Santa Fe を訪問してそのつど感心したのは空の青さと白い雲の対照で、他の場所に比べてどうしたことかSanta Feの空は澄み切ってきれいといつも感じたものでした。Santa Feは海抜2000メートルの地点にあるようで、Taosが1800メートルだから、Taosよりも高い地点にあるわけで、やはり周りが山に囲まれ、Adobe styleの家並みが自然とマッチして、調和した落ち着いた感じを生み出していることも一つの理由かもしれません。
ひとりで Santa Feを訪れたときはOld Townは通り越してSki場への道をたどり、海抜2900メートルのBig Tesqueという地点の山の中でテントを張ったものでした。すでに何度も記しましたが、ある年の10月11日にテントを張ったときは夜雪になるという予報を知っているかと二人連れのカップルの女性のほうがが注意をしてくれ、翌朝、予報通り、周りが雪の中にいるのを知りました。その時、下山してAlbuquerqueのSandia Mountainsにクルマでのぼったときは、山の途中で雪と氷のドライブとなり、動けなくなった乗用車が何台もいて、私は4WDだったので、無事ドライブできましたが、動けなくなった人はどうなるのか、パトカーに連絡してあげないと、凍死してしまうかもと心配しました。一応頂上まであがって、樹氷状態の雪景色を見て、これは危ないと、すぐにU-turnして下る途中、登ってくるパトカーに出合い、安心したのを覚えています。山は怖い、そしてアメリカをドライブするには4WDでないと危険だと切実に感じたもので、それ以来、20年間、私は4WD、AWDしか運転しません。コロラドのGrand Mesa では9月初めで紅葉が終わって雪が積もっているのを見ましたが、Albuquerqueでも10月中頃というのに、真冬の恐ろしさを体験したわけです。
Santa Feでは有名なSanta Fe Opera を訪問しなかったのが残念です。エルパソでは年2回のOpera鑑賞を楽しめましたが、今ではLos Angelesでは入場料が高くなって、私のエルパソ時代のように気楽に訪れるわけにはゆきません。エルパソではエルパソ’交響楽団の常任指揮者であったひとと何度か話し合う機会もあり、私がマーラーのSymphonyをリクエストしたことを覚えておられて、巨人 の演奏のあとで会った時には、私のリクエストのひとつを演奏したよと話されたのも、今では懐かしい思い出のひとつです。
わたしが伊福部のCDを購入して指揮者に届け、あるときEl Paso Symphony の演奏曲目のなかに入れられたときがあり、私は楽しみにしていましたが、当日、演奏曲目はキャンセルとなっていて、がっかりしました。あとで、日本から演奏許可がおりなかったと話をききました。くわしいことはわかりませんでしたが、アメリカのエルパソ、テキサスで、有名なゴジラGodzillaの作曲家のClassic音楽が聴けるのはすばらしいと期待していただけに、がっかりしました。
常任指揮者はトルコ出身で、私にトルコにも見るものはたくさんあるよと話されたものでしたが、その時は私はトルコをよく知らず、関心もなかったわけです。そのあと紀州旅行で明治時代にトルコ軍艦が紀州沖で沈没してたくさんの死者を出し、日本の漁夫たちは生存者を助けたとか、明治天皇がヘルプしたという話を慰霊塔で知り、またそのあといろいろ情報を得て、今ではギリシャを訪問するときは、必ずIstanbulその他のトルコの各地を訪れたいと思うほどになり、地図やガイドブック、トルコ語の本と辞書まで購入する始末です。最近、ワイフの親戚の女性たちと話す機会があり、Istanbulトルコの料理は世界ナンバーワンだと聞き、(ちなみに、彼女たちの話では、No.2はChinese, No.3 は France, 4 は Italian だとか。日本料理が入っていないのは評価がかたよっているのを示しているのでは?) 彼女たちのいくつかのヨーロッパ旅行の経験ではIstanbulが一番良かったとか。トルコ出身の常任指揮者ともう少し熱心にトルコについて話し合わなかったのは今思うと残念です。トルコ人Orhan Pamukがノーベル文学賞を受賞したということで、わたしはアマゾンで6冊ほど興味がありそうな本を買い求め、Istanbulという題の回想録から読み始めました。澁澤幸子の」落日のボスフォラス」という本も私のトルコへのOrientationとしては良い本でした。
Santa Feでは有名なSanta Fe Opera を訪問しなかったのが残念です。エルパソでは年2回のOpera鑑賞を楽しめましたが、今ではLos Angelesでは入場料が高くなって、私のエルパソ時代のように気楽に訪れるわけにはゆきません。エルパソではエルパソ’交響楽団の常任指揮者であったひとと何度か話し合う機会もあり、私がマーラーのSymphonyをリクエストしたことを覚えておられて、巨人 の演奏のあとで会った時には、私のリクエストのひとつを演奏したよと話されたのも、今では懐かしい思い出のひとつです。
わたしが伊福部のCDを購入して指揮者に届け、あるときEl Paso Symphony の演奏曲目のなかに入れられたときがあり、私は楽しみにしていましたが、当日、演奏曲目はキャンセルとなっていて、がっかりしました。あとで、日本から演奏許可がおりなかったと話をききました。くわしいことはわかりませんでしたが、アメリカのエルパソ、テキサスで、有名なゴジラGodzillaの作曲家のClassic音楽が聴けるのはすばらしいと期待していただけに、がっかりしました。
常任指揮者はトルコ出身で、私にトルコにも見るものはたくさんあるよと話されたものでしたが、その時は私はトルコをよく知らず、関心もなかったわけです。そのあと紀州旅行で明治時代にトルコ軍艦が紀州沖で沈没してたくさんの死者を出し、日本の漁夫たちは生存者を助けたとか、明治天皇がヘルプしたという話を慰霊塔で知り、またそのあといろいろ情報を得て、今ではギリシャを訪問するときは、必ずIstanbulその他のトルコの各地を訪れたいと思うほどになり、地図やガイドブック、トルコ語の本と辞書まで購入する始末です。最近、ワイフの親戚の女性たちと話す機会があり、Istanbulトルコの料理は世界ナンバーワンだと聞き、(ちなみに、彼女たちの話では、No.2はChinese, No.3 は France, 4 は Italian だとか。日本料理が入っていないのは評価がかたよっているのを示しているのでは?) 彼女たちのいくつかのヨーロッパ旅行の経験ではIstanbulが一番良かったとか。トルコ出身の常任指揮者ともう少し熱心にトルコについて話し合わなかったのは今思うと残念です。トルコ人Orhan Pamukがノーベル文学賞を受賞したということで、わたしはアマゾンで6冊ほど興味がありそうな本を買い求め、Istanbulという題の回想録から読み始めました。澁澤幸子の」落日のボスフォラス」という本も私のトルコへのOrientationとしては良い本でした。
村田茂太郎 2017年10月15日
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