. The case material is provocative, nonetheless.”
この本は過去のLifeを突発的に思い出したというケースを新しい角度から考察している。Lenzが書いているケースは典型的なパターンをたどったと書いているが、わたくし(Rogo)が独自に調査したケースではLenzの指摘するようなパターンをたどらなかった。それにもかかわらず、ここにあげられた資料はなかなか刺激的であるとはいえる。
このLenzの本でも、過去の記憶を検証できたケースが最後のほうにでてきて、これを読むと、やはりReincarnationは本当にあるのかもしれないと思うようになる。そして、この哲学者・大学教授も最後のところで、彼の結論として、こう書いている。
”Based on the evidence and in lieu of
any other acceptable explanation for the results of this research, I must
conclude that reincarnation does exist.”
この研究の結果から得られた証拠にもとづき、ほかの納得のいく説明にかわるものとして、わたし(Lenz
Ph.D.)は、Reincarnation転生は成り立つものという結論をださねばならない。
さて、Fate誌 1984年1月号にD.
Scott Rogo のエッセイ“Tuning in to Past Lives”が載っている。これは同じ著者の「Reincarnation
Report」からの転載であるとメモされている。
この短いエッセイで、Rogoは自分で、一般読者から、このSpontaneousな形でのReincarnationの記憶のケースを集めて、分析した話を書いている。Lenz Ph.D.は、Reincarnationを体験する前に、先にあげた、大きな音、とか重量感の喪失とか振動とかを体験者の誰もが経験したように書いているが、Rogoにはそういうケースに該当する例はなかったとかで、結局、これはLenz Ph.D.が一般読者から資料を集めたときにすでに、Lenz Ph.D.の意向があらわになっていて、それに沿う形で読者が反応したのではないかというようなことが述べられている。
いずれにしても、Rogoが集めた夢のケースやデジャー・ヴュー ケース、MeditationのよるAltered
States of Consciousnessの状態でのケースなど、いずれも信憑性があり、Veritableな証明可能な証拠があるため、Reincarnationが本当にあるのかもしれないということになる。
夢の場合は、Sandra Gibson Ph.D.の場合もそうであったが、Violentな、悲劇的な死を迎えた場合(殺されたケース)が多いようで、そういう場合が、あたらしいLifeに特に影響を残すようである。Trauma とかというかたちで。
ここでは、一応、Reincarnationに関する本はたくさん出ていて、その中でも、特別に論理的に展開している哲学者Lenz Ph.D.の本を紹介した。読んでみると、みんな、なるほどそうかと思うようなものばかりであるが、自分で納得するには、やはり、なにかで体験するほかないように思う。
わたしは、もし、Life After Life or Deathがあるものなら、つまり、Soul魂がSurviveするものなら、Possessionの可能性は残り、Reincarnationの可能性も残るように思う。私自身は、もう一度生まれ変わりたいとは思わないが、これらの本によると、好き嫌いで生まれ変わるのではなくて、Karmaとかいろいろな理由で、生み出されるそうである。死後、無であれば問題はないが、無でなくてSoulがSurviveした場合は大変だと思う。静かに天国で暮らせればよいけれど、宗教戦争のまっただなかに生み出されたら本当に大変だと思う。Karmaで生まれ変わらなくてもよいように、今の人生をしっかり生きることがとりあえず、やるべきことのように思える。臨死体験者のすべてが、今の人生をしっかり生きることの大切さを学んだとのことであったが、Reincarnation体験者も今の人生をしっかり生きることの重要性を学んだようである。それだけでも、そういう体験をした価値はあったわけだ。ようするに、清く正しく行い、自我を捨てて、人間社会をよりよくする方向に働くことが大切だという話である。
「Lifetimes」 Frederick
Lenz Ph.D. Fawcett
Crest Books CBS Publications
ISBN: 0-449-24337-0
村田茂太郎 2012年1月6日
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5 「心霊現象の科学」をめぐって-その52 Reincarnation Lenz Ph. D. 「Lifetimes」 つづき
このDr. Lenzの本「Lifetimes」の“Beyond
Birth and Death”と名付けられた章にあるひとつの話を紹介したい。勝手に引用していいのか知らないが、悪用するわけでないから、許してもらおう。(Page196-206)。
これは、まるでFictionを読んでいるようで、Lenz Ph.D.がこのように長い記録を受け取ったのか、Interviewなのかわからないが、驚くほど鮮明な過去のLifeの記憶がよみがえったものだといえる。これが信じられれば、Reincarnationはまちがいなく事実だということになり、Lenz
Ph.D.が最後に結論として、自分はReincarnationを信じると確認していたのも納得がいくのである。これには、語り手のRemembranceの話だけでなく、事後談があり、さらにLenz
Ph.D.も追跡調査して確認したとのことである。
CaliforniaのVeniceに住むPhillip(仮名)と名乗る人から受け取った情報である。引用が長くなるが、大事な部分もあるので、ほとんど全文、訳しながら引用することにする。
中国との戦争中とはいえ、日本軍が女子供を強姦・虐殺した話が男のReincarnationの記憶の中であざやかにでてくる。残念だが、ありえた話である。
―――――――――――――――――
わたしがはじめてAnneにあったのは、Malibuの郊外でであった。Coast Highwayから少しそれた通りをさがしていて、だれか道を教えてくれる人に出遭わないかと別な道をくだっていた。そのとき、角にパークしたクルマを通り過ごした。その車には女の子が座っていたので、次のコーナーでとめて、歩いて彼女に近寄った。わたしたちはお互いにほほえんだ。私は、とてもきれいな日であったので、魅力的な女性に出遭ってうれしかった。彼女に道を訊ねると、彼女もLocalの人ではなかったので、何も知らなかった。Montereyに住んでいるが、PsychologyのセミナーでMalibuを訪問しているだけだとのこであった。
そこで彼はその女性と少し話し合った。彼女はアリゾナの大学をもうすぐ卒業するということで、専攻は心理学であった。衝動的に私は彼女に私が探している教会に一緒にゆかないかと誘ったら、OKということで、私の車ででかけた。
私たちは苦労しないで、その教会をみつけることができた。車を出て、歩いた。きれいなところであった。ふたつの大きな建物と三つのちいさなChapelがあった。私は特に地面にひろがっている小さなLakeが気に入った。そこには黒いSwanが何羽か泳いでいた。それは私にははじめての光景であったので、Anneにそれを指し示した。私たちはちいさなChapelの一つに入り、だまって座った。ずっとその間中、わたしはこの女性を意識していた。わたしたちが一緒にいるのはとても自然なように思われた。私には、今、彼女と会ったばかりだとは信じられないほどであった。
私たちは教会を去り、浜辺に向かった。私たちはあれやこれやと話しながら、浜辺に沿って歩いた。私たちは靴を脱ぎ、1マイルかそれ以上、その浜辺を駆けた。そして砂のうえにしゃがんで海をみつめた。私たちは午後おそくまで一緒にいて、それから私はLos
Angelesに帰らねばならず、彼女はMontereyに帰らねばならなくなった。わたしは来週末には友人をMontereyに訪問することになっていると彼女に伝え、泊まる予定の家の電話番号を与え、もしよかったら電話を呉れと伝えた。彼女も電話番号をくれ、二人は別れた。
私は彼女のことを忘れてしまっていた。彼女が電話してきたときはびっくりしたほどだ。わたしはMontereyにいて、彼女に会った翌週であった。わたしは彼女にここへ来るようにと伝え、友人から道の案内をしてもらった。半時間後に彼女はやってきた。わたしたちはお互いに何かを伝えたいがどうしていいかわからないという奇妙な意識状態にあった。第一、どうして、私たちがこんなにお互いにひきつけられるのかもわからなかった。わたしたちはお互いに全然違ったタイプであった。わたしたちは座ってしゃべりあった。私は正直に、なぜだかわからないが、私は彼女に惹かれるということを告げたら、彼女は自分もそうだと告げた。1時間後、私たちは別れた。彼女は2-3日したら、アリゾナにかえるとのことで、わたしに手紙を書くといった。
5か月ほどの間、私はAnneから何も聞かなかった。ある夜、突然、電話の音で目が覚めた。最初、だれからかわからなかったほどである。そして、すべてが思い出され、私たちは30分ほど話し合った。その会話の間中、わたしは心地よかった。わたしの心はすっきりしていて、とても幸せに感じていた。体中が快感でふるえるようであった。わたしたちは、また将来お互いに会わねばならないと同意したが、いつになるかわからなかった。私たちはお互いが避けようとしても避けられないような、運命的なものでまた会うように決められているように感じた。
電話を切ってから、わたしとAnneが一緒であった過去のLifeが蘇ってきた。最初、それは断片的であった。私は農場や羊、フェンスといったものを見た。それから百姓の着る長いドレスをきた女性を見かけた。彼女は私に向かって野原を横切ってやってきた。彼女は私に向かってやってきて、花束を手渡した。私は彼女の腕をとり、野原を一緒に散歩した。私はそれがAnneの別のLifeでの姿であることを認めた。
私たちはクルマにもどった。それは古い型のものであった。Museumにかざってあるような。私たちはクルマに乗って道をくだった。
彼女の名前が浮かび上がってきた。それはMartha, Martha
Williamsであった。私はMinisterで、彼女はわたしの最も近しい友人であった。私たちは日曜日の午後、コロラドで、一緒にドライブしているのであった。
今度は場面が変わって、ほかのシーンがでてきた。それは、私がおおきな会衆の前でSermonお説教をしている場面であった。わたしの視点が動いて、私自身を眺めている場面から、私自身の内部、それから群衆を眺めていた。そこには何千人もの聴衆がいた。わたしはこの大群衆を前にお説教をしているのであった。それは夜で、屋外でのことであった。私は自分の声が抑揚を変えるたびに、Up
& Downするのが聞こえた。スピーカーをとおして、私の声が遠くにエコーするのがきこえた。Stadiumは松明といくらかの電光で照らされていた。わたしには松明のオイルのにおいが感じられた。それは、Turpentineのにおいを思い出させた。
群衆に罪と悔悛について話しながら、聖なるSpiritが私の中にいきているのを感じることができた。そして、わたしの言葉に人々は感動しているようであった。それは、まさにElmer
Gantryのシーンであった。それから場面が変わって、私は別なところにいた。
私はまたAnneと一緒だったが、今度は私たちだけではなかった。別の女性がいた。わたしの妻だった。私は妻に、私はAnneを愛していると告げていた。妻は泣いていた。しかし私は妻に別れなければならないと告げていた、私がAnneと一緒になるのはGodの意志だからと感じて。
そのあと、また別のシーンがあらわれた。私は砂漠でひとりだった。そして祈っていた。わたしはGodのパワーがわたしの体内をとおり、持ち上げてくれるのを感じた。私はいくつもの私のLife、何百もの人生を見た、そして、Godがそれを私に見せることによって、私が彼のために働くことを示していた。私は過去の幾多の人生でSpiritualな人生を送ったようであった。私はGodの仕事を手伝うように運命づけられ、Godを人々の生活に身近に感じさせるようにするのが私の仕事であった。私はただただ質素で、純粋で、心にGodを受け入れることだけを欲していた。その時、私は次のLifeで一層Godに身近になるだろうと感じていた。
そのあと、また、私はAnneと一緒であった。私たちは国(アメリカ)を去り、ChinaにMissionariesの一員であった。私たちはそこで長い間住んでいた。私たちはそこの国の言葉を学び、よく身に着けるまでにいたっていた。そこのあわれで、貧しい人々に対して、できるだけのことをしていた。私たちはこれらの貧しい人たちに、二人とも、先生であり、医者であり、牧師であるという役割を果たしていた。貧しさと困苦は私たちには耐え難いほどのものであった。私たちはおおくの地方を旅してまわり、できるだけのことはしたが、やることが多すぎて圧倒されるほどであった。
私が目撃した最後のシーンは私の心に永遠に焼き付いて忘れない。私たちはアメリカに向かうボートに乗っていた。日本が中国に侵略し、私たちの友人の多くが殺された。私たちは一緒に彼らの遺児たちをつれていた。それは、アメリカで家庭を見つけられるだろうと思ったからである。
私たちの小さなボートのCaptainが日本の船を見かけた。私たちはそれから逃げようとした。わたしはそれが空しい試みであることを知っていた。私は救われることを祈っていた。私たちは攻撃され、ボートの上のたくさんの人が傷つき、殺された。そして船はそばまでやってきて、私たちは船にひきあげられた。
あとのことは、語るのが困難なほどだ。それについて考えるたびに私は逆上してしまう。彼らはすべての生き残りの女性をつかまえ、私たちの目の前で強姦した。Anneもそのひとりであった。それから彼らは女と子供を殺した。わたしはAnneを強姦し、殺した男を見た。そして、彼に対して復讐を誓った。彼らは、わたしとほかの男をつかまえ、船の中に入れて縛った。私は彼らの誰かが私たちを強制労働させるためにどこかへつれていくといっているのを聞いた。私はGodがわたしとともにあり、わたしと一緒に働いているのを感じていた。わたしは船にいた間中Godに祈り、何があってもGodに対する信仰を失うことはないと祈った。
私たちはその夜、逃れだすことができた。ひとりの男が縄をほどき、私たちすべてを自由にしてくれた。私たちには武器はなかった、そしてきっとみんな死んでしまうだろうと思った。しかし、奴隷の生活を送るよりも、闘いながら死ぬほうがよいと感じた。
私たちは船の見張り番を攻撃して殺した。わたしは彼らの銃の一つを手に入れ、残りのものを見つけにいった。誰かがこの騒動を知って警報を鳴らした。またたくまに、船全体が、日本人が這い回っているようであった。私はひとつの通路を走った。目の前にはAnneを殺したJapがいた。私は彼にチャンスを与えなかった。彼を捕まえ、喉を締め上げて窒息させた。どうしてだかしらないが、銃はつかわなかった。私の手でやっつけてしまいたかった。ほんの少しの間で、わたしは彼を殺し、ほかを探しに行った。彼らは私たちを船のうしろに攻めてきた。しかし、私たちは闘った。私はデッキのMachine
Gunのひとつを捕まえ、彼らに向かって銃撃した。私はたくさんのものを殺したが、そのうち肩に冷ややかな、燃えるような痛みを感じ、撃たれたのを知った。私の青いシャツをとおして、血が流れ出していた。
船の上で火事が発生し、爆発音がして、私は空中に投げ出され、水の中に居た。泳ぎながら、多分、無理だろうと感じていた。浮かんでいる箱を見つけ、それにしがみついた。私は長い間浮かんでいた。私はもうだめだろうと思っていたが、なんとか、しがみつき、暗い中で、浮かんでいた。ほかにはだれも目に入らなかった。次の日、私はひとりぼっちで、Sharkが心配だったが、なにもやってこなかった。太陽は焼けるようで、のどがかわいた。しかし、水を飲むわけにいかなかった。遠くに一艘のボートが見えた。わたしが見えないのでないかと心配したが、彼らはやってきて、私をボートに引き上げてくれた。彼らはChineseであった。
私は回復し、オリエントから脱出した。オーストラリアに行き、しばらくそこに滞在した。それから英国に行き、最後にアメリカに帰った。私は再び説教をはじめ、病気になるまで、六、七ヶ月続けた。私の身体はオリエントでの試練で弱っていた。しばらくして、私は死んだ。
そのあとは、すべてNormalにかえった。わたしは別のLifeでAnneと一緒だったと確信を持った。私はそのあと眠ることができず、夜通し起きていた。翌朝、私は自分の考えを整理し、このRemembranceが本当であったのかどうかをどうすれば知ることができるかと考えた。
私は、私たちの前世での名前を憶えていた。私たちがコロラドにいた間に住んでいた町から調査することにした。すべてをチェックした後、Walter Morrisという若い男が1930年代にMinisterであったということがわかった。私はその男の跡を追った。彼は有名なRevivalistのPreacherになり、それからMissionaryで働くために国を出たことが分かった。この点での情報はスケッチふうである、なにしろ中国が、戦争ですべてが破壊されたからである。しかし、私は彼の親戚の幾人かと話すことができた。彼らは私が過去を思い出して知ったいくつかの事実が本当であることを確認してくれた、日本軍の捕虜になったこと、オーストラリアに行ったこと、英国へ、そしてアメリカへかえってきて、死んだこと。しかし、私はだれもMartha
Williamsについて知らないのに気が付いた。どの記録にも載っていず、どの親戚も知らなかった。私は、もしかして、このすべてがキチガイじみたことだったのかもしれないと思った。私には理解できなかった。ほとんどあきらめかかっていた頃、Mrs.
Crowleyから電話があった。彼女は親戚の一人から、彼女の父親についての情報を求めている人がいると聞いたということであった。そして、もし、彼女でヘルプできることであればと電話してきたのであった。私は、わたしのあの過去の人生で娘を持っていたということなど予想もしていなかったので、その話は青天の霹靂であった。私は彼女に家を訪問して、お父さんについて話してもよいかと訊ね、OKという返事をもらった。私はMrs.
Crowleyを訪問するために飛行機に乗って、South Carolinaに向かった。
彼女は楽しい人物であったが、私が過去に知っていたと思えるようなところは何もなかった。私は彼女に話し始める前に、わたしはまともな、筋道だった人間であることを、そして自分でも理解できない体験をもっているということを告げた。私は自分で納得しようとしているだけで、彼女が私を気の狂った人間と思わないことを願った。
私は、はじめから終わりまで、すべてを話した。彼女は話の間中、どう感じているかを示さなかった。私が語り終わったとき、私がキチガイだと彼女が確信したにちがいないと思った。私は、おだやかに、彼女が帰ってくれといいだすのを待っていた。そのとき、彼女は手を差し出し、私の手を取った。そして、手をとったまま、何も言わなかった。
彼女は、私が彼女の父について語ったことはすべて本当のことだと言った。彼は彼女が生まれる前にお母さんと別れて、Marthaと呼ぶ女のほうにいった。Walterが去ったとき、彼はもちろん妻も妊娠していることを知らなかった。きっと、彼が去る前に受胎したにちがいない。
彼女は一度もお父さんにあったことはなかった。お母さんは父のことについて話してくれたが、彼に対しては苦い感情をもっていて、Walterにコンタクトして、彼が子供をもっているということを伝えようとはしなかった。Walterは明らかに妻に手紙を書き、金も送ったようである。しかし、彼女は決して、一度も、返事をしようとしなかった。ただ、彼女はその手紙を全部保存し、すりきれるほど読み返してはいたのだが。Mrs.
Crowleyは彼女とお母さんを捨てたということで、父親を恨みながら育ったということであった。彼女が彼の死を知ってから、はじめて彼に対してなんらかの感情を抱くようになった。彼女は父の葬式には参加した。(母はその5年前に亡くなっていた)。それからは、彼女は自分の夫や子供のいる家に帰り、彼女が会ったこともなかった父親のことは忘れる決心をしたということであった。
午後も遅くなってきていた。私たちはお互いを見つめあいながら黙ってすわっていた。本当だったのかしらといぶかりながら。それから、彼女は私に父が母親に送った手紙があるが、見るかと訊ねた。彼女はそれらを保存し、母親に属するものをしまった引き出しに一緒にしまっていた。
彼女は手紙を差し出した。それらは何度もおりたたまれ、もうバラバラになりかけていた。何ダースもの手紙があり、Walterはあきらかに手紙を書くのが好きだったことを示していた。かれの冒険談の詳細を妻に知らせていた。私は彼の生涯の履歴を知ったわけだ。そして完全にまいってしまった。彼の説教師としての履歴、オリエントでの生活、すべてが、私が記憶で見たとおりであった。しかし、わたしが最も興味をひかれたのは彼がMarthaについて書いていることであった。彼は彼女がどんない激しく病人や貧しい人に対して働きかけたかと書いていた。そして私は、彼がいかに彼女を深く愛し、尊敬していたかを理解した。
わたしたちのInterviewは終わるころになった。わたしは彼女に感謝し、もしかして、その彼の手紙のひとつをKeepできるだろうかと聞いてみた。彼女は、もちろん、OKといってくれた、それはいわば私自身が書いた手紙だったのだから。私はなんといってよいのかわからず、もう一度有難うと言って別れた。
Phillipと話してから、わたしも単独で Mrs.
Crowleyと会うことができた。彼女はPhillipが彼の記憶を話したことを確認してくれた。Mrs.
CrowleyはWalter Morrisが妻あてに書いた手紙を調べることを許可してくれた。それらには、Phillipが記憶で見たシーンと同じ情報が描かれていた。
When a person’s remembrance makes
clear to him why he has specific attitude, talents, interests of emotional
responses that are otherwise inexplicable, this information becomes proof for him
that his remembrance was real.
あるひとの記憶・思い出が、それ以外では説明不可能な、なぜ、かれが感情的な反応を喚起するものに対して特別な態度、才能、関心をもつのかを明らかにするとき、この情報は彼の記憶が確かなものであったという証拠となる。
――― ――― ―――
ひとつだけ未解決な点がある。この話を信じれば、昔のMarthaが今のAnneということがわかったわけだが、ではこのAnneとPhillipは今現在、この時点で、どうなったのかが書かれていない。Anneと会い、話し、電話をきってから、彼の過去のLivesがよみがえってきたとのことであったが、この電話をかけてきたAnneとその後どうなったのか、また一緒になったのか、一緒になるつもりであるということで終わりなのか、なんとなく中途半端な気がする。
ともかく、Fictionとして充分に通用するReincarnationの体験談(?)であった。これが本当のことであれば、まちがいなくReincarnationはあるのだということになる。著者Lenz Ph.D.はWikipediaで見ると、なんと、49歳の若さで亡くなったようである。この本は、本当のことが書かれていれば、確かに興味深い本だと言える。
村田茂太郎 2013年1月7日
6 「心霊現象の科学」をめぐって-その64 「Death
Encounters」(死との邂逅)臨死体験 など
by Charles Fiore & Alan Landsburg を読む
Alan Landsburgといえば 「In
Search Of ….」シリーズで有名なInvestigatorである。彼はまた宇宙人で有名なフォン・デーニケンをアメリカに紹介したTV
Producerとして有名だとか (In Search of Ancient
Astronauts)。わたしは、このシリーズのいくつか 「In Search Of
Ancient Mysteries」by Alan and Sally Landsburg 、「In
Search of Magic and Witchcraft」by Alan
Landsburg などをもっているが、読んだのはこの「Death
Encounters」だけである。この本に関しては、194ページの本を一日で読んで、Goodと最後に書いているから、面白かったのであろう。1979年のことである。
今読んでみると、なかなか論理的な人たちらしく、上手に分類しながら、わかりやすく、手際よく書いてある。1979年出版で、私が読み終わったのも1979年、今から30年以上前の話である。当時は、すでにElizabeth
Kubler-Ross, Raymond Moodyの“臨死体験”に関する研究・出版からだいぶ経っていて、真新しいものではないが、この臨死体験の諸報告をうまく分類・整理していて本当にわかりやすい。
彼らは臨死体験者の報告を整理して4種類に分けられることに気が付いた。
1 臨床的に死んだ、意識不明、死にそうな状況などで、体外離脱(Out
–of-Body)体験があったが、それをサポートする事実確認の材料がない場合。したがって、主観的ということはいえるが、間違っているということではない。Elizabeth
Kubler-RossとRaymond
Moodyによって集められたケースは、ほとんどこれにあたるという。
2 これは、1の状態を体験して、事実確認材料を提供できるようなケース。Emergency
Roomでの医者たちの会話や、回復のために扱われた手段・器具などを正確に提供できるケース。UnconsciousであったというときにOut-of-Body体験があって、見聞きしたということを客観的に証明できる材料を提供する場合で、科学的に検証可能。
3 臨床的に死んだはずの人が、第六感その他を使って近親者にコンタクトしようとし、近親者もなんらかの胸騒ぎを感じるというケース。情報を受け取る側が、はっきりとはいえないが、何かおかしいという胸騒ぎを感じて、本人にコンタクトしようとするケース。
4 臨床的に死んだはずのひとが、Out-of-Bodyで相手の人に見られたり、聞こえたりする場合で、これはSurvivalの直接の証拠とかんがえられる。
シカゴ大学のNational Opinion Research
Centerのある学者の調査によると、アメリカ人の27%(5千万人)は、死んだ人となんらかのTouchがあったといい、そのうちの6百万人は、何度もコンタクトがあったという。アメリカ人の人口の四分の一にあたる人が、何らかの形で死んだ人と何度かコンタクトしているという。この調査をした人が自分で驚いていたと書いてある。Belief
in contact with the dead is widespread. (これは、1979年以前のデータである。今から30年以上前の。今はどうなのか。)
Lenz Ph.D. は 「Lifetimes」でReincarnationを研究し、MediumshipやHypnosis以外で過去のライフを思い出すケースを集計分類して、その兆候を取り出した話はすでに紹介した。
臨死体験者が経験するいくつかの段階または体験に付属する内容もそれぞれの有名な本で(Kubler-Ross,
Moodyなど)描かれているが、この本でも一応、整理して例示されている。
- Peace and
Contentment 多くの人が、平和で心地よい印象を受けている。 Most
wonderful feeling とってもすばらしい気分、など。
- Ineffability 言葉でいいあらわせない素晴らしさを感じる。それを体験した人でなければ、伝えられないような素晴らしさ、明るさなど。
- Seeing Spirits 亡くなった近親者を見て、まだ時期じゃない、帰れといわれる。いろいろなケースがある。
- The Light 輝くようなとか、まぶしいようなとか、といった光に包まれる、しかし、目を傷めるような光ではない。
- Dark Void or Tunnel多くの人は光に出会う前に暗黒を通過したとかという。移行の時期。光はトンネルを通った最後に出遭ったとか。
- Out of the Body ほとんどの死にかけた人は、この体外離脱を体験する。自分の肉体が横たわっているのを客観的に見つめる。
- Sense of
Responsibility 死にそうになって生き返った人の多くは、あとに残される子供や夫、妻のことを思って、まだ死ねないと感じて生き返るよし。
といった風にまとめられている。
この本は実に内容豊富であるので、何回かに分けて内容を紹介したい。
すでに、「その65」 はある本を紹介する予定なので、「その66」または「その67」 からこの本について展開したい。
村田茂太郎 2013年2月13日、25日
ーーー ーーー ーーー
7 「心霊現象の科学」をめぐってーその68 Claire Sylvia「A
Change of Heart」(A Memoir)を読む
これは非常に有名な本である。本は1997年に出版されたが、彼女の話はそれ以前から有名であったにちがいない。
彼女はNew Englandではじめて“心臓と肺の移植手術”を受け(1988年)、手術後にはTV
NewsでInterview が行われたので、ある意味ではセレブのひとりとなったといえるような存在であった。
手術は大成功で、もし移植手術がなければ、まもなく死んでいたであろうといわれた彼女が生きながらえて、この本を出版するに至ったのである。
これまで現代科学は、心臓は血液を送り出すポンプであり、意識や情緒反応、性向などは大脳での機能の結果であるとみなしてきた。
したがって、そういう見方からすれば、心臓を移植すれば、血液を送り出す機能が回復しただけで、別にほかの機能に差異が現れるはずはないということであった。
しかし、実際はどうであったか。
手術に至るまでの経過については省略して、成功した手術後の彼女の反応について述べよう。ふつうは検査してRegisterしてから臓器供給の相手がみつかるまで、長く待たねばならず、待っている間に死んでしまう不幸なケースも多いのだが、彼女の場合、そういう縁があったというのか、登録してすぐその日に今日・明日に手術可能だという連絡があって、病院に運ばれた。運があったということか、これも最近のSoul’s
Planによれば、そうなることが決まっていたということだったのかもしれない。まさにCase・Studyといえそうなかたちをとり、このすばらしい本があらわれることになったのだから。
彼女が知らされたのは18歳で、Motorcycle事故で死亡したMainメイン州の青年の心臓と肺を貰い受けたということであった。
Mediaの手術後のInterviewで、今あなたは何が一番ほしいですかときかれて、彼女は反射的に、実際、今、一番ほしいのはビールを飲みたいということですと応えて自分でその応えにおどろいた。なぜなら、彼女は、ビールは、好きでもなかったのだ。
そのあと、性格の変化が自分でも自覚できた。男のような性格になり、より積極的で自己を主張するかたちになった。そして、歩き方まで男のようだと自分でも感じ、娘からも指摘されることになった。
そして、しばらくして、彼女は夢を見た。非常に現実的な夢で、若い男が出てきてTimだと名乗った(仮名)。
そして、このGhostのような夢を何度か見て、彼女はこの青年がこれからは、いつも自分と一緒にいるだろうと感じた。Timの心臓と肺が自分の魂と肉体に合流してひとつになったーーいまやTimは私の一部となり、私は彼の一部となったと感じた。
ビール嗜好だけでなく、チキンNuggetも好きになり、それはこの青年の好物であったこともあとで確認された。
こうして、青年の心臓と肺を移植されてからは、今までの病弱な体から、みちがえるほど健康な体に変化した。頭痛もなくなり、アレルギーもなくなった。
そうして、彼女はこの心臓は血液の運搬のポンプの役目をするだけという一般の説に対して、自分のきわめてあざやかな変貌を真剣に受け止め、いったい何がどうなっているのか自分で解明しようと決心した。Heartをもらうということは、彼女にとって肉体の一部をもらいうけただけでなく、Spiritual, Psychological, Emotionalな部分までを貰い受けることであった。
普通、ドナーのIDは明かされないが、手術をした日に亡くなった人、しかもMain州での事故でなくなった青年をしらべれば、誰であったかわかると教えられて、自分で、図書館で調べて、本当に誰の心臓と肺をもらったかがまず判明した。
そのあと、決心をして、その青年の親に会いたいという手紙を送ったが、反応はなかった。しかし、そのうち、母親と直接にではなくて、青年の姉妹に当たる女性から連絡があり、最終的に青年の親とあうことになった。この青年の使える臓器はすべてほかの患者にわけあたえられたが、臓器をもらったほうから提供者の遺族に会いたいという連絡をもらったのは彼女が始めてだとのことであった。親のほうには誰に心臓と肺が与えられたかはわかっていたらしい。(たぶん、TVなどでニュースになったほどだから)。だが、州の法律で、授与されたものには情報を開示することは厳禁ということであった。そのため、彼女の気分が会いたいという結論に達し、亡くなった青年の親を探し始めてからその青年の親族一同との邂逅までに時間がかかった。
彼女の心理的トラブルを手助けしたユング派の分析医と一緒に訪問し、彼女はまるで自分の家に戻ったかのような印象を持った。
その後、娘たちは交際を遠慮し始めたが、母親たちはいつでもWelcome、まるで息子が帰ってきたようという歓待振りであった。
そこで、この経過から、彼女は心臓と肺をもらうことが、単なるポンプの代用をもらったというだけでなしに、青年の記憶、好み、個性までもらいうけ、肉体的にもより健康になったことから、いったい何がどうなっているのか、専門家の意見を問い合わせようと決心した。
そして、この彼女の探索は徹底していた。わたしはその最後の章にあたる“Searching
for Answer”を読んで、まったくその徹底ぶりに感心した。
彼女が問い合わせたのは、それぞれの領域を代表する専門家の一人で
Deepak Chopra, M.D. -Cellular
Memory説
Candace Pert、Ph.D. ―Biochemist
Bruce Lipton、Ph.D. -Cellular,
Developmental Biology
Cleve Backster-Lie
Detector development, Plant communications
Julie Metz -Energy
Healer “Cell had memory”
Paul Pearsall、Ph.D. -Neuro-psychologist
Rollin McCraty、M.D. -HeartMath
Institute “Heart is little brain.”
Gary Schwartz Ph.D.-Psychology,
neurology, psychiatry アリゾナ大学
James Van Praagh -Spiritual
Medium Los Angeles
Rupert Sheldrake、Ph.D. - Morphic
Resonance Theory, British Biologist
Brian Weiss, M.D. – Reincarnation, Past-life regression
Larry Dossey、M.D. -Physician
(Lyall Watson、Ph.D. -Biologist) これは引用だけ。
ということで、20ページがこの彼女の質問に対する応答・回答で満たされている。
詳細は省略するが、わたし自身は、彼女がTimという青年が出てくる夢を見たという話から、考えられるのは、まず亡くなった青年のSpiritが彼女にのりうつった、同居したということであった。しかし、彼女はちゃんとその可能性も考慮して、Spiritual
Mediumとして有名な、本物のMedium ロサンジェルスのJames
Van Praaghに手紙を送り、回答をもらっているのである。
Praaghの意見も、TimのSpiritがPossessというよりもInfluenceしている状態で、TimがAfter-lifeのありかたに落ち着けば、いずれその影響はなくなるであろう、したがって、今の特性はTimのSpiritによる影響の直接的なあらわれのせいという解釈。
Dr. Brian Weiss、Reincarnationに関する本で一躍世界的に有名になったドクターであるが、彼女に対しては、まさかReincarnationでは説明は無理なので、Psychometry説をといたようである。Memoryが物質に蓄えられ、この場合は心臓にメモリーが保存されていて、それを引き継ぎ、感じ取ったというような説明。
そして、彼女はイギリスの大胆なMorphic Resonance説で有名な生物学者 Rupert
Sheldrakeにまで連絡し、手紙で回答をもらっているのである。
Sheldrakeは記憶は脳の中に蓄えられるのではなく、ちょうどTVにTune-inするように働くのであって、ビデオ Recorderのようではないというような説 Morphic
Resonance Field 説の展開者。FormやBehaviorがRepeatされることによって、それがFieldにたくわえられ、Tune-inによって再生されるという斬新な説。Cellular
Memory説はとらない。彼女のMemoryに関してはReincarnationやPast-lifeが考えられるが、SheldrakeはHeart,
LungがMorphic-fieldに属して、それにタッチして情報を得たという説。
Lyall Watson は、著書の中で、例を挙げながら、Physical
item物質はThoughtやFeelingを蓄えることがあるという説を展開している。
ともかく、Clair Sylviaは自分の人間としての変化(肉体的、感情的、体質的、記憶、嗜好、その他)の謎・不明な部分を解明しようとして、さまざまな学者に直接あたったわけであるが、どれも納得のいく説明ではなかったようだ。ただ、わかったのは、心臓を貰い受けるということは、ただのポンプの代用とは違って、その心臓の持ち主の個性・記憶・体質・感性その他を付随したかたちで貰い受けたということであった。
最近のCellular細胞学は細胞とくに心臓の細胞はただ筋肉作業するだけでなく、まるで大脳の細胞のように情緒や感性、記憶その他も保存しているということで、心臓はポンプであるだけでなく、記憶もあり、感情もあり、まさにハートで考えるといえるほど人間的な要素を保持した機構であるということであった。
ともかく、Heart & Lung Transplant“心臓と肺の移植”に興味を持つ人は読んでおく必要がある大事な文献といえそうだ。
この本は1997年に出版されたが、Kristin Hannahの小説“Home
Again”(1996年出版)は、この心臓のTransplantをあつかっており、主人公のひとりが心臓をだめにしてHeart
Transplant手術を受けるわけであるが、手術後、どうやら今までの自分とはちがった好み、考えをもつようになっているのを発見し、最後にはそれが、自分とはまったく違った性格の兄が事故死に会い、その心臓をたまたまもらいうけたということを知る。ここでも、本人は好みが変わってきていることを知るということになっている。この小説は1996年に発表されているから、Sylviaの本は見ていないはずであるが、たぶん、Sylviaの話はすでに有名になって、Kristin
Hannahも知る機会があり、あるいはほかの人の体験からも情報を得て、受諾者はドナーの資質を受け継ぐという説を引き継いで小説に仕上げたのであろう。この小説の展開は、少しSoap
Operaticなところもあるが、私は好きで、今年すでに2回読み終わった。
ただ、心臓をもらうということはあきらかに腎臓移植やほかの部分の移植とは違う反応があらわれるということは予測していいようだ。
Nicholas Sparksの小説“The
Best of Me”(2012年)も、最後に主人公の息子が彼女が昔本当に愛した男、そして久々に再会して別れたばかりの男の心臓を移植してもらったと知るところで終わっている。もらったひとは、誰がくれたのか、自分が生きているのはこの人が亡くなったからだから、その遺族を探して感謝の手紙を送りたいと思うのは当然で、この場合、母親である人が、息子にこんなに立派な、自分にとっても大事な人の心臓を貰い受けたのだと説明できそうといったような話であった。
2000年の映画“Return to me” はDavid
DuchovnyとMinnie Driverの恋愛譚であるが、映画では、Zoologist動物学者である妻がなくなり、彼の新しい愛人が彼の妻の心臓をもらったと知って一時異常反応を示すのが主題となっていた。最後に、Zooを一緒に訪れると、亡き妻が親しんだ動物たちがこの新しい女性に対して旧知に接するかのごとくに慕いよるのであった。
ほかにもきっとこのテーマを扱った小説や映画があることであろう。この心臓移植が、ただ物理的な移植に終わらず、人間の大事な機能(記憶、感情、体質、嗜好、記憶 等)をも移植することになるという話は今後さらなる研究が必要な領域であるといえる。心臓にも記憶や知識があり、情緒反応ができるというようなことは、これからの科学的発展でさらに解明されることであろう。今の時点では、移植されたものは、物理的な心臓だけでなく、それに付随した何かをも引き継ぐという可能性が強いことを知っていたほうがよいであろう。
Claire Sylvia 「A
Change of Heart」(A Memoir) 約290ページ、1997年
ISBN: 978-0-446-60469-7
ISBN: 0-446-60469-0
Warner Books, Inc.
Forward: Bernie
Siegel, M.D.
村田茂太郎 2013年11月15日、16日
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8 「心霊現象の科学をめぐって」ー その34 Arthur Guirdham 「カターリ教徒と転生」The
Cathars and Reincarnation
[The Cathars and
Reincarnation] by Theosophical Publishing House ISBN: 0-8356-0506-X
1970, 1978
Sandra GibsonはPast
Lifeのメモリーを、夢と催眠術Past life therapyで確認したが、それは歴史上の具体的な名前と結びつくところまでは行っていなかった。しかし、彼女にとっては、それは事実に等しいインパクトをもつものであった。
アーサー・ギルダムの「カターリ教徒と転生」という本を読むと、20世紀の若い女性が700年前の13世紀に起きた大事件の渦中にあって、恐ろしい目にあったことが語られ(異端として火あぶりの刑で焼き殺される)、彼女の場合、かなり事実として証明されるほどに有効なPast
Life Memoryであることがわかる。彼女のNightmareにでてくる人物が、スペイン異端審問の記録の中に残っていたため。
この女性(Mrs. Smith匿名)は13歳頃から、夢におそろしい体験を具体的なかたちで見るようになり、20年後に、精神分析医であるDr.
Arthur Guirdhamに相談に行ったことから、このCathars(キリスト教徒カターリ派)に関する、有名なReincarnationの話ははじまる。Guirdhamも、この女性も、13世紀に起きたCatharsの悲劇については特に目立った知識はもっていなかった。あとで、Guirdhamは自分で調査し、Mrs.
Smithのほうは特にたちいって調べるようなことはしなかった。
わたし(ムラタ)は高校生の時、世界史で、ヨーロッパ中世に起きたキリスト教徒のエルサレム聖地回復運動=十字軍の話は名前だけは知り、そのなかには少年十字軍とか、イギリスのRichard
the Lion Heartedリチャード獅子心王などの名前がでたことを覚えている。そして、ひとつ特異な十字軍があったことも。名前だけだが、アルビジョア十字軍Albigenses’s
Crusade(1209-1229年)といわれているものである。
アルビジョア十字軍は、名前は十字軍だが、アラブ占拠のエルサレムをキリスト教徒のために回復しようというのとは違って、これはキリスト教内部での“異端”征伐であり、ピレネー山脈にちかいLanguedoc方面で栄えたキリスト教の一派Cathars派を異端として抹殺した恐ろしい出来事であった。1万人以上のまじめなキリスト教徒が、ただローマ・カトリックと違うというだけで、異端の宣告を受け、何百人もの僧侶が火刑でころされ、庶民も入れてTotal1万人以上のCatharsが虐殺された事件である。丁度、島原の乱のようなものであるが、Cathars派は島原のChristianたちのように鮮烈な戦いはしなかったようだ。カターリ派の平和愛好の僧侶たちは、カトリックが自分達を異端として、火あぶりの刑で抹殺するとは思っても見なかったに違いない。これは中世後半、異端審問で反対派を火あぶりで処刑し、魔女狩りでつぎつぎと無差別に反対派を焼き殺していった、同じやりかたのはじまりだったかもしれない。一神教は自分だけが正しいと信じると、平気で無差別に反対派を抹殺してゆけるという恐ろしさを保持している。キリスト教内部での粛清で、ローマ・カトリックの方針(三位一体説等)に従わないキリスト教徒(異端)は暴力的に抹殺された。これはフス戦争、そして宗教改革までつづき、魔女狩りとなっていく。
昔、高校生の頃、受験勉強補助教材として買った“数研出版―世界史辞典”の“アルビジョア十字軍”を見ると、こう書かれている。=13世紀初め、南仏のアルビ地方に流行したキリスト教カターリ派の一派。教会と対立抗争し、1209年法王イノケンチウス3世はこれを異端として討伐行動を起こし、教徒はトゥルーズ伯レーモンをいただいてこれに反抗した。20年にわたって仏王と教徒の間に悲惨な闘争がくり返され、教徒の全滅となって終わった。この戦いをアルビジョア十字軍ともいう。
時は有名なイノケンチウス3世の時代であった。この辞典の情報によると、1229年に戦いはおわったように書かれているが、丁度、島原の“隠れキリシタン”のように、カターリ派は存在し続け、1242-1244年のまた別の虐殺(200人の僧侶の火刑など)となっていったことが、この女性のPast
Life Memoryから、そして歴史的資料からわかる。
この中世をテーマに歴史小説を書いた有名なフランスの小説家Zoe
Ordenbourgは、このカターリ派のアルビジョア十字軍の物語をくわしく展開しているようであり、もしかして、このひともカターリ派の記憶を持って生まれた人間の一人、つまり転生の一人なのかもしれない。
Cathars キリスト教徒は無抵抗主義ともいえる、寛大で、穏やかな、東洋的・仏教的な信仰(菜食主義、Non-resistance)をもった集団で、当時、カトリックの法王権力は最高に強力になっていたころで、平和にすごしているCathars派を殲滅しなければ、自分達カトリック教の将来があぶないと信じて、“異端”殲滅のための“アルビジョワ十字軍”を起こした。その虐殺の指導をおこなったのは、これも世界史に名を残している“シモン・ド・モンフォール”の父親で、のちに彼は暴徒に殺された。
この若い女性(Mrs. Smith匿名)のPast
lifeの記憶が、これまで不明であった歴史を書き換えることになった。彼女の記憶がHistoryとして記された。たとえば、それまでCatharsの僧侶は黒い衣装を身に付けていたといわれていたが、この女性が黒ではなくDeep
Navy Blueの衣装だと主張し、やがてほかの資料から、彼女の方が、それまで歴史的に信じられていた情報よりも正確である事がわかった、つまり、まさにその時に生きていた記憶を持った人間として転生したことを証明したのであった。同じようなことはMany
Lifetimesで有名なJoan Grantについてもいえるようで、彼女Grantは自分のPast
Lifeの記憶をつぎつぎと歴史小説に書き著し、それまで、エジプト学の専門家でさえ知らなかった事実を小説にあらわして、あとでその正しさが証明されるということになったりした。Past
life psychicといえる。このミセス・スミスも、あまりにも鮮やかで悲劇的な夢を何度も見たので、まだ10代のころから、その13世紀カタール派の自分の恋と悲惨な終末を小説に著そうとしていた。
Reincarnationも研究した例の、すぐれたParapsychologist D.
Scott Rogo も、その著 「The Search for Yesterday」(A
Critical Examination of the Evidence for Reincarnation)の中で、this
is potentially one of the most important cases ever documented と言い、Guirdham’s
book would be hard to beat.と書いているほどである。(ただし、Dr.Guirdhamは証拠資料の提示を拒絶したため、信憑性に問題は残るとかとRogoはコメントをつけている。もちろん、Fictionで本当のように書くことも可能であるが、彼のケースの場合、彼がMrs.
Smithの話の信憑性をしらべるために、専門のフランスのCathars学者に会って調べたりしているので、その方面から追跡することは可能であったろうし、Catharsの悲劇とSpanish
Inquisitionがからむ、暗い過去をただ証明するためだけに、彼にとって重要な証拠書類をOpenにしたくはなかったのかもしれない。)
Dr. Guirdham夫妻がFranceのToulouseツールーズの近くで泊まった翌日、Retired
Senior R.A.F. Officerと話し合う機会があった。Officerは活動的な人物で、あちこち歩き回るのが好きであった。「わたしはPyreneesピレネーを知っているかと訊ねた。彼は知っていて、その地域を上手に説明した。わたしはMontsegurという場所をわたしは一度も訪ねたことはないが、名前を聞くだけで、ただごとでない感情に襲われる地域であるが、それについて彼に訊ねた所、彼の表情はこわばり、わたしをしげしげと見つめて、“イエス, 私は行ったことがアル、どことなく雰囲気がおそろしいところだ”といった。それで、Awfulとはどういう意味かとたずねたところ、山の頂上に向かってワイフと登り始めて、すぐに説明できないような恐怖の感情に襲われた。それで、ワイフに、自分には、ここは全体が血塗られているような印象を受けたが、お前はどうかときいたところ、彼のワイフも彼と同じような印象を持ったということがわかったという。彼はCatharsについては何も知らなかった。しかし、彼が恐怖を抱きながら山越えをしていた場所は、1244年、Cathars派の僧侶達200人が火刑で焼き殺されたところであった。」
「・・・あなたが言っていることは、700年経ってからも、その血塗られた恐怖の有様が残っているということですよ。そして、“もちろん、その通り。結局、わたしはそれを感じたのだから。”という返事であった。」
「わたしたちが何かについて熱心に話しているのを知ったドクターが、何について話しているのかと熱心にきくので、Catharsの件だと説明したところ、彼はCatharsについては何も知らないが、彼は家族のものとピレネー山脈にいったことがある。Absolutely
Lovelyだったが、Haunted(亡霊でも出そうなところ)だ、そして長いハイキングの間、鳥の鳴き声を一度も聴かなかったため、子ども達に賞金までだして、誰が最初に鳥の鳴き声を耳にするかと競争したが、だれも聞かなかった、といった。」
1962年3月、Mrs. Smith は、別のドクターの紹介で、精神分析医として著名なDr.
Guirdhamのところにやってきた。子供の頃からNightmareで夜中に悲鳴を上げるので、町中にきこえるほどであった。それが20年間も続いていたという。いつも同じ夢をみて。
そのとき、Dr.
Guirdhamは、自分がCatharsと関係があるとは全く知らず、気がつかなかった。しかし、この女性の話をきいて(Dr.
Guirdhamが13世紀、フランスで、自分の愛人Rogerであったとかという話)、興味を持ち、調べてゆくうちに、ドクターGuirdham自身がCatharsのひとりで、実は、本当に、この女性の13世紀の愛人であったということがわかってくる。そのため、Dr.
Guirdhamはまじめに、真剣に、Catharsに関する調査をはじめ、だんだん、彼女の言っていることが正しいと感じるようになる。そして、彼自身はPast
Lifeも何も信じないはずの人間、科学者であったはずだが、いつのまにか、13世紀にCatharsの人間として生きていただけでなく、それ以前にもPast
Lifeがあったということ、また、この13世紀のCatharsの信者達の仲間の何人かが、Dr.
Guirdhamのまわりに共存しているということまでわかってきて、それを事実として信じるようになる。13世紀のそれほど有名でもない人間の名前まで、Spanish
Inquisitionのレコードによって、証明されてくるという次第で、Rogoの言うように、間違いなく13世紀に虐殺された人間たちが、20世紀に過去の記憶をもって。生まれ変わって生きているということの証明が果たされたといえそうである。
虐殺された、おそろしい、なまなましい記憶がピレネーの山の奥で蘇っただけであれば、その場に残る恐怖の記録Electro-Magnetic FieldのRecord がサイキックによって読み取られたとか、Possessionの考えも可能であるが、イギリスの片田舎で生まれ育ち、Catharsの歴史について何も知らない少女が、そうしたフランスのピレネー山脈周辺で起きた、恐ろしいNightmareに毎夜襲われるとなると、Possessionでは説明がつかない。
Mrs. SmithはDr. Guirdhamにはじめてあった時以降、あの毎夜の如く続いたNightmareから、はじめて解放されることになった。Mrs.
SmithはDr. Guirdhamが13世紀に、同じ境遇で悲惨な体験をした仲間であることがわかったのである。”It
was a hell of a shock to walk into that room and see you there, and I thought
my mental condition was worse than I feared.” あなたの診療室に初めて入って、貴方を見たときのショックは大変なもので、わたしは自分が心配していた以上に頭がおかしくなっているのだと思ったほどである。
1966年2月、Dr.
Guirdhamは、以下に抄出する“生きたまま焼き殺されたという犠牲者の恐ろしくも具体的な記述”を Mrs. Smithから受け取った。このRealな恐怖に満ちた夢Nightmareは、1949年ごろ、つまり、彼女がまだ10代のころの夢である。この記述は、彼女の体験が、ただに夢であったというだけでなく、まさに彼女が体験したことがホンモノであったととるかどうかは読者の判断にまかされる。彼女はドクターに、最初、その恐ろしい夢の要約だけを送ろうと思ったが、なまなましい印象をふくんだ全体をそのまま届けた方が良いと判断し、書かれた当時のまま、訂正も校正もなしにドクターに送ることにした。
“This is the dream about the burning…..I don’t think I have dreamt
about dying before. I hope this dream is not a warning that I shall soon die.
My brother says that if you tell anyone your dreams they won’t come true. I
can’t tell anyone this, so if I write it that is almost the same thing, it
won’t come true. I wonder why I didn’t scream. I couldn’t have or someone would
have told me about it and I would have woken up with a sore throat. I must have
committed a fearful crime to deserve such an agonizing death. So must the
others. There were some more besides with me. They didn’t seem, afraid either.
We all walked barefoot through the streets towards a square where they had
prepared a pile of sticks all ready to set alight. There were several monks
around singing hymns and praying. I didn’t feel grateful. I thought they had a
cheek to pray for me. I must be rather a wicked person. I don’t think wicked
things when I am awake, but I dream awful things. I hated those monks being
there to see me die. A girl at school once said she dreamt of Christ’s
crucifixion. I would rather be crucified than burnt. これは燃えることを体験した夢である。わたしは一度も自分が死ぬ夢をみたことがなかった。この夢は、わたしがもうすぐ死ぬという警告でないことを希望する。弟が、夢は誰かに告げると、本当にならないという。わたしは誰にもいえない、そこで書くことにすれば、同じことだろうと思う。わたしはどうして悲鳴を上げないのだろう。悲鳴をあげられなかったのだ、そうでなければ、誰かが私を起こし、わたしはのどが痛かったに違いない。わたしはそんな苦しい死にかたをしなければならないほど恐ろしい犯罪をしたに違いない。そしてほかの人も。私のそばにはもう何人かが居た。彼らは恐れていないようだった。私達は裸足で広場に向かって、通りをあるいていた。その広場ではすでに火が付けられるように薪が摘んであった。何人かの僧侶がうたったり、祈ったりしていた。わたしはあり難いとは思わなかった。わたしは私のために祈るほどに彼らの面の皮が厚いのかと考えた。わたしはむしろ意地悪だったに違いない。わたしは目覚めているときは意地悪なことは考えない、しかし、夢ではひどいものを見る。わたしは僧侶が、わたしが死ぬのを目撃するためにそこにいるのを憎んだ。学校で一人の女の子がキリストの十字架にはりつけになる夢をみたといったことがある。わたしは焼け死ぬよりは、はりつけになったほうがよいと思った。
The pain was maddening. You should pray to God when you’re dying, if
you pray when you’re in agony. In my dream I didn’t pray to God. I thought of
Roger and how dearly I loved him. The pain of those wicked flames was not half
so bad as the pain I felt when I knew he was dead. I felt suddenly glad to be
dying. I didn’t know when you were burnt to death you’d bleed. I thought blood
would all dry up in the terrible heat. But I was bleeding heavily. The blood
was dripping and hissing in the flames. I wished I had enough blood to put the
flames out. The worst part was my eyes, I hate the thought of going blind. It’s
bad enough when I ‘m awake but in dreams you can’t shake the thoughts away.
They remain. In this dream I was going blind. I tried to close my eyelids but I
couldn’t. They must have been burnt off, and now those flames were going to
pluck my eyes out with their evil fingers. I didn’t want to go blind. 苦痛で気がくるわんばかりである。人は死ぬとき神に祈る。苦痛のなかにいるときも祈る。しかし夢の中で、わたしは神に祈らない。私はロジャーの事を考え、どんなに心から愛したかを思う。私が、彼が死んだと知ったときの苦痛にくらべれば、いじわるな炎の痛みはその半分ほどもひどくない。私は突然死ねることをうれしく思った。私は焼き殺されるとき出血するなどということは知らなかった。わたしは熱さのために血がドライに干上がってしまうと思っていた。ところが、私はひどく出血しはじめたのだ。血はたれて、炎のなかで音を立てている。私は炎を消すほどたくさんの血があればよかったのにと思う。一番の問題は目である。私は、眼クラになることをおそれる。もし目覚めていても、そういうことを思うのは嫌なものだが、夢の中ではソウ思っても、その思いを追いやることが出来ない。それはそこにとどまっている。この夢では私はめくらになる。わたしは瞼をとじようとするが、出来ない。すでに燃え落ちたに違いない。いまや、炎はそのいまわしい指でわたしの目を引き抜こうとしていた。わたしはめくらになりたくない。
The flames weren’t so cruel after all. They began to feel cold. Icy
cold. It occurred to me that I wasn’t burning to death but freezing to death. I
was numb with the cold and suddenly I started to laugh. I had fooled those
people who thought they could burn me. I am a witch. I had magicked the fire
and turned it into ice. 炎は結局それほど残酷でもなかった。それらは冷たく感じられるようになった。凍るような冷たさ。わたしは焼け死のうとしているのではなく、凍死しようとしているのではないか。寒さでしびれ、突然、わたしは笑い出した。わたしは、わたしを焼き殺せると思った人びとをだましてやったのだ。わたしは魔女だ。わたしは火に魔法をかけて、それを氷にかえたのだ。・・・
「The
Cathars and Reincarnation」Page88-89の紹介である。いわゆる少女の見る夢というよりも、まさにPast
lifeを再現しているような、リアルでおそろしい夢である。
こういう夢を常習的・日常的にみると、たしかに、Sandra
Gibsonが考えたように、頭がおかしくなったのか、どこかに問題があるのではないかと思ってしまうであろう。この Mrs.
Smith の場合は、 精神分析医で前世でカタリ派の仲間・愛人(?)Dr. Guirdham に会うことによって、自分の夢は、悪夢ではなくて、実際に起ったできごとを思い出しているのだということを、ただちに理解して、(自分の13世紀の愛人であったRogerが、この Dr.
Guirdhamとして転生しているのをさとり、夢は事実であったことを自分で確認でき)、Nightmareは消え、あとは、過去の再生と向かうわけである。
これは、非常に面白く重要な本である。Dr.
Guirdhamはこのあと、カタリ派の仲間が1960年代同世代の人間として生きているのを突きとめる話を本にし(We
are one another, Group Reincarnation)、それから、自分の中世以前の前世の記憶の話を本(The
Lake & The Castle)にしている。
村田茂太郎 2012年11月29,30日、12月1日 執筆
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9 「心霊現象の科学」をめぐってーその78“Reincarnation-Missing
Link in Christianity”by
Elizabeth Clare Prophetを読む
私は宗教というものに疎く、宗教的なものはできるだけ避けるようにして生きてきた。もちろん基本的な書物は読んできて、自分では“道元”が一番好きだが、私自身は宗教的な人間ではない。従って、キリスト教の歴史についても、詳しくは知らない。ただ、世界史で習った皮相な知識程度である。ただし、わたしは聖書に関しては、新旧の日本語訳はもっていて、大学時代にかじったことがある。アメリカにきてからも、日本語訳のほかに英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語の新約聖書を手に入れた。そして大学時代に古本屋で手に入れたギリシャ語新約聖書をもっているが、もっているというだけで、読みこなすほどの語学力には欠ける。新約聖書の原典はギリシャ語で書かれていることを知らない人が多い。イエス・キリストその他、当時の人たちはギリシャ語をしゃべっていた(ヘブライ語のほかに)わけで、それはマケドニアのアレキサンダー大王がインド付近まで征服して、エジプトにアレキサンドリアという街をひらいたことがおおいに影響していたわけで、ギリシャ語はギリシャ近辺だけでなく、エジプトを含む中近東の公用語になっていたわけであった。
このブログでもすでに展開したが(「心霊現象の科学」その34 Arthur
Guirdham 2012年12月)、中世におきた、いわゆる十字軍の動きの中で、ひとつだけ異例なCrusadeがあった。アルビジョワ十字軍というものである。
これは、教会が“異端”とみなしたキリスト教の一派を、まったく残虐にも殲滅するためにイノケンチウス3世(このとき法王権力は世界史上最大であった)がおこしたもので、何万人という敬虔なキリスト教徒全員を焼き殺した(戦死者以外の無実な住民全部を殺戮)悲惨な事実であった。これは私見では、規模こそ違え、多くのユダヤ人を虐殺したナチスの暴虐、スターリンの粛清とならぶものである。これは人間という奇妙な生物は自己の権力を維持拡大するためには、いろいろな名目を設けて残虐な行為をなんでもするという、権力におぼれた人間のもつ恐ろしさを実証した事件であった。そして、同時に、自分たちだけが正しいとする宗教の持つおそるべき残忍さが明白に露呈された事件であった。しかも、それが同じキリスト教内部で起きたところに、宗教が持つパワーの恐ろしさがあらわれている。
本来、敬虔で、人類を浄化し、苦悩から救うために生まれたはずの宗教が、より敬虔で、おだやかで、模範的な、同じキリスト教の一派(Catharsカタリ派)を抹殺しようとし、ほとんど成功した事件であった。それは12世紀末から13世紀終わりに至る100年間に起きたキリスト教史上の最悪、最大の事件のといえる。1209年から1229年と年表ではでているが、その前後もカターリ派一掃の動きがあったことは、すでに私のブログで紹介したとおりである。イギリス精神分析医Arthur
Guirdhamは、Brian Weiss M.D.同様、自分のところにおくられてきた女性のNightmareを精神療法、Hypnosisで解明しようとして、彼女がアルビジョワ十字軍の犠牲となって焼き殺された人間のReincarnationであるとわかり、同時に、自分もその主要なメンバーであったことを発見したのであった。“Cathars
and Reincarnation”. Arthur Guirdham.
Reincarnationの問題を扱おうとすると、どうしてもこのアルビジョワ十字軍の問題が浮かび上がってくる。基本的にはキリストをどうとらえるか、はじめから完成した神の子であったのか、訓練・修養で神に匹敵する地位にあがったのか、転生があるのかがこのキリスト教内部でのわかれ目であった。結果的には教会は自分の存立のためには、キリストを神として扱い、したがって、普通の人間はキリストのようにはなれず、教会の助けを得なければ救われない、そして転生はないという線で教会を確立していった。そのために、より寛大で敬虔で熱心なキリスト教徒であったCathars派の人々を全滅させたのであった。
では、その彼らが異端征伐にむかった根拠はどこからうまれたのか。それがこのElizabeth
Clare Prophetの本が解明しようとしたことであり、この本はわかりやすく、みごとに整理して、歴史的にキリスト教と教会が成立していく動きを、イエス・キリスト生誕以前にさかのぼって展開したもので、名著といえるすばらしい本であった。
現在、教会(オーソドックス)のクリスチャンは、転生Reincarnationはないと教えられて育ち、そのため、自分が転生らしき過去の記憶を思い出したりすると、教会で告白するわけにも行かず、自分は異常ではないかと一人苦しむことが多かった。
なぜ、教会のキリスト教では転生Reincarnationが禁じられているのか。
このElizabethの本によると、結論から言うと、イエス・キリストは転生Reincarnationがあると信じていた、そしてそれは新約聖書を読めば読み取れることである。ただ、この聖書成立過程でいろいろ原始キリスト教からの改ざんがおこなわれ、教会は自分の都合のよいように、かえていったということになる。Dead
Sea Scrollが1945年に発見され話題を呼び(Nag Hammadi 1977年英訳完成)、聖書学に新しい展開を見たが、この死海文書は異端派とみなされるようになったOrigen,
Arius派が自分たちの秘教を守るために隠したものが発見された、つまり、無事隠しおおせていたということであった。教会派はオリゲネスやアリウス派など教会にとって危険な宗派を全部抹殺しようとし、成功したわけであるが、丁度隠れキリシタン同様、地下にもぐったということでもあった。
皇帝ユスチニアヌス(紀元483-565)によって、異端派討伐が宣言されてからでも、Origen,
Arius派は、地方で健在であった。FranceのLanguedoc(
Avignonet, Montsegur, Toulouse, Carcasonneなど)で勢力を持ったこのArius派=Cathars派が拡大していくのをおそれたイノケンチウス3世(紀元1160-1216)が、十字軍の一環として、異端討伐を宣言し、フランス王を誘って、実行した。
キリスト教のパワーを利用して自分の支配権を確立・強化しようとしていたコンスタンチン大帝(紀元283ごろー337)は325年二ケア会議(Nikaia, Nicaea
Creed)を開いて、自分も臨席し、出席した300人を超えるBishopが、キリスト教というよりも、教会の進路をきめる方向を指示した。それはイエス・キリストの発言に見られるReincarnation的なものを否定し、教会は転生を認めない、キリストは神であり、はじめから神の子として誕生したもので、処女懐胎伝説がそれを証明し、人間は神にはなれず、Baptismによって救われるだけであるという方向を決定したキリスト教会史上最大の事件であった。これによって、人間は教会で洗礼されないと死後、救われないという形式がかたまったわけであった。宗派的にはアリウス派を異端とし、アタナシウス派を正統としたわけで、ここから異端征伐の思想がうまれた。アリウス派はキリストを神と同一ではなく、神によって作られたものであると説くことによって三位一体説を否定し、転生を説いた。そして、普通の人間も修業を積めばキリストと同じようになれ、死後、神と一体になれると説いた。それは教会の必要を無視するもので、教会派は自己の存立の基盤がゆらぐのを覚えたはずである。
この325年の二ケア会議でキリストそのものと転生に関して教会が決定的な、自分勝手な結論を生み出すに至ったもとにあたるのが、オリゲネス(Origen)(紀元185-254ごろ)派に対抗した教会であった。オリゲネスはイエス・キリストの秘教をうけつぎ、転生をくりかえすことによって、人間は浄化され、最後には神に至るという思想を展開して、聖書のなぞ(なぜ貧富貴賎、幸不幸、奇形の差があるのか、など)をそれなりに解明したのであるが、教会派は原罪(アダムがリンゴを食べて、すべての悪が始まった)があり、したがって、アダム以降に生まれた人間すべてが、生まれたときから(ベイビーを含めて)罪をもった哀れな存在で、教会で洗礼を受けてはじめて救われるとした。
この転生をめぐっては熾烈な闘争がおこなわれた。プラトン以来、転生のアイデアはめずらしいことではなく、一方、ユダヤ教もカバラなど秘教の中で転生をといていた。新約聖書福音書でもイエス・キリストは転生らしきことをしゃべっていた。キリスト自身ユダヤ人でユダヤ教は身についていたわけで、そのほかにギリシャ哲学(わたしが聖書を読んでいて感じたことは聖書へのギリシャ哲学の影響ということであった)の影響を受け、このElizabethの話では、イエス・キリストの個人史で不明の年(キリストの教祖としての活躍は30歳近くになって突如あらわれて、34歳くらいで死刑になるまでの、わずか数年である)は、どうやらインドまで宗教的探求の旅、巡礼をおこない、Buddha仏教の影響、Tibet、Hinduなどの影響を受け。どうみてもReincarnationの考えにはなじんでいたということになるらしい。いわば、パレスチナ、イスラエルにもどったのは、魂の遍歴を経て、悟りの境地に達してからであったに違いない。
この教会派が力を持つのに最大の影響力を発揮したのが、Saint
Augustineといわれているアウグスチヌスの発言であった。彼はギリシャ語を読まず、ラテン語訳の聖書をもとに、自分の考えを展開したわけで、そのなかでReincarnationを否定し、キリストを神の子としてまつりあげ、人間はキリストのようにはなれない、転生も無い、したがって教会で洗礼をうけるのが唯一救われる道であると説いたわけである。ここで、教会が絶対権力を持つに至る道が開かれ、初期、原始キリスト教の持つ純粋な宗教心はなくなっていく堕落の道が開かれたのであった。聖アウグスチヌスなどといわれているが、彼の言動から生まれた結果から判断すると、アルビジョワ十字軍などは明らかにアウグスチヌスの言動の結果であるとみなせるようである。
ともかく、この本は、イエス・キリストの本来のすがたを再現したものであるといえる。興味のある人は、詳しくは、この本を読まれるように。まじめな、すばらしい本であった。不思議なLast
Nameをもつ著者は1939-2009ということで、70歳で亡くなったようである。たくさんの本は30ヶ国語に訳されているとのことであるから、その筋では有名なひとなのであろう。私はたまたまReincarnation問題で彼女の本を読む気になっただけであったが、彼女の本は読むに値すると判断し、最近、また数冊オーダーをした。宗教(キリスト教史)やサイキック、そしてHealingなどにくわしい人のようである。ともかく、この本「Reincarnation-Missing
Link in Christianity」は本当にVery goodであった。目が覚めるような、鮮やかな展開で、Reincarnationとキリスト教の関係を知りたい人には必読書といえる。
今のオーソドックスの教会は本来のキリストが志向した宗教ではないということになる。日本では内村鑑三が教会の堕落を目撃して、教会宗教を否定して、「無教会の教会」というキリスト教派をつくったが、まあ、日本キリスト教の方向としては正しかったといえるであろう。聖書を熟読すればよいというあり方である。
「Reincarnation-Missing Link in
Christianity」Elizabeth Clare Prophet 約400ページ
ISBN: 978-0-922729-27-2 1997
村田茂太郎 2014年2月12日
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10 「心霊現象の科学」をめぐってーその109”Thirty years
among the Dead” Dr. Carl Wickland(1924年)を読むーその1
この本が始めて出版されたのは1924年である。今から90年以上前に、1890年代から、Dr.
Wicklandが死者たちの弔い(Earthboundの状態から、光を求めて家族たちの魂と合流)を実施していたという記録である。これはすごい。すばらしい。名著である。面白く、同時に、感動的で、教訓的である。この本も沢山のひとに読んでもらいたいと切実に思う。これを読めば、人はどんな理由があろうと簡単に自殺などできないとわかるし、人を殺すこともできない、やはり大切なのは愛と寛容、赦しであり、人は自分のために生きるのではなく、ほかの人のために生きるのが大切とわかる。ねたみ、利己主義、無知が、邪悪なものへ至る道であり、愛とやさしさ、同情心などが平和な社会を築く道であると本当に思うはずである。そういう大切な教訓が、さまざまなEarthbound
の Soulたちとの会話の中から導かれる。
私の、今に至る勉強の結果、最近、このブログの余談その他で、私の最近の感想―死んでなくなるのは肉体だけで、魂Soulはすべて(意識、記憶、個性、感情その他)を保持して健在であるという結論に達した、という感想を語ったが、なんと、この本を読むと、すでに1924年で、そういうことはすべて証明され、ドクターは自分で、たまたまMediumの特性をもっていたWifeの協力で、PossessionとEarthboundのSpiritsの状況を確実に把握し、無数の呪われたといえるEarthboundのSpiritsを解放してやる努力をし、成功していたということで、感心するばかりである。Dr.
Wicklandは自分と妻との二人三脚で実施している、成仏できない無数の魂の救済を、19世紀の末から堅実にすすめていた。世のいわゆる科学者というひとたちがTelepathyやClairvoyant その他の現象をインチキだとかトリックだと低次元の議論に明け暮れていたのを思うと、彼ら(Dr.
& Mrs. Wickland)の偉大さは顕著である。1930年代には魔術師として有名なHoudiniが事故死したあと、Afterlifeがあれば、彼が封印した秘密をとく鍵をおくるとかで、誰かMediumが解明して一躍有名になったという話しなどがあるが、別に騒ぎ立てる話ではないということが、この1924年に出版された本を読むとよくわかる。
この本を読むだけで、人間が死んで亡くなるのは肉体だけで、魂、意識、記憶、感情は存続し、光を求めて家族達と合流できなかった哀れな魂は地上をさまよっていて、誰かによる救済を待っているということ、したがって、このEarthbound SoulsによるHaunting,
Ghost、Poltergeist現象など、すべて本当に起こっていることを理解できる。Possessionも本当であり、Exorcismも可能であることがよくわかる。
同時に、どうしてこのように不幸な魂が成仏できないでこの地上周辺、家族周辺をさまよっているかという理由もよくわかる。亡くなった本人の魂の“無知”のために、その母親の霊が霊界で探し回っても、簡単に見つからず、また見つかっても、本人が母親の霊から逃げていくというようなことがしょっちゅう起こり、そのために、光、家族のいる高次の世界に移動できないで、いつまでも暗黒または灰色の世界にとどまっているケースも多数あるとか。この本は、その数々の例証によって、どうしてEarthbound Soulというものが出現するかも解明しているようである。ある宗教の信者であるというだけでは成仏できないようである。ちゃんと死後どうなるかという知識が無いと、いたずらにLimboの世界を何十年、何百年とさまようだけにすごす魂も無数にあるとか。知識は力であり、まさに死後の世界でのありかたまで影響しているといえる。無知なために、救いが来ても、頼れない哀れな魂がいっぱい居るようだ。
これによって、私はますます教育の必要、“死と死後の世界に関する”教育を子供の頃から行っておく必要を痛感した。同時に、ある種の宗教がまちがったドグマをおしつけて、そのために、死んでしまった人間は、実態は宗教の教えとはまったく違うと実感し、わけがわからずに灰色の世界をさまようことになるということがよくわかった。
ドクターWicklandの理性は明快で、聖書の扱いも批判的に読むことの大切さを説き、盲目的になんでも聖書を信じるということでは駄目だといっているのには感心した。Fundamentalist原理主義者、その他、教会宗教の信者の中には、聖書は神の言葉を書いたもので、すべてをそのままに信じるという人が無数におり、世の中に災いをまく元になっている。ドクターWicklandは聖書の成立史もよく知っているようで、教会が確立して行く過程で、宗教ではなく、権力が教会を支配していくようになったことをよくわかっているようである。彼の扱ったSoulのなかには沢山、もとはまじめな教会信者であったが、金を取るだけで、根本的な悩みの相談にも解決にも役立たず、あきらめて信仰を捨てていった人も沢山居た。
たとえば、教会宗教では、ひとは今の世で生きるのと、死んで無になり、Judgement
Dayが来てやっと再生するという、二回だけの生ということで、それを信じていた死者のSoulは、自分が死んでも意識があり、すべてが生前と同じで、違いは、自分にはわかっているのに、生きた人間が自分を無視して生活しているということで、自分が死んで、生きている人には見えない、聞こえないということが納得できず、ますます、混迷の世界を漂うことになっていたというケースが沢山あった。人は死んで肉体は滅ぶが、Soul魂は生きつづけるということを教えず、転生の可能性も教えないから、教会のまじめな信者は死んでとまどうことになった。
彼の扱った対象はさまざまで、面白いケースも沢山アリ、また心から感動するようなケースも沢山ある。彼は絞首刑で死んだ魂、それは本当に罪があって死刑になった場合も、ただ現場に居たというだけで処刑された場合など、様々であるが、その刑死者の魂などとも会話をし、大事な教訓を引き出していくのがよくわかる。
ドクターWicklandの対処法は懇切、親切で、相手の魂が理解するまで、あらやる努力をする。その会話が逐一、叙述されていて、あの頃、1890年代から1920年代といえば、まだテープ・レコーダーも発明されていなかった段階で、Stenographerに筆記してもらいながら会話を進めたとはいえ、大変な苦労であったに違いない。よく映画などで、わけのわからないDemonを強制的に追い出そうとするシーンに出遭うが、ドクターWicklandの場合は、すべて、Mediumに乗り移っているEarthboundのSoulと、相手がわかるまで会話を続ける、まさに傷ついた魂をいたわるようすがよくわかり、このCarl
Wickland MDのやりかたから学んだ後継者たち、Dr. Edith Fiore, Dr.
William Baldwin, Dr. Louise Ireland-Frey などがReleasement Therapyに成功していったのも、なるほどとうなずける。
この本を読むと、死刑廃止というのも、もしかして、そのとおりかもしれないと思ったりする。わたしは連続殺人犯人Serial
Killersたちが、逃げ延びて、また殺人を繰り返すというケースなどから、時には死刑も必要と思っていたが、一考を要するようだ。
また、殺人事件が起きた場合、なかには邪悪な魂が、そそのかして殺人を犯させていたというケースも、彼の扱った中にはいくつかあり、よくいう"精神鑑定“の話も、あながち無視できないものかもしれないと思った。そのとき、ただ、精神分析医が、よくわかりもしないで判断するのではなく、それこそ、PossessionとReleasementに特別に詳しいドクターが、犯人の憑依現象Possession可能性をチェックするというかたちで、分析・解明し、確かに、邪悪な魂がとりついていて、そのせいで殺人事件が起きたというようなことがわかれば、情状酌量とReleasement
Therapyが必須であり、もし本当のPossessionではなかったということであれば、本当に有罪であり、凶悪犯罪と精神異常を同一次元で扱うべきではないであろう。
ともかく、本当に、自分が死んでいるのも知らないSoulがいっぱい居るらしいことで、そうしたEarthbound Soulは生きた人間のAuraにひきつけられて、とりついていく様子で、その可能性はいっぱいあり、よほど健全な生き方をしていないと、すべての人間はPossessされる危険に満ちているといえる。しかし、その中でもSensitiveな人ほど、Possessedになりやすく、よほど、防御体制をしっかり築いていないと、犠牲になるようだ。
また、すでにDr. BaldwinやDr.
Fiore、Dr. Ireland-Freyの研究で示されて居るように、一人の生きた人間に、Earthbound Soulがひとつついているだけではなく、沢山のSoulがとりついているケースが沢山あることが、このDr.
Wicklandのケースを読むとよくわかる。いっぱい、いろいろなEarthbound
Soulがとりつき、それを取り除くのも大変だが、根気よく、Dr. Wicklandは取り除くことに成功しているようだ。そして、本当に、このEarthboundのSoulたちは、邪悪なSoulにとじこめられるようなかたちでとどまっていて、自分のSoulを自由にすることができないようすである。強力なボスに支配されているひ弱なSoulたちというのが沢山居るようで、死んで肉体を離れて自由に飛翔できる状態になっているにもかかわらず、その呪縛から逃れられず、光を求めて縁者のSoulと一緒に次の次元に移ることもできずに、いつまでも生きた人間の一部としてとどまりつづけるSoulが非常に多いということ。 それもこれも、宗教その他の教育で、DeathとAfterlife、Soulについて、無知なままで居る、または、あやまった観念を植え付けられて、実態との齟齬に当惑しているということで生まれている状況である。
――― その1 おわり ―――
この本はとても面白く、感動的であり、教育的なものを含み、日本語に翻訳紹介されてよい本だと私は考えるが、なにしろ90年以上前の出版、それに今のベストセラーという本でも無いので、細かい字で450ページ以上の本を日本語に訳せば2冊で700ページを超える本となるはずで、今の大衆市場でこの本が売れるとは思えない。従って、実際的には、日本語出版は無理だと思えるので、私が今思いついた案は、今の出版社に連絡を取って、カネにはならないが、私のBlog上で、わたしがこの本を翻訳しながら紹介していくということで、日本語の読める読者に、この偉大な本が紹介されるだけで、出版社もDr.
Wickland関係者もHappyといって、翻訳紹介許可を私にくれるなら、この本を時間をかけて、順番に紹介していきたいものだと思う。? 実現できるかどうかわからないが、出版社に連絡はしてみたい。
「Thirty Years among the Dead」ISBN:
0-7873-0965-6
By Carl A. Wickland,
M.D. 1924年 465ぺージ
出版社は、代が替わって、この本は、Reprinted by Health
Research
www.healthresearchbooks.com Llewellyn
Publications Ltd.
村田茂太郎 2015年11月13日
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11 「心霊現象の科学」をめぐってーその110”Thirty years
among the Dead” Dr. Carl Wickland(1924年)を読むーその2
10日ほどまえ、この本を読み終わった。とても面白く有益であったが、また恐い本でもあった。Earthbound Soul 成仏できずに地上付近をさまよう無数の亡霊たちが本当に無数に居るということがわかり、それらの亡霊たちがチャンスをうかがってPossessしようとし、そして成功している例が無数にあるということであった。いわゆる異常反応を示してキチガイ扱いされ、精神病院に入れられる患者の多くは、Dr.
Wicklandが扱った限りにおいては、ほとんどすべて、沢山の亡霊Earthbound
SoulにPossessedされていたのであった。その中には、自分では知らずに、PossessedしたSoulが号令して殺人を犯し、ほかの罪を犯しているケースも会った。
とくに、これは大変だ、しかし本当だと思ったのは、様々な宗教の熱心な信者や教会のPastorやMinisterなどが, ほかのEarthboundのSoul同様、次の次元に移行できず、何十年も暗い世界をさまよっているという話で、Dr.
Wicklandによれば、Fanatic狂信的な信者ほど救い難いということであった。教会の熱心な信者だからということだけでは、死後、成仏できて、次の次元に無事移行できるという保証は無いのである。世の中の苦悩を背負った人を助ける作業をしている人(Mother
Teresaのような人)のほうが間違いなく、極楽のような世界に無事移行できるようである。愛と寛容、赦しと親切、やさしさ、慈悲、そうしたものを示してきた人々は、間違いなくお迎えが来て、やすらかに次の次元に移行できるらしいが、熱心に教会で讃美歌を歌って、ほかに何もしなかった、家の中も世の中もほったらかしていたという人は、まちがいなくEarthboundになっているようである。
なぜ、彼らは熱心なChristian信者であり、讃美歌ばかり歌っていたのに、地上をさまよう亡霊となっているのか。理由は簡単である。彼らは教会で間違ったドグマをおそわり、批判的精神を持たずに、単純にそれを信じていたため、自分が病気・事故その他で死んだあと、意識があるため、死んだと悟らない。 教会で教わったドグマ、死んで眠りについてJudgement
Dayにいっせいに復活するというような教えを信じていたため、死んでも意識があるから、自分が死んだと納得できず、しかも、生きているものたちのことはすべてわかるのに、相手はなにをいってもわかってくれず、人に手をかけても素通りする幽霊状態なので、Frustrationがたまるばかりで、どうなっているのか、どうすればよいのかということがわからない。また、教会で何かというとすぐに牧師によって、Hell地獄に落ちる、という話を聴かされて育ったものだから、いまの中ぶらり状態のほうが、地獄よりもまだマシだと思って、助けようとしてもすりぬけてしまうということになるらしい。なによりも驚きは、意識があるため、自分が死んだということを知らないEarthbound
Soulがいっぱいいるということである。
Dr. Wicklandは、たまたま、ワイフがMediumであったため、このPossessed状態の人々を救うチームをつくることができ、沢山の人(Earthbound
soulにPossessedとりつかれて異常反応を示している人たち)を、そして、その異常反応を起こしている張本人のEarthbound
Soulたちを救済できたのであった。その方法は、現在、Dr. Edith Fiore, Dr. William
Baldwin, Dr. Louise Ireland-Freyなどが実施している方法とはすこし異なる。Dr.
Wicklandはすでに100年近く前の人であり、1935年ごろに80代で亡くなった人である。現在のSoul
Releasementを実施している人たちは、いわゆるHypnosisをつかって、直接、PossessedしているSoulと会話する形で進めているのに対し、19世紀末からの精神異常者への対症療法は電気ショックを脳に与えるというもので、これは有名なJack Nicholsonの映画 「One
flew over the cuckoo’s nest」の最後で、Jack
Nicholsonが電気ショック療法を強いられて廃人のようになるという場面があったが、あの電気ショックが19世紀末から20世紀はじめにかけても行われていたようで、Dr.
Wicklandがやった方法は、精神病患者特有の症候をしめすClientに電気ショックをあたえて、苦しさにたまらなくなったPossessed
Soulが外にとび出すときに、ドクターのワイフが自分の身体を提供して、PossessしていたEarthbound Soulがのりうつると、Mediumであるワイフの肉声を使って、Earthbound
Soul=Possessed Soulと会話ができることになるというわけで、ワイフ=Mediumは完全にTrance夢遊状態で、ドクターがPossessed
Soulと会話をしている間は、完全に無意識状態である。それにしても、このEarthbound Soulのむちゃくちゃな反応振りを見ていると、ミセスも大変であったなあという感想を持ってしまう。
この電気ショックは本当にとりついていたEarthbound Soul が逃げ出すほど、大変なものであるということが、本人(Earthbound
Soul)の文句からわかる。いわば落雷にうたれたようなヒドイショックが全身に走るそうで、それが一度だけでなく、まちがいなく何度も落雷するようなので、PossessしていたSoulはありえないことが起こっているとうけとり、それを実行していたのがドクターだと知って、ドクターに怒りを示し、おどし、そして最後に、もうやめてくれと懇願する。
電気ショックは野蛮な方法だと思っていたが、野蛮なだけあって、Possessed
Soulを追い出すほどの効果があったのも事実らしい。今は、そういう方法は用いないで、ドクターによる催眠方法で対応できるのであろう。
さて、電気ショック療法でドクターのワイフであるMediumにのりうつった霊とドクターは会話をもつ。ドクターが会話をした相手のSpirit/Soulは様々である。自殺者、犯罪者、ドラッグ中毒者、記憶喪失者、孤児、マテリアリスト、そして教会関係者、Orthodoxy,
Christian Science, Theosophy 関係者、その他、いろいろであるが、みなEarthbound
Soul として普通の人にPossessした状態でいるのを電気ショック療法で引っ張り出されたわけである。
ここでは、321ページから展開される宗教関係者のMedium経由の救済について紹介しよう。まず、英文を引用させてもらって、簡単な意訳とコメントをつけよう。(また出版社には無断の引用だが、まあ、これはいい意味での紹介であり、ある意味では宣伝でもあるので、赦してもらえると自己弁護して、紹介に移る。)
The science of religion should teach
an intelligent realization of the nature of God and the life hereafter, but
humanity is still kept in subjection by fear, superstition, dogmas and creeds,
and has not yet attained liberation through a full understanding of what
becomes of the dead.
ここでドクターは宗教関係に関する彼の個人的見解を述べる。ドクターはクリスチャンであり、宗教を批判しているわけではない。宗教のあり方(教会などの説教の仕方)が問題になっている。Godの本性について、あるいは“あの世”などについて、今の教会宗教は恐怖や迷信、間違ったドグマや信条をおしつけているだけで、死んだらどうなるのかということについて充分な理解もないため、信者たちは彼・ドクターが例示するように、Earthbound
Soulの状態で暗黒の世界を放浪するだけに終わっているという。
Passing through the change called death,
a great majority remain in entire ignorance of their condition, and are bound
for a time to the earth plane by their false doctrines. 彼らは死んでしまうと自分がどういう状態に居るかもわからないまったくの無知のままで、間違った信条によって、いつまでも地上にへばりついたままになっている。
The most difficult to enlighten of
the earthbound spirits are the religious fanatics. Dominated in earth life by
one narrow, fixed idea, opposed to logical analysis and independent thinking,
they are found, after passing out of the physical, in a state of self-hypnosis,
ceaselessly repeating their empty “religious” jargon. この地上にへばりついた魂のなかで、覚醒させるのに一番手間取るのは狂信的な宗教信者の場合である。ひとつの、狭い、凝り固まったアイデアに支配されていて、論理的に考え、また自分で考えるということをしない、あるいは出来ないために、丁度、自己催眠をかけて、永遠に意味の無い宗教的たわごとを叫び続けるだけである。
そういう例として、まず1923年3月28日のケースを展開する。ドクターのワイフであるMediumにのりうつった霊は、どうやら讃美歌を力強く歌い続けている。ドクターが何を質問しても、歌い続けるばかりである。分別を持ちなさいとドクターがいっても、歌いましょう、祈りましょうと叫ぶばかりで、まともな会話がもてない。ドクターが、あんたは宗教的にキチガイだというと、Spiritは、我々はみな神様に祈る、ハレルヤ!と叫びだす。・・・ドクターは、あんたは自分の状態を知らない、親切なSpiritsが、ここ、LAのドクターのところに連れてきたのだ、あんたはSpiritなのだ、しかも、既に長い時間が経っている。あんたは、助けようとする誰の意見にも耳を貸さない、自分の状態をまず理解しなさい。You
have lost your physical body. Ignorant spirits often lose memory of their earth
lives.あんたはもう自分の体を持っていないのだ。無知なSpiritsは、しばしば地上での生活の記憶さえなくしてしまう。・・・ Do you know that you are dead? That doesn’t
interest me. あんたは自分が死んでいるということを知っているの?そんなことは興味ない。
このSpiritは結局、誰の意見も聞かず、ドクターの救済サークルから追い出された。(そういうケースも、いくつかあった様子。宗教的な狂信者は本当に、ほかからの意見を聞こうとしないので、助けることが不可能なようだ。)
このSpiritが去ったあと、子供のSpiritがやってきた。どうやら、先の女性の子供であったようだ。彼女はドクターとおだやかに会話を持つことができ、救われることになる、つまりほかの親切なSpiritに従って、次の次元に移行できるようになった。この16歳ほどで亡くなった少女の教会での話を聞くと、本当に教会のMinisterにはいいかげんな人間が多かったと怒りがわいてくるほどである。カネを貧しい人間から巻き上げるのが仕事で、なにかあるとHell地獄を持ち出し、寄付をしないだけで地獄に落ちるというような説教ばかりしていた男がこの少女と母親の属する教会の指導者であった。
Dr. Our work is to
help spirits who are in trouble, and you will find happiness when you leave here. 私たちの仕事はトラブル状態に居るSpiritsを助けることで、あなたはここを去ると幸せを見つけるだろう。
Sp. I will tell you. The minister at the
church we go to, he says: If you do not do so and so, and pray every night, and
sacrifice everything, you will go to hell.” He says we must not eat, but must
lay on the floor and torture our bodies for Christ’s sake. 自分たちの行く教会のミニスターは、自分の言ったとおりにしないと地獄に落ちるだろうという。彼は、私たちに食べてはいけない、キリストのために床によこたわって、自分を痛めつけないといけない、と。
Dr. That minister is insane. ミニスターはキチガイだよ。
Sp. He said we must not eat anything except
dry bread with water. He said I had been a sinner, and I must give all the
money I make to the Lord, and I must be His slave. I asked him if the Lord was
so poor that He needed all my money, and he said that question was from devil.
I worked very hard and Mamma took all my money away from me for the church. I
went out sewing in a shop, but my Mamma took me to church every night. All I
got was a hard crust of bread and some water in Jesus’s name.ドライ・フードと水以外は食べてはいけないと彼は言う。彼は、わたしは罪を犯した、だからすべての金をLordに与えないといけない、そして彼の奴隷でなければならない、という。そこで私は、Lordは自分のすべての金を必要とするほど貧しいのかと訊ねたら、そういう質問はDevil悪魔から出た言葉だといった。自分は一生懸命働いたのに(9歳のときから)ママはすべてをとりあげて教会にあたえた。自分がもらったのは硬いパンのかたまりと水だけ、それもイエスの名前のもとに。
Dr. How old are you? いくつだね、君は?
Sp. About sixteen or seventeen. 多分、16歳か17歳。
…
Sp. Sometimes I asked Mamma why we had to
sing and pray all the time. It came to my heart that God is Love, and we are
His Children, so why does He let us work so hard and sacrifice our bodies so
that we hardly have any strength, then give all our money to him. Is He so
poor? わたしはママに、どうしていつも歌を歌い、祈っていなければならないのかとたずねる。GodはLoveだと、そして私たちはその子供だと心で感じる、それなのに、彼は私たちを激しく働かせ、体をいじめるのか、そのために私たちはほとんど体力も無いほどなのに、それでいて、すべてのお金を彼に与えねばならない、彼はそんなに貧しいの?
Dr. The Lord has nothing to do with any of
that. Only ignorant, insane persons say such things. Lordはまったく関係ないよ、ただ無知で、正気で無い人間だけがそんなことを言うのだ。
Ap. He is a minister. 彼はミニスターなのよ。
Dr. What church did you belong to? どの教会に属していたの?
Sp. The minister said if we did not do as
he told us to, we would go to hell. He talks and talks, and we have to listen
to him. ミニスターは自分のいったとおりにしないと、私たちは地獄に落ちるという。彼はしゃべるばかりで、それを私たちは聞いていなければならない。
…
Dr. All that fanaticism is wrong, every bit
of it. God is Spirit, and God is Love. God has nothing to do with such
fanatical talk. He does not need any one’s money. そんな、すべての狂信的なものはまちがっている、すべてがまちがいだ。Godはスピリットであり、Love愛である。Godはそんなむちゃくちゃな狂信的な話とは関係ない、彼は誰の金も必要としない。
Sp. Then why do they give it to Him? それでは、どうして彼らはそれを彼に与えるの?
Dr. God doesn’t get it – the ministers do.
God doesn’t need it. Godはそれをもらわない、ミニスターたちが得るのだ、Godはそれを必要としない。
Sp. Doesn’t God need our money? Godは私たちのお金を必要としていないの?
Dr. No. God is Spirit. Spirit is invisible.
I am talking to you and you are talking to me, but you are invisible to us. We
cannot see you. Mind is invisible. You see my body, but not my mind. God is
invisible and He is not in a certain place as we are. He is the Soul of all
things. ノー、Godはスピリットで、スピリットは目に見えない。私は君と話しているし、君は私に話しかけている、しかし、私たちには君が見えない、Mindは目に見えない。君は私の肉体を見る、しかし、Mindは見ない。Godは目に見えない存在で、私たちのようにある場所にいるわけではない、彼はすべてのものの魂だ。
Sp. But minister says He sits on a throne
with Jesus on His right hand. Why did he tell us that if it is not true? しかし、ミニスターは、Godはイエスを右手に控えた王座に座っているといっている、もし、それが本当でなかったら、どうして彼はそんなことを言うの?
Dr. Because “the truth is not in him.” He
is not honest. なぜなら、「真理は彼の中に無いからだ。」彼は正直で無い。
Sp. But Jesus died for our sins. イエスは私たちの罪のために死んだと。
Dr. No, he did not. ノー、そうではない。
Sp. He said: ”Take
up my cross and follow me, and go to church every day.” かれ(イエス)は、十字架を背負い、私に従え、そして毎日、教会へ行けと言ったと。
Dr. Jesus never mentioned going to church.
His teachings were about the higher life. イエスは教会へ行けなどと言ったことは無い、彼の教えは、より高貴な人生についてだった。
Sp. Heaven? 天国?
Dr. Not as you understand it. いや、君の理解する意味ではない。
…
Dr. Your mother and the minister are
spirits, but ignorant of the fact. 君のお母さんもミニスターもSpirits霊 だよ、しかし、その事実をわかっていない。
Sp. Do you mean all those people are
spirits? There must be a thousand all singing and praying, all the time. … あなたはここにいるすべてのひとがSpiritsだとおっしゃるのですか?何千というひとが、年がら年中、すべて歌を歌い祈りを捧げているだけ。。。
Dr. All those people have lost their
physical bodies, and are in the outer darkness that the Bible speaks about.
They are in blind, religious ignorances. They will remain in that condition for
a very long time if they do not change their way of thinking. They are filled
with religious fanaticism. このものたちは、すべて肉体を喪失した、バイブルで言うところの外の暗闇に居るものたちだ。かれらは目クラで宗教的に無知なのだ。彼らは彼らの思考方式を変えない限り、いつまでもこのままの状態でいるだろう。彼らは宗教的な狂信状態に居る。
Sp. The whole crowd down there will not
listen to anybody; they just sing and pray. この群集全体が誰の意見も受け入れないで、ただ歌を歌い、祈っているだけ。
Dr. They can stay there for years and
years, and their “Lord” will not care anything about them. 彼らはその状態でいつまでも居続け、そしてLordはぜんぜん、彼らのことを気にしていないだろう。
…
Sr. Will you help my mother? お母さんを助けてくださる?(ドクターの意見に耳を貸さないで、娘とかわって、Mediumの体から出て行った、あるいは追い出された母親)。
Dr. Intelligent spirits will take care of
her. It was they who “Pushed” her in here, to bring her to an understanding.
The difference between you and your mother is that you will listen and she
would not. 霊界のなかの世話人とも言える知的な霊たちが、お母さんの面倒を見るだろう。彼らが、お母さんをこの場所までつれてきたのだ。あなたとお母さんとの違いは、あなたは話に耳を傾け、お母さんはそうではなかった。
Sp. Then you do not think God would be
angry with me? Godは私のことを怒っていない?
Dr. Of course not. もちろん、怒ってなんかいないよ。
Sp. Sure? 本当?
Dr. God knows everything. He is All in All.
He is the Creator and Creation both. Godは何でも知っている、彼はすべてのすべてだからね、彼は創造者であると同時にうみだされたものなのだ。
Sp. Don’t we fall in sin? 私たちは罪を犯していない?
Dr. No, never. ノー、決して。
この娘のほうが素直にドクターの話に耳を傾け、理解し、そして先輩のSpiritsの助けに従って次の次元に移行していったのであった。
このドクターとSpiritsの会話からわかることは、まさにSpiritsはまともな思考能力を維持して、まるでお互い生きて会話をしているように、(この場合はMediumの口と耳を借りてだけれども)わかりあえるということがわかる。そして、自分が死んだことも知らない死者が無数にいるということも。そして、論理的に話し合えない狂信的な人間は、死んでも同じ浮かばれない状態に居続けるということ。 (つづく)
村田茂太郎 2015年12月1日
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12 「心霊現象の科学」をめぐってーその111 ”Thirty years
among the Dead” Dr. Carl Wickland(1924年)を読むーその3
この本の第7章は、“Spirits and Suicide”とタイトルがついている。Suicide 自殺 ときくと、すぐに関心が高まる私は、実はこの本を購入して(2013年 )すぐに、この自殺に関する部分を読み終わった。
これを読んで、わたしの、自殺の“理由”に対する理解がさらに深まった。こんなかたちの自殺もあるのだと知って驚いた。 いわば、自分は自殺する気などなかったのに、知らないうちに自殺に追い込まれていたという恐ろしいケースがいくつか述べられていた。
A Great Number of unaccountable
suicides are due to the obsessing or possessing influence of earthbound
spirits. (P.141) Some of these spirits are actuated by a desire to torment
their victims; others, who have ended their physical existence as suicides, find
themselves still alive, and, having no knowledge of a spirit world, labor under
the delusion that their self-destructive attempts have failed and continue
their suicidal efforts. 沢山の、自殺の理由不明の自殺はEarthbound Spirits がとり付いたりして、起こるものであるということがわかった。ある種のSpiritsは犠牲者を懲らしめてやろうということで自殺に追い込んだりするようだ。また、本当に自殺したもののSpiritsが、自分は自殺したはずなのに、意識があるものだから、自殺に失敗したと思い込んで、Spiritの世界に関する知識もないため、Sensitiveな人にとりつき、何度も自殺を実行しようとしたために、取り付かれた人は自殺してしまうことになるようだ。
When these intelligences come in
contact with mortal sensitives, they mistake the physical bodies for their own,
and impress the sensitives with morbid thoughts and instigate them to deeds of
self- destruction. 生きた繊細な人間に接すると、こうしたSpiritsは他人の体を自分の肉体だと勘違いしてのりうつり、その宿主にいまわしい自殺の観念を植え付け、実行させるに至るようだ。
Mrs. X のSpiritがDr.
Wicklandにコンタクトしてきた。Mediumである彼・ドクターの妻経由で。なんとMrs.
X はドクターが少年の頃、ヨーロッパでSunday schoolの教師をしていて知っていた女性で、知的でSpiritualで、教会の熱心なメンバーであり、結婚して子供を何人か持ち、幸せに暮らしていた。何の前触れも無く、この、どこからみても幸せいっぱいで、満足していたはずの彼女が、突然首をつって死に、夫も子供たちも悲嘆に落とし込まれたのであった。
それから10年経ったある日、ドクターのワイフであるMediumが突然、息が詰まったような状態になった。この女性Mrs.
X の霊がMediumに乗り移ったのであった。そして、いくつも質問のあと、このSpiritが10年前に自殺した、自分の子供の頃の先生であった女性Mrs.
Xであると知った。彼女はこの10年、まだEarthboundの状態で、Mental
Hell といえる中に居た。
彼女は首をつって、Spiritが肉体を離れたとき、その傍らで、うまくしてやったとほくそ笑んでいるDevilのようなSpiritsの姿を見たのであったが、もう手遅れであった。どうやら、Happyな様子の彼女の家庭を破壊してやろうと、嫉んだものたちが仕組んだ自殺教唆であったようだ。まさに発作的に縄に首をかけて実行し、すぐそのあと、まちがったと思ったが、もう手遅れであった。もう一度、自分の肉体に戻れるなら、世界でもくれてやったであろう。どんな絶望と後悔が自分を蝕んだことか。家を破壊し、夫も子供たちも悲嘆にくれて、いじけてしまった。わたしは彼らをなぐさめようと、近づいたが、ぜんぜん気がつかず、悲嘆にくれるばかりであった。そして、今に至るまで、わたしは深い悲しみと暗黒の中に居た。
話のよくわかるSpiritであったので、ドクターの説明を聞いて、無事、次の次元に移行することができた。それから数年経って、ドクターが、自殺したい傾向を持つ若い女患者をあつかっていたときに、この同じSpiritがドクターを訪問してきた。彼女は自分の自殺の経験から、その患者に、自分の自殺体験とそのあとの暗黒の10年について語ろうとし、自殺は問題の解決にならないどころか、問題を生むだけだということを示そうとしたのであった。
1918年11月17日。Spirit Mrs.
X, Psychic Mrs. Wickland
It is a long time since I have been
here. I should like to say a few words to this young lady who is contemplating
suicide. 私がここ(ドクターとワイフのサークル)に居たときからずいぶん時間が経った。私は自殺を考えているこの若い女性に話しかけたい。
Many years ago I was a happy wife,
with two dear children and a very kind husband. We lived together happily,
since we were both of a cheerful disposition, and because of this there were
many jealous thoughts centered upon us. ずっと昔、私は幸福な妻であった。二人の幼い子供と大変やさしい夫とともに居て。私たちは明るい性格であったので、私たちをうらやむ思いが生まれてきた。
I did not know at that time that I
was a psychic, because I belonged to the Baptist Church. I did the very best I
could around the home, but somebody started to upset us. One day, when my
husband went to work, I kissed him goodby and was very happy, but after he was
gone, all in a moment something got hold of me. 当時、私は自分がサイキックだとは知らなかった。わたしはBaptistの教会に属していたから。私は家ではベストを尽くしていた。しかし、誰かが私たちをいらだたせるようになった。夫が仕事に出かけるとき、私はさよならのキスをし、とても幸せに感じていた。しかし、かれが居なくなってから、何かが私をつかんだ。
I did not know what I was doing. I
didn’t know a thing. I remember feeling very strange, as if somebody had taken
complete hold of me, and I did not realize what was taking place. 私は自分が何をしているのか知らなかった。本当に。ただ不思議な感じに襲われていたのは覚えている。それは誰かが完全に自分を支配してしまったような感じで、私自身はどうなっているのか、さっぱりわからなかった。
After awhile, everything changed. I
saw my husband in terrible mental agony, and he was crying very bitterly. When
things became a little clearer to me, I saw my body hanging there! しばらくして、すべてが変わってしまった。私は夫がものすごい苦悩に打ちひしがれているのを見た。彼は苦しんで泣いているようであった。物事がすこし明らかにわかるようになったとき、私はそこに自分の身体がぶら下がっているのを見た。
Oh, if you could only realize what a
condition I was in! My husband stood there in the shed, looking at my hanging
body; he was crying heart-brokenly, but I could do nothing to help him. 私が居た状態がどんなものであったか、あなたがわかってくれればと思う。夫は小屋の中に立ち,
わたしの首をつった体を眺めていた。彼は心臓が破裂するほど泣き叫んでいた。そして私は彼を助けることもできなかった。
There I stood at his side, wishing
with all my power that I could have that body again, but I could not. There
were my two little children weeping for me, and I could not help them. わたしは彼の傍らに立ち、もう一度、自分の体に戻れたらと全力で願ったが、もちろん、無理であった。二人の小さな子供たちが泣いていたが、私にはどうすることもできなかった。
I did not know what was the matter
until I saw some evil spirits standing near, laughing at us. They had gotten
hold of me and made me kill myself, because they wanted to break up our happy
home. 私には何が問題なのかわからなかったが、ある種の邪悪なSpiritsが近くに立ち、わたしたちを見て笑っているのに気がついた。かれらはわたしにとりつき、自殺するように仕向けた、なぜなら私たちの幸せな家庭を破壊したかったから。
My husband could never forget the
sight of my body hanging in the shed. My children were small and needed my
help, but the responsibility of raising them was thrown on my husband. It
should have been my duty to have shared that responsibility. 夫は私の体が小屋の中でぶらさがっていたのをのを決して忘れることはできなかった。子供たちは小さくて私のヘルプを必要とした。しかし、彼らを育てる責任はすべて夫に投げつけられた。その責任の半分を分かつのは私の義務であったはずだった。
Although I had been influenced to do
what I did, for ten long years I could see nothing before me but what I had
done. I could see how much the children needed me, but I could do nothing for
them and oh, I suffered! My poor, poor children! わたしは私がやったことをするように影響されたのであったが、10年もの間、わたしは自分がやったこと以外はなにも見ることができなかった。子供たちが私を必要としているのはよくわかったが、彼らのために何もしてあげることができなかった。わたしは苦しんだ! あわれな、哀れな子供たちよ!
One day, a very cold day, I felt that
I had come to life again! I felt a new warmth. I did not know where I was, but
I felt that I had come to life. I found myself talking to Dr. Wickland. He told
me what had happened, and explained that I was only temporarily controlling
Mrs. Wickland, and that friends would take me to the spirit world. ある日、大変寒い日であったが、わたしはまた生き返ったように思った。あたらしい温かみを感じた。どこに自分が居るのかわからなかったが、生き返ったように感じた。わたしは自分がドクターWicklandと話しているのを知った。彼は私に何が起きたかを話し、今、仮にMrs.
Wicklandの体をコントロールしているだけで、その友達たちが私をSpiritの世界に案内してくれるよと説明してくれた。
After this I felt somewhat better,
and I thank you for having helped me to the beautiful condition I have now. このあと、わたしはいくぶんかよくなったのを感じた。わたしは、美しい状態の中におれるように導いてくれたあなた(ドクター)に感謝しています。
But oh, how I suffered during those
ten, long years! All I could see was my body hanging before me, and the
children’s need of me. My husband and children! How they needed my care – but I
was powerless to help them. でも、どれほどわたしは、この10年間、苦しんだことだろう。私が見たものといっては私の前にぶら下がっている自分の身体だけであった、そして子供たちが自分を必要としている姿を。夫と子供たち!なんと、彼らは私の世話を必要としていたことか、だが、わたしは彼らをヘルプするには無力でありすぎた。
I want to warn anybody who is
thinking of trying to get out of the physical body. わたしはこの肉体を脱したいと考えているすべての人に忠告を与えたい。
“Do not do it under
any circumstances’” どのような理由があろうと、けっしてそんなこと(自殺)をしてはいけない。
You do not know, you cannot realize,
what a hell you will find yourself in. You cannot step into your body again
after you once leave it, and you cannot do your duty to others. あなたは、どんな地獄の中に自分が居るのを見つけるか知りもしないし、理解するのも難しい。いったん肉体を捨てたら、もう二度と自分の肉体の戻ることはできない、そしてほかの人への義務を果たすことさえできない。
Think of my children always having
the thought that their mother committed suicide! Neither my husband nor
children can ever really forgive me. Even though I was controlled when I did
what I did, I have had to suffer. 私の子供たちがいつも自分たちの母親は自殺したのだ思っているということを考えてごらん。私の夫も子供たちも決して私を赦してくれない。もちろん、わたしがやったことは、私の意思でではなく、邪悪なスピリットたちにコントロールされてやってしまったことだけれど。
If you had an understanding of the
laws of the spirit side of life, you would not commit suicide, knowing the
results. Overcome any thoughts of taking your life. Be happy on this earth
plane until the time comes for you to go to the spirit world. もしあなたがスピリット・サイドの法則というものを理解するなら、あなたは自殺をしないだろう、結果がわかっているのだから。自分の命を奪おうというような考えは克服しなさい。この地上の生命体であるあいだ、幸福であるようにつとめなさい、あなたがSpiritの世界に移行するときが来るまで。
The ten years that I suffered was the
time I should have remained on earth before passing to the spirit side of life.
After my ten years had expired, I should have left my body, for my life would
have been lived out, but during that time I could have given help to my husband
and children. 10年間、私が苦しんだ時間というものは、実は私がSpirit側に移行するまでの期間、この地上で居なければならなかった期間であった。10年経ったときにわたしは、自分の寿命をいききったときということで、肉体を去ってもよかった、そして、その間、わたしは夫や子供たちをヘルプすることができたはずだった。
I should not have reached the spirit
side of life before my allotted time, and my punishment was to constantly see
my body hanging before me for ten years. All that time I could realize that my
husband and children were in great need of my help. わたしの地上での満期がくるまではSpiritサイドに移行するべきではなかった。その罰は、いつも、自分の身体がぶらさがっているのを10年間も見続けねばならなかった。そして、その間、夫も子供たちも自分を必要としているのを感じていたのだ。
Now I am happy as I can be until my
family is reunited, and I am doing all I can to help my children. いまや、わたしは家族と合流できるまで、幸せでいることができる。わたしは自分にできることはすべてやりとげている。
I want you to send my love to my dear
husband. He feels that he is all alone. I am with him but I can do nothing to
comfort him in his loneliness. Goodbye. どうか、わたしのLoveを夫に送ってください。彼は一人ぼっちだと思っている。わたしは彼のそばにいるのだが、彼の孤独を慰めることはできない。さようなら。
ということで、この女性Mrs. X の、若い自殺志望者への、自殺体験者自らの生々しい報告がDr.
Wicklandの目の前で展開したのであった。この話は重要なので、ほとんど全文を原文そのままの英語で紹介し、わたしの意訳をそえた。
―――
これをみると、Spirit霊 は、まともに思考し、相手を理解し、記憶も個性もそのまま保持しているのがわかる。そして、自殺者は意味の無いことをしたという後悔になやまされ、結局、自殺は苦悩を生み出すだけだということがわかる。生存者が苦しみ悩み悲しみ、それを見ていても、何もすることができないというFrustrationを感じるだけで、Spirit再生の機会が来るまで暗闇をあるきまわったり、誰かSensitiveな人間にとりついたりするだけ。誰かSensitiveな人間に近づき過ぎると、その人のAuraにとりこまれ、簡単に抜け出せなくなる。この本のほかの部分で、一人の女性にとりついたSpiritsが無数で、狭いAuraのなかで、ひしめき合って、窮屈な思いをして、しかもそれから抜け出せないという、ある意味ではこれも地獄の苦しみを体験するのがPossess
してしまったEarthbound Spirit の運命であるらしい。そして、Dr.
Wicklandのような、よくわかった親切な人間がそのような哀れな状態にある魂を救済してくれるのを待つことになる。
――
今日、わたしは出版社にE-mailを送った。TranslationまたはQuotationの許可をくれという文言で、日本語に翻訳して出版したいが、NYベストセラーでもないので、それは無理であろうから、わたしが部分的に自分のブログで翻訳紹介をしたいという内容のメッセージであった。日本語のわかる人がおれば、私がどのようなことをしているかわかるだろうと期待して、ちなみに、私のブログと「心霊現象の科学」というブログの中のタイトルを記しておいた。Permissionがとれれば、堂々と、大事なところを翻訳紹介できるのだが。カネにはならないということは指摘しておいたが、同時に、私のブログを読んで、興味を持って、英語で原文を読んでみたいと思う人があらわれるかもということも記しておいた。ともかく、はじめて出版社に引用、翻訳許可を要請したということで、私としては、やるべきことはやったという気持ちである。ともかく、この本は面白い。
村田茂太郎 2015年12月2日
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13 「心霊現象の科学」をめぐってーその112 ”Thirty years
among the Dead” Dr. Carl Wickland(1924年)を読むーその4
この本は本当に素晴らしい。これ一冊で死後の世界のある様相が手に取るようにわかる。Ralph
Harlowの「A Life after Death」も、一冊でAfterlifeがあることを確信できるものであったし(「心霊現象の科学」その53~63)、Maurice
Barbanellの「This is Spiritualism」もこれ一冊で、Afterlifeの存在は確信できるものであるが(その35~46、44は別)、どちらも、いわば確実に次の次元に移れたSpiritたちの、反応振りを示していた。この「Thirty
Years among the Dead」は、Afterlifeの存在を確信させるだけでなく、死んでから次の次元に無事移行するまでに大変な遍路歴程が、多くのある人々にとっては存在するということを示し、この現世での生き方と死後の世界に関する知識が大きな意味を持つものであることを歴証しているといえる貴重な文献である。
第6章 (P.121-140) は Spirits
and Crimeと題されている。犯罪者の死後の世界を含めた動向を扱っている。これも重要な展開を示している。
1894年、Harry Haywardという男が絞首刑になった。(原書Page
128-133). 刑務所で刑の執行を待つ間、最後まで快活な態度を維持し、警備員とカード・ゲームに興じ、大好きなアイスクリームをオーダーして楽しんでいた。彼は警備員に、「あんたが地獄にきたら(自分はそこへ行くことになっているが)、アイスクリームをごちそうしてやるよ。」と言っていた。この死刑執行までのあいだに、実は自分(ドクター・Wickland)は、匿名で、本とSpirit
worldに関する書類を送ってやったのだが、それ以外では彼とは無関係であった。
1908年2月にNurse看護師が、患者であるMrs.
McAがどうやらSpiritに影響されているようだと感じ、ドクターのヘルプを求めた。Nurseは、自身、サイキックで、あきらかに患者はSpiritに侵犯されていると感じ始めた。ある日、Mrs.
McAはHome-made Ice creamをたまらなく欲しくなった。彼女自身はアイスクリームなど見向きもしなかった人間なのに。それで、Nurseが苦労してアイスクリームを手に入れて、部屋に入ろうとしたとき、何かが彼女に向かって突進してきたように感じ、あわてて彼女は逃げるように部屋を出た。気分が回復してから、部屋に戻り、Spiritが居るのを感じて、窓を開け、Spiritに出て行くように黙って命令した。
このNurseとMrs. McAが、ドクターのサークルに参加することになり、その場で、MediumであるMrs.
Wicklandに、このPossessしていたSpiritが乗り移った。いきなり、Mediumはのどに痛みを感じた。そして、Mediumの口から、自分はHarry
Haywardで絞首刑になったときに首の骨が折れて、その痛みを感じているのだといった。誰かアイスクリームをくれないか、今日はもうちょっとでアイスクリームを味わえるところであったのに、女が自分を窓から追い出したのだ、俺は女に窓から追い出されるのは好きじゃない。
Haywardは、Spiritとして地上をさまよっているのだと知っていた。それで、普通の、自分が死んでいるのも知らないで、地上空間をさまよえるSpiritとちがうので、どうしてSpiritのことを学んだのかとドクターが訊ねると、彼が刑務所に居た間に、だれか知らない人がある本を送ってきたのだと返事した。彼は、しかし、どこへいっても、誰も自分に気がつかないと不満を洩らした。しかし、今ようやく、話しあえる相手が見つかったと非常に喜んだ。(ドクターの妻であるMediumの口を借りて)話ができるのを喜んで、裁判や刑の執行などについてたずね、特に親しんだ警備員についてたずねたりした。自分・ドクターはこのGuardは死んだはずだと思っていたので、そう伝えると、しばらく沈黙して何か探っているようだったが、「いや、彼は死んでいない、ミネアポリスの息子の家でカード・ゲームに興じている。」とこたえた。
HaywardはSpiritの世界で向上する意欲と姿勢を示し、ドクターのサークルから離れていった。
あとで、わかったことは、Guardはまさに、Haywardがいったとおり、息子の家でカード・ゲームに興じていたのであった。(これでわかることは、Spiritはその人について考えるだけで、その人の居る空間に達することができるということである。)
Haywardは、10年後、またドクターを訪問してきた。
彼はドクターが送った本を読んだおかげで、Spiritの世界について知り、改悛してSpiritの向上を目指し、Earthboundの状態から、立派な次の次元に移行することに成功する。いわゆるHell 地獄 などは無い ということで、殺人を犯したものでも、悔い改めて努力し、人を助ける仕事をすれば、救われるということであった。そして、彼はなによりも、Spiritの世界ついて案内してくれ、救済をおこなったドクターとワイフに感謝したのであった。
彼は金持ちの夫婦の子供として、何不自由なく、したい放題をして育った。働く必要が無いほど金持ちであったので、遊ぶばかりで、あるとき、親からもらう金よりも、遣う金のほうが多かったため、金が必要になり、女友達に保険をかけて自分ではなく、ほかの男に殺させて、保険金を取ろうと考えた。1万ドルの保険(1890年ごろの1万ドルは、今現在だと1千万ドル以上の金額ではないか?)を、自分を受取人にしてかけさせ、男を雇って女を殺させた。すぐにつかまったのは、あさはかにも、まだ事件が解決しないうちに保険金を受け取りに行ったため、怪しまれ、逮捕され、裁判されて、結局、絞首刑ということになったのであった。
彼は母親のせいにするわけではないが、両親が自分の思うとおりに金も使い放題、したい放題の生活をさせないで、悪いことをすれば叱りつけ、ちゃんと善悪の区別をわきまえさせ、自分のためではなく、人のために生きるような生活をえらぶように指導してくれていれば、死刑になるほどの犯罪者にはならなかっただろうと思う。そして、世の親に、ちゃんと厳しく叱ることの大事なことを告げるのであった。
彼はインテリな好男子であり、女が好きで遊び暮らしていたが、あるとき、そういう保険金犯罪を思いついたために、結局死刑になってしまった。しかし、ドクターが送ってくれた本を読んでいたおかげで、Earthboundの状態から脱出することに成功し、改悛して、今度は地上でのろわれた状態に居るSpiritsを助ける仕事をしているのであった。
I tell you, if my mother – I do not
condemn her by any means – had trained me properly, so that she could have said
“No” to me, instead of worshipping me and letting me have all the money I
wanted, and if she had punished me when I did wrong, I would have been
different. わたしは母を非難するつもりはないが、母が私を崇拝するような態度をとり、欲しいだけの金を与えてくれるかわりに、Noといって、それにふさわしい躾をしてくれていたら、そして私が悪いことをしたら罰していてくれたら私は違った人間になっていただろう。
No, I would not have been hung if my
mother had taught me the beautiful lesson of living for others, and of loving
my fellow man as myself. そう、ほかの人のために生きるということ、そして私自身を愛するようにほかの人たちも愛するという美しい教育をしてくれていたら、私は絞首刑になるようなことはなかったであろう。
If
mothers would think of their children’s welfare and raise them in the beautiful
thought of living for others, they would all be better. … My misfortune was
that my mother and father were rich. Work was a disgrace for me, they thought.
It would have been far better if they had put me to work instead of giving me
money each time I asked for it. もし、世の母親たちが子供たちの幸福を願い、ほかの人のために生きるという美しい考えで育ててくれたら、子供たちはすべてより良くなっているだろう。--- 私の不幸は父母がお金持ちであったということだ。労働は息子には不名誉なことだと親は考えた。私がお金を欲しがるたびにくれていた代わりに、働くように仕向けていたら、はるかに良かっただろう。
I had a
scheme. If somebody killed her, I would not get the blame, but I would get the
money. I laid a bold scheme. I hired a man to kill her. 私には計画があった。もし、誰かほかの人が彼女を殺せば、誰も私を非難しないだろう、そして私は金を得るだろう。そこで私は大胆な計画をつくって、彼女を殺害するために人を雇った。 ・・・ (そして、計画は実行され、自分は別の女性とデートをしていて、直接の加害者ではないことを証明されたが、おろかなことに、すぐに保険金をとりにいって、疑われ、つかまり、最終的に、有罪、そして死刑となった。)
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You
cannot imagine the sensation you have when you realize that you have only a few
hours to live. Still, the little message which had been sent to me gave me a
little courage, and I thought probably only my body would be destroyed and not
my spirit. So at the last moment, I kept up my courage and felt that I wanted
to see what the hereafter was. あなたには、あと数時間の命しかないとわかったときの気持ちは想像できないにちがいない。しかし、私に送られてきた小さなメッセージが私に小さな勇気を与えてくれた。私は考えたー多分、肉体は滅ぶが、Spirit魂は死なない。そこで、最後の瞬間まで私は勇気を維持し、あの世があるのなら見たいものだと思った。
I have
to thank the one who sent me that pamphlet, because it was a bright, cheerful
spot to me at the last of my days. 私はあのパンフレットを送ってくれた人に感謝しなければならない。なぜなら、それは私の最後の日々の、私にとって輝かしく陽気な場所となってくれたから。
When I
realized that I had passed out of my body, my first thought was:”I am not
dead.” I went to my mother, and I spoke to her, and she felt my presence. I
still clung to my body, however, and I felt I could not leave it. I got out of
it quickly, but I went back to it again. When my body was cremated I stood by
and saw it burned. 私が肉体を脱したとわかったとき、最初に思ったのは、「自分は死んでいない」ということであった。そこで、私は母のところに行き、彼女に語りかけた、そして彼女は私を感じ取ったようであった。私はまだ肉体にとりつかれていた。私はそれから離れることができなかった。私はすばやく肉体から抜け出たが、また戻った。私の肉体が火葬されたとき、私はその傍らで燃えるのを眺めていた。
After
that I walked around, but I could not find the spirit world. I walked and
walked, from one place to another. I still had my feeling for nice pretty
women, so I traveled. In a way, I
realized that I was dead, yet I did not fully realize it. そのあと、私は歩きまわった。私にはSpiritの世界が見つからなかった。歩き歩き、ある場所から別の場所へと歩いた。私はまだ、きれいな女性にあこがれていたので、旅をした。ある意味で、私は死んでいたが、自分ではそのことがよくわかっていなかった。
One
time I felt I would like to take a journey and I wanted to travel by train. I
went to the ticket office to get a ticket, but I had no money. I thought I
would talk to the agent nicely and he would give me a ticket, but he paid no
attention to me. So, I thought, “All right! I’m going on the train anyway,” so
on I got. あるとき、旅をしたいと感じ、電車で旅をしようと思った。それで、切符売り場に行った。お金は無いので、係りのものにうまく話せば切符をくれるだろうと思った。しかし、彼はぜんぜん気がついてくれなかった。オーケー、それなら自分で電車に乗るぞ、と思った。
I sat
down on one of the seats, and, before I knew it, a great, big, fat man sat
right down on my lap. I got real mad, I tried to push him off, but I could not,
and I could not get up either, I had to let that man sit on me until he was
ready to get off the train! 私はひとつの席についたが、私が、気がつく前に、立派で大きな太った男が私のひざの上に座り込んだ。私は頭にきた。彼を押し出そうとしたが出来なかった。私は立ち上がることさえ出来なかった。とうとう、男が電車を降りるまで私の上に男は座り続けた。
I
had not learned the power of thought, to think myself away; I had only learned
to walk. I had not yet learned the little thought lesson to think myself in a
place I order to be there. 私はまだ思考の持つパワーというものについて学んでいなかった。私は歩くことを学んだだけであった。私は、自分が行きたいところに思考するだけで行けるというレッスンをまだ身につけていなかった。
Before
long I came to a beautiful lady (Mrs. McA), and I commenced to like her. Before
I knew it, I was in her magnetic aura and I could not get away. She
wanted to be in bed all the time, and there I was! まもなく、美しい女性のところへやってきた、そして私は彼女が好きになりだした。自分で気がつく前に、私は彼女の磁力の圏内にいた。今や私はそこから去ることが出来なかった。彼女はいつもベッドに居ることを好んだ、それで私もそこに居た。
Once I
heard someone say: “You must leave this lady and go away; if there is any
spirit around her, it must leave and go away.” I was there, however. あるとき、誰かが、「お前はこの女性から去らねばならない、出てゆけ、もし彼女の周りにSpiritsがいるのなら、出てゆけ!」と言うのを聞いた。だが、自分はそこに居続けた。
I was
very fond of ice cream, and I wanted some, so I impressed the lady to ask for
it. When it was brought in, I wanted it. I seemed to come in contact with the
lady who was carrying it, and I felt that I could only get a good hold of her I
would get the cream. 私はアイスクリームが大好きであった。わたしは食べたいと思った。それでその女性(Mrs.
McA)に求めるようにそそのかした。アイスクリームが届いたとき、彼女(Nurse)をしっかりつかめば、自分の好きなクリームが食べられると感じた。
All at
once I was a lady myself, and when I tried to get that ice cream I had the
sensation that I had when I was hung. But the lady who was carrying the ice
cream had such power that, before I knew it, she had thrown me out of the
window – bodily, mind you. ただちに、私は自分が女性と一体になったのを感じた。そしてアイスクリームを手に入れようとしたとき、首をつったときの感じを抱いた。しかし、そのアイスクリームを持っている女性は、すごいパワーをもっていて、わたしがわかるまえに、彼女は私を窓から外に放り出していた、いいかい、身体ごとだよ。
I have
to thank you for delivering me from all that trouble and also want to thank you
from the bottom of my heart for the sermon you gave me at that time, which
helped me to understanding of the beautiful world beyond. (ドクターへ)私を、そんな、あらゆるトラブルから助け出してくれたあなたにサンキューをいわねばならない。それから、あなたがそのときにくれた説教に心の底から感謝する。それは、あの世の美しい世界を理解する手助けをしてくれた。
I wish
again that I could stand on every street corner and tell the mothers to raise
their children to be good men and women, and when necessary, punish them while
they are little, and not spare the rod and spoil the child. 私はすべての道の街角に立ち、世の母親たちに子供たちを立派な人間に育てるように、そして必要があれば、まだ幼いときに、罰し、鞭をおしんだために子供を駄目にしてしまうというようなこと起きないようにアドバイスが出来ればなあと思う。
If
mothers raised their children properly, there would not be the selfishness
there is in the world. もし母親たちが子供たちを適切に育て上げれば、世の中に、今ある利己主義はなくなるだろう。
I have
a nice little home in the spirit world now, and I have much to do, for my work
is not yet done. I am trying to extend help to all those who wish help. 私は小さな素敵な家をSpiritの世界に持っている。私には沢山のしなければならないことがある。私の仕事はまだ終わっていない。私はヘルプが必要なものに、ヘルプを差し上げたいと努力している。
I thank
you for enlightening me in the first place. Good Night. まず、一番に、私を啓蒙してくれたあなたに(ドクターに)、サンキューをいいます。お休みなさい。
Patrick
SwayzeとDemi Moore、Whoopi
Goldbergの映画“Ghost” に、殺されたPatrickのSpiritが苦労する場面がいくつかでてくる。最終的にMediumを演じていたWhoopiの助けで、そして自分でもそれなりに能力を身につけて、愛人を危機から救い、無事、光を目指して昇天するという話で、かなりMedium体験から学んだ、信憑性のあるストーリの展開となっていた。
ともかく、この本は面白く、ためになる。いっぱい紹介したいところがあるが、ほかの本も紹介の必要があるので、次回、その5 で、このすばらしく、面白い本の紹介を終わることにする。
村田茂太郎 2015年12月4日
ーーー ーーー ーーー
14 「心霊現象の科学」をめぐってーその113 ”Thirty years
among the Dead” Dr. Carl Wickland(1924年)を読むーその5/5
第16章(最終章)は Philosophy と題されている。(P.428-464)。この、Dr.
WicklandのEarthbound SpiritsのRescue
Party (Mercy Band)のメンバーの一人で、しばしばこのサークルに参加し、自身Methodist ChurchのMinisterであり、ドクターであった Dr.
Y が亡くなってから5日後に、このDr. Wicklandの会合にSpiritとして参加し、その数ヵ月後、またDr.
Wicklandのサークルを訪れ、MediumであるDr.
Wicklandのワイフ経由、彼の死後のSpirit lifeについて、彼自身の体験を語り始めた。
― - - - - - -
Well, I am here again. I have been
here before, many times. Do you know who I am? I am Doctor Y. ハイ、また来たよ。ここには私は以前、何度も来た事があるよ。私が誰だかわかるかね。ドクターYだよ。
I am glad that I can be with you here
tonight and I am pleased this circle is continuing. We are here every time you
have a meeting, and I wish you could see the spirits who are waiting to come in
for an understanding of life. 今晩、ここで、皆さんと一緒ということで、私はうれしい。このサークル(Mercy
Band -ドクターとMediumであるミセスを中心に、数名のひとがあつまってRescue
Mission-Earthbound Soulを光に向けて救済する努力をしているグループのことで、Dr.
Wicklandが名づけた)が続いていることは喜ばしい。私たちはあなたがたが会合を持っているすべての機会にここへきている。Lifeを理解するためにここに集まってきているSpiritsたちをみなさんが見ることが出来たらと願う。
Life is a great problem to the world.
I wish people would study life and its existence in matter. Life人生は世界にとって大きな問題だ。わたしは人々がLifeとその存在をまじめに勉強してくれたらと願う。
It is a shame to send so many spirits
out of their bodies into the darkness of ignorance. They only believe; they
sing and praise God and we cannot reach them. こんなにも沢山のSpiritsを、肉体の状態から無知による暗黒の状態に送り込むのは恥ずかしいことだ。彼らはただ信じるだけ、歌い、神を賛美するだけ、そして我々は彼らに近づけない。
They are self-hypnotized by their
religion, in the first place, that they do not know they are dead, and in the
second place, by their praising of God and singing, that we cannot reach them
with the understanding that they must praise God in a different way. 彼らは、まず、第一に、彼らの宗教によって自己催眠状態にある・・・つまり彼らは自分たちが死んでいるということを知らない。第二に、彼らの神をほめ、歌っているので、我々は、彼らは別な仕方で神をほめねばならないという理解でもって、彼らに近寄ることが出来ない。
We must act; we must work for
humanity. We must learn the first lesson that Christ taught, to serve others,
and to love God above all things and our neighbors as our selves. 我々は行動しなければならない、我々は思いやりを持って働かねばならない。我々はキリストが教えた、他人のために奉仕すること、また何よりも神を愛し、また自分を愛するように隣人を愛することという最初の教えを学ばねばならない。
How many do really love God? They
pray and sing, but they do not know what the Bible teaches. どれだけの人が本当に神を愛しているのか。彼らは祈り、歌う、しかし、聖書がおしえていることを知っていない。
…
When we pass through the material
sphere of ether, the sphere around this world, we pass through the sphere in
which are most of the spirits of darkness, which we call earthbound spirits. われわれがエーテルの物質界を、この世界を取り巻く地帯を通過するとき、我々はEarthbound
Spirits 地上に縛り付けられたスピリット とわれわれが呼ぶ暗黒の世界を通過する。
There all is selfishness and
ignorance. These spirits must serve to help themselves to a higher
understanding, for they have not served but have been served in their earth
lives. そこではすべては利己的で無知である。これらのスピリットがより高い理解に達するように自分自身を助けようと、奉仕をしなければならない、というのは、彼らは地上の生活ではサービスをうけるばかりで、自分から奉仕したことが無いのだから。
They do not know what it is to live
and do for others; they have lived only for self. They are waiting to be served.
Their minds have not been developed to do for others. 彼らは、生きて、ほかの人のために行うということがどういうことかを知らない、彼らはただ自分のために生きてきた、彼らは奉仕してもらうのを待っていた、彼らの精神は他人のために行うところまで発展していなかった。
I wish I could take you to sphere of
suicides, the sphere of the churches, the sphere of the slums, the sphere of
the misers, and so on. Here they are in darkness, crying for help. Many of them
do not know what to do. They go to mortals and try to control them, upsetting
their lives, and they are ignorant of what they are doing. 私はあなたがたを自殺者の圏、教会の圏、スラム圏、吝嗇者の圏、そういったところへ連れて行ってあげられればと願う。ここでは、彼らは暗黒界に居る、そして助けを求めている。多くのものは何をすべきかわかっていない。彼らは生きたひとのところへ出向き、そのものたちをコントロールしようとする、生者の生活に問題を起こし、しかも彼らは何をしているのかわかっていない。
…
They will have to find themselves and
waken to a realization that they must not look for God outside, but within
themselves. 彼らは自分自身を見つけねばならない、そして神を外に探すのではなく、自分の中に神をさがさねばならないと気がつくように目を覚まさねばならない。
…
Nearest to the earth is the City of
Ignorance and the condition in which many awaken. No matter how good you have
been, nor how well you have lived your life – that alone is not sufficient. 地上に最も近い町は"無知“の町で、多くの人はその状態に居るのに気がつく。あなたがどんなに善良であったとしても、あるいはどんなに立派にあなたの人生を生きたとしても、それだけでは充分ではない。
If you are ignorant of the life, and
system of the other side, you are in darkness for the time being until you
awaken and realize that there is a life after this. もし、あなたが人生、そして、あの世の制度に無知であれば、しばらくは暗黒の世界に居ることになるーこの地上世界のあとに“あの世”の生命があると目覚め、理解するまで。
…
Let us not believe but let us act.
Let us all do our duty while we are here, and let us understand the wonders of
Nature and the wonders of God. 信じるのではなくて、行動しよう。われわれはこの地上世界に居る間にわれわれの義務を果たそう、そして自然の素晴らしさ、Godのすばらしさを理解しよう。
We could not worship more than God,
for God is everything. You are one part of His grand work, the flowers are
another part of His grand work, the animals another part, so how could you be
outside God? Why should you not worship His manifestations in every way? You
are in the very midst of Him. When you are one with God you have great glory. 我々はGod以上を崇拝することはできない、というのは、Godはすべてだから。あなたはGodの大いなる仕事の一部なのだ、花々はやはりGodの大いなる仕事の一部であり、動物たちもそうなのだ。そうなのだから、どうしてGodの外に居るということが出来るのかね。どうして、Godがあらゆる面で、あらわしたものを褒め称えてはいけないのかね。あなたはGodのまさに只中に居るのだ。あなたがGodと一体であるとき、あなたは偉大なる栄光の中にいるのだ。
…
This is a step every one has to take;
every one has to pass through this. I learned my first step in a few months.
When I woke up from the sleep of death – we call it a sleep of transition – I
was really awake. I had understanding. I was told about grand things in spirit
but I never could have imagined it as grand as I found it. これが誰もがたどる第一歩なのだ。だれもがこの道程をたどらねばならない。私は1-2ヶ月で最初のステップを学んだ。わたしが死という眠りから覚めたときーわれわれはこれを移行という眠りと呼んでいるが、私は本当に目覚めた。わたしは理解した。わたしはスピリットの世界について大変なものだと聞いていたが、ここで私が見つけたものが、こんなにも大変なものだとは想像することもできなかったよ。
Let us visit the “churches’ of the
earth sphere, the place of the spirits who pass out with religious belief and
dogma. These gather in a group and do not try to waken to the realization that
they are still sleeping spiritually, because they have never asked: “Who am I?
Where did I come from? Where do I go? Where is the real life?” They are
self-hypnotized by their belief in Jesus Christ, and in God sitting on a throne
with Christ at His right side, judging the people, good and bad. Some, they
think, have to go to a burning hell, and some will go in glory to God in
Heaven. それでは、地上界にちかい"教会“を見てみよう、宗教的信念とドグマをもって死んだスピリットがいる場所だ。ここでは類を持って集まり、彼らはまだ霊的には眠ったのと同じ状態に居るという理解に達しようとしていない。なぜなら、彼らは、「私は誰か?」、「私はどこから来たのか?」、「私はどこに行くのか?」、「本当の生活はどこにあるのか?」などという疑問を決して、たずねたことがない。彼らはイエス・キリストへの信仰によって自己催眠の状態にあるのだ。神が玉座につき、キリストはその右側に居まして、人々を善か悪かと批判し、あるものは燃える地獄に、あるものは神のひかえている天国の栄光のもとへとゆくのだと思っている。
That is the belief they have, and
although “dead” the majority of those who only believe are still on earth,
going to church. They want to be on earth singing the same songs, and praying
the same prayers. They think that all they have to do is to sing and pray. これが、彼らが持つ信仰であり、死んでいるのだが、信じるだけの大部分のひとは、まだ地上にいて、教会に行っていることになる。彼らは地上に居て、同じ歌を歌い、同じ祈りをささげたいと思う。彼らはやるべきことは、ただ歌を歌い、祈りを捧げることだけだと思っている。
Many do not know they have passed
out. They do not even stop to think that their relatives and friends do not
talk to them as they did formerly. We have a very hard time to reach them. 彼らの多くは自分が死んでいることを知らない。彼らは自分たちの親戚や友人たちが、ふだんしていたように彼らに話しかけないのはなぜかと、とまって考えようともしない。われわれは彼らに手を伸ばそうとしてずいぶん苦労することになる。
Some sing and pray, others walk
alone, trying to find out what is the matter; at other times they become
attached to mortals and hypnotize them so by their belief that the mortals
become obsessed and are sent to the asylum for religious mania. あるものは歌い祈る、他のものは何がどうなっているのか知ろうとして、一人で歩くだけ、別なときには生者にとりつき、彼らの信仰で催眠をかけたかたちをとるため、ある生者は脅迫観念にとりつかれ、狂信者のための精神病院へ送られることになる。
It is a great pity that men cannot
understand God. When they have that understanding they cannot live for
themselves; they will want to work for others and give every one of their
happiness. 人々がGodを理解できないのは、まことに残念なことである。彼らが本当に理解できたら、自分だけのために生きることはできなくなる、彼らは他人のために働きたくなる、そして誰に対しても幸福を与えたくなる。
― - - - -
1920年10月20日 Spirit Dr.
Adams (MD)、 Psychic Mrs.
Wickland
I am heart and soul
in this work. I was in this work when in life, not so much doing the obsession
work as does Doctor, but I was in the work of spreading the truth that there is
a life after this. It is a real life, not an imaginary one; it is a life of
understanding, not a life of belief. 私はこの仕事に心も魂もつぎこんでいる。生きているときはこの仕事にかかわっていた、もちろん、ドクターWicklandほど憑きに関する仕事をしていたわけではないが。私はこの世のあと、あの世があるという真理を広めようとしていたものだ。あの世というのは本当の生命Lifeだ、想像上のものではない、それは理解できるLifeで信仰だけのLifeではない。
If you only believe,
you will be in darkness, with a closed door, because you have only belief, not
knowledge, of the other world. もし、あなたが信じるだけなら、ドアーはとじられたままで、暗黒の中にいるだろう。なぜなら、あなたは別の世界(あの世)に関して、信仰だけで知識をもたないから。
I had a very hard
time of it when I was on earth, because I believed in a life after this and
preached it. They called me crazy; they said I would go to hell. They said
there is no such thing as the spirit world; when we die we go to the grave and
stay there until the last day. 私は、そのことで地上に生きていたとき、ずいぶん苦労した、なぜなら、わたしはあの世があると信じて、そのことを説いていたから。彼らは私をキチガイと呼び、私は地獄にゆくだろうと言った。彼らはSpiritの世界などというものは無い、われわれが死ぬと墓に行き、そこに最後の日までとどまるだろうと。
Spiritualism is the
Science of the Bible. The Bible says; “The letter killeth but the spirit giveth
life.” If you understand the Bible it becomes a grand book. Many go blindly to
church only believing, and have no knowledge or understanding. Spiritualismスピリチュアリスム は聖書の科学である。聖書に言う“文字は殺すが、スピリットは生かす”と。もし、あなたが聖書を理解するなら、それは大いなる本となる。多くのものは信じるだけで、盲目的に教会に行く、そして知識もなく、理解もしない。
― - - -
これでこの偉大な本の紹介は終わることにする。わたしは出版社に手紙を書いたが、返事は来なかった。よく考えると、この本は1924年出版だから、2015年現在で90年以上たっていることになる。つまり、ふつう、版権は50年で消えてしまうから、別に許可を求める必要もなかったということになる。しかし、この5回にわたる紹介で、私も疲れてしまって、全部翻訳などという骨の居る大変な作業をするだけの体力も気力も無いとわかったので、これでおしまい。ほかに紹介したい本がいっぱいあるので、この本に興味をもたれた方は原書を図書館で手に入れて読まれるようにおすすめする。ものすごく面白いのは事実である。
なお、2015年10月7日 余談の余談 という文章の中で、このブログのなかの「心霊現象の科学」に関するすべてのエッセイをWord
Fileひとつにまとめたので、ほしいひとに無料で送るので、私のE-mail(Eureka.murata@gmail.com)にWord
file欲しいとひとことメッセージを送ってくれれば、Reply mailに添付して送ると記しておいたが、そのブログを見ていない人も多いかもしれないので、ここにもう一度アドレスを記すことにした。遠慮なく催促してもらいたいと思う。Eureka.murata@gmail.com
私の希望は、すべての人に、心霊現象の科学が明らかにしつつある現段階を知ってもらいたいこと。パリ・テロやSan Bernardino テロ、あるいは 韓国フェリー事故、その他、事故やテロルにあって、人間いつどこで死に出会うことになるかわからない時代・社会に我々は生きている。そのとき、“余談―結論?2015年10月3日、4日”で示したような内容を理解していることは、もし死んで意識があるとわかったときに、どう行動すればよいか、ある程度見当がつくわけで、まちがいなく成仏できることになるだろう。何も知らないで、自分が死んだことも知らず、Earthbound の Spiritsとなって、自分からGhostになるようでは、死んでも死に切れないということになるだろう。苦労しなくて済むように、今のうちに、この世界(DeathとAfterlife)の情報を身につけておくことは無駄にならないと思う。その一助になれば幸いである。
村田茂太郎 2015年12月30日
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付録 15 「心霊現象の科学」をめぐってー逸話 2014年3月28日
昨日、わたしは女房と、RetireしたBeauticianにHair
cutをしてもらうチャンスがあった。この女性は日系人で、わたしのこのブログの最初の話、お寺さんが、ひとが死んだら無ですと話すのを直接聞いたとわたしに話してくれたひとである。そのあと、わたしは問題のお寺でのお葬式に参加して、今度はそのくだんの女性のお寺さんが、まじめに、亡くなったかたは、あの世から見守っているというような話をされ、きっと上のほうから注意されて、勉強したのだろうと思ったものであった。お寺さんが死んで無で、あとは何もないと言っていたのでは、やはり問題があり、勉強が必要だったといえる。
きのう、その日系女性は、いつも私が本を読んでいるのを知っていて、何を読んでいるのかと訊ねたので、Dianne
Arcangelというひとの「Afterlife Encounters」という本で、Deceased死者とLiving正者との交信に関してSurveyを行い、分析して、例示したもので、とてもわかりやすく、簡単に読める、いい本だということを伝えたので、そのBeauticianとの話が、超常現象について展開し、彼女自身いまの息子を産んだ後、一度、三ヶ月目で流産した経験があり、自分の息子の嫁が産んだ子供(彼女の孫)が、まだ2歳ごろのときに、I
died, I diedと自分は死んだことがあるとか、何度も叫んでいて、自分は無視して、息子も問題にしなかったら、5-6歳を過ぎて、もう忘れてしまったのか、なにも言わなくなったという話をされ、どうやら自分は自分が流産した子供が息子の子供つまり自分の孫として生まれてきているように思う、そして、子供とはいえ、成熟しているようだという話になり、そうですね、本によると、子供は何度も転生Reincarnationを経験していれば、Old
Soulというわけで、大人よりも大人っぽい発言をすることもおこりうるわけですねと二人で同意しあった。
子供のSoulは生まれる前に親を選ぶそうですよと、わたしが読んだ本の知識を披露すると、自分もそう思うということであった。
そのとき、彼女は、別な話をしてくれた。知り合いの女性で、子供が家のプールに飛び込もうと、透明のガラスがあるのに気がつかずに走っていって、ガラスにぶつかったため、首にガラスがささって死んでしまうという事件があった。その女性・母親は非常に子供に愛着していたようで、子供も、もう一度、同じ母親に子供として戻ってこようと決意したのか、同じ母親からつぎに生まれ出た子供が、首にBirthmarkをもって生まれてきたという、まさにDr.
Ian StevensonのReincarnationの研究の中でもBirthmarkの例示としてつかえそうな話が、このBeauticianの身近でも起きていたという話をわたしは興味深く聞くことができた。
さらに、このBeauticianの近くに住んでいた(今はアリゾナに引っ越したという話で、わたしは、近くに居れば紹介してもらいたいと思うほどGenuineのサイキックであった様子)黒人の女性のサイキックの話で、ある女性の夫が急になくなって、彼のビジネスを部下であった男がのっとろうとしているということで、どうすればよいかわからない、そこで、サイキックにコンタクトして夫から何か情報を得られないかと、この黒人女性に相談したところ、このサイキックは一度も夫にあったことがないはずなのに、大丈夫、こういう人間がもうすぐあなたの前にあらわれて、ちゃんと指示してくれるだろうといったら、すぐ次の日に、まさに彼女が予告したように夫の霊があらわれて、弁護士に接してどのようにするべきか、指示してくれたので、あとはうまくいったとか。これは、このサイキックMediumが夫の霊に接して、ワイフにコンタクトするように説得したから起きた現象なのか、もともと、そういう予定の夫の霊をサイキックがCatchしたということなのか、いずれにしろ、まさにGenuine本物のサイキックが居て、そういう不思議なことをする能力を身につけているということを証明したわけであった。
私自身はあまりGenuineサイキックと接する機会はないが、どうやら身近なところにいろいろサイキックな体験をしている人は居るようであり、今は昔と違って、臨死体験や対外離脱体験、AfterlifeやReincarnationの話が日常的に出てくる時限まできているので、Carol
Bowmanが子供の前世の記憶を再現することで、トラウマから完治するという話を展開していることなどをあげて、これからは、親も子供の異常な反応をまじめに受け止め、前世の記憶を馬鹿にしないで、真剣に受け止めるようにすれば、子供はもっと柔軟にサイキックな能力を発揮できるようになるだろうというような話をこのBeauticianと語り合うことができた。
私自身、思えば、この2年ほどで、死んだら無です、の意識状態から、ずいぶん飛躍成長したものだと思う。今ではAfterlifeはまちがいない、Soulは不滅で、場合によっては転生Reincarnationも起こり、Possession憑きもおこり、Comaの状態ではSoulは対外離脱状態を示している可能性がつよいので、意識不明のように見えても、話しかければSoulは理解するだろう、そしてPrayer祈りは確かに効果があるようであり、結局、Love愛と寛容、謝罪がとても大事だという結論に達している。おかげで人を見る目も成熟したように思う。Everything happens for a reason. は本当だと思う。
村田茂太郎 2014年3月28日
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付録 16 「心霊現象の科学」をめぐって -最近の感想 (2013年11月)
私のブログに、“その65”(2013年3月1日)を載せてから、もう8ヶ月以上経つ。この間、なにもしていなかったわけではない。アマゾン・コム経由でかなりの量のこの領域の本を購入し、最近はさらにAmazon・Kindle (AndroidでもPC)でも購入して、Totalで150冊ほど手に入れたことになる。そのうち、すでに読み終わったものでも40冊近くになる。いわば充電していたといえる。
最近購入する本の内容は Medium関係の本、 Life
after Death 関係、 Reincarnation, Possession、Meditation などが主で、最近のこの領域の進展にはおどろかされる。
わたしはこの領域の科学的証明(死後の世界の存在証明)というのは、無意味でないかという結論に達し、自分がMediumその他でAfter-Life, Reincarnation、Possessionなどを確信できればそれで充分だという結論に達している。
したがって、このブログの最初(心霊現象の科学をめぐってーその1)のエッセイの最後で、わたしは霊魂不滅、魂の死後の存在に関して判断保留という感想を記したが、今でははっきりと、私は 霊魂不滅、Life
after Death、Reincarnation, Possession, Ghost
現象 その他すべて実際にあるという確信に至っている。Soulがあり、Out-of-Body体験が可能であるということは、転生、亡霊、Possession その他の可能性があることになる。
京都大学のCarl Becker博士がロサンジェルスでの講演(2009年8月)で開口一番、「あの世の存在を認めなければ仏教は存在しない」といわれたのは、真実で、仏説阿弥陀経などで説く極楽浄土の世界は東洋的色彩があるとはいえ、臨死体験者が語るあの世の世界の瞥見、そしてMediumが語るLife
after Death の世界と同じ内容であり、仏陀はもちろん超能力(Medium的)で、Life
after Deathを知っていて、Death死は肉体の消滅だけで魂は不滅ということを知っていたのはまちがいない。
最近の本を読んでおどろくことは、Past-life Regression Therapist たちは、もう死後の世界の存在は当たり前の事実であるだけでなく、Reincarnation転生もわかりきった当然のこと、したがってEarthbound
Spirit(地上をさまよう亡霊)もたくさん存在して、Ghost現象が起きたり、人に取り付いたりして、いわゆるPossession現象をおこしているのは常識のような段階にきており、心理学的に治療するというよりも、催眠療法で幼児期だけでなく、生まれる寸前、生まれる前、過去のLifeというかたちで、どんどんさかのぼり、現在の病状、異常症状の根源を過去の人生に探るという方向で効果を挙げており、トラウマの起源を認知することによって、どのような精神療法でも回復不可能であった症状・病状が完全に治癒されるというケースをたくさん発表し、科学的とかどうかとは関係なく、この死後の世界を認め、転生、憑きその他を認める形で、対応すれば、病気の回復も驚くほど効果があるという結論に達しているようである。
やはり私がはじめから予想していたように、Medium霊媒関係の領域からのアプローチがこのLife-after-Deathその他の探求に不可欠で、この領域もただメッセンジャー(死者から生者への)としての段階を超えて、生まれる前にSoulsが自分でどのように生まれるかを計画して生まれるという驚くべき次元にまで展開してきている。
Possessionに関しても、映画で有名なDemonic Possessionではなく、Earthboundとなって光を求めて昇天しなかった魂がさまざまな機会に生者にとりつき、それもひとりだけでなく、Nestの状態で、一人の人間にいくつもの魂がとりついていて、それを除去する作業がDepossessionとかSoul
Releasing Therapyとかで、それを専門にしているPh.D.、M.D.がたくさん現れてきている。
ということは、死後の世界の科学的証明などということとは関係なく、死後の世界の存在、転生などを認めないと、それぞれの人間が抱える問題が解明できない次元にきているということである。Death死ということばよりはTransition移行という言葉のほうがより真実味がアルということになる。Energyのありかたが変わるだけであるというわけである。
Therapistによると、Possessionは子供や孫が心配で、死んだ肉親が取り付いている場合もたくさんあり、特に悪くないように思える場合でも、本人の特性がPossessした人物の魂に影響されるわけで、やはり健康的でないということで、療法家は光を求めて昇天する方針を徹底しているようである。(ここから、いわゆる Deja
Vue デジャー・ヴューのケースのありうる解釈として、PossessionとReincarnationの両者が有効であるということがわかる。自分は経験しなくても、遠い過去の自分やPossessedした人物の記憶がDeja
Vue現象を引き起こしているといえるわけである。)
映画ExorcistのPossessionのようなケースではなくて、普通の人間がとりつくというケースが主で、誰でも内部にそうした魂を保持しているのではないかと思われ、私自身、チャンスがあれば専門家に見てもらいたいと思えるほどである。本の著者であるドクター自身が友人に手伝ってもらって、自分に取り付いていたSpiritを解放させたと報告しているほどである。Possessedされるチャンスは誰でもいっぱいかかえているようである。麻酔状態、事故の後、アル中状態 (Drugもふくめて)、出産時、重態、お葬式 その他、誰でもどこでもPossessedの可能性を保持しているようで、いわば共存状態にある人間がたくさんいることにある。
George Ritchie M.D.の本 「Return
from Tomorrow」を読んだ後では、アルコールを飲みすぎて人事不省に陥ったひとは必ずアル中の魂にPossessされているはずだと、今では、私は思う。アルコールが入るとひとが変わったようになるという話はよく聞くが、まさにそのとおりで、取り付いた魂の反応が暴力的にあらわれたりしていると解釈される。
ともかく、今では、学者たちがまじめにAfter Lifeの様相やReincarnation転生などを論じているので、一昔前とはずいぶん変わったと思う。
最近、私が感じていることは、これからの学校教育で、道徳指導だけでなく、霊魂不滅・死はエネルギーの移行ということを子供たちに教育しておく必要があると思う。なぜなら、小さな子供たちといえども、いつ、どんな事件に巻き込まれ死んでしまうかわからない世界に生きているのである。天災による場合から人災による場合など、世界の情報をながめてみても、いつだれがどうなるかわからないような世界が現代だといえる。したがって、物心がつくころから、死について指導し、もし万一死ぬ目にあっても、わけもわからずにEarthbound地上に取り付いた状態でおわるのではなく、光を求めて移行するという最低の知識は身につけさせておくことが大事だと思われる。わたしの著書「寺子屋的教育志向の中から」の中のエッセイ“心霊現象の科学への私の歩み”のなかでも触れたことがあるが、東北の小学生が実験的自殺を実行した。(もう、今から40年ほど以前のニュースである)。それは、まじめな探求心がもたらしたものであったが、周りの無理解も影響していた。そういうことは意味がないということを知ってもらうためにも、また“いじめ”による自殺が頻繁に起きる社会であることをも踏まえて、この領域の一般的理解を深め、自殺は意味がないということなどを知ってもらうためにも、霊魂不滅をも含めた道徳教育が必要と思われる。昔、梅原猛氏が堂々と道徳教育について講演し、みずからも中学生に特訓されたりしていたようだが(文庫本)、本当に、霊魂不滅・愛情第一、寛容、同情、理解、感謝といったことの重要性を自然に理解させる道徳教育が必要であると私は思う。
これからは、私はこのブログで、以前のように直接英文を引用して訳文をつけるスタイルでは、版権などが問題になるので、印象的な内容について、私の意訳・紹介というかたちでこのブログを展開していきたいと思う。
村田茂太郎 2013年11月11日
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