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9/26/2012

有吉佐和子「日本の島々、昔と今。」を読む


有吉佐和子「日本の島々、昔と今。」を読む

 竹島や尖閣諸島が深刻な国際間の緊張を生むに至っている現在、わたしはいったい、何がどうなっているのか知らねばならないと思い、そのために、手頃な書物を私が所持しているのに気がついた。

 有吉佐和子の「日本の島々、昔と今。」という文庫本である。昭和55年から56年にかけて雑誌「すばる」に発表され、のちほど、文庫本にもなり、わたしの持っている本は集英社文庫、昭和59年第一刷というものである。

 1981年ごろに出版されたわけで、今から30年も前の話であるが、今も生きている名著である。

 筆者有吉佐和子は才媛として名前を津々浦々に知られた作家であったが、その有吉の名前も知らない人と出会うほど、辺鄙な、誰も行かないような島々を訪れ、単なる風景の発見というのではなくて、その島々で今何が問題かを摘発し、問題点の根拠を探ろうとしたわけで、まさに現代のルポルタージュの傑作が生まれた。

 この作品を読んでいると、有吉佐和子というすぐれた個性と生きた会話をしているような印象が生まれ、まさに文学的にも名作といえる報告書となっている。

 この本の中でしばしば筆者がマラソンやJoggingをしている場面に出会う。有吉佐和子は52歳か53歳で突然死去した。若い死で、わたしはニュースで死っておどろいたものであったが、死因は心不全となづけられた。この本の中での有吉のマラソン、ジョッギングを知って、もしかして、そのために死を早めたのではないかと思った。わたしはある人から、別のあるひとが朝のJoggingからかえってきて、倒れて死んでしまったという実話を聞いたことがある。適当なJoggingは健康管理にはよいだろうが、誰にでも向いているわけではないようだ。

 ともかく、彼女が53歳という熟年の途中で急逝したのは惜しまれる。30年経って、彼女が健在であれば、もう一度、この「日本の島々、昔と今。」のつづき、「30年後、再訪記」を書いて欲しいと思う。まことに残念である。それほど、このオリジナルのルポルタージュは生き生きとして、すばらしい。

  目次を挙げておこう。

海は国境になった (その一) 焼尻島・天売島
鉄砲とロケットの間に (その二) 種子島
二十日は山に五日は海に (その三) 屋久島
遣唐使から養殖漁業まで (その四) 福江島
元寇から韓国船まで (その五) 対馬
南の果て (その六) 波照間島
西の果て、台湾が見える (その七) 与那国島
潮目の中で (その八) 隠岐
日韓の波浪 (番外の一) 竹島
遥か太平洋上に (その九) 父島
北方の激浪に揺れる島々 (番外の二) 択捉島・国後・色丹・歯舞
そこに石油があるからだ! (番外の三) 尖閣列島

 飛行機やヘリコプターをつかったとはいえ、驚くべき行程である。父島など小笠原諸島へは1日以上かけて船で出かけている。そして、現在の状況を確実に把握しようと漁業組合などのひとと直接あって話を聞き、現場を確かめるというやりかたである。過去の資料を調べるのは、現場を見たアト、ルポジュタールを完璧にするためで、もともと旅の準備をしないでとびこんでゆく。

 ”旅へ出るとき、私は決して前以て本を読んだりして下準備をしておくことをしない。白紙の状態で飛込む方が、偏見を持つことなく、新鮮にその土地を感じることができるからで、・・・” (P.13 海は国境になった)。
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 次は 「日韓の波浪- 竹島」(番外1)の冒頭からの引用

東京霞ヶ関にある海上保安庁広報室に出かけて室長と相談したという。
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「なんとか、竹島へ出かける方法はないものでしょうか」とご相談したら、

「竹島ですか。それは危険です。近寄ると狙撃されますよ」

「右手と心臓に当たらない限り、私はそのくらい平気ですけれど」

「いや、まあ、おやめになった方がいいでしょう」と取り合ってもらえなかった。

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 これを読んでいて、有吉佐和子という人はすごい人だと思った。右手と心臓のほかに頭も加えておくべきだったと思うが、まあ、この日本の島々のルポルタージュを本格的に仕上げる作家の精魂のたくましさが如実にあらわれた会話であったと思う。有吉佐和子は勝気で、頑固で、自分の信じた道を断固としてすすんできた人のようであり、その逞しさは生前すでに有名であった。

 屋久島・宮之浦岳の有名な“屋久杉”を見にでかけるところで、山歩きのベテランというタクシーの運転手を案内人に一緒に出かけたが、案内人よりも逞しく、4時間ののぼりを実行したため、「お客さん、あんた、東京で何してなさる人ね」と訊かれ、「私?百姓よ」と応え、「東京に百姓はおらんとでしょうに」といわれて、「東京は人口1千万人ですからね、百姓がいないと東京の人は新鮮な野菜が食べられないの。・・・」と、応えるところがある。そして、「そんなに急がんでもええよ、お客さん」「急いでいないわよ、これ普通の歩き方よ」「それが普通かね」「ええ、そうですよ」という調子。

 いわゆる書斎派的な生き方ではなく、全身で行動しているという様子が伝わる文章である。

 この本の中に“番外”と題されて3つのルポルタージュがおさめられている。竹島〔番外1〕、北方領土4島(択捉、国後、色丹、歯舞)〔番外2〕、尖閣列島〔番外3〕の3篇である。番外とあるが、実は最重要という意味で番外になっていると思えるほど深刻なルポルタージュである。

 これを読んで、日本の政治のまずさや日本的な反応の鈍さがよくわかり、今、この関連国を騒動に巻き込んでいるロシア・韓国・中国との摩擦も、歴史的に、日本の政治機構がもうすこし、まともで、もうすこしうまく機能し、反応がよければ、問題など発生することがなかったであろうと思われる。今となっては、Too Lateで、解決策としての名案などは誰にも浮かばないであろう。憲法第九条や日米安全保障条約までからんでくる問題となってしまっているのだから。

 かつて私は「海舟とスイス」という短いエッセイで、自分の国は自分で守るという話を扱った。

 たとえば、古代ギリシャが対外的に危機に陥ったペルシャ戦争を考えてみよう。ペルシャ帝国から膨大な軍隊が陸からも海からもギリシャに迫ってきた。(マラソンの語源はそのとき、陸上部隊が勝利した報告を一兵士が必死に駆け続けてアテナイ市民に連絡して息絶えた、それを記念して始まったという。)また、スパルタでは有名な大王レオニ-ダスが300名ほどのスパルタ兵士と共にテルモピレーで玉砕をとげたという話ものこっている。そして、海ではテミストクレスが圧勝する事によって、ペルシャからの侵入をとめることが出来た。“自分の国は自分で守る”、が実行できた例である。

 このとき、古代ギリシャが、わが国は戦争放棄、平和主義でいくから、外国からの侵入は認めない、ペルシャが侵入してくるのはけしからん、といっても、通用しなかったのはあきらかである。

 第二次大戦後、日本はアメリカの傘の下に入って今日の繁栄を築いてきた。戦争放棄を宣言した憲法第九条を遵守し、平和を愛する国民として、地球上唯一の原爆被爆国として、ユニークな位置を占めてきた。それは、すばらしいことであったが、今日の禍根もそのなかから生まれてきた。

 アメリカが射撃演習場として竹島や尖閣列島をつかっていたときに、誰も文句を言わず、異議も唱えなかった。日本は日米安全保障条約に守られて、対外的な危機を被らずに過ごすことが出来た。

 沖縄が返還され、米軍基地が撤去されという状況の中で、竹島問題や尖閣列島問題が表面化してきた。日本敗戦以前は韓国や中国が目立って領有権を主張することなどはなかった。そして、敗戦後も米国の演習場になっているときに韓国や中国が注文をつけることもなかった。もし、自国の領土ということを信じていた上で、黙っていたというのであれば、それも問題である。今の反応振りから見て、当時、自分の領土と思っていたら、相手がアメリカであれソ連であれ領海侵犯をかかげていなければうそである。つまり、どの国も、それまでは日本の領土であると認めていたわけである。

 では、なぜ、今になって竹島や尖閣列島が問題になるのか。それは経済水域200カイリ問題と油田問題がからむからである。この有吉の本によると1960年代に東海大学の新野弘教授が“石油がある!”と叫んでから深刻化したらしい。そのとき、日本は何の反応も示さなかったが、アメリカが反応し、国連アジア極東経済委員会が反応しということで、世界が注目し始めたとのことである。ここが、日本の政治の反応の鈍さが問われるところである。

 それまでは暗黙の了解として日本の領土の一部という認識が徹底していた。

 憲法第九条によって平和愛好国として世界に名乗りを上げた手前、正式の軍隊はもたず、自衛隊という影の軍隊をもって、そして日米安全保障条約によってアメリカから保護されて、はじめて日本は表面的に平和な世界を構築することが出来た。

 沖縄住民がアメリカ軍事政権下におかれたときの差別その他の苦労は大変なものであったので、沖縄返還は重要な記念すべき出来事であった。

 この歴史的推移をふりかえってみて、今、中国や韓国が尖閣列島や竹島の領有権を主張しているのは、日本が独自に防衛する力を持たない事に由来するといえる。アメリカが演習していたときには何も言わなかったのだから。ということは、憲法第九条で戦争放棄を宣言して平和愛好国となった国、日本はアメリカの保護を離れれば、か弱い国になってしまったという事に違いない。

 “自分の国は自分で守る”という基本原則が実行できない国になってしまった。そして、その分、アメリカの援助で防衛が可能であれば、なにも今更、竹島や尖閣列島問題が発生しなかったはずである。

 これ以上、展開すると政治論になるので、ここでやめる。この問題(竹島、尖閣列島、千島四列島問題)に関心のある方は、有吉佐和子のこの名著「日本の島々、昔と今。」をご自分で読まれ、過去からの展開をふりかえって、ご自分で判断していただきたい。

 現在、昔なら簡単に戦争に巻き込まれたり、巻き込んだりしていたに違いない状況がうまれているが、大事とはいえ、こんな問題で判断を間違って、美しい日本を破壊するような政治決断は絶対にやめて欲しい。共存策を練る方向で国際解決が可能なら、まだ救われるのだがという私の感想でこの有吉佐和子の名著の紹介を終える事にする。当初は、これを序論にして、番外3件を順番に紹介し、論じるつもりであったが、政治論争に巻き込まれたくないのでこれで終わる事にする。

村田茂太郎 2012926

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