我が家の犬猫 Our Homey Pets 最近の様子 2019年5月 その3
5月28日。久しぶりにBalboa Lakeへ。家からは一直線のはずだけどドライブで20分以上かかった。8-9マイルほど。時には毎週訪れたこともあり、桜が満開のころはHanaたちと歩くのが楽しみであった。ところが桜が枯れて満開を見る楽しもなくなると、訪れようという気にもならなくなった。しかし人口湖とはいえ広い空間に湖が広がっているのを見るのは気持ちよいものである。2年前にはHanaもThumperもよく歩き、あちこち歩き回ったものであった。
今はHanaがあまり歩かなくなったので、歩くところも限られている。この広いLakeのまわりを一周したことも何度かあったので、今から思えばよく歩いたものだという感慨まで湧く。
Eurekaも本当に頑張ってくれて、夜、私をBedにおとずれてしばらく首にまたがって温かみを伝えてくれるのは心地よい。以前はゴロゴロと大きな音を出して、私を本当に恍惚の域に運んでくれたものだが、やはり年をとるとゴロゴロもらくに発せられないみたいである。残念。時折小さな音でゴロゴロを聞くときがあるが、猫のこのゴロゴロは本当に不思議である。まじめに研究した学者がいるのかしら?
Sy Montgomery & Elizabeth Marshall Thomas共著の"Tamed & Untamed" (Close encounters of the Animal Kind) という本の中で、ElizabethがこのCatのPurringについて次のように記している。"the most important reward for life with cats is purring. No sound in the world is as soothing or pleasant as purring. ..." (P.87).
私も完全に同意である。(猫とともに生活するときの最大の報酬といえるものはこのゴロゴロである。この世でこの音ほど心を慰め、喜びを与えてくれるものは無いといえる。)
このPurringについて、私は、猫は抱かれたらゴロゴロいうものと昔から思っていたが、そうではないらしいとわかったのは、ワイフが異常な発言をしたからである。
私がエルパソで働いている間にEurekaがBackyardにあらわれて、居座ったということで、調べるとRug Dollとかというきれいな猫であった。もちろん飼い猫に違いないとビラを貼り、Shelterを訪れて調べたが飼い主は見つからない。あんたが飼いなさいということになって飼い始めたわけで、当然、ワイフを頼りにして、寝るときはゴロゴロといっていたとのことである。
当たり前の話であるが、私が2006年にエルパソを引き上げてLAに帰ってきてから、様子が違ってきた。私のベッドを訪れてゴロゴロいうのだが、ワイフに対してはゴロゴロをいわなくなったというのである。この猫は個性のある猫で、丁度、Hanaが”My way Or No Way”という態度を示すように、Eurekaも極端に個性が強く、食べ物もなんでも食べるというわけでなく、ともかく自分が欲しい時だけ、欲しいものだけという感じで、われわれ人間はEurekaにつかえるものと考えている節がある。それで、私だけにゴロゴロといって喜びを表してくれるというわけで、私が一層感激することになったのであった。ともかく、私が全力を尽くしてEurekaのために努力しているのは感じているのであろう。私はもしかして”カツオのタタキ”をやるせいかなと思ったりしたが、大事なことはこの猫はだれに対してもゴロゴロいうわけでないということで、自覚的に反応しているという点がまさにこのEurekaの素晴らしい個性の魅力であると私は思って、いつまでも頑張ってほしいと思うわけである。
まあ、飼い主に”べったり”という犬猫もかわいいが、自分の個性を保持してそれを貫徹する犬猫は特別にかわいいといえる。時には腹立たしく思うこともあるが、そこが、我が道を行くという個性をつらぬくかわいさである。逆に、よほど私たちを信用しているということの表れであると思う。犬も猫もその他の温血動物は、魂Soulをもった大事な存在で、人間を喜ばせるために存在しているというのは本当だと思う。
今はHanaがあまり歩かなくなったので、歩くところも限られている。この広いLakeのまわりを一周したことも何度かあったので、今から思えばよく歩いたものだという感慨まで湧く。
Eurekaも本当に頑張ってくれて、夜、私をBedにおとずれてしばらく首にまたがって温かみを伝えてくれるのは心地よい。以前はゴロゴロと大きな音を出して、私を本当に恍惚の域に運んでくれたものだが、やはり年をとるとゴロゴロもらくに発せられないみたいである。残念。時折小さな音でゴロゴロを聞くときがあるが、猫のこのゴロゴロは本当に不思議である。まじめに研究した学者がいるのかしら?
Sy Montgomery & Elizabeth Marshall Thomas共著の"Tamed & Untamed" (Close encounters of the Animal Kind) という本の中で、ElizabethがこのCatのPurringについて次のように記している。"the most important reward for life with cats is purring. No sound in the world is as soothing or pleasant as purring. ..." (P.87).
私も完全に同意である。(猫とともに生活するときの最大の報酬といえるものはこのゴロゴロである。この世でこの音ほど心を慰め、喜びを与えてくれるものは無いといえる。)
このPurringについて、私は、猫は抱かれたらゴロゴロいうものと昔から思っていたが、そうではないらしいとわかったのは、ワイフが異常な発言をしたからである。
私がエルパソで働いている間にEurekaがBackyardにあらわれて、居座ったということで、調べるとRug Dollとかというきれいな猫であった。もちろん飼い猫に違いないとビラを貼り、Shelterを訪れて調べたが飼い主は見つからない。あんたが飼いなさいということになって飼い始めたわけで、当然、ワイフを頼りにして、寝るときはゴロゴロといっていたとのことである。
当たり前の話であるが、私が2006年にエルパソを引き上げてLAに帰ってきてから、様子が違ってきた。私のベッドを訪れてゴロゴロいうのだが、ワイフに対してはゴロゴロをいわなくなったというのである。この猫は個性のある猫で、丁度、Hanaが”My way Or No Way”という態度を示すように、Eurekaも極端に個性が強く、食べ物もなんでも食べるというわけでなく、ともかく自分が欲しい時だけ、欲しいものだけという感じで、われわれ人間はEurekaにつかえるものと考えている節がある。それで、私だけにゴロゴロといって喜びを表してくれるというわけで、私が一層感激することになったのであった。ともかく、私が全力を尽くしてEurekaのために努力しているのは感じているのであろう。私はもしかして”カツオのタタキ”をやるせいかなと思ったりしたが、大事なことはこの猫はだれに対してもゴロゴロいうわけでないということで、自覚的に反応しているという点がまさにこのEurekaの素晴らしい個性の魅力であると私は思って、いつまでも頑張ってほしいと思うわけである。
まあ、飼い主に”べったり”という犬猫もかわいいが、自分の個性を保持してそれを貫徹する犬猫は特別にかわいいといえる。時には腹立たしく思うこともあるが、そこが、我が道を行くという個性をつらぬくかわいさである。逆に、よほど私たちを信用しているということの表れであると思う。犬も猫もその他の温血動物は、魂Soulをもった大事な存在で、人間を喜ばせるために存在しているというのは本当だと思う。
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