2008年5月に兵庫県出石市の城下町を訪れることができましたが、2005年の10月初めに、私の希望で長州萩市を訪れることができました。みな桂小五郎ゆかりの土地をたずねたいという私の希望を実現したものでした。
大阪から萩(山口県)に向かうのに新幹線で新山口経由にすれば早く着いたはずですが、わたしはのんびりと山陰海岸を旅したいと友人に希望を伝えました。わたしはYMCA予備校時代の夏の2泊3日の山陰旅行(浜村海岸、大仙登山)のときに山陰線で京都経由浜村に汽車でいったときの車窓からののどかな美しかった風景が忘れられず、山陰線にもう一度乗りたいと思って友人に計画してもらったわけです。しかし、京都経由の山陰線などは無くなっていたらしく、大阪から姫路経由で中国山脈を横断して山陰に出たので、鳥取は通らないで、いきなり島根の松江着でした。そして、萩までは乗り換えもせねばならず、朝の7時過ぎに大阪を出たはずなのに、萩に着いたときは夜の7時を過ぎていて、12時間以上かかっていました。12時間と言えば私がエルパソ・テキサスからロサンジェルスまで約800マイル(約1300キロ)クルマでドライブするのに、2回のガソリン・ストップを入れて丁度12時間かかっていたことが思い出されたものでした。
萩の町に2泊して幕末長州藩ゆかりの場所をいくつか訪れることができ、また白壁の町並みなどを自転車でみてまわることができました。桂小五郎、高杉晋作、吉田松陰、松下村塾、明倫館などで、納得できました。萩の町は大都会でなく、こじんまりとしたいい街でした。海と山に囲まれ、川が街中を流れて、白壁の大きな家があちこちに点在するという日本情緒たっぷりの町でした。アーネスト・サトウの明治維新に関する回想録を読むと、四国艦隊が下関を襲った話が襲撃に直接参加した当事者サトウの目撃談として書かれていて、生々しい印象を得ました。萩の街中に田中儀一の肖像も立っていました。田中儀一といえば「ロシヤにおける広瀬武夫」の感想文の中で記述した張作霖爆殺事件の関与者なので、わたしは無視しました。
萩を見てから、いったん森鴎外で名高い津和野市をおとずれ、それから中原中也や山頭火で有名な熱田温泉そして山口ー瑠璃光寺などを訪れたように思います。
アメリカ南西部のあらあらしい景観と対照的な日本の城下町の風景をBig Bendのあと、紹介することにしました。
村田茂太郎 2014年8月31日
萩はぎの町並み |
念願の桂小五郎生誕の址を訪問 |
これは高杉晋作の旧宅 |
朝鮮朝顔?琉球朝顔?がきれいに咲くある料理屋の魔 |
友人と自転車ではぎの街を見て回りました。このあと、津和野でも山口でも 自転車を借りてみて回り、自転車のよさを確認しました。 |
萩城跡 |
これは確か聴衆で有名な萩の小学校ー 明倫館。鉄筋コンクリートでなく、古風な味わいのある校舎のようです |
松下村塾は1年ほど続いただけのはずなのに、明治維新の起爆力となったわけで、すごいと思います。 |
山口県 萩市 |
萩の町 |