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1/28/2018

ブログ表紙写真 その310回目 日本の自然-琵琶湖 湖北など 滋賀県 Japan

ブログ表紙写真 その310回目 日本の自然-琵琶湖 湖北など 滋賀県 Japan


 姉と四国旅行を計画した時、琵琶湖の北部・湖北も訪れたいと言ったところ、姉は琵琶湖の北 マキノ・スキー場の近くに、メタセコイアの街道・並木道があり、一度訪れて素晴らしいと思ったから、ちょうど秋で紅葉がきれいに違いないから湖北に宿をとって琵琶湖・湖北へ行こうということになった。私は丁度、日本で運転する良い機会だと姉と二人で私のドライブで琵琶湖へ行くつもりでいたところ、義兄が私の運転を心配したのか自分もゆくといい、結局、3人で琵琶湖に向かった。はじめの高速はややこしいからと義兄がドライブし、桂川の道の駅で運転を交代した。日本の高速は制限速度80キロとか。ロサンジェルスではFreewayは65マイル、約105キロ。大概の人は75マイルでドライブしているから、120キロほどのスピードか。普通の道でワイフは速く走れと50マイル(80キロ)以上で走りなれているので、高速で80キロなど全然高速といえないスピード。したがって、日本でのドライブは簡単で、全然、危険を感じなかった。エンコしている車も見ず、ほかの人のドライブも正常で、煽り運転のような悪名高い運転ぶりにも出会わずにすんで、快適な琵琶湖訪問が実現した。

 近江といえば近江聖人として名高い中江藤樹の記念館があったので、立ち寄りたいと思ったが、姉夫婦もいるので遠慮して、近くの博物館だけ訪問した。中江藤樹といえば、小林秀雄の「本居宣長」によると、徳川時代が始まったばかりの世で、「天地の間に己一人生てありと思ふべし」という姿勢を、徳川幕府成立という国民的大経験のなかでつらぬいた驚くべき思想家であった。

 メタセコイアの街道への道は車で混んでいて、運転はスローであった。晴天とは言えず、小雨が降ったりして、琵琶湖もかすんで見えた。

 湖北の宿はメタセコイアをすぎてから、まだしばらく曲がりくねった道をドライブしてやっと湖岸の宿・ホテルに着いた。

 宿からは湖が見えた。気持ち良い一夜を過ごし、大津に向かう前に”余呉の湖”といわれる小さな湖に寄りたかったが、ドライブは非常に時間をとりそうで、彦根や近江八幡その他に寄るつもりであったため、あきらめて琵琶湖を南に下ることになった。旧街道を走ったりして彦根に向かった。彦根城の中に入る時間はなく周囲をすこしドライブしただけで終わった。目的は琵琶湖・湖北訪問ということで、一応、自分で納得したわけであった。

 近江といえば戦国時代の史跡・名所・旧跡が豊富で、ひとりで運転しているのであれば、当然、賤ケ岳や姉川古戦場その他を訪れたはずであるが、それは無理で琵琶湖を一周したということで満足であった。やはり琵琶湖は日本最大の湖、今まで大津までしかきたことがなかったので、一周して、なるほど”隠れ里”や古寺その他、日本文化の魅力が点在しているのを確認して、ひとりで旅をしなかった学生時代を悔やまれた。私の学生時代はベトナム反戦デモのなかで過ぎていったようなもので、今から思うと、惜しいことをしたという感想を抱くことになる。


村田茂太郎 2018年1月28日

琵琶湖・湖北近くのマキノ・スキー場のふもと(?)にあるメタセコイアの街道


新緑のころや雪景色はもっとすばらしいであろう。

琵琶湖・湖北の宿の部屋から南をみる



琵琶湖・湖北 を南にドライブ

海のように広大な琵琶湖





きれいな紅葉をみつけて中休み



湖北の村



彦根城のお堀


大津市の道の駅・運転を義兄と交代

琵琶湖と大津市、そして比叡山・比良山などを見晴るかす

説明を追加


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