わたしがロサンジェルスに住むようになってから、1970年代、日本で「私の城下町」という歌が流行ったようです。1974年に一度日本を訪問したとき、流れてくる歌をききながら、歌の中のイメージをうかべたものでした。それは私の知らない世界で、地方に行けばそういうムードも味わえるのだろうと思っていました。
わたしは大阪生まれの大阪育ちといえども、大阪市のはずれで、わたしが育ったころはすぐ近くは、まだ田園風景で、野井戸に落ち込む子供もいたほどでした。わたしは川で魚をすくったり、トンボや蝶を追いかけて子供時代をすごしました。大阪と言えば秀吉の大阪城が代表的な景観ですが、それははるかなかなたで、”私の城下町”というムードとはまったく関係がありませんでした。
姉夫婦のクルマで”天橋立”旅行を計画してもらったとき、わたしは希望で”玄武洞”と”出石”市を訪れてもらいました。”出石”とはいうまでもなく、一時、”桂小五郎”(木戸孝允)の隠れ場所だったところで、蛤御門の変に敗れた長州藩が幕府から狙われ、長州藩の最大の大物であった桂小五郎も京都を離れざるを得なくなり、最初に落ち延びたところが出石だったのです。(京都周辺の情報を比較的はやく得るためには、はるかかなたの萩まで帰るわけに行かず、出石城下町ということになったのでしょう。)出石をおとずれると、比較的小さな城下町で、よそ者がまぎれこんでいると、すぐに目に付いたはずで、もちろん二人の兄弟・出石の町人甚助、直蔵が助けたとはいえ緊張した日々であったに違いありません。(1864年)。
出石の桂小五郎がかくれていた元荒物屋のまわりには記念碑が建てられていて、桂小五郎再生の地と記されていました。わたしは姉とそのとなりの蕎麦屋”よしむら”でかるい食事をしました。そして姉に記念写真をとってもらいました。
穏やかで閑静な街で、昔の名残をとどめていました。
村田茂太郎 2014年7月27日
城下町 出石市、兵庫県 |
有料見学の家屋の座敷からの眺め |
史料館 にある 桂小五郎と幾松の写真 |
まさに土蔵! 立ち並ぶ倉庫 |
お城の一部、 代表的景観 |
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